第二千十二話 少女人形
悲鳴は、玄関方面から聞こえてきた。
セツナは寝間着のまま寝室から飛び出す際、口早に武装召喚術を唱え、メイルオブドーターを呼び出していた。黒き矛でも良かったが、いち早く移動するだけなればメイルオブドーターがいいと判断したのだ。黒き蝶の翅で大気を叩き、速度を生み出し、屋敷内通路を一気に駆け抜ける。
辿り着いた当初は埃だらけだった廊下は、数日の間に別物のような輝きを帯びているのだが、それもこれもファリアが気晴らしに掃除を行うからであり、セツナがそれに付き合わされたからだ。
ファリアとしてみれば、事態が収束するまではこの荒れ果てた屋敷に籠もっていなければならず、戦女神の職務を全うすることもできなければ、外に出ることなど以ての外である以上、屋内で体を動かして気を紛らわせるしかなかったのだろう。そのひとつが屋敷内の掃除であり、セツナはファリアとともに全室、全箇所の掃除に付き合わされていた。そのおかげもあり、屋敷内は見違えるほど綺麗で清潔になっている。
そんな清潔な廊下を駆け抜け、玄関に辿り着くと、扉を開け、驚きのあまり茫然と立ち尽くすファリアの背中が見えた。当然、彼女は寝間着ではない。分厚い防寒着を着込んでいる。青みがかった長い髪が外から入り込む冷風に揺れていた。その様に妙な色気を感じるのは、気のせいではあるまいが、いまはそこに気を取られている場合ではない。
「無事か?」
「わたしは無事。まったくもってね」
ファリアは、こちらを振り返ると、本当になんということもなさそうな顔をした。そのあまりの素っ気ない反応に困惑さえするほどだった。
「じゃあ、いまの悲鳴は?」
「うん、ただ驚いただけよ」
「驚いた?」
セツナは、ファリアの言葉を反芻するようにつぶやきながら、彼女が視線を動かした先を覗き込んだ。そして、セツナはただただ驚愕した。
「は?」
「ね?」
「なにが、ね? なんだよ」
セツナは、ファリアのこれみよがしな反応に不服を覚えながらも、玄関先にいるものたちを改めて注視した。
「これはなんなんだよ……いったい」
一見すると可憐な少女たちだった。三人の少女。しかし、よく見ればただの少女ではないことは明らかだった。灰色の頭髪はともかく、血の気のない肌には硬質な光沢があり、生き物の皮膚ではないことがわかる。双眸からは緑色の光が漏れており、人間にあるまじき様子を見せている。呼吸をしている様子もなければ、表情の変化も見受けられない。しかし、その顔にはどこか見覚えがある。いや、その姿形そのものに見覚えがあるといったほうがいいだろう。
セツナの脳裏に浮かび、少女のような人形たちの姿と重なったのは、彼の下僕参号を自認していた魔晶人形ウルクだ。無機的な表情を浮かべる顔つきが、ウルクの年齢を引き下げたような印象を受けた。最終戦争で戦った量産型の魔晶人形とはまるで違う。量産型魔晶人形は、ウルクとは大きく異なる姿形をしていて、だからこそセツナも思い切り叩きのめすことができたのだが、目の前の少女人形たちが相手となれば、多少なりとも手間取ったかもしれない。ウルクと同じ姿の魔晶人形を傷つけるのは少しばかり心苦しい。まったくの別物だとわかっていても、だ。
「わたしも、よくわからないのよ」
「ウルク……じゃあないな」
「それくらいは見ればわかるわ。でも、ウルクに似てるでしょ」
「ああ。間違いなく魔晶人形だな」
「でしょ。だと想って、保管していたんだけれど」
「保管?」
「そう、保管」
ファリアは、物言わぬ魔晶人形たちを見下ろしながら、説明を始めた。
「半年くらい前にね、周辺領域の調査をしていたカートの部隊が、倒れているこの子たちを見つけてね。わたしたちの話から魔晶人形についての知識を得ていた彼がリョハンまで運んできたってわけよ」
「それで、どうしてたんだ? 先の戦いには投入していなかったよな」
「当たり前でしょ。うんともすんともいわなかったんだもの」
「そうなのか」
「そうよ。なにをしてもまったく反応がなくてね。八方手を尽くして調べてみたんだけど、埒が明かないから、保管しておくことになったのよ。戦力として利用できれば、これほど頼もしい子たちもいないんだけれどね」
「確かにな……」
ウルクに比べると一回りも二回りも小さいが、この少女人形たちが魔晶人形ならば、人間とは比べ物にならない戦闘能力を有していると考えてしかるべきだろう。並大抵の武器では傷ひとつつけることのできない強固な装甲に覆われ、波光砲というとてつもない威力を秘めた攻撃手段を内蔵しているのだ。いや、波光砲を用いるまでもない。ただの殴打ですらとんでもない破壊力を見せるのが魔晶人形であり、それが何千何万と隊列を組んで現れたときの絶望感たるや、凄まじいものがあったものだ。そんな地獄のような闘争を乗り越えていまがあるとはいえ、もう一度、魔晶人形の群れと戦いたいかというと、そんなことは思いもしなかった。
あのときより数段強くなっているとはいえ、強大な力を秘めた人形たちと戦い続けるのは御免被りたかった。
「しっかし、なんでまた急に動き出したんだ?」
「それがわかれば苦労はしないわよ。それに、どうしてここに……」
セツナとファリアが疑問に頭を悩ませていると、そのときまで沈黙し、微動だにしなかった魔晶人形たちが突如として動き出した。玄関へ足を踏み入れてくると、ファリアの脇をすり抜け、セツナの目の前へと至る。三体が三体とも、同じようにしてセツナの目の前で足を止めた。そして、じっとセツナの顔を見上げてくるものだから、彼は困惑した。
「な……」
「なるほど、そういうことね」
ファリアがなにやら納得したような顔をして見せてくる。
「なんだよ?」
「君なのよ」
「俺?」
「そう、君」
ファリアは、セツナの目の前で動きを止め、セツナのことをじっと見つめるだけの魔晶人形たちを見下ろしながら、古い記憶を掘り起こすような慎重さで言葉を続けた。
「ミドガルドさんの話によれば、ウルクの心核、つまり動力源に用いられた黒魔晶石は、君が発する特定波光にのみ反応するってことよね?」
「ああ……なるほど」
「この子達も、そうなんじゃないかしら」
「黒魔晶石を心核に用いている……か、可能性はあるな」
黒色魔晶石、あるいは黒魔晶石とミドガルドたち魔晶技術者たちが呼称している漆黒の魔晶石の特性については、ミドガルドから直々に教わっている。それによれば、黒魔晶石はほかの魔晶石とは異なり、特定の波光にのみ反応し、発光現象を起こすということであり、その特定の波光の持ち主こそ、セツナだけだという話だった。また、黒魔晶石には魔晶人形の動力源にたりうるだけの力が蓄えられていて、ほかの魔晶石では代用が効かないという話も聞いている。だからウルクの心核に黒魔晶石が用いられたという話であり、ウルクの起動後、特定波光の発生源を目指す中で、セツナこそ特定波光の持ち主であることを確信していったということだ。
このウルクによく似た少女人形たちの心核に用いられたものが黒魔晶石であれば、つい最近までうんともすんともいわなかったということも、今日になって突如動き出し、この人っ子一人寄り付かない屋敷に現れたことも、ある程度説明がつく。黒魔晶石は、セツナの発する特定波光に反応し、魔晶人形の活動に必要なだけの波光を発するのだ。セツナは、先のリョハンを巡る戦いで莫大な量の力を放散している。その力こそが波光となって少女人形たちの心核を起動させたという可能性は、決して低くはない。そして、少女人形たちは、特定波光の発生源を目指したのではないか。
かつてのウルクのように。
「こいつらがミドガルドさんの手によって作られた魔晶人形なら、な。そして、その可能性は高い」
「君が戦ったっていう量産型とは違うの?」
「ああ、全然違うよ。少なくとも、量産型はウルクとは似ても似つかない。まあ、魔晶人形という時点で似通ってはいたが、ここまでウルクを連想させることはなかったよ」
「そうなんだ。じゃあ、この子達はやっぱりミドガルドさんの手による魔晶人形ってことかもね」
「たぶん、そうだろう」
ミドガルド=ウェハラムという稀代の天才技術者のことを思い出しながら、セツナは静かにうなずいた。
ウルクを想起させる少女人形たちは、黙したまま、じっとセツナのことを見ていた。