第二千四十六話 救いの巫女(十一)
「武装召喚」
エリナが紡いだ結語が、彼女が構築していた術式の完成を告げる。呪文が現世と異世界の門を開く力を生み出し、そのまま、異世界から大いなる力を召喚する。莫大な光が視界を白く塗り潰し、強大な力が圧迫感を持って具象し、少女のしなやかな手首に収まる。腕輪型の召喚武装。四色四枚の羽飾りが特徴的な召喚武装は、フォースフェザーと命名されている。エリナを象徴する召喚武装であり、彼女が支援に特化した武装召喚師であることの現れでもあった。直接攻撃能力は皆無だが、それ以外ならば、その多様性には目を見張る物がある。
それだけ複雑で難解な術式を独力で組み上げたのだから、エリナの才能は師匠であるミリュウの贔屓目でもなんでもないのだ。だれがどう見ても、エリナには武装召喚師としての稀有な才能に恵まれていた。その上、貪欲なまでの向上心があるのだから、だれもが彼女を褒めそやし、あるいは見守ろうとするのも納得できるだろう。
セルクらウィレドたちは、武装召喚術を目の当たりにするのも初めてだったのだろう。驚愕とも感嘆とも取れぬ声を上げ、エリナの行動を見守った。
エリナがミリュウを見上げてきたが、彼女はなにもいわず、ただうなずいた。すると、エリナも覚悟が決まったようにして、寝台へと歩み寄った。寝台の上で仰向けに眠る大君は、召喚時の爆発的な光にもなんの反応も示さなかった。白化症の症状のひとつに意識を失うというものがある。ある程度白化症に肉体を侵食されたものは、意識さえも奪われ、眠りにつくのだ。そうなると、痛みにうなされるということもなくなるものの、だからといって安心していいわけではない。意識を奪われるということは、それだけ病状が深刻化しているということにほかならないからだ。
(つまり、軽く見えるのは表面的……ということ、よね)
確信は持てないが、その可能性が高い。
ミリュウは、症状を軽く見た前言を撤回すると、寝台の側に立ち止まったエリナが右腕をかざすのを見守った。エリナの左手の人差し指が緑色の羽飾りに触れ、なぞる。すると、緑色の羽飾りが淡い光を発し始め、瞬く間に膨大化した。エリナはその羽飾りが発した光を右手で手繰り寄せるようにしながら操り、マルガ=アスルの頭上に手を掲げる。緑色の光は彼女の指揮通りに虚空を踊り、ゆっくりと、マルガ=アスルへと降り注いでいく。その間、ウィレドたちは一切口を挟まなかった。憎悪の対象であろう人間のすることだというのにだ。それだけ切羽詰まっているということであり、だからこそミリュウは、ミリュウの治療が成功しなかった場合の落胆ぶりを想像するのだ。そうなったとき、彼らはどうでるのか。
エリナは、フォースフェザーの癒しの光を制御することに全神経を集中していた。全身全霊で事に当たっているのは、彼女が瞬きひとつせず、フォースフェザーの制御に注力していることからもはっきりと伝わってくる。エリナが白化症患者の治療に当たるのは、今回が始めてだ。しかし、彼女とて武装召喚師が白化症患者の治療に成功したことがないという事実を知らないわけではない。情報の共有は、リョハンでもっとも重要視されている。エリナがミリュウに不安な表情を見せたのもそのためだ。治療が失敗する可能性が高い以上、セルクたちの期待に応えられるとは思えない。そのことがエリナを苦悩させたのだろう。それでも、やらなくてはならない。
エリナが、いままでにないほどの力をフォースフェザーから引き出そうとしていることが伝わってくる。彼女は、必死だった。必死で、治療に当たっていた。これまでだれひとりとして召喚武装の能力による白化症の治療に成功したことがない以上、フォースフェザーの治癒能力でも成功するとは考えにくい。それでも、セルクやウィレドたちの期待に応えたいという想いがエリナにはあるのだ。
皇魔の願いなど叶える必要がどこにあるのか、とミリュウなどは想うのだが、エリナは、そういう観点で今回のことは考えていないのだろう。皇魔とか人間とか、そういうことではないのだ。困っている相手がいて、自分にできることがあるかもしれない。だから手を差し伸べた。ただそれだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない。そしてそれは、エリナがもっとも尊敬し、人生の目標といっても過言ではない人物の行動原理でもあった。
だから、エリナは、汗を流すほどに真剣かつ全力でフォースフェザーの制御に取り組み、フォースフェザーに秘められた力を限界まで引き出そうとしているのだ。
召喚武装の力というのは、個体差が極めて大きい。
召喚武装とは、異世界の武器や防具の総称だ。異世界から召喚した武装――故に召喚武装と呼ばれるようになったそれらの能力というのは、召喚者の実力に左右されるというよりは、召喚武装それぞれに元々備わった力そのものによる。いずれも魔法のような能力を秘めているが、同じような能力であっても、個々に発揮できる力の限界がある。
たとえば大気を操る能力を持つ召喚武装に、シルフィードフェザーとメイルケルビムがある。どちらも風を起こし、空を自由に飛び回る能力を持っているが、その能力の強大さにおいてはメイルケルビムのほうが圧倒的に上だ。武装召喚師としての実力も、シルフィードフェザーのルウファ=バルガザールよりも、メイルケルビムのグロリア=オウレリアのほうが上ではあるが、純粋に召喚武装の能力だけを比べても、メイルケルビムのほうが上なのだ。たとえば、ルウファがメイルケルビムを用いれば、シルフィードフェザーを使うよりもより大きな戦果を上げることができるだろう。逆にグロリアがシルフィードフェザーを使ったとすれば、ルウファ以上の戦果を叩き出すことができるだろうが、それは純粋な武装召喚師としての力量、技量の差だ。
つまり、召喚武装の能力というのは、召喚武装ごとに大きく異なるものであり、その限界も大きく違うのだ。
ただ、勘違いしてはいけないのは、優れた武装召喚師というのは、強力な召喚武装を呼び出せるもののことではない。強力な召喚武装を呼び出すだけならば、実は、武装召喚術の基礎を学んだだけの初心者にも可能なことなのだ。そのためには長大で複雑怪奇とさえいっていいような術式を紡ぐ必要こそあるものの、基礎を学び、体得さえすれば、必ずしも不可能なことではない。ただし、そういった強力無比な召喚武装を呼び出すことができたところで、制御できなければ、意味がない。
自身の力量以上の召喚武装を召喚したが最後、召喚武装から流れ込んでくる膨大な力に意識を灼かれ、
自分を失うことだってありうるのだ。実際、ミリュウは一度、黒き矛の力を制御しきれず、精神的な死を迎えかけた。そういうことからも、武装召喚師は自分が制御可能な範囲でもっとも強力な召喚武装を運用するべきであり、身の程をわきまえた武装召喚師こそが、優秀なのだ。
そのため、武装召喚師は自身の成長、技量の向上に合わせて愛用する召喚武装を変えていくことが一般的だ。護峰侍団の武装召喚師などは大概がそうだろう。制御可能な範囲でもっとも強力な召喚武装に乗り換えるのは、理にかなった運用法であり、理想的とさえいえる。
しかし、ミリュウなど、ある程度の水準に達した武装召喚師は、愛用する召喚武装を定めたら新たな召喚武装に鞍替えすることは、少ない。より強力な召喚武装を召喚し、乗り換えていくよりも、元々強大な力を秘めた、それでいて制御可能な召喚武装を愛用しているのだ。それは極めて高度な技術であり、だれもが簡単に真似のできることではない。が、エリナはそれを平然とやってのけた。
(才能よね)
ミリュウは、エリナがフォースフェザーの召喚に成功した際、愛弟子の絢爛たる才能に惚れ惚れとしたことを思い出した。
そして、その才能がまだまだ限界に到達していないことをミリュウは知っている。エリナは、まだ十代の半ばにすぎない。これからさらに肉体と精神を鍛え、経験を積んでいくことで、さらに力を磨き、技量を高めていくことができるのだ。エリナは、努力を怠らない。甘えない。研鑽を忘れない。もっともっと成長するだろうし、いずれはミリュウをも追い抜くに違いないという確信がある。
フォースフェザーの羽飾りが莫大な光を放出し、アガタラの大君を包み込んでいく。癒やしの光は、見守るものたちの心をも穏やかにしていくかのようであり、ミリュウは、心の中から不安が消え去り、安らぎさえ覚え始めていることに気づいた。まるで母の腕の中にいるかのような安心感には、ウィレドたちも動揺を隠せないようだった。
ダルクスを一瞥すると、彼も、なにか常ならぬものを感じていた。
どれほどの時間、そうしていたのだろう。
エリナの可愛らしい顎から汗が滴り落ち、黄金色に輝く床を濡らしたちょうどそのとき、寝台の上に変化が起きた。
マルガ=アスルが瞼を開き、意識を取り戻したのだ。