第二千五十四話 二君子
朱天街の茶屋に辿り着いたのは、ファルクの申し出から数分後のことだ。
茶屋は、大通りに面した一角にあり、すぐにたどり着いたのだ。
大通りには、茶店のほか、様々な店が立ち並んでいた。それら店舗の様子を見て回りながら歩いてきたのだが、それら店舗はやはり人間の文化の影響が大きく現れていた。ウィレドが、人間と同じような暮らしをしていると考えればいい。衣料品を扱っている店こそないものの、花屋や野菜屋、果物屋、肉屋、魚屋といった店舗が客の呼び込みをしており、巨躯を誇るウィレドたちが顔を突き合わせて品定めに没頭している様子がうかがい知れた。飲食店もあれば、雑貨屋もあり、人間の都市で見られる風景となんら変わりがなかった。だというのに、そこにいるのが人間ではないから、不自然に感じるのだ。ウィレドたちが人間と同じような生活をしているというだけで、異様に映る。それは、ウィレドが皇魔であり、皇魔は人間とはまったく異なる生活をしているという固定観念があるからだろう。
茶屋も、そんな大通りの店舗群のひとつであり、軒先に卓と椅子がいくつも並べられ、茶屋の主人らしきウィレドが客の呼び込みをしているところだった。ファルクがエリナたちを先導して近づくと、店主は彼を見るなり目を丸くした。
「これは……ファルク様ではありませぬか。めずらしいこともあるもので。それにそちら様は……」
「知っての通り、救いの巫女様と、従者の方々だ。アガタラを案内したついでに立ち寄ったのだが、暫くの間、貸し切りにしてもらえるか」
「もちろんでございます。ファルク様の命とあらば、従わぬわけにはございますまい」
店主のウィレドはまるまるとした体を大きく揺らすようにして、いった。
「それに巫女様が立ち寄られたとなれば、店に箔が付くというもの」
「相変わらず利に聡い奴よ。だが、この店が繁盛するのは、悪くないことだ。茶も菓子も美味いからな」
「お褒めに預かり、光栄にございます。では、いますぐ皆様方の茶と菓子を用意させて頂きます」
「ああ、頼む」
ファルクがにこやかに話しているところを見ると、彼はこの茶屋の常連なのかもしれない。決して大きな店ではないが、店の前に設置された卓や椅子には小洒落た装飾が施されており、ファルクが足繁く通うのもわからないではなかった。店の周りの雰囲気も悪くはない。隣には花屋があり、花の香りが店前まで漂ってきている。そんな空気の中で嗜むお茶も悪くはなさそうだ。そんなことを考えていると、ファルクが手近にあった椅子を指し示してきた。
「では、巫女様、こちらに」
「は、はい」
「緊張される必要はありませんよ。どうぞ、おくつろぎください」
「ありがとうございます、ファルクさん」
「いえいえ、感謝など滅相もない。感謝するべきは、我々のほうなのですから」
ファルクは、そうやってエリナに対し何度となく感謝を述べた。これまでも、事あるごとに、だ。それくらい、彼らにとって大君の存在が重要であり、必要不可欠だということなのだろうが、そのたびにエリナは自分の不甲斐なさを思い知らなければならず、歯がゆさに苛まれるのだ。大君が完治したのならば、胸を張って感謝の言葉も受け入れることができるのだが、そうではない。
エリナが椅子に腰掛けると、ケーリアらミリュウ隊の隊士たちもそれぞれに腰掛けていった。椅子は、ひとつひとつが大きい。ウィレドの体格に合わせてあるのだから当然だろう。特に長椅子の場合は、ウィレドが腰掛けた場合より二倍以上座れるということで、ファルクが驚いたほどだ。人間とウィレドでは、体格差が凄まじいほどにある。
そうしてしばらくすると、茶屋の店主が直々にお茶と菓子を運んできてくれた。お茶の器も、菓子の入った器も、いずれもウィレドの体格に合わせているため、エリナの手にはあまりにも大きかった。さらにいえば、注がれたお茶の量も多く、飲み干せそうにはなかった。湯気とともに漂ってくる茶の香りは、リョハンで良く口にする北方産の茶とそっくりであり、その点での心配はなさそうだが。
「ここのお茶、美味しいんですよ。喉越しがよくて」
といって微笑んできたのは、ケーリアだ。茶屋に向かう前にも話していたが、ミリュウ隊の面々はエリナが大君の治療をしている間、度々、アガタラ各地の散策に出歩いており、その際、この茶屋に立ち寄ることが多かったという。店主とも顔馴染みであり、隊士のひとりフォレス=ケストレスなどは、店主と話し込んでいたりした。あれだけ皇魔を毛嫌いしていたものたちも、さすがに十数日もアガタラでの生活を余儀なくされれば、慣れざるを得ないのかもしれない。
エリナは、お茶を啜り、その芳醇な香りと味を満喫した。確かに喉越しが良く、リョハンで飲むお茶よりも何倍も美味しく感じる。ケーリアたちがファルクの申し出に喜ぶわけだ。
と、そのときだった。
「同族が人間と戯れていると想えば、なんだ、ファルクではないか」
突如として剣呑な声が頭上から降ってきたかと想うと、風が巻き起こり、茶菓子が虚空を舞った。そして、漆黒の悪魔の如き巨体がエリナたちの眼前に降り立ったと思いきや、それに習うようにつぎつぎと悪魔たちが着地する。ウィレドの集団だ。それもそれなりに高貴な身分であることは、彼らが衣装を身につけていることから判断できる。アガタラのウィレドは、その格好である程度の身分を確認することができるのだ。一般国民は衣服を身につけることすら許されず、なにかを着込んでいるというだけで大君に仕える家臣以上の身分であることが明らかだった。そして、身につけている衣装が派手であれば派手であるほど位が高い。大君などは黄金色の衣装しか身に着けないよう徹底している。
エリナたちの目の前に降り立ち、その際に起こった風で菓子を吹き飛ばしたウィレドは、武臣セルクと同等かそれ以上といってもいいほどの隆々たる巨躯の上に白銀の装束を身につけていた。
「大君の御側衆がなにゆえ、人間などを連れてこの朱天街にいる?」
銀装束のウィレドは、高圧的な言葉遣いでもって大君の側近であるはずのファルクに問い質した。そのことからも、そのウィレドの立ち位置が想像できる。御側衆は、アガタラというウィレドの国において、極めて高い地位だ。大君の側近集団なのだから当然だが、そんな彼らに上から目線で質問を投げかけることが許されるほどの地位といえば、大君以外にひとつしか考えられない。
君子だ。
「……彼はサルグ=オスル。次期大君候補、君子であられる御方だ」
ファルクの囁きにより、エリナは自分の考察が正しいことを理解した。大君の後継者、つまり次期大君たる君子以外には考えられなかっただけの話だが。
「聞いているのか? ファルク。それとも、俺の質問には答えられぬと申すか」
「まさか。そのようなことはござりませぬ。しかし、こちらの方々がアガタラにとってどれほど重要ななのか、知らぬ貴方様ではござりますまい」
「重要? はっ」
慇懃なファルクの返答をサルグ=オスルは鼻で笑うと、エリナを睨めつけてきた。ぎょろりとした双眸から漏れる赤い光には、殺意さえ滲んでいる。神経が逆撫でにされるような感覚があった。動悸がした。久々にウィレドを皇魔と感じ、警戒心が全身を緊張させる。それはどうやらエリナだけが感じたことではないらしく、ケーリアたちミリュウ隊の隊士も皆、緊張した面持ちになった。しかし、だからといって反射的に敵対行動を取るような馬鹿な真似はしない。皆、冷静に推移を見守っている。
「本当にその人間が大君の回復に役立ったのか、怪しいものだ」
「なにを仰る。我ら御側衆がこの目でしかと見届けております。間違いありませぬ。それに貴方様も、大君御自身の御言葉を聞かれたはずでございましょう」
「聞いたさ。聞いたとも。だからこそ、俺はこうして疑念を抱いている」
サルグ=オセルは、隆々たる巨躯を反らせると、胸の前で腕組みをした。上半身の筋肉が異様なまでに発達していることもあり、威圧感が凄まじい。しかし、ファルクは彼のそんな態度に身じろぎひとつしない。むしろ、堂々とした態度だった。
「疑念ですと?」
「そうだ。疑念だ。ここアガタラは、地上の人間どもと関わりを持たぬために作られたといっても過言ではない。人間がこの地にいる事自体、本来あってはならぬことだ。そうではないか?」
「サルグ=オセル。貴方様も御承知の通り、大君の病状を一刻も早く治療するためならば、手段や方法を選ばず――というのが、我らの下した結論。地上に出て竜や皇魔どもに助力を請おうとしたのも、そのため」
「それは、わかる。だが、なぜ人間なのだ。人間に助けを求めるなど、正気の沙汰とは思えぬ。人間が我らの父祖にどのような仕打ちをしたのか、忘れたとはいわせんぞ」
「忘れたわけではございませぬが……しかし、大君の回復こそ最重要事項。そのことは、貴方様も重々承知のはず。我らの魔法でも癒せぬとあらば、他に助けを求めるのは道理。それがたまたま人間だっただけのこと。そして、その人間の助力により大君が目覚められたのは、紛れもない事実。人間を憎むあまり、視界を曇らせてはくださりますな」
ファルクは、物怖じすらせずに告げると、サルグ=オセルの威圧など意に介さぬようにお茶を啜った。肝の据わり方は、彼が文臣として国の政治の中枢を担ってきた中で培われたものなのだろうか。