第二千三十一話 捜索行(二)
「そんなことが?」
「本当なのでございます?」
驚きに満ちた反応を示す各々にセツナは当然のようにうなずいた。
「本当だよ。そしてこれを刻んだのは十中八九、ミリュウだ」
「お姉さまが?」
「まあ、ミリュウ様らしい文章と想えなくはありませんが……しかし……」
「これは大陸共通語でも、古代語でもなければ竜語でもない。俺の生まれ育った国の文字なんだよ」
そう、木肌に刻まれているのは、漢字と平仮名であり、それをレムたちを始めとするこの世界の住人が理解できないのは当然の話だった。捜索隊が発見したとして、意味のわからない文字列が手がかりとは思えないだろう。理解できない手がかりなどミリュウ隊が残すとは考えにくい。しかし、ミリュウは緊張感のなさからなのかなんなのか、捜索隊や多くの人間にはまったく理解のできない文字をこの木に刻み、それによって助けが来ることを信じていたのか、どうか。
「そういえば御主人様は異世界の御出身。なるほど、道理で理解できない文字なわけでございますね」
「それをなぜ、お姉様が? セツナ様から学ばれた、とか?」
レムの納得も、アスラの疑問ももっともだった。アスラもまた、セツナが異世界の出身であることは知っているが、だからといってミリュウが異世界の言語を用いるのは理解できまい。
「あいつが逆流現象に襲われた話は聞いてるよな?」
「はい。そして、そのおかげでセツナ様への愛情に目覚められたとか、嬉しそうに語っておられましたわ」
「なぜ逆流現象であいつがあんな風に変わり果てたのか。それは、あいつが俺のそれまでの記憶を見たかららしい。で、そのとき、俺の国の言葉も文字も覚えたんだ」
ミリュウは、黒き矛の複製品で逆流現象を起こした。複製品とはいえ、完全再現された黒き矛は、本物のそれとなんら遜色なく、故にミリュウには制御しきれず、暴走の果て、逆流現象を引き起こしたのだ。そして、ミリュウはセツナの記憶を見た。生まれ落ちた瞬間から、あのとき、あの戦いに至るまでのすべてを見たというのだ。それでなぜセツナにべったりになるのかはわからないが、なんにせよ、彼女は当時のセツナ以上にセツナのことに詳しくなっていたことは覚えている。
「なるほど……」
「だとしましても、ミリュウ様は御主人様以外には理解のできない文字が、リョハンからの捜索隊にとっての手がかりになると思われていたのでございましょうか」
「戦女神様が直接動けば、手がかりになれただろうよ」
「へ?」
「戦女神様、ミリュウから日本語を学んでたらしい」
という話を聞いたのは、数日前、ふたりきりの日々の狭間でだ。ファリアは、いつかセツナと再会したときのため、セツナを驚かせるために日本語を学んでいたというのだ。もっとも、しっかりと身につける前にセツナと再会を果たしたため、あまり大したことは話せず、そのことを少しばかり悲しんでいた。
「そうなのですか?」
「そういえば……なにやら古代語とも異なる文字の書き方を練習なされているのを見た記憶があります。お姉様がめずらしく戦女神様を指導なされていたので気になっていたのですが、なるほど、そういうことだったのですね」
アスラが得心したといわんばかりに大きくうなずくと、すぐに別の疑問を口にした。
「しかし、戦女神様みずからがミリュウ隊の捜索に動き出すとなると、いよいよもって最終手段でしょうし、お姉様はなぜこのようなだれにも理解されない手がかりを残されたのでしょうね。セツナ様がリョハンに来られることを知っていたわけでもありませんのに」
「さあ……な」
別に助けなど必要としていないのではないか、とは想ったが、いわなかった。刻まれた文字の内容には、精神的余裕が感じられる。少なくとも命の危機に直面しているわけではなさそうだった。
「手がかりはこれひとつだけなのでございます?」
「いや、まだある。こっちだ」
生存報告だけでは、無論、手がかりになどなりっこない。
セツナは、つぎの文字に向かって移動しながら、ミリュウの思考のわけの分からなさを想った。しかし、ミリュウならば、そんなことを書いたとしてもなんら不思議ではなかったし、怒る気にもならない。ミリュウとは昔からそんなひとだったし、そんな彼女との再会も楽しみのひとつだった。
向かった先は、またしても針葉樹だ。木肌に文字が刻まれているのも変わらない。
「今度はなんと?」
「『頑張って。ここから少し左奥』」
「はい?」
「行くぞ」
レムのきょとんとした表情にいたたまれなさを覚えながら、セツナはつぎの地点に急いだ。
「『熱心なのね。もう少し奥よ』
「あの……なんだか手がかりといいますか、からかわれていませんか?」
「かもな」
「ミリュウ様らしいといいますか、なんともうしますか」
「らしいなららしいでいいさ」
ミリュウは、変わった、という。アスラがいうのだから、それは間違いないのだろうが、こういう手がかりで遊び、翻弄するようなところを見ると、本質的にはなにも変わっていないのではないかと想え、それがセツナには嬉しくてたまらない。変化そのものを否定するわけではないが、セツナの記憶の中のミリュウといえば奔放で自由気儘という印象が強い。もちろん、彼女はことセツナのことにかけては一心不乱だったし、身勝手というほど好き放題していたわけではないのだが。
「『あせらないで。右手に見える大きな木に来て』」
「これ、絶対御主人様宛てに書いてません?」
「レムもそう想うか。俺も、なんだかそんな気がしてきた」
「お姉様、セツナ様のこと大好きですものね」
「戦女神様か俺くらいしかわからないとはいえ……」
「まあ、ミリュウ様らしくてよろしいではありませんか」
「うん。それはいいんだけどな」
レムの妙に嬉しそうな反応の意味は、セツナにも理解できた。ミリュウがアスラがいっていたほど、大きく変わっていないのではないかということが明らかになり、そのことで安堵を覚えたのだ。アスラは、ミリュウは変わったといった。そのこと自体が悪い意味を持つわけではないが、多少、不安を覚えずにはいられなかったのも事実だ。しかし、こうして木の幹に残された数々の手がかりを見る限り、ミリュウは本質的には変わっておらず、いまもなおセツナへの愛情を声高に叫んでいる様子が想像できて、それがセツナにはたまらなく愛おしく想えたし、同時に心配しすぎだったことを知った。
ミリュウがいつもの調子で手がかりを残している姿を想像して、少しばかり馬鹿馬鹿しくなったものの、なにごとかがあったのは紛れもない事実だ。木々に刻まれた楽観的な文字列は、彼女たちが命の危機に直面したわけではないということを指し示しているものの、助けを必要としているという事実に違いはないのだ。
セツナは、多少、呆気に取られながらも木に刻まれた手がかり通り、アスラたちとともに動くことにした。
「大きな木ってこれだよな?」
セツナは、この小さな森の中で一際大きな木の元にたどり着くと、後続のものたちに同意を求めた。確かに大きな木だ。広葉樹の一種であろう大樹は、その枝葉が森の大半を覆うくらいに巨大であり、遠目に森を視認したときから気になっていたものでもある。しかし、見たところ、セツナの目に映る範囲には、先ほどまでのような日本語で記された手がかりはなく、本当にここがミリュウの指し示した大きな木であるか確信がもてなかったのだ。
「ほかに見あたりませんし、そうでしょうね。しかし、この木にいったいどんな手がかりが?」
「さて……見える範囲には、それらしいものはないが」
セツナが正直に答えると、アスラは少しばかり落胆したよだった。散々翻弄された挙げ句、捜索になんの進展もないとなれば、そうもなろう。しかし、レムはひとり気炎を吐いていた。
「では、この木を中心に捜索再開といたしましょう!」
「元気だな、おい」
「ミリュウ様方が無事である可能性が高まったのですから、気合いも入るというものでございます!」
「……そうだな。ここは気合いを入れ直して、探し回るか……」
セツナもレムの意見には同意せざるを得なかった。確かにその通りだ。ミリュウが余裕を持って書き記した手がかりは、彼女たちの身が安全である可能性の高さを示していた。ファリアが動くまでは見つからなくても大丈夫だという確信があったからこそ、日本語などというこの世界になんの馴染みもない文字を用いたに違いないのだ。