第二千十四話 少女人形(三)
ルウファが廃墟同然の、立入禁止の屋敷に立ち寄ったのは、もちろん、量産型魔晶人形たちを捜索し、確保するためだった。魔晶人形たちは、リョハンの軍用品保管庫に厳重に保管されていたというのだが、今朝、つい先程、保管庫の壁に大穴が開いていることを紹介任務中だった護峰侍団の一部隊が発見、内部を調査したところ、荒らされている様子はなかったものの、三体の魔晶人形だけが姿を消していた。情報を集めたところ、見知らぬ少女たちが空中都を駆け抜けていったという目撃情報があり、魔晶人形が勝手に動き出したのだと断定、護峰侍団から七大天侍の元へ魔晶人形確保のための協力要請があり、ルウファが飛ぶことになった、ということのようだ。
なぜ七大天侍が動員される運びになったかといえば、魔晶人形が強力無比な戦闘兵器であり、並の武装召喚師では太刀打ちできないという情報が、ファリアやルウファら、ウルクをよく知るものたちによってもたらされ、徹底されていたからだ。だからこそ、魔晶人形たちは厳重に保管されていたのだが、その厳重すぎるほどの保管さえも打ち破る力がこのどうにもあどけない少女にしか見えない人形たいにはあるのだ。
「なるほど。突然動き出したのは、隊長のせいだったんですね」
「確定したわけじゃないが……動力源がウルクと同じなら、そう考えられるってことだ」
「ふむふむ。つまり、諸費用は隊長に請求すればいいわけだ」
「はあ?」
「魔晶人形たちの管理費、および保管庫の修繕費、そして護峰侍団および七大天侍を動員することとなった捜索費用――それらすべてひっくるめて、ですね……」
「なんでそうなる」
セツナは、なにやら計算を始めたルウファの様子に、ただ憮然とするほかなかった。しかし、ルウファはそんなセツナの反応にもくじけない。むしろ、水を得た魚のように突っかかってくるのだ。
「え、だって、この子たち、隊長の下僕なんでしょ?」
「んなわけねえだろ」
「なんでそういう結論になるのかしら」
「だってー、ウルクとよく似てるじゃないですか」
「いや、そりゃ似てるけど」
「似てるだけじゃない」
ファリアも、ルウファの考えが理解できないといった風な顔をした。もっとも、ルウファは、ファリアの反応など気にする様子もなく続けるのだが。
「似てるってことはつまり、彼女たちはウルクの妹分かなにかで、隊長至上主義に決まってますって。だからこうして隊長目掛けて走り抜けてきたんでしょうし」
「いやいや、そんな馬鹿な」
「そうよ、ちょっと短絡的すぎるわ」
「でもでも、そんな馬鹿なって出来事ばかりですし……案外」
きらり、と、ルウファの目が輝いたかと想うと、彼はとんでもないことを提案してくる。
「隊長、ここはひとつ、なにか命令してみてくださいよ」
「は?」
「隊長の命令を聞いて動くようであれば、隊長が責任を持って面倒を見るってことで」
「どうしてそうなるんだ。リョハンの管理物だろ。そんなことを勝手に決めていいのかよ」
「いいわ。わたしが責任を持つもの」
「はあ」
セツナは、思わぬファリアの発言に声が裏返るのを認めた。確かにルウファの一存では決められないようなことであっても、戦女神が決断したとあれば話は別だ。リョハンにおける戦女神の絶対性については、もはや疑うまでもない。ルウファがファリアを讃える。
「さっすが戦女神様、話が早い」
「この子たちがなにものなのか、まだ判然としていないし、利用していいものか判断もつかないところだけれど、でも、もし利用できるのなら利用しないに越したことはないでしょ。あの大保管庫の壁に穴を開けたのよね?」
「はい。現場を見てきましたけど、結構大きな穴でしたよ。まあ、修復は護峰侍団の皆さんがすぐにやってくれましたから問題はありませんが」
「そんなに凄いのか、その大保管庫っての」
セツナは、大保管庫をその目で見たことはなかった。リョハンを隅から隅まで散策したわけではなかったし、軍用品の保管庫など、おいそれと近づけるものでもあるまい。ファリアとルウファの話しぶりから大保管庫なる建物の想像が膨らむばかりだった。
「まあ、ね。大保管庫は、魔人との戦いの後、並の召喚武装の攻撃にも耐えられるように作り直されたの。再び魔人の襲撃があっても、今度は破壊されないように、ってね。魔人の攻撃にも耐えうるほどの代物よ。並大抵の召喚武装ではびくともしないわ」
(魔人……アズマリアか)
いまから十数年前、アズマリア=アルテマックスはリョハンを襲撃、死傷者を多数出すほどの闘争を引き起こしている。ファリアの父が殺され、母が、アズマリアの依代と成り果てたのもそのときだ。故にリョハンは魔人討伐に躍起になっていたのであり、ファリアもまた、アズマリアを激しく憎悪していた。
不意にファリアがくくと笑った。なにがおかしいのかと想っていると、彼女は予想外のことをいってくる。
「子供の時分は、召喚武装の制御訓練の的に使っていたものよ。魔人襲来前でも堅牢だったもの。大保管庫の壁に穴を開けるほどの召喚武装を操れるようになれれば、一人前だ――なんて、父も母もお祖母様もいっていたわね」
「先代様も、ですか?」
ルウファは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに思い出して納得したようだった。先代様とはつまり、ファリアの祖母のことだ。セツナもルウファも、クルセルク戦争の折に少しばかり言葉をかわした程度の間柄でしかないが、とても愉快な性格の持ち主であることはセツナたちの共通認識としてあったのだ。ファリア=バルディッシュならば、それくらいのことをしてもおかしくはない、とルウファも考えたに違いなかった。セツナも、だ。どうやら、ファリア=バルディッシュという人物は、ファリアの目指す偉大なる戦女神像から少しばかり外れていると見てもいいようなのだ。しかし、ファリアは、その祖母を元にした戦女神像こそ目標であり、そこから一切ぶれてはならないという考えが頑なにあるから、護山会議や護峰侍団と丁々発止のやり取りをせざるを得ないのだろう。柔軟に、とはいかないのだ。
そういう真っ正直に生きるゆえの生き難さについては、セツナ自身、実感として覚えることではある。もう少し頭を柔らかくできれば、とは想うのだが、そういうわけにはいかないのが人間という生き物だ。だれしも思い通りに生きられない。
だからこそ、足掻くのだが。
「だから、お祖父様は頭を抱えられてね。大事な軍用品の収められた大保管庫を練習台に使うなどなにごとか、っていつもとんでもない剣幕だったわ。それを見てお祖母様は大笑いするものだから、わたしたちはどうすればわからなくて」
「結局、どうしたんだ?」
「武装召喚師としても指導者もお祖母様に従うのが道理でしょ? だから、お祖父様には悪いけれど、保管庫の壁に穴が開くまで練習していたわ」
「そりゃあ……アレクセイさんに同情するよ」
セツナは、アレクセイについては同情的に成らざるを得なかった。護山会議の議長代理を務め、護山会議、護峰侍団と戦女神との間で板挟みになりながらも、孫娘を想い、ファリアのためにできることを常に模索しているのがアレクセイ=バルディッシュなのだ。彼が昔から苦労していたことは、その顔に刻まれたシワの数からも想像がついたものだが、まさか最愛の妻であろうファリア=バルディッシュがその苦労の原因になっていたとは、想像もつかなかった――といえば、嘘になるかもしれない。戦女神の夫なのだ。戦女神が原因で苦労しないはずがなかった。
「でも、ちゃんと後で謝ったわよ。そうすると、お祖父様は戦女神の指示に従ったのだから、謝る必要はないの一点張りで、取り付く島もなかったんだけれど」
「そんな愉快なことが……」
「愉快って」
「確かに愉快だったわね。それがいつまでも続くものだと信じて疑わなかったし、そんな愉快な日々が世界のすべてだと想っていたのよ。子供だったもの。現実がこんなにも厳しいものだとは、想像すらできなかった」
ファリアが、昔のことを懐かしむのではなく、過ぎ去りし日々の輝かしさに目を細めたのを見て、セツナは、彼女の苦悩を想った。彼女の人生は、苦難の連続だった。愉快で幸福な日々は、十数年前の魔人襲来によって打ち砕かれた。それ以来、彼女は復讐鬼となった。己の手で両親の仇を打つべく技と術を磨き、体を鍛え上げた。そうして魔人討伐の任に着き、やがてセツナと邂逅した。それも数年前のことだ。それからの日々でさえ、愉快で幸福なものと考えられなくもない。
“大破壊”が新たな日々さえも奪い去った。
状況は変わった。
なにもかも、変わり果てた。
現実はあまりにも残酷に、苛烈に、容赦なくすべてを奪い去り、変えた。
「……だれだってそうだろう」
「うん」
ファリアが小さくうなずくと、沈黙が場を満たした。セツナは気まずさを感じないわけではなかったが、かといって、ここでファリアに同情を示したところでなにが解決するわけでもない。むしろ、ファリアに突き放されるのがおちだ。彼女は、同情を求めてそのような発言をしたわけではないだろう。
そして、こういったとき一番割りを食うのがだれなのか、セツナが知らないはずもなかった。ルウファだ。
「ま、まあ、現実の厳しさについてはまたじっくりと話し合うとしまして」
場の空気を和ませようとしたのだろうルウファの台詞に、セツナは鋭い言葉を突きつけた。
「話すのかよ」
「もういいでしょ」
「な……」
不意にルウファが絶句したことにセツナはファリアとともに小首をかしげた。
「どうしたんだ?」
「そうよ、どうしたの?」
「こういうときだけ息が合うんだから、まったく……」
納得し難いとでもいいたげなルウファの表情に、セツナはファリアとともに冷ややかな言葉を浴びせる。
「なにかいったか?」
「減給希望かしら」
「い、いえ、なんでもありません! ありませんってば!」
ルウファが必死になって訂正するのを聞きながら、セツナは、ファリアとともに笑みを浮かべた。もう二度と取り戻せなくなった日常風景が、そこにあるような気がしたからだ。