第二千十五話 少女人形(四)
「で、俺になにを命じろって?」
セツナは、場の空気も柔らかくなったところで、話を戻した。
「そうねえ……とりあえず、庭に出てもらえるよう、命令してもらえるかしら。いつまでも玄関を占領されていても困るし……放っておいたら中まで上がってきそうよ」
「そうですね。まずはそれで。聞かなければ聞かないでいいですし、聞いてくれるのなら、それはそれで」
「ふむ……わかった」
セツナは、ひとしきり考え込むと、咳払いをした。そして、魔晶人形たちが自分を注目していることを確認してから、右手を掲げ、指先で玄関の先を指し示した。晴れやかな青空の下、荒れ果てた庭が朝日を浴びて輝いている。
「魔晶人形諸君、この玄関から庭に出たまえ」
すると、魔晶人形たちは、セツナの右手人差し指に視線を集中させた。淡く輝く魔晶石の瞳。人間の眼球とは大きく異なるそれは、冷ややかな魔晶石の光を発している。魔晶人形の視覚については、詳しくはしらない。しかし、ウルクを見た限りでは、魔晶石の目が人間の目と同じ働きをしているらしいことがわかっている。ウルクはなにかを確認するとき、まずその目を向けるからだ。ウルクと同じ内部構造をしているのであれば、その淡く発光する目で物を見ているはずだ。
「なに格好つけてるのかしら」
「命令するっていえば、隊長の中ではあんな感じなんでしょうね。子供っぽいというかなんといいますか」
「ほんと、子供よね」
「おい、聞こえてるぞ、おまえら」
「あら、地獄耳」
「さすが隊長」
「なにがだよ。この至近距離で聞き逃すわけがないだろ」
セツナは憮然と言い放つと、少女人形たちが顔を見合わせる様子を目の当たりにした。仕草のひとつひとつがウルクを思い起こさせるのは、彼女たちの外見があまりにもウルクに似ているからだろう。ウルクは、絶世の美女といっても過言ではない造形をしているが、彼女たち少女人形は、その年齢を一回りほど低下させたような印象を受ける造形だった。つまり、絶世の美少女といっていいのだ。ただ、金属の装甲に覆われた人形であり、血の気はなく、肌も硬質感があるためか、美しい人間の少女を見るのと同じ感覚に襲われることはない。人形は人形に過ぎない。
だが、例外はある。
ウルクも同じ魔晶人形であるはずなのだが、彼女には自我があり、確かな感情があることも影響しているのか、生の生き物としての気配を感じることがあった。
ウルクは例外なのだ。
奇跡の産物とミドガルドがいうだけのことはある。
奇跡が起きなかったのであろう三体の魔晶人形たちは、しかし、セツナの命令通り、そそくさと踵を返し、玄関から出ていった。
「お」
「あら」
「本当に、聞くのかよ」
セツナは、ルウファ、ファリアの反応を尻目に、憮然とするほかなかった。見ていると、魔晶人形たちはセツナの指が指し示した場所まで歩いている最中であり、辿り着くと、すぐさまセツナを振り返り、こちらに視線を送ってきた。つぎの命令を待っている、とでもいいたげな反応だった。
セツナたちは玄関から庭に出ると、三体の魔晶人形たちを観察した。彼女たちは、相変わらずの無表情、無反応だが、その目だけはしっかりとセツナのことを見つめている。ファリアが腕組みをしながら、納得したようにいってくる。
「なるほどねえ……この子達、ずっと君の到来を待っていたのよ」
「ああ、そうか。隊長を探していたんだ。だから、リョハンくんだりまでやってきて、途中で力尽きた、と」
「きっとそうよ」
ファリアとルウファは勝手に納得したが、セツナは、どうにもわからないことだらけだった。彼女たち魔晶人形がミドガルド製の魔晶人形だと断定したのは、ウルクとよく似た外見からであって、確定情報ではない。黒魔晶石が心核となっているということも、確かめたわけではないのだ。セツナが原因で再起動したわけではないかもしれない。ただの偶然かもしれないのだ。しかし、魔晶人形たちがセツナの命令を聞き、庭に出たのは事実だ。そして、つぎの命令を待っているように見えなくもないのもまた、事実なのだ。それを理解した上で、セツナは頭を振る。
「いや、待ってくれ」
「なによ?」
「なんです?」
「おかしいだろ、これは」
「なにがよ」
「なにがですか」
「なんで、俺の命令を聞くんだ?」
「さっきもいったでしょ。君を探していたからよ。それ以外考えられないわ」
「そうですよ、きっと」
「いやいや。いやいやいや」
セツナは、ファリアたちの結論を全力で否定した。
「いやいやいやいや」
「なによ、もう」
「そうですよ。命令を受け付けてくれるなら、これほど頼もしいことはないじゃないですか。リョハンの防衛戦力が増えるんですよ? また攻めてくるかもしれない神軍のことを考えれば、戦力は少しでも多いほうがいいんですし、それが魔晶人形となれば万々歳ですよ」
「そりゃあ……そうかもしれないけどな」
ルウファの言い分は、わからないではない。それ自体は否定するものではないため、セツナも言葉を濁さざるをえない。確かに、神軍が三度攻め寄せてくる可能性は低くはないし、そのために少しでも戦力を増強したいという気持ちも、理解できる。魔晶人形を戦力に組み込むことができれば、どれだけ頼もしいかわからないセツナではないのだ。ウルクの性能を間近で見てきたセツナたちだからこそ、魔晶人形を味方にできる頼もしさを理解できる。
しかし、ファリアはどうも乗り気ではなかった。リョハン防衛をもっとも重大事と考えているはずの戦女神がだ。
「そうね」
「なんです?」
「セツナの命令を聞くってだけで、リョハンの戦力に組み込むのは早計よ」
「あ」
ルウファが失念していたとでもいうように目を見開くと、ファリアがこちらを一瞥してきた。どこかすっきりとしたまなざしだった。その涼やかさが眩しいほどだ。
「セツナ、リョハンに残るつもりはないんでしょ?」
「んー……」
「そうなんですか?」
「約束が、あるんだよ」
「約束……」
「俺とレムをこっちまで運んでくれたのがザイオン帝国のひとたちだってことは教えたろ。彼らに協力する約束をしているんだ」
「なるほど……」
ルウファはそういったものの、なんとか絞り出したといった声音だった。彼としては、セツナが当分はリョハンに残ってくれるものだと想っていたに違いない。落胆が表情、言動に出ている。彼ほどわかりやすい人間もいなかった。
「まあ、それ以前に俺はまだ納得できていないんだけどな」
「そんなこといっていないで、さっさと納得しなさいよ」
「そうですよ。彼女たちは隊長の命令を待ってるみたいですよ」
「むう……」
「そうよ。君が納得できまいと、あの子達は君の命令通りに動き、つぎの命令を待っているのよ。それが現実。それがすべて。わかったなら、受け入れなさい」
「なんで、かねえ」
セツナは、魔晶人形たちに視線を戻した。
精巧に作られた少女人形たち。その一挙手一投足はウルクのそれにそっくりであり、顔立ちも彼女の少女時代を想起させるものだ。さっきはミドガルド製かどうか確定したわけではないなどと考えたものの、ミドガルド以外にウルクの外見に拘る魔晶技術者がいるとは考えにくかった。ウルクを愛娘の如く溺愛するミドガルドならば、手製の量産型魔晶人形をウルクに似せたとしても、なんらおかしくはないのだ。
「なんで、俺のいうことを聞くんだか」
「まあ、それを知りたければ、ミドガルドさんを探し出して、聞き出すしかないんじゃないですかね」
「そうね。ミドガルドさんが生きているのなら、だけれど」
「生きてますよ、きっと。だから、この子達がいるんですし」
「そう……だな」
ルウファのいうとおりだ。
ミドガルドは生きている。生きているからこそ、ウルクによく似た魔晶人形たちが生み出され、リョハンくんだりまで派遣されたのだ。人形たちを派遣した直後に命を落としたという可能性もないではないが、そんな可能性まで考慮する必要はあるまい。
目的が、またひとつ、増えた。
「帝国のことが片付いたら、探してみるか」
「ウルクも探さなきゃ、だし」
「ああ」
セツナは、ファリアの一言に力強くうなずいた。ウルクを探し出すのは、この長い旅の目的のひとつでもある。ウルクだけではない。離れ離れになったかつての仲間たちを探し出し、見つけ出す。たとえその命が失われていようと、必ず。そう決めて、彼は現世に舞い戻ったのだ。
「で、あの子たち、どうします?」
「俺のたびに連れて行くつもりはないよ」
「ええ!?」
「リョハンの防衛でも命じておくさ。たっぷり特定波光を蓄えさせてな」
「それは、ありがたいわね」
「ええ、本当に……!」
ファリアとルウファの嬉しそうな反応にセツナは心底安堵した。それから、魔晶人形たちに視線を戻し、肩を竦める。魔晶人形たちは、相変わらずなにもわかっていないような無垢な表情で、セツナの顔だけを見ていた。まるで昔のウルクそのものだと思わずにはいられない。ただ、ウルクと大きく違うところは、彼女たちには感情も自我もなさそうだということだ。