第二百五話 戦禍絢爛
軍用刀は、切れ味こそ優れているものの、破壊力があるわけではない。たとえば鎧の上から切りつけても、軍用刀のほうが刃毀れするだけということが多い。無論、薄い鎧ならば関係のないことだが、装甲の分厚い鎧は不得手だった。
元々、鎧の上から殴りつけるような使い方をする武器ではないのだ。鎧の隙間に突き刺すという刺突剣と同じような使い方が正しい。剣技の冴えを見せるようなものではなかった。
それでも、エリウス=ログナーはこの刀を愛用し、鍛錬に励んだ。結果、戦い方というものがわかってきたつもりだった。敵の斬撃を切っ先から受け流し、態勢を崩したところに突きを浴びせる。それだけで雑兵には負けなかった。槍による鋭い突きは刀の腹で払い、即座に間合いを詰める。首筋に軍用刀を突き刺せば、それで終わった。
気が付くと、敵兵を五人、殺していた。突きで四人殺し、ひとりは斬殺している。死体は足下に転がっていて、移動の邪魔になりかねないが。
エリウスの息はまだ、上がってもいない。
(戦える……か!)
エリウスは手応えを感じたものの、そううまくはいかないだろうということもわかっていた。敵兵が、エリウスと間合いを取り始めた。エリウスのことを手練れの戦士だと認識しての反応なのだろう。光栄ではあったが、状況は良くない。前後を挟まれる形になっていた。敵には槍兵がいて、弓兵もどこかに潜んでいるはずだ。乱戦ならば長槍も弓も使いにくいものだが、間合いが広がれば広がるだけ刀のほうが不利になる。
通路は狭い。大人が五人、横一列になるだけで通れなくなるくらいだ。敵軍はその狭い空間を上手く利用して、エリウスを挟み撃ちにしている。前後、分厚い人間の壁ができている。左右は人家の壁であり、飛び越えるなどという真似ができるはずもない。逃げ場はない。かといって、悲観する状況でもない。
後ろの敵部隊のさらに後方には味方部隊が充満しているのだ。いや、後方だけではない。左右、人家を挟んだ向こう側の通路にもガンディア軍の兵士たちでごった返しているはずだ。進路はひとつではない。無数の通路のすべてを制圧していくかのような勢いで、ガンディア軍は展開している。待てば、エリウスを囲む敵部隊を包囲する格好になるだろう。
エリウスは偶然にも、敵の注意を引きつけていたのだ。
(だが、それも生き延びればの話だ!)
彼は胸中で吐き捨てると、通路の左側に寄った。壁に背を預け、敵を左右に迎える。前後のどちらかに攻撃対象を絞ったところで、がら空きの背中を突かれたらおしまいだ。エリウスの腕では、全周囲に意識を集中させることなどできない。間合いが、じりじりと狭まっていく。
軍用刀の柄を両手で握り、神経を集中させる。意識を研ぎ澄ませ、攻撃の機会を伺う。敵の好機こそ、こちらの好機だ。一瞬の隙を見逃さずに一撃を加え、離脱する。それを繰り返していけば、多少の時間稼ぎにはなるだろう。
そんなふうに考えていると、右側の部隊が動きを止めた。
「エリウス様! 無事ですか! どうかお返事を!」
「馬鹿か! 返事なんて出来るわけねえだろ!」
「エリウス様を救え! 守れ! そのために死ねぇ!」
ログナー軍人たちの怒号とも罵声ともわからないような叫び声が轟いたと思ったら、エリウスを挟んでいた右側の部隊が対応のために動き出した。盾兵だけ置いていったのは、エリウスを逃さないために違いない。
エリウスは、ログナー王家への忠誠を忘れ得ぬ兵士たちに苦笑を漏らしながらも、生き残れる可能生を見出せたことには感謝した。馬蹄が轟いている。狭い通路を何人もの騎兵が駆け抜けてくるのがわかる。迎撃を恐れないのは、勇敢というよりは無謀に近かったが、エリウスにはなにもいえなかった。自分も同じだ。無策で飛び出し、こんな状況に陥っている。
不意に視界の片隅に光を見た。反射光。エリウスが反射的に屈むと。耳を劈くような音が頭上を貫いた。矢だ。同じ所に留まっていては弓兵の的になるのは当然だった。その事実にいまさら気づいたエリウスは、躊躇うことなく右側の盾兵に向かって飛びかかった。
盾兵たちは後方での事態の急変に動揺を見せている。が、エリウスが飛びかかると、盾を突き出し、応戦の構えを見せた。盾を片手に持ち直し、腰の得物を抜く。ショート・ソード。その刀身は、エリウスの軍用刀よりも短いものの、こちらの攻撃を盾で防げば、刀身の長さなど関係なくなる。
「敵はたったひとりだ! 押し包め!」
エリウスは、盾兵との戦いを前に、背後を一瞥した。後方――つまり、当初の進行方向に並んでいた盾兵たちが一斉に動き出していた。盾兵だけではない。槍兵もそれ以外の兵士たちも、順次、エリウスに向かってきている。このままでは盾に圧殺されそうだったが、彼は心配していなかった。怒涛のような軍靴の音が聞こえてきている。喚声と怒号、悲鳴と罵声。戦争の音が、前方からエリウスに向かってきている。
「エリウス様を発見!」
「エリウス様の無事を確認!」
「者共、死にさらせえええええ!」
盾兵たちがぎょっとしたのも無理はなかった。さっきから咆哮を上げていた騎馬兵が、彼らの背後に現れたからだ。兜の中の顔に恐怖の色を浮かべて振り返った盾兵を、馬の足が弾き飛ばす。危うくエリウスまで蹴飛ばされそうだったが、彼は冷や汗をかく程度で済んだ。エリウスを囲むように立ち止まった騎馬兵は三名。皆、ログナー軍人なのだろう。
「エリウス様、馬上からお許しを」
「ここは危険です。お下がりください」
「エリウス様に死なれては困りますんで」
それぞれ血まみれの武器を手にした騎馬兵たちは、迫り来る敵集団への牽制に動きだしている。敵中を突破してきた軍馬たちも傷だらけだった。兵士たちもだ。傷を負い、それでもエリウスを探しまわっていたらしい。彼らは、エリウスになにを期待しているのだろう。エリウスは、彼らによって命を救われたという事実を認識しながらも、もはやなんの権力もないログナー家の人間に、どうしてそこまでしてくれるのかと真剣に悩んだ。
「下がるわけにはいきません。わたしも、ガンディアの軍人なのです」
エリウスは、騎馬兵たちに蹴散らされた敵兵が、ゆっくりと立ち上がるのを見ながら告げた。通路を塞いでいた五人のうち、意識を取り戻したのは三人。残りふたりは打ちどころが悪かったのか、通路の片隅で気を失っている。彼らは生き残るだろう。だが、意識を取り戻した兵士たちは、ガンディア軍に殺されるしかない。投降するというのなら話は別だが、兵士個人にそのような判断ができるとも思えない。
「しかし! エリウス様は、我らログナー人の光!」
「こんな戦場で、死ぬ気にならないでください」
「たかだか雑兵の首を十数あげたところで、なんの自慢にもなりませんよ」
三者三様の言葉に、エリウスははっとした。馬上の三人は部隊長なのだろう――配下の兵士たちが続々と集い、彼らの周囲を固めた。
(雑兵の首……か)
確かに、その通りだ。たかが雑兵を相手に大立ち回りしたところで、評価されるはずもない。一兵卒の戦果ならば過大といってもいいのだろうが、エリウスに求められているのはそのようなものではないのだ。そもそも、エリウスが北進軍に入ったのも、戦果を期待されてのことではない。期待されていたのは、ログナー人とガンディア人の中を取り持つための調整役であり、それ以上の価値はなかった。彼はそれを理解した上で、戦場に飛び出したのだ。
結果を、欲しすぎた。
立場も弁えず、突出し、命を危機に曝してしまった。彼らの到着が間に合わなければ、エリウスが死んでいたのは間違いない。死ねば、どうなっていたのか。ログナー家の血が絶えたという可能性も大いにある。それは構わないのだが、ログナー王家のために命を張り、死んでいったものたちに申し訳が立たない。エリウスはまだまだ死ぬわけにはいかないのだ。しかも、雑兵を相手に死んでは、ガンディアの戦史にも残らないだろう。
「わかしました。さがりましょう」
エリウスは部隊長たちに告げると、反応を待たず、自軍兵士たちの中に紛れた。
部隊長たちは馬を降り、戦闘態勢に入っていたのだ。エリウスに返答などできるはずもない。兵士たちに命令を飛ばし、陣形を強固にしていく。狭い通路での対峙。盾兵を前面に展開した敵味方両軍の間を、無数の矢が飛び交っていた。その矢が刺さったのか、時折、悲鳴が聞こえた。
「前進せよ! エリウス様に勝利を捧げるのだ!」
「ザルワーン人どもに、ログナー魂見せてやれい!」
部隊長たちの掛け声に、周囲の兵士たちが雄叫びを上げた。エリウスは、そんな中を兵士に案内されて、後方に向かっている。熱狂がある。戦場特有の熱気が、狂気とともに渦巻いている。血と汗と死の臭い。戦争とはこういうものだということを、彼は知っている。何度か、戦場に立った。初陣ではないのだ。だから、足が竦むということはなかった。あのような窮状に陥っても、冷静であれた。
しかし、肝心のところで、冷静さを失っていた。この戦場で自分がなにをすべきなのかを思い出したエリウスに、もはや迷いはなかった。求めるべきは戦功ではなく、自軍の勝利。そのために彼ができることとは、ログナー人を鼓舞し、士気を上げることにほかならない。ログナー家を慕う軍人は、未だに多いのだ。その影響力を利用することこそ、エリウスに求められている。
「エリウス様、ご無事でしたか!」
レノ=ギルバースが、こちらを発見するなり、兵士たちを押し退けて走ってきた、馬から降りているのは、歩兵の進軍の邪魔になるからだろう。鎧には返り血がついている。彼も刃を交えてここまできたのだ。
「どうやら、恥を晒してしまったようです」
エリウスは苦笑を交えながら、レノとの再会を喜んだ。
部隊の後方から断末魔の悲鳴が聞こえてきたのは、そのときだ。