第二千二十五話 ひとというもの(三)
「そういえば、ほかの七大天侍の方々がおられませんな」
ほかの、というのは、戦宮の警護統括をしているカート=タリスマ、セツナとともにミリュウ隊の捜索任務に出発したアスラ=ビューネル、そして消息不明のミリュウを除く四名のことだ。
七大天侍はその名の通り、総勢七名の武装召喚師からなる。いずれも武装召喚術の総本山ともいうべきリョハンの中でも最高峰の実力者揃いだ。中でも飛び抜けているのは、グロリア=オウレリアであり、彼女の実力は、かつての四大天侍筆頭であり七大天侍でも筆頭を務めるシヴィル=ソードウィンを凌駕するほどだ。シヴィルはそのことから筆頭の座をグロリアに譲ろうとしたが、グロリアが頑なに拒んだため、実現には至らなかった。
グロリアが筆頭就任を拒んだ最大の理由は、筆頭になれば仕事に忙殺され、ルウファとエミルの面倒を見てやれないからだが、もうひとつの理由としては、七大天侍という集団の指揮官というべき筆頭を実力だけで選ぶべきではない、というもっともらしいものがあった。グロリアは、ルウファという立派な武装召喚師を育て上げた実績こそあるものの、人格面、素行面においては問題がないとは言い切れず、清廉潔白であり人格者でもあるシヴィルのほうこそ筆頭に相応しいという彼女の考えに賛同するものこそいれ、否定するものはいなかった。シヴィルも、渋々、グロリアの意見に従い、それにより七大天侍の形は纏まった。
七大天侍は、四大天侍を元にする。
かつて、独立戦争当時、先代戦女神の手足として働き、多大な戦果をリョハンにもたらした四名の武装召喚師を賞賛し、戦女神の使徒にしてリョハンの守護天使――四大天侍と総称したことが始まりとなる。以来、戦女神の直属に四名の武装召喚師を置くことが決まりとなり、護峰侍団のみならず、リョハンに存在する全武装召喚師の中から特に秀でたものが選ばれた。四大天侍に選ばれることは、ただそれだけでとてつもない名誉であり、栄光に満ちた人生が約束された。そのため、四大天侍に選ばれるために修練を積むものは少なくなく、護峰侍団に所属しない実力者がリョハン各地に潜んでいるという。
四大天侍の任期というのは、長くても二十年足らずという暗黙の了解がある。四大天侍に選ばれた武装召喚師本人が引退するかどうかを決めるのだが、年齢からくる衰えというものはだれにでもあるものであり、リョハンの武装召喚師という自尊心の強いものたちには、実力を維持できなくなることほどの恥はなく、故に四大天侍に任命された武装召喚師の多くは、衰えが見え始めるとみずから役割を終えるのだ。そうして、四大天侍は世代交代をしてきた。
マリク=マジクが守護神となり、四大天侍が三人になっても人員が補充されなかったのは、当時、当代の戦女神であったファリア=バルディッシュが逝去したこと、人間宣言による戦女神を中心とする状況からの脱却を図っていたことも大きい。四大天侍という制度そのものを取りやめようとしていたのだ。しかし、最終戦争が起こり、“大破壊”が世界をばらばらに引き裂いたことで、そうもいっていられなくなった。
戦女神の力がなければ、リョハンを収められなくなったのだ。
そのため、ファリアが二代目戦女神に就任し、同時に四大天侍の人員補充を行うことになった。その際、ファリアの提案によって四大天侍の枠を拡大することとなり、四大天侍三名にルウファ、グロリア、ミリュウ、アスラの四名を加えた七人を七大天侍とすることが決まったのだ。
なぜ、四大天侍の枠を拡大したのかについては、ファリアなりの考えがあった。
最終戦争と“大破壊”によって混乱した世界においては、四大天侍だけでは状況に対応できないこともでてくるかもしれない、という危機感だ。戦女神の手足となって動いてくれる信の置けるものたちを複数人用意しておくことは、リョハンの統治者として当然の考えだった。実際、七大天侍がいてくれたことで、ファリアの精神的肉体的負担はかなり軽減されている。
「グロリアは周辺領域調査に赴き、シヴィルは護峰侍団との合同訓練に参加しています。ニュウはマリク様の元ですし、ルウファもマリク様にこき使われているようですよ」
「ニュウ殿はともかく、ルウファ殿が?」
「なんでも、方舟の内部調査をしたいのだとか」
「なるほど……それで」
アレクセイが、渋い顔をした。
蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースの眷属ケナンユースナルが勝ち取り、リョハンに戦利品として持ち運んできてくれた神軍の飛行船――通称、方舟は、いま現在もリョフ山麓に安置され、護峰侍団の監視下に置かれている。ケナンユースナルとの戦闘によって方舟の船体に損傷が刻まれているものの、大きな損傷ではないらしい。もし、方舟の起動方法、操縦方法がわかれば、利用できなくはない状態だということだ。
故にマリクは、方舟を調査し、起動方法や操縦方法を明らかにしようとしている。
『方舟を用いることができれば、セツナの役に立つだろうし』
というマリクの一言に、ファリアは全力で同意し、方舟の内部調査のために人員を割くことを許可した。確かに彼のいうとおりだ。方舟を自由自在に動かすことができるようになれば、セツナにとって多いな助けになるだろう。セツナは、人間だ。空を自由に飛び回れるわけでもなければ、無尽蔵の体力があるわけでもない。基本的に地上を徒歩か馬を利用して移動しなければならず、時間がかからざるをえない。アレウテラスからリョハンへの移動だって、本来ならば数ヶ月は要するものだ。それを彼は黒き矛と眷属の同時併用という荒業で強引に解決してみせたが、そんな自身に激しく負担のかかることを毎回できるはずもない。そんなことばかりしていれば、身が持たない。いつか体を壊すことになる。
方舟は、地上より遥か上空をかなりの速度で移動することができた。地上とは違い、上空には障害物などなにもないからだ。起伏の激しい地形もなければ、皇魔や神人に遭遇する可能性も低い。河川に道を遮られることも、大海原を渡る手段を探す必要もない。さらにいえば、方舟に乗っている間、身も心も休めることができるのだ。
セツナは、ミリュウを無事発見し、確保することができれば、すぐにでもリョハンを旅立つつもりだ。そのとき、方舟を彼に運用してもらうことができれば、彼の今後の負担を大いに減らすことができるだろうし、なにより、彼が目的を終えたあと、リョハンに戻ってくるのも容易になるだろう。そういう意味でも、ファリアは方舟の調査が進むことを期待せずにはいられなかった。
「方舟を自由に飛ばせることができれば、セツナ殿も喜ばれるでしょうな」
「え……ええ、そうですね」
「ファリア様」
「な、なんでしょう?」
ファリアは、アレクセイに改めて名を呼ばれ、緊張を覚えずにはいられなかった。まるでファリアの胸中が透けて見えているのではないか。アレクセイは、しかし、にこやかな表情で告げてくるのだ。
「セツナ殿のためならばセツナ殿のためと、仰られればよろしい。なにも隠す必要はありますまい」
「な、なにをいうのです。方舟の調査は、リョハンとしても必要不可欠なこと」
「しかし、調査し終えた方舟は、セツナ殿に差し上げるつもりなのでしょう」
「はい?」
どきりと、する。貸し出すつもりではあった。返却期限を決めずにだ。それは彼に差し上げるといっても過言ではないことだ。核心を突かれた。
「セツナ殿はどうやら、リョハンに留まっておられるようなお方ではない。おそらく、帝国との約を終えれば、また何処かへと向かわれるのでしょう。わたしには、セツナ殿が数多の声に導かれ、いざなわれているように見えてならない」
「お祖父様……」
「かつて、わたしはそのようなものをひとり、目の当たりにしたことがあります」
「お祖母様……先代戦女神様のことですね」
「ええ」
アレクセイは、ファリアの言葉を肯定すると、静かに語りだした。
「先代様は……ファリアは、本来戦いの嫌いなひとだった。武装召喚術を身につけたのも、アズマリア師と出逢ってしまったからに過ぎず、本音をいえば、自衛の技術さえ身につけたくはなかったのだ。闘争は、ひとの心を荒ませる。荒みきったひとの心ほどおぞましいものはない。そのことをファリアはよく知っていた。だから、戦いとは無縁の人生を歩みたがっていた」
ファリアは、驚きに満ちた想いで、祖父の語りを聞いていた。祖母ファリア=バルディッシュの本質について、アレクセイが語るのはこれが初めてだったからだ。ファリア=バルディッシュのひととなりについては、ファリアはアレクセイや母についでよく知っているものと自負していた。子供のころから戦女神としてのファリア=バルディッシュと祖母としての彼女を間近で見てきたのがファリアだ。戦女神としての考え方や祖母個人の考え方について、色々と聞いてきた。それらの言葉を教訓として生きてきたのだ。
だが、ファリア=バルディッシュが闘争を忌み嫌っていた、などという話は、ついぞ聞いたことがなかった。
戦女神。
闘争を司る女神としての役割が、そのような言葉を吐かせなかったのかもしれない。
「しかし、彼女は武装召喚術を身につけてしまった。類まれな才能を生まれ持ち、だれよりも秀でた実力を身につけてしまった。力を得た以上、その責任を果たさずにはいられないのが彼女だ。愚直だったのだ。そして、だれよりも純粋で、だれよりも気高かった」
アレクセイは、遠くを見ていた。遠く懐かしい日々を、見遣っているのかもしれない。
「独立戦争が起きると、数多の声に導かれ、彼女は戦場に立った。本当は戦いが大嫌いで、この世でなによりも憎んでいるはずのそれを率先して行った。それもこれも、見えない声にいざなわれたためだ。そして戦いが終われば、だれもが彼女を褒めそやした。戦女神だなんだと持ち上げ、祭り上げた。彼女は困惑しただろうし、リョハンのひとびとを哀れにさえ想ったかもしれない」
深々と、息を吐く。嘆きとも悲しみともつかぬ感情が入り混じっていた。
「だから、戦女神としてリョハンの中心になることを受け入れたのだろうな……いまになって想えば、そうとしか考えられん」
「……わたくしは」
ファリアは、祖父の目を見つめながら、告げた。
「そうは想いませんよ」
「ファリア様?」
「リョハンの民を哀れだなどとは、決して」
そして、祖母も決してそのようには考えてなどいないはずだ。
でなければ、何十年も戦女神という役割を続けられるわけがなかった。
憐れみだけで続けられるほど、軽い役割ではないのだ。