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第二百二話 魔女始動

「あなたひとりで殲滅してしまいそうね。黒き矛も真っ青、ってところかしら」

「ふん、黒き矛なら容赦はしないさ」

 予想通りのカインの返答に、ウルは苦笑を漏らした。彼は、黒き矛の話となると、途端に持ち上げ始めるのだ。普段、ひとをひととも思っていないような発言しかしないような男の言葉とも思えないのだが、彼はどうやら、かつてのログナー行きでセツナ=カミヤに惚れ込んでしまったらしい。狂気の殺戮者に惚れられるなど、あの少年にしてみれば迷惑以外のなにものでもないに違いない。

「あなたって、黒き矛のこと、買いかぶり過ぎなんじゃないの?」

「だれであれ、彼の戦いに魅了されないものはいないさ」

「そういうものなのかしら」

 ウルの脳裏に浮かんだのは、かつてマルダールで出逢った少年の顔であり、カインに食って掛かったあの少年のどこに魅了される要素があるのかなど、彼女にはわかるはずもなかった。セツナの戦いは王宮晩餐会でも見られたらしいのだが、あいにく、彼女のようなものがその場に呼ばれるはずもなかった。残念ではあるが、このザルワーン戦争の終局には見られるかもしれない。

 三方に分かれた軍は、龍府を目指している。ザルワーンが龍府から全兵力を吐き出したりしない限り、決戦は龍府で行われるということになる。決戦というほどのものですらないかもしれない。そのころには大勢は決まっているだろう。西進軍がバハンダールを、中央軍がゼオルを制圧し、北進軍がここマルウェールを落とす。ザルワーンの国土の大半が、ガンディアの色に染まるのだ。

 ザルワーンは、戦力を分散して配置したことが仇になっているようだ。もし、総力一万八千と呼ばれる戦力が一度に押し寄せてきたら、ガンディア軍はひとたまりもなかっただろう。たとえ黒き矛や《白き盾》が局地的な勝利を収めたとしても、敗北は免れなかったはずだ。

 レオンガンドは運がいいのか、それとも、そうなるようにことを運んだのか。

 前者であり、後者でもある。

(キース……)

 あの日以来、ウルの心を締め付けるのは、キース=レルガの死に顔だった。

 九月二日のことだ。

 退屈を持て余した彼女は、いつものようにキースの部屋を訪れ、そして彼の死体を発見した。最初、寝ているのかと思ったほどに安らかな表情だった。机の上に突っ伏したまま、何度擦っても、何度呼びかけても、反応ひとつしないキースの様子に違和感を覚えた彼女は、そこでようやく彼が呼吸をしていないことに気づいた。鼓動も止まっていた。

 なにが起きたのか、彼女にはわからなかった。

 ただ、彼が死んだという事実だけがあった。

 死因を知ったのは、数日後のことだ。レオンガンドの腹心スレイン=ストールから聞き出すことができた。キース=レルガは、双子の兄弟にして命を共有するヒース=レルガを殺害するために、みずからの命を閉じたのだという。自害に使用したのは外法機関の遺産であり、安らかな死に顔は、痛みすらなく死ねたことの証明だったのだろう。

 ヒースは、ウルもよく知っている。レルガ兄弟とは、外法機関に捕まっている頃から仲が良かった。アーリア、イリス、ウルの三姉妹と、レルガ兄弟。それにエレン。たった六人の仲間だった。傷口を舐め合い、心の空白を埋め合わせてきた。レオンガンドに拾い上げられた後も、関係は変わらなかった。

 だが、ヒースは、ナーレス=ラグナホルンとともにザルワーンに行くことになった。ザルワーンを内部から破壊するのがナーレスの使命であり、レルガ兄弟はその一助となるために活動した。ヒースはナーレスの言葉をガンディアに伝え、キースはレオンガンドの言葉をザルワーンに伝える。ふたりの空間を超えた意思疎通能力は、ガンディアがザルワーンという大国を打倒する上で必要不可欠だった。

 五年が経ち、状況が変わったのだろう。

 キースは死ななければならなかった。ヒースを殺すために。

 ふたりは命を共有した存在だった。外法機関によって発現された異能が、ふたりの命をひとつにしてしまったらしい。空間を超越する意思疎通能力。ふたりはその異能によって召しだされ、その異能のために死んだ。

(竜が息を吹き返した……か)

 彼が紙切れに書き残したのは、たったそれだけだった。竜。ザルワーンのことだろう。ザルワーンが息を吹き返すとはどういうことなのか。ナーレスの策謀が明らかになったということではないか。レオンガンドの腹心たちはそう推測した。だから、キースは死んだのだ。ナーレスが捕まったのならば、ヒースも拘束されているに違いない。ヒースからガンディアの情報が漏れることを恐れたキースは、だれに相談することもなく、命を断った。

 ヒースも、死んだのだろう。

 キースの死は、少なからずウルに衝撃を与え、彼女の意識を変えた。自分が彼になにを求め、なにを欲していたのかが理解できた。だが、あまりにも遅すぎる。

 ウルは、絶望の中で、ザルワーンを憎んだ。あまりに身勝手な話だが、感情とはそのようなものだろう。ウル自身にも制御しきれないのだ。キースを死に追いやったザルワーンが滅びるさまを見るためだけに、彼女は従軍していた。

 馬上、風景が流れていく。マルウェールの閑散とした市街は、いまや戦場そのものに変わり果ててしまった。動きまわる兵士たち。盾を掲げ、槍を振るう。矢が飛び交い、裂帛の気合がつぎの瞬間には断末魔の叫び声に変わった。頬を撫でる熱風と、鼻を衝く臭い。悲鳴と叫喚。もがき苦しむ兵士たちの怨嗟が、彼女の耳には心地よかった。

 しかし、このまま眺めているだけというのも面白くはない。

 カインが、馬を止めた。馬上から火球を放つだけの行為に飽きたのかもしれない。それに、火球は強力すぎて、人家に被害が及びかねなかった。いまのところ、人家や建物に燃え移った様子はないが、炎の中でのたうち回る兵士が家屋を炎上させないとも限らない。ウルとしてはどうでもいいことだが、ガンディア軍に所属する武装召喚師としてはそういうわけにもいかないのだろう。レオンガンドへの忠誠心がそうさせるのかもしれないが。

 後方から喚声が聞こえてくる。怒涛のような軍靴の音もだ。振り向くまでもなく、ガンディア軍の兵士たちがカインに追いつこうと躍起になっているのだろう。無論、カインがわざわざ撃ち漏らした敵兵に群がるものたちもいるのかもしれない。手柄は手柄だ。敵を殺し、戦功を立てるのが彼らの使命なのだ。カインが程よく手を抜いているのは、殲滅しようとすれば市街地を炎上させてしまうからというのもあるだろうが、兵士たちの手柄を独り占めにしてしまうからというのもあるはずだ。

 彼には戦果など不要だ。彼の立場は、永久に変わらない。彼が死ぬか、ウルが死ぬまでは、レオンガンドの魂の奴隷で在り続けるのだ。

 ふと、カインがこちらを振り返ってきた。仮面の奥の目が、いつになく輝いているようにみえる。

「戦うか?」

「わたしが? どうやって?」

 問い返しながら、ウルは、周囲の状況を見た。前方、敵の群れがいる。盾兵の奥から矢が飛んでくるが、カインが竜の杖で容易く叩き落としていった。後方からは自軍部隊が続々と雪崩れ込んでくる。ここにくるまでにカインが適当に蹴散らした敵部隊は、彼らによって制圧されたと見るべきだろう。

「どうとでも戦えるだろう」

「どうかしら」

 ウルは、適当に返答すると、素早く馬から飛び降りた。軽く体を捻って筋肉を解す。ここのところ、まともに体を動かしたという記憶がなかった。運動不足が祟らなければいいのだが。防具と呼べるようなものは身につけていない。戦闘には不向きな漆黒のドレスだ。要人を演じるに当たって身につけたのがそれだ。武器もないが、問題もない。

 進行方向の敵兵が次第に迫ってきている。カインが立ち止まり、攻撃の素振りを見せないからだ。接近するならいまのうちだと判断したのだろうが、それも間違いだ。かといって、遠方から見守っていたところで、火球の餌食になるだけだ。どちらにせよ、彼らに逃げ場はなかったのだ。

 カインが馬を走らせる。ウルを置き去りにしていく。荷物を下ろしたかっただけなのではないかという推測が、必ずしも間違っていないだろうということに気づき、彼女は小さく笑った。前方で火柱が上がる。火球が炸裂したのだ。敵陣が崩れる。ウルも駈け出した。

 カインを乗せた馬が敵陣の中へと突き進んでいく。時折放たれる火球が直撃とともに火柱となって立ち上り、市街地を赤く染める。まるで馬が火を吐いているように思えなくもない。それでも市街地そのものが炎上することはない。それは、彼が優れた武装召喚師であることの証明なのかもしれない。

 ウルは、後続のガンディア兵に紛れるようにして敵軍と接触した。鎧も身につけていないのだ。身を守るには、人間を盾と利用するよりほかはなかった。といったところで、ガンディア兵の盾の出番はなかった。カインが暴れ回ってくれたおかげで、敵軍は混乱状態にあった。

 だからこそ、彼女は、敵陣の真っ只中に潜り込むことができたのだ。

「支配してあげるわ」

 ウルは、眼前のザルワーン兵の目を見て、告げた。

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