表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
202/3726

第二百一話 戦場市街

 エリウス=ログナーは、レノ=ギルバースとともにマルウェール市街を東に進んでいた。

 レノ=ギルバースは、かつてログナーの将軍として名を馳せたジオ=ギルバースの異母弟であり、ジオの敗死の前後辺りからめきめきと頭角を現してきていた。当時、王子に過ぎなかったエリウスですら耳にするほどの活躍であり、彼はログナーの将来に貢献するだろうと有望視されていたのだ。

 そんなおり、アスタル=ラナディースの反乱が起きた。それはザルワーン軍の介入を呼び、ガンディア軍の侵攻を招いた。結果、ログナーはガンディアに飲み込まれ、国としての歴史はそこで終わってしまった。レノは悔しかっただろう。ログナーの将として歴史に名を残す前に、ログナーそのものが潰えてしまったのだ。

 しかし、天は彼を見放さなかった。

 ガンディアは、ログナー軍人の扱いに困ったのだろう。ガンディアよりも余程精強で、兵の質ではザルワーンさえ上回るとされるログナーだ。軍そのものを取り込むには、どうするのが手っ取り早いのか。考えあぐねた末にガンディアが取った方策とは、アスタル=ラナディースへの一任だった。

 ログナー軍人には女神のように慕われる彼女を使えば、敗戦で荒んだ軍人たちの心を慰撫するのも難しくはないだろうという判断は、必ずしも間違ってはいなかった。実際、アスタルがガンディア軍の右眼将軍に就任したことは、ログナー全土に衝撃をもたらし、多くのログナー軍人にガンディア軍への参加を決意させた。もちろん、彼ら軍人が生きていくには、ほかに道はなかったのだが、アスタルが率先してガンディア軍に入ったことで、彼らがガンディア軍に入りやすくなったのは事実だろう。

 そんな中でも、レノは、アスタルの右眼将軍就任後、再編されたログナー方面軍第二軍団長に抜擢されており、ログナー時代には叶わなかった夢が現実になったことに狂喜乱舞していたらしい。

 レノは、一見すると気の優しそうな青年だった。名門ギルバース家の出身ということもあり、貴公子然とした風貌ではあるのだが、ジオほどのあくの強さはない。母親が違うことが大きいのかもしれない。

「エリウス様、あまり前に出られないほうがよろしいかと」

「そういうわけにはいかないよ」

 慣れたことではあるのだが、いまとなってはログナー人に気を使われるのは、居心地の悪いことだった。ログナー家はもはや王権を失い、ガンディア王家に仕える一貴族となったのだ。領土もなく、王都に与えられた屋敷だけが唯一の領地だ。父と母は、王家の役目から解放されたことを心の底から喜んでいるようで、悠々自適な生活も気に入っているようだった。ガンディアの社交界にも溶け込み始めており、父キリルに至っては、マイラムにいたころよりも血色が良くなり、体も痩せ、活力を取り戻しつつあった。母ミルヒナは、そんな父に惚れ直したのだとか。

 エリウスには、両親と同じように風雅の中に生きるという人生もあった。

 ログナーの家名に課せられた使命は、もはや奪われてしまった。

 王家の当主として、ログナーの人民の幸福と安寧を護るという役目は、ガンディア王家のものとなった。

 ガンディア王家の当主たるガンディア王レオンガンド・レイ=ガンディアは、エリウスの知る限り聡明な人物だ。ガンディア人もログナー人も別け隔てなく登用しているし、ログナー人から不満が上がれば即座に対処した。もちろん、ただ不平を拾い上げるだけではない。その不平不満が意味あるものなのか、厳正に審査し、対応していた。ログナーのひとびとからは、ザルワーンの属国時代よりも住みやすくなったという声が聞こえ始めており、このまま推移すれば、ログナー人がガンディアの国と一体化するのもそう遠くはないのではないか、と思えるほどだった。

 彼に、任せてしまえばいい。

 エリウスの耳元で囁く聲は、いつだってそういうのだ。レオンガンドに任せ、自分は貴族として生きていけばいい。ログナー人のことなど忘れて、風雅の中にこそ人生を見出そう。そうするほうが敗者として正しいのだと、頑なに囁き続けるのだ。エリウスがどれだけ頭を振り、抗おうと。

 誘惑は常に隣に在り、甘言を弄するのだ。

 それでも、エリウスはログナー家の当主として、ログナー人の立場の向上のために戦うつもりだった。いや、立場は最初から悪くはない。それは理解している。ガンディアは、ログナーを敗者として扱ってはいないのだ。ガンディア人もログナー人も、ほぼ同列に扱っている。

 アスタルが右眼将軍に選ばれ、ログナー方面軍の人事を一任されたのを見て分かる通り、ガンディアにとってログナーとは、もはやガンディアそのものなのだ。破格の待遇だろう。敗者は勝者に奪われ尽くしても文句はいえない。それが世の常だ。だが、ガンディアは、敗戦国に対してまばゆいばかりの温情を見せている。それこそ、ログナーが敗けたことで、エリウスもキリルもミルヒナも、王家に連なる人間として殺されていてもおかしくはなかったのだ。

 無論、ログナーの敗戦がアスタルの決断によるものであり、ログナー軍が壊滅したわけではないのもあるのだろうが。

 ともかく、エリウスは生かされた。

 この命をどう使うべきか――エリウスが、戦後、ずっと考え続けてきたことだ。どのように生きるのが最善なのか。偶然にも拾った命だ。無為にするのはあまりにも勿体無い。だれかの役に立てたい。そのだれかとは、やはり、ガンディアとの戦いで散っていった兵士たちであり、生き残ったひとびとであろう。王ではなくなったいまも慕ってくれる彼らのためにも、なにかできることはないのか。

 日々、考え続けた結果、エリウスが出した答え。

 それが、戦場に立つということだ。

「わたしは戦功を立てなくてはなりません。戦果を上げ、ログナー人ここにありというところを見せつけなければ」

「それこそ、我々の役目です!」

 レノは力強くいってきたが、エリウスは頭を振った。

「わたしは、いまやあなたがたの主君ではないのです。わたしの主君はレオンガンド陛下。あなたがたと同じく、レオンガンド王に仕える身分に過ぎません。互いに戦果を競い合うべきなのです」

「ですが……!」

「レノ=ギルバース殿。あなたの気遣いは嬉しく思います。しかし、戦場でそのような気遣いは無用に願います。わたしとてログナー人の端くれ。無駄にいきてきたつもりはありませんよ」

 エリウスは、レノに自信をもって告げた。腰に帯びた軍用刀は、使い慣れたものと同じ形式のものだ。戦い方は、幼い頃から叩きこまれている。ログナー王家の嗜みのひとつだ。成人を迎えるまでには戦場を経験し、兵士に紛れて戦闘を行うのも、ログナーの王族として生まれたものの務めだった。ログナーがザルワーンの属国になった後、エリウスは鍛錬を日課とすることで、ザルワーンへの複雑な想いを心の奥底に沈めてきたものだ。ときにはアスタル=ラナディースに教わることもあったが、彼女の腕は凄まじすぎて、彼には参考にもならなかった。

 戦える。

 自負とともに、彼は前方に視線を移した。エリウスがいるのは、マルウェールの東側に展開した部隊のほぼ最前線であり、盾兵の二部隊のすぐ後ろだった。軍団長のレノと隣り合うように馬を走らせており、突出しているのはどちらも同じだった。

 エリウスは、マルウェール突入前に武装を改めている。青を基調としたログナー方面軍の制服ではなく、鎧兜を纏い、腰には剣を帯びた。ログナー軍制式軍用刀。ガンディア軍に統合されてからは制式とは呼べなくなったものの、かといって使えないわけではない。破壊力よりも切れ味に定評のある刀だ。

 レノが大きく息を吐いたのがわかった。一瞥すると、兜の下になにもかもを諦めたかのような表情が覗く。

「わかりました。そこまでおっしゃられるのでしたら、戦功を競いましょう」

「ええ、どちらがより多く敵を倒せるのか」

「御武運を」

「あなたこそ」

 互いの無事を祈ったのと同じ頃、敵軍の先頭集団がエリウスの視界に飛び込んできた。



 火柱が上がった。

 カイン=ヴィーヴルの召喚武装が火を吹いたようだ。さっきの斧とは違う武器を召喚したのだろう。武装召喚師は呪文を唱えることで、いつでも武器を切り替えることができる。デイオンたちのように、わざわざ武器を取りに戻る必要はないのだ。

(便利な技能だ)

 とは思うものの、いまさら覚えられるはずもないことくらいは知っていた。ただ呪文を唱えればいい、というだけのものではないらしい。長い年月をかけて習得する以外に、武装召喚術を自分のものとして使う方法はないということだ。

 肉体も鍛える必要があるとはいうが、その点では問題はあるまい。デイオンは年老いたとはいえ、前線で戦えるだけの肉体を維持していた。

「カインに続け! 敵は怯んでいるぞ!」

 デイオンは、檄を飛ばしながら、炎が市街地に燃え移らないことを祈った。俄然、兵士たちが湧いた。前方に見える火柱に向かって、激走していく。ただ、通路は狭い。敵陣に殺到することは不可能に近かった。それでも、いくつかの通路に分かれて進むことで、混雑による停滞からは免れることができたが。

「押し合うなよ! 手柄は逃げん! 順番に進め!」

 デイオンの叫び声に兵士たちが喚声で応える。いち早く敵軍に突撃して戦功を上げたい兵士たちの気持ちは、デイオンにも痛いほどわかったが、かといって手柄の取り合いが足の引っ張り合いになってはたまったものではない。彼は、左眼将軍の権威が戦場の熱狂に打ち勝てるものかと半信半疑のまま、声を張り上げては兵士たちの流れを見ていた。

 カインに続いていった先頭集団は、既に戦闘に入っている。盾兵や槍兵たちが咆哮を発しながら敵軍ともつれ合っている様は、いかにも戦場といったところだ。その向こう側で、火柱がつぎつぎと立ち上っていく。しかし、人家や建物が燃えている様子はない。カインも気を使って戦っているようだ。

「敵の全部隊がこちらに回ってきたとしても、カインのおかげでなんとでもなりそうですね」

「こちらの被害が少なくなりそうなのはいい傾向だ」

 シギルに答えると、肉の焦げたような臭いが漂ってきて、彼は顔をしかめた。

 


 怒涛のように押し寄せてきた敵の大軍に、エイス=カザーンは笑った。笑いが止まらないとはこのことだ。圧倒的な物量。絶対的な戦力差。覆し得ない死の運命に立ち向かおうとしている。全身、震えが止まらなかった。体中が小刻みに震え、吐き気がした。恐怖ではない。武者震いだ。

 エイスは、最初から勝てるとは思っていない。

 敵軍がスルークを無視し、マルウェールに向かっているという情報が届いた時から感じていたことがある。ガンディア軍がスルークを黙殺したのは、万全な戦力でマルウェールの攻略に移りたいからだ。スルークの軍勢に背後を突かれる可能生も考慮していない、いや、スルークの軍勢がそう簡単に動かせないことを知っているからこそのマルウェールへの進軍なのだ。

 スルークは、ガロン砦に睨まれている。

 ガロン砦に立て篭もるグレイ=バルゼルグ麾下三千の軍勢が、スルークの第六龍鱗軍の行動を抑止していた。第六龍鱗軍が、スルークの脇をすり抜け、マルウェールに向かうガンディア軍に攻撃しなかったという事実が、それを裏付けている。迂闊に動けば、グレイ軍に打ちのめされかねない。だからこそ、スルークは不動であり、ガンディア軍は万全の状態でマルウェールに到達できたのだ。

 三千対千。

 とても勝てるとは思えない戦力差だ。

 籠城すれば持ち堪えられたかもしれないという幻想は、敵武装召喚師の存在によって打ち砕かれた。地中から土砂を隆起させ、防壁を構築するような能力だ。城壁を突破するくらい楽なものだろう。

 つまり、ガンディア軍を市街に引き入れる前にハーレンを殺していても、同じことだったのだ。いや、むしろ、あの場で殺していれば、武装召喚師(カイル=ヒドラ)によってエイスたちは一網打尽にされていた可能生も高い。

 このように晴々しい戦いの場を作ることもできなかったのかもしれない。

 エイス部隊と敵軍は、マルウェールの南東区画で衝突した。マルウェールを分断する十字路によって仕切られた四つの区画。その南東の区画には敵軍が充満しており、通路には盾兵が立ち並び、低い建物の屋上には弓兵が展開していた。

 まるで地の利を逆手に取られたような格好だったが、構う必要はない。

「手筈通り、いくぞ」

 エイスは左右に命じると、みずからは兵士たちの影に隠れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ