第二千三十二話 捜索行(三)
そしてそれは、手がかりらしき大樹を中心とする捜索をはじめて間もなく、起きた。
セツナは、大樹を登り、木の枝や葉のわかりにくい部分に手がかりでも残されていないかと探し回り、レムやアスラ隊が地上を捜索している最中のことだ。突如、セツナの感知範囲内に引っかかるものがあったかと思うと、甲高い悲鳴が聞こえた。
(レムか)
セツナはすかさず大樹を飛び降りると、アスラを始め、アスラ隊の武装召喚師たちが召喚武装を構える様を目の当たりにした。そして、その視線の先にレムと、彼女に群がる異形の怪物たちを目撃する。黒い外皮に覆われた禍々しい姿には、見覚えがあった。
「あれは……」
「ウィレドですね」
アスラの一言によって、セツナは古い記憶を掘り起こすという作業に入らずに済んだ。
ウィレド。皇魔の一種であり、その禍々しい外見は、セツナの世界における悪魔の想像図によく似ている。醜悪な顔に皇魔特有の赤い光を発する目、隆々たる体躯に強靱な手足を持ち、一対の黒き飛膜を持つ。空を自由に飛び回り、魔法を使うこともできる皇魔の中でも凶悪な部類だったはずだ。
そんなウィレドの一体がクルセルクの魔王ユベルの腹心を務めていたことは、記憶に残っている。ルウファと交戦し、先代戦女神ファリア=バルディッシュやシーラの活躍によって撃破されたと記録されている。
シルフィードフェザー・オーバードライブのお披露目だったにも関わらず、あまり役に立てなかったと悲嘆にくれていたルウファのことを思い出した。そんな彼を優しく諭し、称えたのがファリア=バルディッシュだったという。ルウファはいまでも先代戦女神のそのときの言葉を胸に生きているといい、だからこそ七大天侍でいることに誇りを持っていられるのだともいった。
「この一帯はすでに調査済みで安全も確認されているはずですが……」
「ウィレドがでたんだ。それが事実だろ」
「はい。しかし、このままではレム殿が……」
とはいいながらもアスラたちが皇魔を攻撃しないのは、皇魔たちがレムの至近距離にいて、レムを巻き込む可能性があるからだろう。
「レムがあんな数の皇魔に遅れを取るわけがないだろ」
神人ならともかく、と付け足しながら、セツナは、慌てて駆けつけて損をしたと思ったりもした。レムを取り囲むウィレドは、五体。いずれも人間とは比べものにならないほどの巨体を誇り、レムとは大人と子供以上の差があるといってもいい。普通なら絶体絶命の窮地であり、危機といっていいだろう。だが、ウィレドがどれだけ寄ってたかろうとも、レムを殺しきることはできないし、そもそも、致命傷を与えることさえできまい。
ではなぜレムが悲鳴を上げたのか、といえば、彼女が頭を抱えて縮こまりながら、こちらをちらちらと見ていることからも想像がつく。先ほど聞いた悲鳴がどこかわざとらしいものに思えてきたが、気のせいなどではあるまい。
「いやおまえ、自分でどうにでもできるだろ」
セツナが小声でつっこむと、レムもまた、小声で返してくる。互いに超人的な聴覚が機能しているからこそのやりとりだ。
「ご主人様、いけずでございますね」
「いまさら非力ぶってもだな」
「これがファリア様なら一も二もなく助けたでしょうに……」
「む……」
反論の余地もないという事実に黙り込むと、ウィレドの一体が、レムとセツナを交互にみた。ウィレドの聴覚も、小声を危機のがさない程度には優れているのだろう。だからどうとも思わないのだが、予期せぬことが起きた。
「なにをごちゃごちゃと話している?」
そのウィレドが唐突に、セツナたちにも理解できる言葉を発してきたのだ。
「はい?」
「は?」
セツナもレムも、アスラたちも予想だにしない事態に仰天し、絶句したのは必然というほかない。
皇魔が人語、共通語を話すというのは、ありえないことではない。クルセルクの魔王ユベルは、配下の皇魔に共通語を教えたり、武装召喚術を学ばせたという例がある。皇魔の知能は極めて高く、人間の言葉を覚えることそのものはさして苦ではなかったらしい。武装召喚術も人間とは比べものにならない速度で修得したということからも、皇魔の才能の高さを伺わせる。
人間は普通、言葉を学ぶのにも時間がかかるものだし、武装召喚術となるとなおさらだ。一人前の武装召喚師になるには五年、十年はかかる。皇魔はそれを短期間で成し遂げ、クルセルク戦争においては猛威を振るった。
しかし、魔王軍に属していた皇魔ならばまだしも、クルセルクとは遠く離れた北の大地で人語を解する皇魔と遭遇するなどとは想像しようもない。そんなことを想像するものがいるとすれば空想家くらいのものであり、狂気の発想としかいいようがない。
故にセツナたちは思考停止に陥ったのだ。
「我らは問うているのだ。貴様が、「オニイチャン」か、と」
「な、なななぜ、皇魔が共通語を!?」
「どういうことだ!?」
セツナたちが素っ頓狂な声を上げると、人語を解するウィレドたちは、呆れ果てたような顔をした。邪悪な怪物の顔が、その途端、人間味のあふれたものに見えてくるのだから不思議なものだ。が、だからといって、セツナの頭の中の混乱が静まるわけもなかったし、混乱はますます加速する一方だった。人語を解する皇魔を目の当たりにしたことがあるというのに、だ。クルセルク戦争の詳細など、すっかり記憶から抜け落ちているのだから、仕方がない。
「質問に質問で返すのは愚か者のすることだ。我が質問に答えよ。貴様が「オニイチャン」なのか? 我らが巫女が求めている。「オニイチャン」に逢いたいのだ、と」
「オニイチャン? 巫女?」
セツナは、ウィレドが片言で告げてきた言葉を反芻しながら、軽い頭痛と目眩を覚えた。皇魔がオニイチャンという言葉を使うこともそうだが、それを探しているというのも、奇妙だ。なにからなにまで奇妙で不自然で理不尽きわまりなく、困惑するほかない。
「もうなにがなんだか」
「どういうことなのでしょう?」
「さっぱりわかんねえ……」
アスラも部下たちも茫然とするしかないという状況で、セツナもただただ当惑した。ウィレドたちは、そんなセツナたちの反応に失望したようだが、それでも諦めきれないのか、また口を開いた。
「貴様、「オニイチャン」ではないのか?」
低いながらもよく通る声で、レムに問う。
「わ、わたくしでございますか?」
「「オニイチャン」は、黒髪に赤い目の人間だと聞いている。貴様ではないのか」
「確かにわたくしの外見的特徴はそうでございますが……わたくしは、歴とした女でございます。少なくとも「オニイチャン」ではございませぬ」
「なんだと」
「オニイチャンってのは、普通、男に使う言葉なんだよ」
「男……?」
ウィレドがわけがわからないといったように顔をしかめ、五体で顔をつきあわせ、考え込み始める。もしかすると、ウィレドには男と女の区別がつかないのかもしれない。ウィレドに性別がないのか、それとも、人間の男女の判断がつかないだけなのか。皇魔には、多様な種が存在する。リュウディースのように女だけの種もいれば、レスベル、ベスベルのように性別の存在する種もいる。ウィレドがどうなのかは、セツナは詳しく知らなかったが、彼らが人間に男女という性別が存在することは知らないらしいのは確かなようだ。
「もしかすると、オニイってひとかもしれんが」
「だとしても、わたくしではございませんよ」
「うむ」
セツナが力強くうなずくと、ウィレドの一体がレムにもう一度問いかけた。、
「……つまり、貴様ではないのだな」
「はい、期待にお応えできず申し訳ありませんが……」
「いや、こちらこそ驚かせて済まなかった」
「いえいえ」
レムが会釈すると、ウィレドは、彼女の真似をするように軽く頭を下げた。そして空を舞った。漆黒の飛膜が虚空を叩き、彼らの巨体を勇躍させる。そのままどこかへ飛び去るものかと想いきや、五体の悪魔は一瞬にしてセツナの元へと飛来し、着地した。着地の瞬間、風が巻き起こり、砂塵が舞い上がった。危うく吸い込みそうになるが、口元を腕でかばい、事なきを得る。五体のウィレドは、セツナの反応やアスラ隊の迎撃態勢など気にも止めず、話しかけてくる。
「では、貴様か? 貴様が、「オニイチャン」か?」
「お……っと、今度は俺か。まあ、俺も黒髪に赤い目だが……」
そこまでいって、セツナの脳裏に閃くものがあった。
「って、待てよ。オニイチャン?」
オニイチャン。お兄ちゃんといえば、セツナのことをそう呼んでくれていた少女の存在を思い出したのだ。
「エリナか?」
セツナは、ふとした閃きを口にして、口にした瞬間、その閃きこそが正しいのだという確信を得た。ほかに、考えられなかった。黒髪に赤い目のお兄ちゃんと呼ぶ人間を求める巫女と、それを探すウィレドたち。それも、ミリュウが手がかりで指し示した大樹の近辺で、だ。消息不明のミリュウ隊にはエリナも加わっていたのだ。エリナを含むミリュウ隊は、なんらかの理由でウィレドたちとともにいて、エリナは巫女と呼ばれているのではないか。そして、その巫女のために、ウィレドがお兄ちゃんなる人間を探し回っていた。そう考えれば、辻褄が合う。
「あんたのいう巫女ってのは、エリナって名前だったりしないか?」
「そうだ」
ウィレドは、当然のように肯定してみせた。
セツナは、驚きを覚えながらも、エリナたちが無事であるという確信と安堵を抱いたりもした。




