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第二千二十四話 ひとというもの(二)


 我に返ったファリアを待っていたのは、少しばかりの気まずさとなんともいえない気恥ずかしさであり、彼女は、しばしの間、一言も発せなかった。思考の空白から脱却するまでの数秒間、ただ硬直し、困り果てたような祖父の苦笑とも微笑ともいえない表情をみているしかなかったのだ。

 だから、というわけではないが、思考停止から復帰した直後、彼女は椅子から立ち上がり、その勢いのまま出入り口まで歩み寄り、アレクセイを睨んだ。

「護山会議の議長代理殿ともあろう方が使いも寄越さず戦宮を訪れるとは、めずらしいこともあったものですね」

「使いは、寄越したはずですが」

「え?」

「使いのものも、カート殿に取り次いでもらい、戦女神様に了解を得たと」

「うそ……」

「このたびは、嘘でもなんでもございませんぞ」

 そう、アレクセイが強調するようにいってきたのは、実践的警備訓練のことを指しているのだろうが。

 ファリアは、呆然とするとともに自分がいかに腑抜けになっているかを思い知った。当然のことだが、アレクセイが使いを寄越し、今週戦宮の警備を統括している七大天侍カート=タリスマに取り次いでもらったという話は、嘘などではあるまい。アレクセイはファリアの祖父であり、気安い関係ではあるが、一方で礼儀や規則にはだれよりも厳しい人物だった。そんな人物が、例外を除いて掟を無視するわけがない。

 戦宮は、市民にも開かれている。だれかれなく自由に出入りすることができたし、日常的に敷地内を子供たちが駆け回っている。しかし、それは戦宮の一部の話であり、警備も厳重に固められた最奥、戦神の間やファリアの執務室などに許可なく立ち入ることは禁じられている。護山会議の議長代理であってもそれは同じだ。むしろ法を順守し、法を管理し、法を執行する立場である護山会議員は、その点を一般市民よりも重視しなければならなかった。

 議長代理であるアレクセイがみずからの立場を省みず行動することなど、そうあるものではない。

 そういう意味では、先の警備訓練騒動は特筆するべきことであり、彼がどれほどファリアのために腐心していたのかがわかるというものだ。

 そういうことを理解できたのも、やはり、彼が時間を作ってくれたからだ。

 足を止め、呼吸を整え、周囲を見直す時間があったからこそ、ファリアは祖父の心よりの気遣いを思い知ることができたし、祖父以外の多くの手助けがあって自分がいるのだという当然の理屈を思い出したのだ。

 だからこそファリアは、そういった想いに応えるべく、日夜戦女神としての自分自身を鍛え上げずにはいられないのだが、しかし、そのために書類仕事に夢中になり、カートからの呼びかけすら耳に入っていなかったか、上の空で返答をしてしまったというのは、よくないことだ。アレクセイの訪問だったからいいものの、リョハンの行く末を決めるような重要事項であれば大問題だっただろう。

 もっとも、それほどの重要事項ならば、カートもファリアに何度も問いただしただろう。彼は寡黙だが、場合によっては雄弁になる。そもそも、カートが取り次ぐだけで決まるような重要事項があるはずもないが。

「……戦女神様は休養を終えて以来、いままでに増して仕事熱心になられたという評判は真実のようだ」

「あ……ははは、はあ……」

 ファリアは、皮肉とも気遣いとも取れる祖父の一言に愛想笑いでお茶を濁す以外にはなかった。


「英雄殿は、アスラ殿の隊とともにミリュウ隊の捜索に向かわれたとか」

 アレクセイがみずから注いだお茶を飲んだ。湯気がまだ肌寒さの残る室内を漂い、風に流れて消える。

 場所を応接室に移している。ここも一般市民の立ち入りを禁じられている区画にあり、話し合いをするにはうってつけだった。

 応接室には、ファリアとアレクセイのふたりしかいない。警備の護峰侍団隊士も、応接室のすぐ近くにはいなかった。会話内容を聞かないためだ。戦宮は、様々な意味での通気性をよくするため、扉がない。そのため、密議や密談には向かず、そういう場合には別の建物に移動して行う必要があった。アレクセイがあえて戦宮での話し合いにこだわったのは、聞かれても問題のない内容ということだ。

「ええ。セツナ殿直々に協力を申し出された以上、拒む理由もありませんから。それにミリュウは、セツナ殿にとってはかつての部下であり、大切な仲間ですからね。セツナ殿がみずから捜索に乗り出したいという気持ちもわかります」

「ファリア様も、でしょう」

 アレクセイは、穏やかに、しかし拒み難い迫力で告げてきた。長年護山会議においてご意見番として君臨してきた人物の本質を垣間見た気がする。

「ミリュウ殿は、ファリア様にとってはかつての同僚であられた。リョハンに戻ってこられてからのおふたりをみていると、まるで姉妹のような仲の良さだった」

「そうですね。実際、わたくしが自由に動けるのであれば、まっさきに飛び出し、捜索任務に参加したことでしょう。ですが、それはかないません。わたくしは、戦女神ですから」

 ファリアも、負けじと、断言した。二年以上に渡って戦女神を務めてきた事実は、彼女に自信を与えてくれる。

「わたくしの役目は、戦女神としてリョハンを治めること。リョハンを治め、安定させ、ミリュウたちがいつ帰ってきてもいいようにしておくこと。捜索は、七大天侍や護峰侍団の皆、セツナ殿たちに任せることにします」

 本当は、いますぐにでも捜索任務に参加し、一緒になってミリュウやエリナたちを探し回りたい。ミリュウたちの消息が不明のままでは、安心してなどいられないのだ。彼女たちのことを考えると心がざわついて仕方がない。それが本音だ。

 しかし、ファリアが本能の赴くままに行動しては、リョハンの秩序は乱れ、安穏たる日々はあっという間に瓦解するだろう。

 戦女神は、なんといおうとリョハンの中心であり、支柱なのだ。 

 ファリアは、戦女神といえど人間であり、ひとりではどうにもならないことを理解した。しかし、だからといって、戦女神がなくともリョハンが安定するとは、考えなかった。戦女神は一人では生きられない人間であり、多くのひとびとの助けがあってはじめて戦女神としての輝きを放つが、リョハンの秩序は、戦女神あってこそのものになってしまっている。

 戦女神という支柱にだれもが寄り添い、生きている。

 ほかのなにかではだめなのだ。

 たとえば、マリク。実在する神様であり、リョハンの守護神であるマリクを戦女神に代わる新たな支柱にするという話も、一時、持ち上がったという。しかし、マリク自身がその可能性を否定した。どこの馬の骨ともわからない神様では、数十年の長きに渡って積み上げられてきた戦女神信仰を塗り変えることはできないという。

 それはつまり、独立以来、護山会議が作り上げてきた戦女神を中心とする統治機構が完璧に近く機能し、リョハンのひとびとの骨の髄まで、魂の奥底までしみこんでいるということであり、いまさら戦女神に代わるなにかを支柱にするのは、至難の業だということだ。

 また数十年以上の年月をかければ話は別だというが、”大破壊”以来混沌としたこの世の中において、数十年単位で物事を考えるのは簡単なことではない。新たな支柱を定着させる数十年間でリョハンの秩序が瓦解し、平穏が失われれば意味がない。

 だからこそ、戦女神が必要なのであり、ファリアは、自分の存在の重要性に震える想いがするのだ。

 そして、その震える想いにこそ応えなければならないのだ、と、彼女は知っていたし、自分の期待に応えることこそ、リョハンのためになることも理解していた。

 以前のファリアならば、そういった想いを理解しようともしなかったかもしれない。理想の戦女神を追うあまり、周りが見えなくなり、本当に大切にするべきものをみようともしなかったのだから。

 いまは、違う。

 いまのファリアには、目の前で穏やかに茶をすする祖父も、戦宮を警護している護峰侍団隊士たちも、戦宮を訪れているひとびとも、それ以外のすべてのひとたちも等しく愛しいものとして思えたし、そんなひとびとのためにこそ理想を追い求めることができると言い切れた。

 ひとは、変われる。

 そのことは、ファリア自身が身を以て実証してきた。ファリアは、変わり続けてきた。何度となく変化してきたのだ。そして、そのたびに新たな自分を発見し、驚きを覚えるのだ。いまだってそうだ。

 自分はこうまでひとを愛し、こうまでひとを慈しめるものかと、驚きの中で理解していた。

「皆を信頼なされておいでなのですな」

「ええ、もちろん。アレクセイ殿のことも、ですよ」

 それは、ファリアの素直な気持ちであり、紛れもない本心だったのだが、それを聞いたアレクセイは、虚を突かれたような顔をした。

「……はは、これは……なんとも」

 アレクセイの瞳が揺れるのを見て、ファリアは、自分がなにかとんでもないことをしでかしたのではないかという気がしてならなかった。

「いいようがございませぬな」

 アレクセイが涙をこぼすところなど、久しく見た記憶がない。

 祖母ファリアが逝去した際には、涙が枯れ果てるくらいには泣きもしただろうが、ファリアがリョハンに戻ってからは、一度たりとも涙を見せなかった。泣く暇がなかったというのもあるだろう。老齢も老齢だというのに、アレクセイはリョハンの中心人物のひとりであり、彼には心休まるときがなかった。孫娘のファリアが戦女神になったことも、彼にそういった時間を与えなかった理由のひとつといえるだろう。彼は常にファリアのことを心配し、心労でいつか倒れるのではないかと噂されるほどだった。

 そんな祖父の想いを知りながらも、彼の心に負担をかけるようなことばかりをしてきたのがファリアだ。それが彼女の夢見る戦女神を目指すことだったのだから仕方がないといえば仕方がないことだ。が、もしアレクセイがファリアを心配するあまり倒れたりしたら、そのとき、ファリアは後悔してもしきれなかっただろう。

 アレクセイがいまもなお壮健でいてくれて、本当によかった、と彼女は思わずにはいられない。

 アレクセイがいてくれたから、ファリアは、ようやく自分を見つめ直し、新たな戦女神像に向かって邁進することができるのだ。

 



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