第二千五十八話 二君子(五)
翌日、ミリュウは、ダルクスのみを連れて大霊宮を出ると、西方白門を潜った。エリナの休養日の二日目ということで、ミリュウには自由行動が許されていた。その自由行動の時間を二君子の調査に費やすのもどうかと考えたりはしたが、大君の治療日となるとエリナに付きっきりになることを思えば、いまを逃す手はなかった。
エリナには、昨日はしゃぎ回ったことの疲れをとるべく、大霊宮でミリュウ隊の皆とおとなしく静養するように言いつけてあった。師匠命令に従わないエリナではない。しっかりと休み、明日以降の治療に備えてくれるだろう。
そうなると、ミリュウが手を持て余すことになる。もちろん、エリナと一緒に静養するのも悪くはないのだが、そもそも、ミリュウは休養を取るほど疲れてもいないのだ。大君の治療において疲労し、消耗しているのはエリナだけであり、ほかのだれひとりとして彼女を手伝うことができていなかった。それは武装召喚師の師として少しばかり屈辱的なことではあったが、フォースフェザー以外の召喚武装では白化症患者の意識を取り戻すこともできなかった以上、致し方のないことだ。
かつて、ミリュウもラヴァーソウルの疑似魔法で白化症の治療を試みたことがある。ラヴァーソウルの疑似魔法は、攻撃のみに特化したものではないのだ。治癒も、防御も、支援も行うことができた。そのためにはとんでもない精度の制御が必要になるが、ミリュウはラヴァーソウルの制御のため、日夜凄まじい修練を行っている。いまやラヴァーソウルは彼女の手足そのものの如く動き、彼女の思うままの魔法を発現して見せた。治癒魔法も想いのままだ。しかし、ラヴァーソウルの疑似魔法をもってしても、白化症は回復しなかった。症状が改善することさえなかったのだ。故に、召喚武装の能力によって白化症患者が回復することはない、というリョハンの結論に疑問を差し挟む余地はないものと考えていた。
それがまさか、弟子の召喚武装が多少とはいえ効果を発揮するなどとだれが想像できよう。意識を回復しただけだ。昏睡状態から復帰しただけだ。とはいえ、ほかの召喚武装ではそれさえできなかったのだ。もしかすると、フォースフェザーの能力ならば白化症を改善することができるかもしれない、と、期待するのも無理からぬことだろう。
もっとも、それからというもの毎日のように続けられた大君の治療だが、経過は決して芳しいものではない。白化症の症状が改善するどころか、進行していることがミリュウの目にも明らかだった。ただ、大君自身の体調そのものは、病臥しているときよりも明確に改善しており、マルガ=アスルは、直に政にも復帰できるのではないか、と声を上げて笑うほど元気になっていた。それだけで御側衆は大喜びであり、大君自身もエリナに心から感謝しているようだ。
結局のところ、なにひとつ問題は解決していないのだが、致し方のないことだろう。
白化症は、神の力の影響なのだ。召喚武装の力では、神の力を取り除くことなどできないのだ。
フォースフェザーの可能性に期待はする。期待はするが、あまり期待しすぎないようにしなければならない。期待しすぎた結果、なんの成果も上がらなければ、エリナに失望することになる。エリナはなにひとつ悪くないというのにだ。エリナは、彼女ができることを精一杯やっているだけだ。その結果、大君が白化症から回復できなかったとして、だれが責められるというのか。
大君とて、エリナを責めはしまい。
エリナはよくやっている。あれ以上を駆け出しの武装召喚師に求めるのは、理不尽以外のなにものでもない。
本来ならば師匠であるミリュウがやるべきようなことをやっているのだ。すべてが終われば、思い切り誉めてあげなくてはならない。
そんなことを考えながら、ミリュウは、自分に課せられた役割を果たすため、アガタラ西方区画白風丘へと足を踏み入れていた。
白風丘には、君子サルグ=オセルの屋敷があるのだ。サルグ=オセルに直接会い、話を聞こうと考えている。
サルグ=オセルとメルグ=オセルの二君子のいずれかがアガタラを裏切り、エンデと通じているとするのがセルクの考えだ。その推察に穴がないわけではないが、アガタラの内情などまったく知らないミリュウには、セルクの推察を信じる以外にはなかった。
セルクは、信用に値するウィレドだ。エンデの軍勢に殺されかけた張本人でもある。そんな彼がエンデとアガタラの衝突を恐れ、いち早く内通者を割り出すことで戦争を回避しようとするのは必然だった。セルクとて、大君が選んだ君子二名を疑うのは心苦しいのだが、ほかに考えようがない、という。
アガタラ国民は皆、温厚で平穏を愛するものたちばかりだ。農作業に従事することに喜びを見いだし、牧場や釣り場でも日々汗を流すウィレドたちにとって、戦争ほど忌むべきものはない。そのことは、エリナの報告からもいやというほど伝わってきていた。
アガタラのウィレドは、人間の文化の影響によって農業や漁業を知った。そして、それらに携わることに喜びを見いだしたのだ。だからこそ地上への進出などを考えるものは現れず、地底都市の維持にこそすべてを注いできた。
そんな国民の中からエンデと通じ、アガタラの平穏を乱そうとするものが現れるはずがない、とセルクはいう。そして、アガタラに内通者でもいなければ、エンデの軍勢がアガタラの勢力圏内に進出してくるはずもない、とも。でなければ、両国が激突する原因になりかねない。エンデとて、アガタラの軍勢と正面からぶつかり合うつもりなどないはずだ。勝算があるのならば話は別だが、いまのところ、エンデの戦力がアガタラを上回っているという話はないのだという。
やはり、二君子のいずれかが通じている、としか考えられない。
(というのが、セルク殿の話だけれど)
ミリュウは、白門を潜り抜けた先に広がるあざやかな丘陵地帯に目を細めた。
白風丘と呼ばれる地域は、その名が示すようにどこからともなく吹き付ける風が印象的な丘陵地帯だった。どこまでも続くかのように見えるなだらかな丘の連続。吹き抜ける風が草花を撫でつけ、絶え間なく緑の波を起こしている。頭上から降りしきる光が緑の波を輝かせ、目にも痛いばかりだった。白というよりは緑の印象のほうが遙かに強いが、その緑の海原の合間合間に顔を覗かせる白い岩も印象に残らないわけではない。
「こんな場所が地底にあるなんて、考えたことある?」
ミリュウが尋ねると、ダルクスは無言のまま頭を振った。漆黒の鎧を纏う戦士は、決して言葉を話さない。いや、話せないと考えるべきだろう。だからミリュウは彼の返事を待たなかった。
「ないわよねえ。まさか、ウィレドが地下に国を作っていたなんてさ」
それも、人間の文化を多分に受けた国だ。現実は想像を軽く凌駕するからおもしろいものだ。
とはいえ、面白がってばかりもいられない。
ミリュウはダルクスのみを連れている。それは、セルクや彼の部下、あるいはほかの御側衆を連れていては怪しまれる可能性があるからだ。セルクの部下は、二君子の身辺調査を慎重に行っていたそうだが、それでもここ最近はまともに調査もできないほど警戒が強くなっているという。二君子としては、セルクの手のものが調査を行っているかどうかは不明ではあるものの、身の回りをかぎ回るものがいれば、不愉快に感じ、警戒するのも当然だ。
だからこそ、セルクはミリュウたち部外者に協力を依頼したのだ。ミリュウたちならば召喚武装を用いることで、二君子の警戒をすり抜けることくらいたやすいとでも考えているのかもしれない。
ちなみに、セルクや彼の部下の魔法では二君子の厳重な警戒網をすり抜けることは難しいとのことだ。つまり、二君子は、次期大君となるだけの器を持っているということの証左であり、そのことはセルクたちも大君の目に狂いはなかったと感心するばかりだった。しかし、その大君の選択がアガタラにとって大いなる災厄になる可能性も高く、その最悪の結末を回避するためにも、手をこまねいている場合ではないのだ。
セルクは、人間の手であろうと借りなければならないほどに追いつめられている。少なくとも、エンデと通じているものを早急に割り出さなければ、アガタラのみならず、リョハンにも悪影響を及ぼしかねない。
ミリュウも、その点については同意だ。そして、その最悪の結末が近日中に起こる可能性も低くなく、ミリュウたちが巻き込まれないとも限らないのだ。できれば穏便に済ませたいというセルクの願いはともかくとしても、リョハンや自分たちが巻き込まれるような事態は避けるべきだとミリュウは考え、行動に移っている。
そして白風丘の爽やかな風が吹き抜ける丘陵地帯を通り抜け、宮殿といってもいいような大きな屋敷の門前に辿り着いた。白風丘にあるという、サルグ=オセルの屋敷だ。君子に選ばれたものは、好きな場所に屋敷を建てることが許されており、サルグ=オセルは白風丘に、メルグ=オセルは青流河にそれぞれ屋敷を構えた。ちなみにマルガ=アスルが君子に選ばれた当初は、黒甲地に屋敷を建てたといい、その屋敷は現在、牧場の一部になっているのだという。白風丘の屋敷も、青流河の屋敷も、どちらかの君子が大君となった暁には一般に開放されることになっているらしい。
サルグ=オセルの屋敷は、四方を岩壁に囲われており、正面の門前には武装したウィレドが三体、警戒の目を光らせていた。監視の目が光っているのは、そこだけではない。敷地内に聳える塔のような建物の上にも、塀の各所にも部外者の接近および侵入を警戒するウィレドたちの姿があった。白剛衆と呼ばれるものたちだろう。
白剛衆とはつまりサルグ=オセルの私兵団であり、君子は屋敷のほか、私兵団を持つことも許されていた。
ミリュウとダルクスが屋敷に近づいていることには気づいていたのだろう。彼らは、ミリュウたちが門前に到達した瞬間、得物を構え、鋭いまなざしで睨んできた。
「止まれ。ここは君子サルグ=オセル様の御屋敷。それ以上近づかば、たとえ巫女の従者といえど、容赦はせぬ」
「えーと……」
ミリュウは、のっけから拒絶され、なんともいえない顔になる自分を意識した。サルグ=オセルが人間嫌いだという話はエリナからも聞いていたが、その部下たちからもこうも剣呑な対応をされるとはさすがに想定外だった。
「サルグ=オセル様にお逢いしたいのだけれど、取り次いではもらえないのかしら」
「サルグ=オセル様は、人間に会われぬ。それがすべてだ」
断言されて、ミリュウはダルクスを横目に見た。彼は、肩をすくめて首を横に振るだけだ。取り付く島もない。