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第二千五十六話 二君子(三)


(二君子の素行調査概要……ねえ)

 ミリュウは、セルクから受け取った資料を何度となく見返していた。紙の資料に記された文字は、当然、大陸共通語だ。アガタラのウィレドたちは、大陸共通語を公用語としており、ウィレド本来の言語は、彼らにとっての古代語として扱われているという話を聞いている。この世界で生きていくための選択だということだが、なにもそこまで人間に迎合しなくても良かったのではないか、と思わなくはない。とはいえ、彼らが共通語を自在に操れたからこそ、ミリュウたちと種族を超えた交流を行うことができたのであり、その結果、大君マルガ=アスルの意識を取り戻すことができたといえるのだ。結果的には、それが正しかった、といってもいいのかもしれない。

 それはともかくとして、共通語で作られた資料には、セルクの部下が秘密裏に調査した二君子のここ一ヶ月余りの行動が詳細に記載されている。日々、二君子がどのような生活を送り、言動をしているのか、資料に目を通せばそれだけで理解できるくらいの情報量だ。二君子のひととなりまで把握できるといっても言い過ぎではないだろう。

 武を重んじ、武力を磨くことこそがアガタラに必要不可欠と考えるサルグ=オセル。彼は、白風丘に居を構え、白剛衆と呼称する戦闘集団とともに日夜激しい訓練を繰り返しているという。温厚なウィレドの多いアガタラにおいては、極めてめずらしい価値観の持ち主であるといえるが、国土を外敵から護るために武力を求めるというのは当然の話ではある。

 一方のメルグ=オセルは、サルグ=オセルとは正反対に近い性格の持ち主のようだ。詩歌を愛する彼は、青流河の中洲に屋敷を持ち、青凛衆と呼称する集団とともに風雅の中に生きているという。争いを好まず、天然自然の穏やかさの中にアガタラの在り様を求める彼の考え方は、アガタラ国民の多くが同調するに違いない。アガタラのウィレドたちは、争いを嫌うが故に地下世界を作り出したといってもいいのだ。

 武力を磨き上げることに全力を注ぐサルグ=オセルよりも、詩歌を吟じることが正しい姿と考えるメルグ=オセルのほうが人気が高いというのは、わからない話ではない。

 しかし、この状態で、大君が倒れたとしても、メルグ=オセルが次期大君候補として優勢に立てるか、というとそうはならない。次期大君であるところの君子は、本来、一名しか選ばれることはない。だが、マルガ=アスルは前例を破り、メルグ=オセルとサルグ=オセルの二名を君子に選定した。それ自体、大問題に発展しかねない事件ではあったのだが、大君の威光は、そういった意見を封殺するほどの力があったのだろう。

 かくしてアガタラの二君子が誕生し、問題を孕んだまま時が流れた。それから今日に至るまで、何年もの月日が流れている。御側衆のセルクなどが、いい加減、君子を一名に絞る頃合いだろうと考えていた矢先、マルガ=アスルが突如として白化症を発症、病床に臥すこととなった。アガタラが誇る癒し手たちが治癒魔法を用いても回復しないまま、月日が流れる。二君子は依然二君子のままであり、このままでは、大君に万が一のことがあれば、次期大君を決めるための争いが起きかねなかった。

 後継者が定まらないまま大君が崩御した場合、つぎの大君は、二君子の中から選ばれるわけではないからだ。先もいったように本来、大君の後継者たる君子は一名なのだ。それが二名であるということで、後継者ではなく、後継者候補という立場になってしまった。後継者候補は、後継者ではない。そして、後継者候補には、優先権など存在しない。つまり、つぎの大君を決めるための選挙の候補者の一名に過ぎなくなるということだ。

 選挙となった場合、二君子としての知名度、人望は優位に働くかもしれない。しかし、実際に政に携わり、アガタラの運営に関わっていた御側衆が次期大君選挙に立候補したとすれば、どうか。君子として政治に携わることを許されなかった彼らは、その途端、不利にならざるをえない。

 故に、大君が回復せず、むしろ悪化の一途を辿っていると知ったサルグ=オセル、メルグ=オセルのいずれかが対立候補とでもいうべき君子を殺すべく、手筈を整えていたのではないか、と、セルクは考えていた。その手筈というのがエンデとの内通であり、エンデの戦力を利用し、対立候補を抹消することで、君子を物理的に一名にしようと企んでいるのではないか。君子が一名になれば、当然、その時点で後継者となる。大君にもしものことがあれば、自動的につぎの大君になるということだ。

『そのようなことのためにエンデと通じる君子がいるなど、考えたくもないことだが』

 サルクは、そう前置きした上で、いった。

『エンデの連中がアガタラの勢力圏に姿を見せるなど、ここ三百年来なかったことなのだ。なにか大きな理由でもなければ、わざわざ己らの平穏を乱しかねないようなことをあの臆病者のエンデがするはずもない。それも、エンデにとって大きな利となるようなことでもなければ、な』

 それが、アガタラの君子との密約ならば、辻褄が合うと彼は考えているのだ。エンデとの密約によってつぎの大君が決まったとなれば、エンデは弱みを握ることになる。エンデにとっては、アガタラの政治に介入できる絶好の機会を得ることであり、それによってエンデの勢力そのものを増強することも可能となるだろう。君子が大君になることだけを考えているのであれば、そうなる未来を想像もせず、密約を結ぶかもしれない。

『エンデの協力で大君になれたとして、エンデに弱みを握られ、エンデの傀儡になることをよしとするかしら』

『しないでしょうな』

『しない……って、それ、エンデが納得しないでしょう』

『そう。そして、アガタラとエンデの間で戦争が起きるだろう』

 セルクは、苦い顔でいった。確かにミリュウや彼の想像通りに事が運べば、そうならざるをえない。エンデは、いうことを聞かない新大君に激怒するだろうし、新大君もエンデの言葉など戯言と切り捨て、己の正義を示さなければならないのだ。業を煮やしたエンデが戦力を差し向けてくるだろうことは、想像に難くない。

『そうなれば、リョハンもただじゃあ済まないかもね』

『故に、貴殿らに協力を要請するのだ』

 ミリュウは、当初、セルクの調査協力の要請について乗り気ではなかった。そもそも、人間であるミリュウがどうやって二君子に接近し、調査するというのか。人間が君子に近づいても、怪しまれるだけではないのか。そもそも、セルクの部下が既に素行調査を徹底的に行っている以上、ミリュウたちにできることなどたかが知れている。そういった理由から断ろうとも考えたのだが、もしもセルクの読みが当たっていれば、今後、厄介なことになる可能性が過ぎったのだ。

 大君は、意識を取り戻した。この時点で、エンデの戦力を利用した君子の殺害は意味を失った。なぜならば、大君が二君子のいずれか一名に君子を絞れば、それですべての決着がつくからだ。さすがの二君子も、後継者としての君子を殺す無意味さを知らないわけではあるまい。

 だが、それで安心していいわけではなかった。なぜならば、大君が選び抜いた君子がエンデと通じている可能性があるからだ。その場合でも、アガタラとエンデの今後の関係が悪化することは、いうまでもない。エンデが内通の証拠を武器に次期大君を操ろうとするかもしれないし、次期大君がエンデを切り捨て、両国間に戦争が勃発するかもしれない。いずれにせよ、喜ばしいことではない。

 たとえ、大君の選んだ君子がエンデとは無関係であったとしても、同じことだ。エンデがなんらかの方法でアガタラに介入してくるだろう、と、セルクは見ている。

 だから、セルクは、大君が君子を絞るべく頭を悩ませているいまのうちに裏切りものの内通者をあぶり出したいと考えているのだ。そして、できれば国外追放くらいで済ませたいというのが、セルクの意見だった。国を裏切った相手に対するものにしては寛大過ぎる処置だが、大君の心痛や国内に起こるであろう混乱を最小限に留めるには、それ以上の処置はないだろう。さすがのエンデも内通者がアガタラの外へ放り出されれば、アガタラに手出しすることはできまい。

 しかし、それは最良の結果だ。

 最悪、内通者であることが明らかになった君子がエンデの軍勢とともにアガタラに攻め込んでくることだって、ありうるのだ。

 エンデは、北のウィレドの国だ。その戦力はアガタラと同程度で、決して多いわけではない。が、何分彼らは皇魔だ。人間とは基礎能力が違う。生命力も尋常ではなく、戦闘能力も比較にならない。なによりウィレドは魔法を使う。

 そんな連中がリョハンの近郊で激突すれば、どうなるか。

 余波が、御山にまで及ぶかもしれない。

 ミリュウは、七大天侍のひとりとして、この問題の解決に奔走しなければならないことを理解し、眉根を寄せた。

 皇魔のことなど、知ったことではない。

 ウィレド同士が争うだけならば好きにすればいい。好きなだけ殺し合い、好きなだけ滅ぼし合えばいい。そして最後には両方とも滅び去ればいい。ウィレドの国で、善良なウィレドたちと触れ合いながらも、ミリュウの心の奥底では、皇魔に対する不信感とも違和感ともいえない感情が渦巻いたままだ。これは、ミリュウが人間であり、ウィレドが皇魔である限り消え失せないものだろう。人間と皇魔は違う。人間は、イルス・ヴァレの住民であり、皇魔は、異世界からの来訪者だ。受け入れがたいものがある。こればかりは、どうしようもない。

(でも……)

 ミリュウは、資料を脇に置いて、背後に向かって倒れるように身を投げだした。ふかふかの布団がミリュウの体を柔らかく包み込む。痛みもなにもない。ウィレドのごつごつとした巨躯を包み込むための布団が人間の体を受け止めてどうにかなるはずもない。

(セツナは……違うのよね)

 自分の胸に手を当てて、心が震えるのを認めた。

 セツナ。

 たったその一言を胸の内に浮かべただけだというのに、彼女は、自分の心が高鳴るのを止められなかった。

 セツナは、ミリュウたちイルス・ヴァレの人間たちとなにひとつ変わらない姿をしているが、皇魔と同じ、異世界の存在だ。だというのにもかかわらず、ミリュウは、セツナと初めて対峙したときから、皇魔と対面しているときのような違和感を覚えなかったし、彼のことを好きになってからは、ますますその傾向が強くなった。

 拒むのではなく、受け入れたがっている。

 求めている。

 ふと、黄金色の天井が歪んでいることに気づいた。

 なぜかはわかっている。

 逢いたいのだ。

 だのに、逢えない。逢いようがない。だから、涙を流すしかない。そうでもしなければ、心が哀しみで溢れて、壊れてしまうから。

(逢いたいよ……セツナ)

 ミリュウは、しばらく声も出さず泣き続けた。

 

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