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第二千四十一話 救いの巫女(六)


 アガタラ。

 ウィレドは、大君と呼ばれる支配者を頂点とする部族ごとに、国を持つ。アガタラもそのひとつであり、アガタラの支配者である大君はマルガ=アスルという名前だ、と、ミリュウたちはウィレドから聞いた。アスルは大君という意味のウィレドの言葉だということだ。

 ウィレドにも当然、個体識別のための名前があるのだ。かつてクルセルク戦争において魔王軍の指揮官であったウィレドは、ベルクという個体名だった。ミリュウたちが遭遇し、エリナが治療したウィレドは、セルクと名乗った。ウィレドにはルクという名前が多いらしく、同族同士でも間違えることがあるらしい。

 セルクに導かれるまま、ミリュウ隊全員と二名の御者を含めた二十五名は、大樹の空洞を飛び降りた。馬車の御者まで連れて行くことになったのは、もちろん、セルクの要請により、アガタラと地上を繋ぐ“転移門”の場所を知らせないためだ。そして、ミリュウ隊の動向をリョハンに悟らせないためでもある。ミリュウ隊がどこで消息を絶ったのかが悟られれば、徹底的な捜索の末、アガタラとの連絡路を発見される恐れがあった。セルクは、“転移門”の所在地が人間にばれることを極端に恐れた。もし万が一にでも人間の軍勢をアガタラに招き入れることになれば、人間とアガタラの全面戦争になるほかない。そうなれば、アガタラが数百年に渡って維持してきた平穏も安寧もまたたく間に失われ、大量の命も失われるだろう。セルクは、そうなることを恐れていた。

 人間との戦争に勝利する自信はある。だが、勝ったところで、失ったものは返ってこないのだ。セルクらアガタラのウィレドたちは、ただ静かに暮らしたいだけだと、いう。そのために地下に隠れたのだ、と。人間に関わろうとさえしなければ、人間もわざわざ干渉してくることはない。だが、地上にいれば、そうもいかない。人間は、無意味に領土争いをしたり、戦争を起こしたり、皇魔討伐の軍を起こす。地上に安息の地はないと考えたウィレドたちが地下に居場所を求めたのは、ある意味では当然だったのかもしれない。

 しかし、セルクはこうもいう。

『単純に我らが争いを嫌う温厚な一族だというだけのことだがな』

 つまり、すべてのウィレドが温厚で、人間との衝突を嫌って地下に国を持っているわけではないということだ。

 ともかくも、“転移門”と呼ばれる大樹の通路を通り抜け、落下することなく空中に浮かんだまま、広大極まりない地下空間に辿り着いたミリュウたちは、目の前に広がる幻想的な光景にただただ圧倒された。それはまさに地底の楽園と呼ぶに相応しいものであり、だれもが夢でも見ているのではないかと想っただろうし、現実を疑っただろう。かくいうミリュウも、目の前に現れた光景の凄まじさに言葉を失い、しばし茫然とするほかなかった。それほどまでに地底世界に広がるアガタラの情景というものは、美しいものであり、想像を絶するものだった。

 ミリュウの想像では、こじんまりとした小さな集落が地下空間にぽつんと佇んでいるだけだった。だからこそ、簡単に滅ぼせるなどといったのだが、蓋を開けてみると、とんでもない思い違いだったということに気づかされた。

 まず、地底世界そのものが想像を遥かに越える広大さを誇っていた。あざやかに輝く天井部から地底に広がる大地までの高低差は、リョフ山に匹敵するだろうか。それくらいはあると見ていい。垂直面の広さだけでなく、水平面の広さも凄まじい。リョハンが丸々入っても余裕があるのは間違いないくらいの広さであり、これほどの広大な地下空間をどうやって作り上げたのか、想像しようもなかった。そして、アガタラと思しき都市に目を移せば、これにも圧倒されるしかない。

 ウィレドの国がどの程度のものかと舐めてかかっていたわけではないにせよ、皇魔の住処など、人間の都市と比べるべくもないと想っていたのは間違いなく、その考えが完全に人間の側から見た根拠なき勝手な妄想にすぎなかったことを思い知ったのだ。

 黄金で作られた宮殿に整備された朱色の町並み、農場があり、自然豊かな地区もある。どこから流れ込んだのか大きな川があり、水にも困らなさそうだった。数百年もの長きに渡り、この地底世界で生活していたのだ。、水にも空気にも食物にも困るわけがないのだが、それにしても、とミリュウは想う。

 なにもかもが想像を遥かに越える水準であり、特に人間と同程度以上の水準を誇るウィレドの建築技術には、目を見張るものがあった。そも、アガタラの町並みは、皇魔と聞いて想像できるようなものではなく、人間の住んでいる都市のそれそのものといっても過言ではないのだ。

「どうだ、驚いたか」

 上空から見下ろしながら驚きのあまり固まったミリュウたちの様子をみて、だろう。セルクは至極嬉しそうに、そして自慢げに告げてきた。

「これが我らが大君の都であり、我らが安住の地アガタラだ。貴様ら人間の都にも劣らぬだろう」

 彼に反論を述べるものは、だれひとりとしていなかった。

 確かに空中都市リョハンに匹敵するどころか、それ以上といっても過言ではないほどの壮麗さがそこにはあったからだ。


 セルクの魔法によって浮かんだままアガタラへと移動したミリュウたちを待ち受けていたのは、武装したウィレドたちによる出迎えだった。

 セルクのミリュウたちへの協力要請は、彼の独断であり、アガタラのウィレドたちにはなにひとつ相談していなかったのだから、当然だろう。そうである以上、アガタラにおいては異分子以外のなにものでもない人間を平然と通すわけがなく、ミリュウは、セルクと防衛部隊との間で一悶着があるか、そもそも自分たちがアガタラに入ることができないのではないかと考えたが、そうはならなかった。セルクとウィレドたちの間でなんらかの話し合いが持たれると、防衛部隊のウィレドたちは、渋々ではあるものの納得し、その場を去っていったからだ。

「なんていって納得させたのかしら?」

 ミリュウがダルクスともどもセルクに近寄ると、彼は黒い飛膜を広げながら、涼しい顔で告げてきたものだ。

「貴様らがこのアガタラの窮地を救う希望だという事実を告げたまでだ」

 風のように涼やかな声は、彼の醜悪な外見からは想像もつかないものだ。だが、だからこそ、多少なりとも受け入れやすかったともいえる。声まで化け物じみていれば、交渉にもならなかったかもしれない。

「あら。それじゃあまるであたしたちの手――いえ、エリナの手にアガタラの未来がかかってるみたいよ」

「そう受け取ってもらって構わない」

 セルクが涼風のようにいうと、エリナが愕然と声を上げた。

「えええ!?」

「ですって。弟子ちゃん、あなたの双肩にアガタラの未来がかかっているらしいわよ」

「ちょっと重大すぎませんか!」

「うん、とっても重大ね」

「そう、この上なく重大なのだ。でなければ、我らが人間に助力を求めるなどありえぬことくらい、想像できよう」

「それは……できますけど……」

 ことの重大さを思い知らされたエリナは、自分があまりにも安請け合いしたという事実をいまさらのように理解したようだった。エリナとしては、困っているだれかを見過ごせなかったというだけなのだろうが、その瞬発的な発想が自分を追い詰めることもあるという経験は、きっと彼女を成長させるだろう。

「ま、癒やしの力以外なら、あたしたちにも協力できるし。ねえ」

 ミリュウは、そういいながら、隊の武装召喚師を振り返った。癒やしの力を持つ召喚武装というのは、稀有な存在だ。安易に呼び出せるものではないし、極めて高度で複雑な術式を用いなければ、有用な召喚武装は呼び出せない。ただ呪文に癒やしの語句を並べたところで、治癒能力を発揮する召喚武装を呼び出すための術式にはならないのだ。故に癒やしの力を持つ召喚武装の絶対数は少なく、その召喚者となると希少価値といわざるをえない。

 リョハン最高峰の武装召喚師である七大天侍の中でも癒やしの力を持つ召喚武装の使い手といえば、グロリア=オウレリアただひとりだ。

 ミリュウ隊においては、エリナだけが癒やしの力を用いることができた。

「それは、まあ、そうですが」

「我々にも協力しろ、と?」

 隊士の数名がことさらに嫌そうな顔をするのは、想定の範囲内だ。教育を受けた人間ならばだれだって、皇魔に協力するなどお断りだろう。

「嫌ならいいのよ。別に強制するつもりはないわ。この度のことは、周辺領域調査とは無関係だもの」

「とはいえ、隊にある以上は、ミリュウ様に従うのが道理ですので」

「そうね。それが賢い選択よ。きっと、リョハンのためにもなるわ」

「だと、いいのですが」

「リョハンだって、別に戦うことが正しいことだなんて教えはしていないでしょ。そりゃあ、皇魔は人類の天敵だけれど、避けられる戦いは避けるべきよ。リョハンに無尽蔵の戦力があって、決して負けない確信があるのなら、話は別だけれど」

 アガタラのウィレドだけを相手にするのであれば、大した問題はない。それこそ、ミリュウひとりでも撃滅することは可能だ。しかし、だからといってすべての皇魔をただ殲滅し続けるというのは、あまりにも短絡的で愚かな思考だと思わざるをえない。交渉の余地がある相手が皇魔だからという理由だけで滅ぼそうとするなど、愚の骨頂だろう。皇魔と交渉を持つこと自体を愚行と判定

「それで、アガタラにはどのような窮地が訪れているのかしら?」

「それは、大霊宮にて説明しよう」

「大霊宮?」

「中心に見える黄金の宮殿が、そうだ」

 彼が指し示したのは、ミリュウの想像したとおりの建物だった。絢爛豪華な黄金の宮殿。それだけで空中都市リョハンとは比べ物にならない代物といえるほどの立派な建造物だ。

「大君が御座す神聖不可侵の領域であり、人間を招き入れるなど言語道断ではあるが……状況が状況だ。致し方がない」

「もしかして……大君とかいうお方に関わることじゃあないでしょうね?」

 ミリュウの質問に対するセルクの沈黙は、明確な答えといってよかった。

 ミリュウの中の漠然とした不安は確信めいたものへと変わった。

 アガタラの支配者にしてウィレドたちの王、大君の体調に関わることなのだろう。それが魔法では癒せないから、フォースフェザーという魔法とはまったく異質の癒やしの力に希望を見出したに違いない。故にセルクはなんとしてでもエリナをアガタラに招き入れたかったのだ。

 なんとしてでも。

 でなければ、アガタラに未来はないのだ、と、彼は暗にいっている。

 それがなにを示しているのか、想像できないミリュウではない。



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