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2011/3726

第二千十話 本当の地獄へ


 しかし、これまでがそうだったのだ。いまさら、地獄のやり方に反発を覚えたところで、仕方がない。たとえ先程対峙したルクスが幻想に過ぎなくとも、セツナは、間違いなく成長できたのだ。カインやウェインとの試練も、セツナに大きく成長を促している。それは間違いなかった。

 消耗し尽くし、疲労し尽くしたはずの体は、試練が終わったことによってなのか、完全に近く回復していた。これまでと同じだ。地獄が、まるでセツナの修行を助けてくれるかのように力を与えてくれている。そんな風に考えてしまうくらい、なにもかもが都合よく動いていた。

 これまでに起きた三度の試練。

 そのいずれもがセツナと多少なりとも関わりのある人間の姿で現れ、立ちはだかった。

 セツナの人生を決定づけた始まりのカイン。

 セツナの考え方を変える存在となったウェイン。

 そして、セツナの人生の師匠でもあったルクス。

 三者三様の試練を乗り越えた先、セツナを待ち受けていたのは、光の柱だ。

 果てなど見えないくらいに広大な地獄の大地、その中心部ともいえるようなとてつもなく広い盆地の真ん中にそれはある。よく見ればそれは、淡い翡翠のような色彩を帯びた光を発する巨大な塔のようだった。これまで見てきた地獄の風景とは一線を画する代物なのは明白だ。これまでセツナが地獄の旅路で見てきたものはすべて、人骨や獣骨で構成された代物ばかりだった。大地も丘も川も谷も木々もなにもかも、人の骨や獣の骨で作られたものばかりであり、光の塔は地獄の雰囲気にそぐわないといっても過言ではなかった。まるで別の意志がそこに介入しているかのような印象さえ受ける。

 禍々しいというよりは神々しく、おどろおどろしいというよりは幻想的かつ神秘的だった。地獄の風景というのは見ているだけで気が滅入ってくるものであり、果てない旅路において、それこそが最大の敵といってもよかったのだ。そんな荒涼たる地獄において、一服の清涼剤のような印象さえ光の塔からは感じられた。

(あれが……終着点?)

 セツナは、疑問をいだいたものの、これまでのことを考えると、それ以外に答えはなかった。ルクスは、最後の試練といったのだ。その最後の試練を突破したセツナが辿り着く場所となれば、この地獄の旅の終着点以外には考えにくい。もちろん、ルクスがいったことが本当のことだという前提の結論だが、ルクスがいくらいじわるでも、セツナの気勢を削ぐような嘘をいうはずもない。

 そしてセツナは、緑色に輝く塔の下になにものかが立っていることに気づき、盆地を駆け下りた。

 盆地を見下ろす高台の上から、光の塔が聳える中心部へ。

 竜の呼吸を習得したセツナにしてみれば、これほどたやすいことはなく、体の軽さと、その軽さからくる速度に自分自身驚きを覚えたものだった。もっとも、黒き矛を手にしたとき以上の速度では、ない。最終戦争最終盤、複数の召喚武装を同時併用したとき、セツナはこれまでにない速度というものを体験している。その速度に比べると児戯に等しいといってもいいのだが、しかし、召喚武装なしでこれだけの脚力を発揮できるのであれば、十分にも程がある。と、高台を一気に駆け下り、光の塔の真下まで駆け抜けたセツナは、実感とともに認識した。

 戦竜呼法は、間違いなく身についていた。それがただの思いこみでないことは、身体能力の向上および消耗の飛躍的な軽減からわかろうというものだろう。以前のセツナならば、これほどの速さで走ることもできなかっただろうし、目的地に辿り着いたときには疲れ果てていたかもしれない。地獄では、無尽蔵に近い体力があるといっても過言ではないため、あまり恩恵は感じないものの、現世に戻れた暁には大いに実感することとなるだろう。

 ルクスとの最後の修行は、セツナに多大な自信をもたらすこととなり、またその自信に相応しいだけのものを与えてくれていた。セツナは思わず拳を握り、心の中で師匠に感謝した。そして、光の塔を見上げ、その巨大さを改めて認識する。茫漠たる闇に覆われた地獄の空を貫くほどに巨大な光の塔。どのような形状をしているのかは、発光しているせいでわからないが、どうやら人骨や獣骨でできているわけではないらしいことは輪郭でわかる。人骨や獣骨を用いていれば凹凸があるはずだが、それがないからだ。

 遠くから見ている段階でもある程度は分かっていたことだが、光の塔は、巨大な構造物だ。塔の乗っかっている台座だけで途方もなく大きく、塔へと至る階段が何百段、何千段もあるように見えた。その階段の下に、その人物は立っている。

 喪服のように黒い長衣を纏った女。その華奢な体躯と女性的な曲線を描く輪郭から性別を断定する。身に纏う黒衣は薄手のものらしく、体の輪郭がはっきりと出ているのだ。性別を誤魔化すことができないほどに。顔で判別できなかったのは、黒い頭巾を目深にかぶっているからだが、よく見れば、頭巾から覗く口元からも判断できなくはなかった。可愛らしい唇に紅を塗っている。

 セツナが警戒していると、女が恭しく頭を下げてきた。そして顔をあげるなり、口を開く。

「ご……」

「ご?」

「ごきげんよう、セツナ=カミヤ殿」

 どこか鷹揚な口振りだった。声音は低く抑えられているものの、聞き取れないものではない。むしろ、なぜかはわからないが耳に馴染んだ。心地よい声音だった。だからだろう。セツナは、少しばかり反応に戸惑った。

「ごきげんよう……って俺のこと、知ってるのか」

「知らないわけがないでしょう? ここは地獄。そしてわたくしは、この地獄を治める主が下僕。話が主は、この地獄に関わる万象を把握し、認識しておられます。当然、あなた様が堕ちて来られたことも知っておいでです。ですから、わたくしがここで待っていたのですが……」

 女は、少しばかり考え込むような素振りをして、続けてくる。

「随分と遅いお着きですね」

「苦労したんだよ、悪かったな」

 憮然と言い返すと、女が慌てたような反応を見せた。

「いえ。なにも悪いことではありませんよ。到着したということは、試練を乗り越えられたという証。それだけで十分です」

 女の反応の奇妙さはともかくとして、セツナは、彼女の低く抑えられた声音にどうしても違和感を覚えずにはいられなかった。奇妙なのだ。なんとも懐かしく、なんとも聞き慣れた音が含まれている気がしてならない。

「……あんた、どこかで逢ったこと……ないよな?」

「はい?」

 女が小首を傾げる。その仕草ひとつとっても、既視感があった。

「いや、なんかどっかで逢ったことがある気がして……さ」

「ふふふ……地獄に堕ちてまで、しかも正体の知れぬものを口説こうというのですか? 困ったお方ですこと」

「いや、そういうわけじゃなくてだな」

「構いませんよ、わたくしが欲しいというのであれば……」

「だから!」

「さて、冗談はこれくらいにして、本題に入りましょう」

「……あんたは」

 セツナは、黒衣の女に翻弄されていることに気づき、苦い顔をした。気がつくと、女から感じていた既視感や親近感が消え失せていたからだ。地獄の存在。おそらくは亡者であろう彼女にしてみれば、生者たるセツナをからかうことくらい容易いのだろう。

 女は、頭巾を目深に被ったまま、冷ややかに告げてきた。

「地獄の試練を終えられたあなた様ならば、我が主と対面する資格があります」

「対面する資格……ねえ」

「不服ですか? あなた様は、現世に戻られたいのでしょう? あなた様は亡者ではない。ただ力をつけるために地獄を巡ってきた旅人にすぎない。地獄に留まり続け、亡者になりたいというのであれば話は別ですが、そうではないでしょう?」

「……ああ」

「ふふ……それを聞いて少し安心しました。まさか地獄を気に入り、このまま地獄の一部とかしてしまわれるのかと心配していたのですよ」

「余計な心配だ」

「そうですね。さて、話を戻しますが、現世への帰還が所望ならば、我が主との対面は必須事項です。地獄の主催者たる我が主以外に地獄と現世を結びつけるものがいるとすれば、あの魔人のみ。あなた様をこの地獄へ追い落としたあの魔人ですよ。覚えておいでですね?」

「当たり前だ」

 そういってからセツナは、肩をすくめるほかなかった。そして、自分の置かれた境遇を思い知る。

 アズマリアがいてくれれば、地獄から現世に戻ることも容易いのだろうが、彼女はここにはいなかった。いまも現世に留まっているのか、それとも、死んでしまったのか。いずれにせよ、いまのセツナには、選択肢などあろうはずもなかった。それに女の言葉が事実ならば、地獄の主とやらは現世と地獄を結びつける手段を持っているということだ。地獄の主と対面し、助力を得ることができれば、無事、現世に帰還できるということにほかならない。

「つまり、アスマリアがいない以上、あんたのいうとおりにするしかないってことだ」

「ご名答」

 女は、口元に手を寄せ、くくと笑った。

「うふふ。あなた様が利口で、安心いたしましたわ。これで主に叱られずに済みそうです。叱られるのも悪くはないのですが、嫌われたくはないものでして」

 女の事情など知ったことではなかったが。

「では、こちらへ――」

 黒衣の女に誘われるまま、セツナは、光の塔へ至る階段に足を踏み入れた。

 それこそが本当の地獄の始まりだということを理解したのは、しばらく先のことになる。

 セツナは、三つの試練を突破したが、それで地獄の試練を終えたのではなかったのだ。

 真の地獄へ至るための試練を終えたに過ぎなかった、ということだ。

 そう、本当の試練は、階段を登りきったとき、始まったのだ。



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