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武装召喚師――黒き矛の異世界無双――(改題)  作者: 雷星
第三部 異世界無双

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第二千二十六話 方舟


 方舟は、船というには巨大過ぎた。

 形状としては川舟に似ていなくもないが、その大きさは段違いであり、途方もないといえた。天を着くほど、とはいえないが、数階建ての建物くらいの大きさはある。少なくとも川に浮かべる船の大きさではなかったし、ルウファの記憶上、これほど巨大な船は見たことがなかった。

 川舟を想起させるのは方舟の船底から甲板に至るまでの構造であり、方舟の甲板から上を覆う半透明の流線型の天蓋は、川船と一線を画すものだった。また、船の側面にいくつもの穴があり、それも川船としては利用できなそうな感じがある。川に浮かべればそこから水が入り込み、沈没するのではないか。もっとも、それは杞憂に終わりかねない。なぜならばその穴は、方舟が空を飛ぶ際、浮力を生じさせていたのであろう光の翼の発生地点だからだ。穴のように見えるが、実際に穴が開いているわけではなく、くぼんでいるだけなのかもしれない。

 半透明の天蓋を含めた外観は、船、という感じを受けない。蓋付きの陶器や食器とでもいうべきか。しかし、下部だけを見れば確かに船であり、船を元にして作り上げられたものだということは想像がつく。そして、船を空に浮かばせるという発想自体、それほどめずらしいことではあるまい。

「外からだとあまりわかりませんなあ」

『当然でしょ』

 通信器からの痛烈な言葉に、ルウファは、顔をしかめた。ニュウ=ディーから預かった通信器は、リョハンの守護神マリクと離れながら会話ができる優れものであると同時に、常に監視の目を気にしなければならない悪夢のような代物だった。もっとも、通信器などなくとも、リョハンの結界内にいる限りは、常にマリクの監視下に置かれているといっても過言ではないのだが、普段は気にもしていなかったりする。

 現在、ルウファがいるのは、リョフ山麓の盆地だ。そこにケナンユースナルが眷属一同とともに持ち運んできた神軍の飛行船、通称・方舟が安置されている。結界外であるが、護峰侍団からの監視が届く位置であり、護峰侍団は方舟が皇魔や野生動物の棲家になることのないよう、常に目を光らせていた。せっかくケナンユースナルが命からがら手に入れてくれたものなのに、皇魔や動物たちに荒らされるわけにはいかないのだ。

「見たところ、外観には大きな損傷はなし……よくもまあ、神軍にとってこの上なく重要なはずのものをここまでの状態で手に入れることができたもんだ」

 ルウファは、方船の周囲を飛び回ることで状態を確認すると、ただひたすらに感心した。方船を手に入れたのは、先もいったようにリョハン軍の手柄ではない。リョハン軍に協力してくれた蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースが眷属筆頭ケナンユースナルが、第二次防衛戦の最中、神軍の神を撃退し、手中に収めたのだ。

 そしてリョフ山麓の盆地に安置し、それ以来、護峰侍団が監視していた。

『ケナンユースナルは、ラムレスの眷属筆頭。その力はラムレスには及ばずとも、ほかの眷属とは比較しようもないほどに強大だからね。神を相手に戦い抜くこともできるさ』

 手にした通信機から聞こえてくるマリクの説明は、これまで何度となく聞いたものではあった。蒼衣の狂王ラムレスがこの世界にとってどれほどの偉大な存在であるか、そして、彼がリョハンに助力してくれることの有り難さについても、耳にたこができるくらい説明されている。おかげでルウファは竜属社会について、多少の知識を得たといってもいい。誇れるほどのものではないにせよ、無駄な知識ではないだろう。

 たとえば、ケナンユースナルは天門衆と呼ばれる竜属集団の長であり、ラムレスの腹心の中でも特に重用されているという情報は、マリクから聞かなければ終生知らないままだっただろう。知らなくとも問題はないが、知っていれば有用だ。

 それほどの竜だからこそ、神とも対等に戦えたのだろうし、撃退し、方船を奪い取るという考えられないような戦果をあげられたのだ。

『とはいえ、大金星というほかない戦果ではあるし、ケナンユースナルと交戦した神がただ意味もなく敗れ去ったとは考えにくいけれど……』

「なにか思惑があって、方船を置いていったとかいうんじゃないでしょうね」

『その可能性を考えている』

「えー」

 ルウファは思わず眉根を寄せた。そして、無意識のうちに方船と距離を取った。シルフィードフェザーは彼の思いのままに羽ばたき、空を飛ぶ。つまり、彼が無意識にでも離れようと思えば、勝手に距離を取るように動くのだ。意識していればそれも制御可能だが、戦闘中でもなければ意識する必要もない。故に無意識に飛び回ってしまうこともある。

『なんだい、その嫌そうな声は』

「だって、だとしたら、方船の中になにか罠が仕掛けてあるかもしれないじゃないですか」

 ルウファは、流線型の白い船に禍々しい気配を感じずにはいられなかった。さっきまではなにも感じなかったのだから、その気配は思いこみにすぎないのだが、だからこそ、彼は凝視せざるを得ない。

『だから、君に頼んだんだけど?』

「はい?」

『神軍が、ケナンユースナルがリョハンに運び込むことを予想していたとすれば、方船内部になんらかの細工を施している可能性は極めて高い。そもそも、ヴァシュタラの一柱とはいえ、神属がそう簡単に敗北を認めるとは思えない』

 マリクの柔らかな声は、ルウファの精神状態を落ち着かせてはくれる。だからといって、方船への警戒心が下がることはないのだが。

『ケナンユースナルは、このイルス・ヴァレの太古の神の一柱であるラムレスの眷属……つまりは神の眷属といってもいい。神の眷属が神を撃退することそのものは、決してありえないことじゃあない。それそのものはなんら不思議でもないのさ』

「じゃ、じゃあ、安心していいってことじゃないですか」

『しかし、方船を放棄していったとなれば話は別だ。君がいったように、神軍にとって方船は重要なもののはず。そんなものを負けそうになったからと放棄するものだろうか』

「命に関わったのなら、まあ……」

『確かに滅びに瀕したというのなら、わからなくはないね。だからこそさ』

「へ?」

『神は、滅びない』

 マリクの厳然たる声音には、確信があった。


『ひとの祈りより示現した神は、ひとの祈りが絶えない限り、存在し続ける。つまり、信仰が完全に途絶えない限り、神を滅ぼすこともできなければ、滅び去ることなどありえないんだよ』

「ということは……どういうことなんです?」

『ケナンユースナルの勝利は仮初めのものにすぎないということであり、彼に敗れたという神がなにかしら企んでいたとして、なにひとつおかしいことではない、ということさ』

 彼は、平然とそんな風に告げてくる。

『だから、方船は監視させるだけに止めておいたんだ。護峰侍団の調査隊が内部で全滅しても困るしね』

「俺はどうなってもいいっていうんですか!」

『君は七大天侍だろう』

「う……」

 そういわれれば、返す言葉もない。

『信頼と受け取ってくれよ』

「わかりましたよう……にしても、なんで俺ひとり……」

『皆、手が空いていないんだ。アスラはセツナとミリュウたちの捜索にでかけたし、カートは戦宮、シヴィルは合同訓練に勤しんでいる頃合いだ。君の師匠は調査任務中だったな』

「ニュウさんは!?」

『マリク様のお世話で忙しいの、ごめんねー』

 通信器から聞こえてきたニュウ=ディーの声は、心の底から申し訳なさそうではあったが。

「マリク様にお世話なんて必要なんですかねー……」

『必要はないけれど、彼女には必要なんだよ』

「はい?」

『”大破壊”以来、だれもが無理をして生きている。君やエミル、グロリアのようにね。ニュウもそのひとりだ』

 そういわれれば、返す言葉もない。

 皆、無理をして生きている。生きるだけで精一杯だというのに、無理して元気であろうとし、無理をして、笑っている。冗談なんていえるわけもないのに軽口を飛ばし合って、心に穿たれた穴のような傷口が少しでも開かないよう、血反吐を吐くような想いで生きている。

 だれだって、そうだ。

 ルウファやエミルだけではない。自分たち夫婦のことを自分のことのように見守ってくれているグロリアもそうだし、七大天侍の皆も、そうだ。護峰侍団の隊長格、隊士たちも皆、心の奥底の絶望を笑顔で覆い隠すように生きている。

 しかし、それだけで生きていけるほど人間は強くはない。常に気丈に振る舞えるわけもなければ、心の痛みを無視し続けられるはずもない。必ずどこかで無理がでる。歪みが生まれ、破綻する。そうなれば、もうおしまいだ。取り繕えず、解れ、壊れていく。

 そうならないためにも、ときには息抜きが必要なのだ。

 ルウファにはエミルがいる。最愛の妻とのひとときは、彼にとって生きる力を与えてくれる重要なものだ。それと同じように、ニュウにはマリクが必要なのだろう。ニュウとマリクがかつて恋仲であったという話を聞いたことがある。だというのにマリクは、神としての本性を顕し、ニュウとの恋を終わらせた。

 ひとと神の恋が叶うことは、ないだろう。

 生き物としての次元が違う。在り様が違うのだ。尺度が。

 人間は、多くの場合、百年も生きられない。寿命か病か事件事故、戦争で死ぬこともある。この時代、天寿を全うできたとすればそれは至上の幸福と考えてもいい。特に”大破壊”以降はそういう考え方をするものが増えた。混沌の時代に生きなければならないことを嘆くものもいれば、生きているだけでも幸福と想うものもいる。人間の命とはそれほどまでに儚く、か弱い。

 しかし、神は違う。

 マリクが先ほど説明した通りならば、信仰が途絶えるまで生き続けるということであり、たとえばマリクならば、リョハンが存続し続ける限り滅びることがない、ということだ。リョハン市民のマリクへの信仰が、彼の生命力の源となっているならば、だが。

 ともかくも、マリクはこれから先も神として生き続ける。数多くの人間の死を看取りながら、悠久に近いときの流れの中で、存在し続けるのだろう。

 ニュウは、死ぬ。彼女は生粋の、紛れもない人間だからだ。同じときを生きることは、できない。

 それでもニュウはマリクのことを想っているのだろうし、彼の世話をすることで心の傷を癒しているに違いなかった。彼女がどう想って世話役を買ってでたのかは別として、だ。

 マリクがルウファだけに聞こえるように囁いたのは、そんな彼女の自尊心を傷つけたくないからだろうし、そういう気遣いをみると、やはりマリクは、彼女のことをいまも大切に考えていると想うのだ。もちろん、そのことは言葉には出さない。野暮なことだ。

 ルウファが野暮なことをする相手は、セツナくらいのものだった。セツナにならば、なにをいっても問題は起きないという安心感がある。

『というわけで、君の手を借りることになったのさ。期待しているよ、ルウファ』

「マリク様に期待していただけるのはうれしい限りですが、もし万が一方船内部の罠に引っかかって命を落とすようなことがあったら」

 ルウファは、方船上方から天蓋を見下ろしながら、内部への進入経路を頭の中で組み上げていた。甲板上部を覆う流線型の天蓋には、ケナンユースナルが作ったのであろう大穴が開いている。まるで怪物が大きな口を開けて獲物が入る込んでくるのを待っているかのような印象を受けるのは、ついさきほど、マリクによからぬことを告げられたからに違いない。

「そのときは、エミルのこと、頼みましたからね」

『……その頼みは、引き受けられない』

「はいぃっ!? そこは、任せたまえ、とかかっこよくいうところでしょ!?」

『エミルに格好つけるのは君の仕事だろう。君は死なない。死んではならない。エミルのためにもね』

「うう……そりゃあ、そうですけど……」

 ルウファは、上空をたゆたいながら肩を落とした。確かにマリクのいうとおりだ。最愛の妻であり、傷心のエミルの側にいるべきなのはルウファなのだ。彼でなくてはならない。彼女は、彼を信じて、ついてきてくれたのだ。彼に人生を捧げたといっても過言ではない。そんな彼女のためにも、彼は生き続けなければならないのだ。なんとしてでも、生き抜かなければならない。

『安心したまえ。通信器を通して君を加護している。余程のことでもない限り、君が命を落とすようなことはないよ』

「へ……」

 ルウファは、今度こそマリクに虚を突かれた。

「そ、そういうことはもっと早くいってくださいよー」

『それくらい、いわずともわかるものだとばかり』

『マリク様ったら、ルウファ君を買いかぶりすぎ』

『そうかな』

『そうですよ。ルウファ君ったら格好付けすぎて格好がつかないことで有名なんですから』

『つまり、抜けているということかい』

『そういうところが、エミルには可愛らしくみえるのだとか』

『へえ』

「聞こえてますよ、おふたりさん」

 ルウファは、通信器を通して聞こえてきたマリクとニュウの会話に肩を竦めた。

「まあしかし、そうとわかれば、もうなにも恐れることはないわけでしてね」

 リョハンを”大破壊”より守り抜き、以来二年以上に渡って平穏を維持し続けてきた偉大なる守護神の加護があるというのだ。そうなれば、なにものも恐れる必要はない。

「突入ーっ!」

 ルウファは、後先考えず、天蓋に穿たれた大穴から方船の内部へと進入していった。



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