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第二千五十三話 アガタラの日々(四)


 エリナは、休養日をただ日がな一日、部屋にこもって過ごして費やそうとは考えなかった。それでは体は休めても、心を休めることはできない。肉体的な疲労も回復しなければならないが、一番大事なのは精神疲労であり、心の充溢こそ、もっとも重要なことなのだ。

 そう、ミリュウに教わっている。

 ミリュウの教えの実践には、師もなにもいわなかったし、そのためにわざわざセルクと掛け合い、案内役を手配してくれる運びとなった。その案内役というのは、アガタラ各所を散策したいというエリナの思いつきを叶えるためのものであり、救いの巫女が出歩くに当たって、色々と配慮しなければならないことがあるからだった。

 エリナにとっては分不相応としかいいようのない、救いの巫女の存在は、いまやアガタラにおいては大君のつぎに影響力のあるものになっているというのだ。それをセルクの口から聞いたときは驚きを隠せなかったものだが、実際にアガタラの各所で出逢うウィレドが皆、エリナを歓迎するだけでなく、丁重に、それこそ自分たちよりもはるか格上の存在に対するかのような振る舞いをしてきたものだから、言葉もでなかった。やはり大君を治療し、大君自身の言葉でエリナを賞賛したことがアガタラのウィレドたちに大きな影響を与えているのだろう。

 しかし、そのおかげもあり、エリナたちのアガタラ観光は、たいした問題も起きずに澄んでいるのかもしれない。


 アガタラは、大霊宮を中心とし、東西南北の四方にそれぞれ趣の異なる区画がある。

 南は、黒甲地。

 農場や牧場があり、アガタラの食生活を支えている。エリナたちがアガタラに辿り着いて真っ先に見た光景が、農作業に従事するウィレドたちの様子であり、驚きを通り越して絶句したものだ。ウィレドが人間のように作物を育てるなど、考えたこともない。

 黒甲地を巡った際、エリナたちを案内した文臣ファルクは、ウィレドが農耕や牧畜をするようになったのも、人間の文化の影響によるものだといった。ウィレドは本来、狩猟を生業とする種族であったはずであり、農作業などに精を出すことに意味を見出さなかったのだ、と。しかし、五百年の昔、イルス・ヴァレに流れ着いてきたウィレドたちは、この世界で狩猟を生業とすることは困難であるという結論に至った。まず、ウィレドの生まれ育った世界とは環境があまりにも異なることが大きいという。ウィレドの狩りというのは、ウィレドよりも何倍もの巨躯を誇る怪物地味た獣に対して行うものであり、この世界でそれほどの獣となると、そういるものではない。また、さすがのウィレドもドラゴンを狩りの対象にしようとも考えなかったのだろう。さらにいえば、地下へ潜ると決断した以上、狩猟を生業にすることは諦めなければならなくなった。地下世界は、ウィレドたちが独自に作り上げたものであり、そこに動植物が住んでいるはずもないのだ。狩れる対象がいない。

 ウィレドたちは人間の文化を学ぶ過程で農業や工業などを知り、それらを上手く自分たちの文化の中に取り込んでいったという。そしてそれが上手くいったからこそ、アガタラは成立より数百年、食料に飢えることなく、今日まで歴史を紡いでくることができている。

「我々が物心ついたときには、農耕も牧畜も当たり前でしたからな。それが我らという種にとって不自然なこととは想いませんでしたし、人間の文化から取り入れたことだとも知りませなんだ」

「ほかにも、人間の文化からの影響ってあるんですか?」

「ええ、色々と。道道、お話いたしましょう」

 ファルクは、やや丸みを帯びた目を細め、穏やかな微笑みを浮かべてきた。ここ十数日、ウィレドばかり目にし、触れ合ってきたことの影響なのか、いまやウィレドの表情の変化というものが明確にわかるようになってきていた。さらにいえば、当初は顔の違いもまるでわからなかったが、いまならばだれもが違う個性を持った顔をしているということも理解できる。セルクは厳格な顔つきだが、ファルクはどこかのんびり屋を想起させる柔らかな顔つきをしている。そういう意味では、ファルクのほうが親しみやすいといえるだろう。

 ファルクの案内は、いちいち丁寧であり、親切だった。人柄もあるのだろう。彼の穏やかさは、アガタラのウィレドの多くが争い嫌いであるという話を裏付けるようだった。なにも彼だけが穏やかなわけではないのだ。エリナが行く先々で出逢うウィレドたちがいずれも物腰の柔らかな、どこか暢気とさえいえるようなものばかりであり、彼らの温厚そのものといっていい在り様を目の当たりにしていると、人間とウィレドが分かり合えないのが不思議なくらいだった。

 エリナの気分転換のアガタラ観光は、西部白風丘、そして東部青流河を巡り、北部朱天街へと至る。白風丘は、その名の通り丘陵地帯であり、通り抜ける風の心地いい丘の上で、エリナは皆の制止を振り切るように寝転がり、自然の暖かさを満喫した。青流河も、その名の通りだ。青く透き通る水面が美しい広大な河は、アガタラの住民の生活を支える水源であり、釣りや漁に勤しむウィレドたちの姿もあった。それも、人間の文化の影響であるとのことだ。

 地底世界は、そのようにして様々な地形の変化があるのだが、それらは無論、最初に地底世界を作ったウィレドたちが魔法の力によって生み出したものだ。ただ居住区だけを作ればいいわけではない。生活する上で必要なもの以外にも、様々な要素を盛り込むことで、地底世界での生活に潤いを与えたかったのだろう。そしてそれは、見事にアガタラの生活を彩っている。

 朱天街は、これまで巡ってきた区画とはまるで趣を異にしている。居住区なのだ。大霊宮ほ北方に聳える朱門を潜り抜けると、広大な地域を埋め尽くすかのように並び立つあざやかな朱色の屋根が特徴的な家屋群に出迎えられ、ただただ圧倒された。木造の家屋や石造の家屋が入り乱れるように立っているが、いずれも屋根のあざやかな赤さに変わりはない。整備された町並みを見れば、計画的に作られたことは明白であり、この居住区を作るためにどれだけの労力や時間を費やしたのか、想像だにできなかった。

 エリナに同行したミリュウ隊の隊士たちは、いずれも既に朱天街を見て回ったことがあるようで、エリナがその町並みの美しさに感動するたびにうなずいてきたり、それぞれに感想を述べてきた。それらの感想の多くは、ウィレドの美的感覚が多少なりとも人間に近いものであり、人間である自分たちからみても、朱天街の町並みの美しさには言葉も出ない、といったものだった。エリナも同意せざるを得ない。空想上の悪魔のような外見をしたウィレドが、まさか人間が共感しうるような美的感覚を持っているなど、だれが想像できるだろう。皇魔というだけで毛嫌いしてきたのは、大きな間違いなのではないか。ふと、そんなことを考えてしまうのだが、冷静になって思い返せば、仕方のないことでもあるということも、エリナは理解している。

 人間と皇魔は、悲劇的な邂逅を果たしてしまった。人間は皇魔を見た目から忌み嫌い、皇魔は、そんな人間を拒絶する以外にはなかったのだ。その果てに殺し合いが始まれば、収集はつかなくなる。わかり合おうとするものなど現れようがなく、現れたとしても、異端者として処分されるか、人間と皇魔、敵対するいずれかに殺されるのがおちだ。

 そうして、歴史を積み重ねてきた。

 いまさら、関係を修復することは困難だ。

 白化症の治療ほどではないにせよ、それに近いくらいの難しさはあるのではないか。

 エリナは、朱天街の大通りをファルクに案内されながら、そんなことを考えていた。頭上から降り注ぐ膨大な光が、紅くあざやかな町並みを引き立たせるようであり、立ち並ぶ家屋のひとつひとつが自己主張してやまない。木造の家屋もあれば、石造の家屋もある。いずれも朱色の屋根が特徴的なのは変わらないが、それ以外にも様々な特徴があったりした。一階建ての家屋が多いようだが、中には二階建て、三階建ての建物もある。大通りというだけあって、道行くウィレドが多くいた。それらのウィレドたちは、エリナたちを見つけるなり、足を止め、わざわざお辞儀をしてきたものだ。

 皆、エリナが救いの巫女だということを知っているのだ。そして、エリナがいまもなお、大君の治療に当たっているということも、把握している。アガタラの支柱たる大君の回復こそ、アガタラの民の望みであり、願いなのだから、彼らが深々と頭を垂れてくるのも当然といえるだろう。エリナにしてみれば、少々どころではなく心苦しいと思わざるをえないのだ。

「巫女様。ここまで歩き倒して、疲れておりませぬか?」

「だいじょうぶです! むしろ元気をたくさんもらえたので、疲れなんてどこかにいってしまいました!」

「相変わらずエリナ殿はお元気だ」

「あのミリュウ様の一番弟子だけのことはありますね」

「あのってなんですか?」

「え、いや、あの……別にたいした意味はないんですが……」

「うふふ、わかってますよ。師匠が型破りなおひとだってことくらい」

 エリナが微笑むと、ケーリアは唖然としたような顔をした。彼女が考えていることくらい、エリナもわからないわけがないのだ。

「とはいえ、巫女様の休養日に無理はさせられませんので、ここらで一休みと参りましょう。お茶の美味しいお店があるのです」

「お茶ですか!」

 エリナは、ファルクの申し出に目を輝かせた。疲れてはいないが、お腹は空いていたからだ。お茶ということは、なにか食べ物も出してくれるに違いない。勝手な期待だ。

「ああ、あのお店ですね」

「エリナ殿もきっと気に入る」

「みなさん、随分と満喫されているようですけど」

「あ、えーと……」

「アガタラの暮らしぶりを見て回ることが任務ですので」

「別に構いませんけどー」

 などと、わざとらしく頬を膨らませながら、エリナはミリュウ隊の隊士たちに笑顔を振りまいた。それが隊における自分の役割だということを彼女自身、よく知っているのだ。ミリュウ隊は、ミリュウ=リヴァイアといういかにも気難しい大天才率いる部隊だ。ミリュウは、隊士たちと親睦を深めようとはしない。隊の顔ぶれというのは、必ずしも一定ではない。調査のたびに変動し、まるきり変わることも少なくない。調査のたびに毎回毎回親睦を深めるなど時間の無駄だと割り切るのは当然のことであり、そのかわり、ミリュウは隊士のだれひとりとして死なせまいと懸命になる。そのおかげもあり、ミリュウ隊ほど優秀な調査部隊はないというほどだった。

 とはいえ、隊長と隊士の関係がよくなければ、隊長の頑張りも無為なものになりかねない。そこで、エリナが隊士とミリュウの間を取り持つ存在になることにしたのだ。エリナは、周辺領域調査隊が活動をし始めたころ、武装召喚師としては駆け出しも駆け出しであり、素人同然だった。そんな彼女にできることといえば、それくらいしかなかったのだ。

 いまでは武装召喚師として皆の支援くらいならばできるようになったが、隊における役割そのものに変わりはない。

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