第二千三十八話 救いの巫女(三)
「これが人間の……力か」
ウィレドは、全身の傷口がほぼ完全に塞がったことに驚きを禁じ得ない様子だった。それはそうだろう。皇魔にとって人間とは、非力で脆弱な存在でしかなく、数の力を頼みにする以外で皇魔と戦えるはずもないものたちだ。魔法に匹敵する力など持ち合わせているわけもない。それが、皇魔にとっての常識であり、当たり前だったのだ。
「そうよ。これが人間の、いえ、あたしの一番弟子にして当代最高峰の天才武装召喚師エリナ=カローヌの力よ!」
ミリュウは、胸を張ってみずからの弟子であるエリナを指し示した。エリナはというと、腕輪型の召喚武装フォースフェザーを装着したまま、心ここにあらずといった様子でぼうっとしている。ウィレドの傷が思いの外多く、また深かったのだ。一刻も早く傷口を塞ぐためにもエリナは全力を注がねばならず、そのために想像以上の消耗をしたようだ。
エリナの召喚武装フォースフェザーは、四色の羽飾りが特徴的な腕輪だ。赤、青、黄、緑の四色の羽飾りはそれぞれ異なる力を秘めている。ウィレドの傷を癒やすために力を発動させたのは緑色の羽飾りであり、緑色の羽飾りが象徴するのは癒やしの力。対象の治癒能力を増幅させることができるのだ。生命力の強い対象ほど効果的であり、逆に瀕死の重傷を負ったものにはあまり効果がない。そのため、ミリュウには一種の賭けと思えたが、どうやら皇魔の生命力の強さは人間とは比べ物にならないほどのものであるらしく、一見、瀕死の重傷にしか見えなかったウィレドは、みるみるうちに回復し、いまや傷口は完全に塞がっていた。
「し、師匠、言い過ぎですよ」
エリナがなにやらもじもじと抗議してきたが、彼女は取り合わなかった。
「言い過ぎなものですか! たった数年ばかりの修行期間でここまで武装召喚術を使いこなせるようになったんだもの! 天才も天才、大天才よ! いえ、超天才といっても過言ではないわ!」
ミリュウは、エリナのことになるとどうしたところで自慢してしまいたくなる自分に気づいてはいるものの、それを止めようとは思わなかったし、むしろ、もっとエリナの才能と実力について知って貰いたいという想いのほうが遥かに強かった。エリナは、ミリュウの初めてにして唯一の弟子なのだ。その弟子が師匠である彼女を遥かに凌駕する才能を秘め、着実に開花させつつある現実を目の当たりにすれば、胸を張って自慢したくなるのが人情というものだろう。いずれ、エリナは独り立ちしなければならなくなる。そのとき、ミリュウが喧伝した彼女の評価が、彼女の評判となり、彼女の力となるはずだ。もちろん、そこに至るまではまだまだ長く険しい修行の道を歩まねばならないのだが、エリナならばきっと超一流の武装召喚師となってくれるに違いない。
そういう期待も込めて、ミリュウはエリナを激賞する。
「え、えーと……その、あの……師匠のいうこと、あまり気になさらないでくださいね、皇魔さん」
しかし、エリナには、ミリュウの想いが届いていないのか、気恥ずかしそうにする。それがどうにも解せない。才能と実力に関しては、だれもが認めるところだ。ルウファやアスラといった身内だけでなく、七大天侍のだれもがエリナを次期七大天侍候補の筆頭と見ていたし、護峰侍団の隊長格たちも、彼女を護峰侍団に入団させたがっていた。護峰侍団に入れば、ゆくゆくは隊長格に抜擢されること間違い無し、と彼らは見ているらしい。エリナというのは、それほどの才能の塊なのだ。かつて天才児としてリョハンを賑わしたアルヴァ=レロイ、マリク=マジクことマリク神さえも認めているのだから、いい加減素直に受け入れるべきだと想うのだが、エリナは自分の才能や実力を誇示しようとはしなかった。そういういじらしさが人気の秘訣なのかもしれないが、ミリュウには到底理解のできない部分だ。
「……ああ、わかった。しかし、なぜだ」
「はい?」
「なぜ、我を助けた。我は、貴様ら人間が皇魔と呼び、忌み嫌う人類の天敵。人語を解するからと手を差し伸べたところで、傷が治れば、たとどころに牙を剥くことになるやもしれんのだぞ」
「傷つき、いまにも死にそうなかたをほうっておくことなんてできません」
「弟子ちゃんってば優しすぎるんだから。そう想わない?」
ダルクスに同意を求めると、彼もエリナの言動が理解できないとでもいいたげな身振りをした。彼も、この世界の人間なのだ。皇魔が人類の天敵であり、人間から見れば滅ぼすべきものだという認識を持っている。ほかの隊士たちも同じだろう。要するにエリナだけが、常識外れなのだ。優しいというだけの問題ではない。そして、優しければいいという話でもない。皇魔自身がいったように、手を差し伸べた結果、殺される可能性も高いのだ。
「……その結果、殺されたとしても構わぬと?」
「殺されませんから」
「ほう」
「ね、師匠」
「そうね。あなたが不審な動きを見せたら、うちのでかいのがそのでっかい頭をぶっ潰したわ」
ちらりと、ダルクスを見る。彼は当然のようにうなずいている。まるで昔から一緒に行動をしているような息の合った感覚には、懐かしさが混じっていて、ミリュウは時折戸惑いを覚えた。その懐かしさがなにを起因としているのか、まるで思いつかない。彼とは敵同士でしかなく、殺し合った記憶しかない。それなのに、どうしてこうまで息が合うのか。話し合わなくとも、命令するまでもなく、彼はミリュウの想った通りに動いてくれる。まるでミリュウの考えなどお見通しだとでもいわんばかりに。不思議だが、頼りになった。
「なるほど。万が一の場合の対策も考慮済みということか。それならば、理解可能だ」
「でも、あなたが理性的で良かったわ。せっかく弟子ちゃんが救った命を奪うなんて、たとえそれが皇魔でも嫌だものね」」
「師匠……」
「理性的……か」
「なによ」
「理性的でいられたならば、あのような醜態を晒すわけもなかったのだが」
「醜態……ねえ。まあ、そんなことよりもまず、あたしの弟子になにかいうことあるんじゃないの?」
「……そうだな。感謝がまだだったな。ありがとう、人間の娘よ」
「い、いえ、お礼なんてとんでもないです」
「そういうのは素直に受け取っておくものよ。まさか、皇魔が人間に礼をいうだなんて、想ってもみなかったけどね」
「師匠が催促したんじゃ……」
「したけど、まさか応じるとは想わないじゃない?」
「確かにな。我々が貴様ら人間に感謝することなど、あり得べきことではない。しかし、現実に死の淵より救われたのであれば、感謝する以外になにがある」
「我はまだ、死ぬわけにはいかなかったのだ」
「そのわりには、エリナの助けを拒んでいたけど?」
「それとこれとは別の話だ。人間に救われるなど恥辱の極みといったはずだ。いまも我は貴様らに辱めを受けている。だが、それでも、あのまま死ぬよりはましだと、いまになって思い返しただけのこと。もう一度いう。ありがとう」
「は、はい」
エリナは、今度は否定せず、素直に受け取ったようだ。そんなエリナの反応がいちいち可憐で、ミリュウの琴線に触れるのだから、堪らない。
「それで、なんでまた空から落ちてきたのかしら。ウィレド同士で争っていたようだけど」
「そこまでわかっているのなら、いうまでもあるまい。我は彼奴らに敗れ、死ぬところだった。それだけのことだ」
「彼奴らって、同族じゃないの?」
「貴様らが名付けたウィレドという種という意味では同じだ。だが、属するところが違う」
ウィレドは、体中についた血を拭いながら、ゆるゆると頭を振った。じっくりと見ていると、その醜悪な顔にしっかりと表情があり、彼が渋い顔をしていることがわかる。
「我は、誇り高きマルガ=アスルに忠誠を誓う、アガタラの戦士。彼奴ら忌まわしきタルガ=アスル率いるエンデのものどもと一緒にしてもらっては困る」
「……いきなり、そんなことをいわれてもなにがなんだかさっぱりだわ」
突如聞いたこともない単語を並べ立てられれば、だれもがミリュウのような反応をするものだろう。しかし、ウィレドの癇に障ったことをいったのはミリュウであり、そのことは少しばかり反省する彼女だった。とはいえ、ウィレドの事情などどうでもいいという気持ちがあることに違いはない。
「ウィレドの中にもいくつもの勢力があるということだ。貴様ら人間が同族でありながら国や組織に分かれ、相争うのと変わりはあるまい」
「なるほど。そういわれれば、そうね」
ぐうの音も出ないほどの正論には、ミリュウも返す言葉を持たなかった。
「ウィレドは、大君を頂点とする部族がひとつの国を作る。マルガ=アスルを頂点とするアガタラはその国のひとつであり、もうひとつの国エンデとは数百年来、敵対関係にあるのだ」
「数百年来……」
「我らの父祖がこの地に流れ着いた時より、我らとエンデは袂を分かったのだ」
「それで、あなたはエンデだかなんだかのウィレドたちと戦って、敗れた。そこにあたしたちが通りかかったってわけね。幸運にもほどがあるわね」
ミリュウが皮肉をいうと、ウィレドは額面通りに受け取ったようだ。彼は素直にうなずき、述懐するようにいう。
「まったくだ。貴様らに出逢わなければ、我はあのまま野垂れ死んでいただろう。取り返しのつかないことになるところだった」
「どういう意味?」
「それはいえぬが……しかし」
ウィレドが眼光鋭くエリナを見やり、エリナがびくりとしてミリュウの後ろに体を引っ込めた。ついさっきまでウィレドの治療に当っていたとは思えないような反応だが、人間にしてみれば当然の反応ではあった。治療を施したとはいえ、皇魔が人類の天敵であることに変わりはないのだ。エリナが油断していないという意味でもあり、その点では、彼女はエリナの反応を内心褒め称えた。一方で、意味深長なウィレドの視線が気にならないわけもない。
「なによ? 弟子ちゃんに惚れたとかいわないでよね。弟子ちゃんはセツナに一途なんだから」
「し、師匠、なにいってるんですか!?」
「隠すことないじゃない。あたしもセツナのこと好きよ?」
「そういうことではなくて!」
「じゃあ、どういうことなの?」
「え、えーと……」
返答に困り果てたエリナの表情を眺めるのは、至福の極みだ。だからといってわざと困らせすぎるのも考えものだし、ときに思わぬ反撃を受けるのだから、慎重にしなければならない。と、ウィレドが想わぬことをいってくる。
「癒やしの力の使い手よ、どうか我らに力を貸してくれないだろうか」
「へ?」
「はい?」
ウィレドの予想外の申し出に、ミリュウもエリナも、その場にいたほかのものも皆、凍りついた。