第二千三十九話 救いの巫女(四)
「人間に救われるなど恥辱の極み……とかなんとかいってませんでしたっけ?」
「そうだ」
ミリュウの嫌味をウィレドはまたしても言葉通り受け取り、うなずいた。彼には皮肉や嫌味が通じないのかもしれない。
「しかし、その娘の癒やしの力を身を以て知ってしまった以上、考えを改めねばならぬと思い至ったのだ。あの力、我らの魔法とも異なるものだ。もしかすると、我らにはどうしようもなかったものも、どうにかできるやもしれぬ」
彼の視線は、ミリュウの背後に隠れたままのエリナに注がれている。確かに、エリナの召喚武装フォースフェザーは強力な召喚武装だ。そもそも、癒やしの力を持つ召喚武装自体が稀有であり、フォースフェザーは癒やしに加え、様々な能力を内包していた。直接攻撃する方法は皆無だが、支援能力に特化した召喚武装の中でも極めて強力な部類といっていいだろう。中でも緑の羽の癒やしの力は、ウィレドが驚くほどの効力を発揮し、彼女の武装召喚師として天性の才能を感じずにはいられないものだ。
「淡い期待だが……いまはそんなものにでも縋るよりほかないのだ」
「なによ? いったいどういうことよ?」
「詳細はいえぬ。ただ、力を貸してほしいのだ」
そういって、彼は頭を下げてきた。まるで人間世界の礼節を知っているような仕草にミリュウは目を細める。しかし、彼女の口をついてでた言葉は、まるで逆だ。
「随分と都合のいい言い草ね」
受け入れるのではなく、道理として拒絶する。
「だったら、協力なんてできるわけないわ。あたしたち、人間よ。皇魔に与する道理がないもの」
「ミリュウ様のおっしゃるとおりです。ウィレドのあなたを助けたというだけでも、会議にかけられても文句のいえないことなんですからね!」
と声を荒げたのは、部下のひとりだ。護峰侍団四番隊に所属する女性武装召喚師は、長い髪を振り乱しながら皇魔への怒りを露わにしていた。きょとんとする。
「そうなの?」
「そうですよ!」
「相当まずいことをやった感じ?」
「当たり前じゃないですか、なにいってるんですか!」
憤慨する部下に対し、ミリュウは、茫然とするほかない。いや、大変なことをしたということは理解しているのだが、まさか会議にかけられるほどのこととは考えてもみなかった。しかし、よくよく考えれば、当然の話だ。皇魔は人類の天敵として認知されている。それは、リョハンでも変わらない。人間に友好的な皇魔などそういるはずもなく、何百年にも渡って殺し合いを続けてきたのだ。その溝は埋まるどこから深まるばかりであり、互いに手を取り合おうなどという考えが生まれるはずもない。リョハンの人間、特に武装召喚師は、皇魔は斃すべき存在であるとして徹底的に教え込まれている。
ザルワーン出身のミリュウも同じだ。いや、どこの国、どこの組織であれ、そう教育するものだろう。
「そうですな。手負いとはいえ、皇魔を救うなどあってはならぬこと。ま、いまさらいうのもなんですが」
「と、いうことで、あなたの申し出は却下。さっさと立ち去りなさい。もう動けるでしょ」
「師匠」
「エリナ。駄目よ。彼を治療するのと、彼の望みを聞くことはまったく別のことなの。会議にかけられるとか、そんなことはどうでもいいけど、人間の敵たる皇魔に力を貸すことはないわ。治療を施しただけでも大事なのよ」
「でも……」
エリナは、それでもウィレドのことが気になるようだった。ミリュウのいうことには従順な彼女がここまで食い下がるのはめずらしいことであり、ミリュウは、エリナの成長を感じた。いまのいままで師匠のいうことに唯々諾々と従うだけだった弟子が、ついに自己主張を始めたのだ。師匠のミリュウとしては嬉しいことこの上なかった。内容の是非は別として、だ。
「人間が我らを忌み嫌い、深く恨んでいることは知っている。我らも同じだけ恨み、嫌っているのだ。そのことそのものをどうこういうつもりはない。そして、貴様らの判断が間違っているなどというつもりもない」
ウィレドは、極めて理性的で冷静だった。冷静に状況を把握し、判断することができている。だからこそ、エリナも彼のことが気になるのだろうし、彼の申し出に応じたいという気持ちにもなるのだろう。これが人間に対して敵意をむき出しにするだけの怪物ならば、話は別だったはずだ。もっと単純で、完結だったはずだ。
「我が人間に助力を求めたと知れれば、アガタラの同胞からも背約、背信の謗りを受けよう。貴様らと同じにな。だが、それでも我は貴様らに助力を求める。求めねばならぬのだ。それがアガタラの戦士の誇りに背くことであったとしても、座して終わりを待つよりは余程よい」
「あなた、そうまでしてエリナになにを望むの? 癒しの力が必要といったわね。あなたたちの魔法でも癒せないものなんて、エリナにどうこうできるとも思えないけれど」
「わかっている。これは賭けなのだ。貴様の癒しも及ばぬかもしれぬ。しかし、それでも、もしかしたら、ということもありうる」
「だとしても分の悪い賭けよ。勝算の極めて薄い。ともすれば、あなたとわたしたちがいらぬ謗りを受けるだけになる可能性のほうが高いわ」
「だからといって、目の前にある希望を見逃すことなどできぬのだ」
ウィレドのエリナを見つめる目は、強い決意に満ちたものだった。エリナは、フォースフェザーに触れながら、彼を見つめ返している。皇魔への恐怖や嫌悪感など忘れ去ったかのようなまなざし。
「希望……ねえ」
「師匠……わたし、皇魔さんを助けたい」
「おお……!」
低くうなるように歓喜の声を上げるウィレドを見つめながら、ミリュウは肩を竦めた。エリナがそういいだすことはわかりきっていたことではあるのだが、だからこそ、ため息もつきたくなる。
「いうと思ったわ」
「だめですよ、ミリュウ様、エリナ殿」
「そうです。皇魔に荷担するなど、七大天侍といえど、許されることではありません」
部下たちのいうことは、いちいちもっともだった。護峰侍団として、リョハンのものとして、人間としての正解だろう。人類の敵たる皇魔に与することなどあるべきではない。
「そうね。それが正しいのよね」
「師匠!」
エリナが抗議してくるが、ミリュウは取り合わなかった。エリナの理想にリョハンを巻き込むわけにはいかないのだ。それが七大天侍ミリュウ=リヴァイアの立場からの考えだ。しかし一方で、ウィレドの申し出を受けたいというエリナの考えもわからないではない。エリナは、純粋に困っている相手を助けたいという思いから、そういう考えに至っているのだ。そして、それは、彼女にとって最愛のひとの根幹といってもいい考え方であり、彼ならば、たとえ相手が皇魔であっても申し出に応じたかもしれないとも想うのだ。
彼には、常識が通用しない。
「で、皇魔さん。あなたにひとつ確認したいことがあるのだけれど」
「なんだ?」
「たとえばあたしたちがあなたに協力したとして、その結果がどうあれ、あなたたちアガタラのウィレドがリョハンを攻撃しないと保証できるかしら?」
「なんだ。そんなことか」
「そんなことですって? 返答次第では協力しないどころか、この場であなたを滅ぼすことになりかねない重要な問題よ。慎重に答えなさい」
ミリュウの通告には、さすがのウィレドも居住まいを正した。ミリュウこそ召喚武装を呼び出していないものの、目の前のウィレドを滅ぼすには、彼女が動く必要もなかった。ダルクスがいるし、部下もいる。護峰侍団の隊士たちは全員が全員、戦闘用の召喚武装を呼び出していた。皇魔の軍勢を目の当たりにし、目の前に皇魔が落ちてきたのだ。戦闘の可能性を予期し、召喚するのは当然の話だった。その点、ミリュウが武装召喚術を用いていないのは、落ち度といえるかもしれない。もっとも、ミリュウが術を行使しなかったのは、ダルクスという強力な護衛がいるからにほかならず、彼がいなければ即座に召喚していただろう。
「ああ……そういう意味でいったのではないよ。気に障ったのならば、済まない。謝罪する」
そういって頭を下げてきたウィレドの素直さに、ミリュウは交渉の余地を認めた。もし、彼の属するアガタラのウィレドが皆、彼のように人間を前にしても理性的に振る舞うことができるのであれば、協力することもやぶさかではないかもしれない。
「そこまでするほどのことじゃないけど……どういう意味?」
「我々アガタラは、地上に干渉するつもりはないのだ。地上に干渉すればろくな目に遭わぬことは歴史が証明しているのでな」
「つまりリョハンを攻撃することもない、と」
「そういうことだ。だから安心してくれていい」
「まあ確かにリョハン周辺ではウィレドは見かけませんし、ウィレドの被害報告もありませんが」
「そうだろう。この一帯のウィレドはアガタラに属しているのだからな」
彼が自分たちのことをウィレドと呼んだのは便宜上のことだろう。ミリュウたちに話を合わせてくれているのだ。
「エンデっていう国もあるのよね?」
「エンデはここより遙か北の国だ。ここアガタラの勢力圏に姿を見せることは本来ありえぬこと」
「……じゃあ、どうしてあなたはエンデの連中とやりあったのかしら? それもあなただけで」
「それは……いまは教えられぬ。だが、アガタラがリョハンを攻撃することはない、ということだけは確かだ」
「ふうん……」
「師匠!」
エリナが袖を引っ張ってくる。
「皇魔さんもそういっていますし、なんの問題もないんじゃ――」
「エリナ殿、なにを仰っておられるのです」
「そうですよ。ウィレドのいうことなど、信用してはいけません。皇魔は人類の天敵。いついかなるときも人間を殺し、滅ぼすことしか考えていないんですから」
部下の発言は、皇魔憎しに凝り固まったものではあったが、人類の歴史からすれば当然の考え方ではあった。人間が自由気儘に都市の外を出歩くことができなくなったのは、皇魔の存在があるからだ。人類の大半を占める力なき弱者が皇魔に遭遇すれば、殺されるしかない。そうやって数多の人間が殺されてきたという歴史的事実は、現代を生きるひとびとの血に記憶され、連綿と受け継がれてきているのだ。だから、だれもが皇魔を見れば神経を逆撫でにされ、憎悪や怒り、恐怖に駆り立てられる。
いまだって、そうだ。
傷だらけのウィレドを治療していたエリナでさえ、ウィレドがその紅く輝く双眸を向ければ、ミリュウの背後に身を隠してしまう。ミリュウだって、平気な顔で話し合っているものの、皇魔特有の気配を感じていないわけではなかった。全身がひりつくような感覚がある。対峙しているだけで精神をすり減らされるような、そんな感覚。とはいえ、目の前の温厚なウィレドからは、敵意や殺意のようなものは感じられず、やはり部下たちの拒絶反応が強すぎると想わざるをえない。
「そうは見えないけどね」
「ミリュウ様!」
「師匠!」
「彼が本当にそんな皇魔なら、とっくに戦闘状態になっていて、彼は物言わぬ死体に変わり果てているはずよ。でも、そうじゃなかった。彼は憎き人間を目前にしても冷静さを失わず、理性的に振る舞い続けているわ。それこそ、アガタラのウィレドが、リョハンを攻撃しないという彼の言動の証明になるんじゃなくて?」
「まさか、応じるつもりなのですか?」
「我々を騙しているだけかもしれないのですよ?」
「だとしたら」
ミリュウは、心配症な部下たちに向かって、にこやかに微笑んだ。
「もし万が一、彼があたしたちを騙し討にするようなことがあれば、エリナを傷つけるようなことがあれば、そのときは」
「そのときは?」
「あたしがアガタラを滅ぼすから、安心していいわ」
ミリュウは、ウィレドの血のように紅い目を見つめながら、彼だけでなく、部下やエリナにも聞こえるように冷ややかに告げた。
そうして、ミリュウたちはウィレドの協力要請に応じることに決めた。
それがまさか、長きに渡る軟禁生活の始まりになるとは、思いもよらなかったのだ。