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第二百話 火竜再臨

「武装召喚師か……!」

 突如として全軍を襲った震動と、地面の隆起現象を目の当たりにして、フォード=ウォーンが唸り声を上げた。直前に解き放たれていた矢のことごとくが、土砂の防壁に妨げられた。壁は決して高くはない。上方に向けて放てば、矢は壁を越え、敵陣へと降り注ぐだろう。が、それは敵軍が微動だにしなければ、の話だ。

 そして、壁は横幅があり、通路を完全に塞いでいた。司令塔から南側へ進むには、大きく迂回する必要が出てきたのだ。

 エイス=カザーンは、愛剣の刀身についた血を拭うと、拭った布をハーレンの亡骸に被せた。いつにも増して油断しすぎていた男の末路はあまりに哀れで、正視に耐えないものだった。

 甘言を弄したわけではない。ただ、本心を偽るだけで、あの男はこちらに近づいてきた。それだけのことだ。それだけのことだが、だからこそ、彼のために憐れむのだ。いつもならもう少し考えて行動していただろう。軽率で迂闊な男だったが、考えもなしに行動するような人物でもなかった。なにかがおかしかったのだ。

 あの仮面の男――おそらくカイル=ヒドラだろう――と会ってからというもの、彼の言動には空虚さが漂っていた。降伏。偽計。彼の考えつくような策にはとても思えなかった。実際、彼はカイル=ヒドラと会うまでは積極的に籠城しようとしていた。龍府に援軍を要請したという話も聞いている。彼は龍府の援軍を信じていたのだ。そんな男が、突如として方針転換するのだろうか。

 彼の身になにかがあったのだ。

 思い当たる節は、カイル=ヒドラにしかなかったが、どうやらそれで間違いないらしい。カイル=ヒドラとやらは武装召喚師だった。武装召喚師ならば、ひとの心を操るような兵器を召喚しても、おかしくはなかった。地形を変えてしまうほどの兵器を使っているのだ。人間の心も、同じように変えられるのだろう。

 エイスは、ハーレンを斬った余韻に憮然とした。この期に及んで、彼を殺す必要があったのだろうか。いや、殺すべきだったのだ。彼が死なねば、エイスが軍を率いる道理がなくなる。エイスが翼将として返り咲くには、ハーレンに死んでもらうより他はなかったのだ。

 そして、ザルワーン人としての誇りが、ガンディアへの降伏を拒んだ。

「軍を二手に分けよ。敵は数で押してこようが、こちらには地の利がある。市街を利用し、敵を撃滅するのだ」

 エイスはフォードに命じると、みずからも戦場に出るために剣を改めた。彼のために設えられた長剣は、刃毀れひとつしていない。日夜鍛錬を欠かさない体は、未だによく動いている。ハーレンの首を斬るくらいでは息切れもしない。その程度で息切れしているようでは、兵士たちに剣の手ほどきをすることすらできないのだが。

「西側部隊はフォードが指揮を取れ。わたしは東側部隊の指揮を受け持つ」

「はっ!」

 フォードが小気味よい返事で応じる。

 エイスは、久々の戦場に血が湧くのを抑えられなかった。



「敵はこちらより少ないが、油断はするな。特にこのマルウェールは敵にとっては庭のようなものだ。どこになにがあるのかなど把握しているはずだ。地の利を活かしてくるだろうが、それに乗ってはならんぞ」

 左眼将軍デイオン=ホークロウが檄を飛ばすと、多くの兵士が喚声でそれに応えた。ガンディア人もログナー人も関係ない。ここはもはや戦場に変わってしまったのだ。協力して戦わなければ、無駄に犠牲を増やすことになりかねない。そんな当たり前のわかりきった事実が、軍の結束を強めるのかもしれない。

 召喚武装・地竜父ちりゅうふを手にしたカイン=ヴィーヴルは、咄嗟に構築した防壁に背を向け、北進軍が動き出す様を見ていた。敵軍の矢も突撃も、この防壁によって妨げることに成功した。あとはどうやって敵軍の戦意を削ぐかだ。殲滅する必要はないのだ。敵軍が、今度こそ本当に降伏してさえくれればいい。

「ロック部隊、レノ部隊、マルウェール東側に展開。シギル隊はわたしとともに西側へ進軍する」

 デイオンによる簡単な部隊分けが告げられると、全軍が大急ぎで動き出した。ガンディア人とログナー人を同じ方角に向かわせたのは、デイオンなりの配慮なのだろう。レノ=ギルバースの部隊だけを別にして、強敵に当たったり、敵に当たらなかったりすれば、不平が生まれるのは必然だ。彼としてはそれはなんとしても避けたかったに違いない。

 エリウス=ログナーは、レノ部隊に同行しているようだ。ログナー最後の王は、ログナー人とガンディア人の架け橋として役立っている。

 カインは、デイオンと同じくシギル部隊に配属されたようだ。西側攻略部隊は千人、東側攻略部隊は二千人。数が少ない方に武装召喚師を入れるのは順当な判断だろう。

「結局、こうなるのね」

 いつの間にか近くにいたウルが話しかけてきた。カインの側が一番安全だと判断しているのかもしれない。

「が、攻城戦よりは楽になった」

「ザルワーン人が死ぬのならなんでもいいわよ」

「そうだな」

 ウルの冷酷な言葉を肯定すると、カインはデイオンたちを追った。軍は既にふた手に別れ、動き出している。

 マルウェールは、司令塔を中心とする巨大な十字路によって区画分けされた都市だ。北進軍が入ってきたのは南門であり、南門から司令塔に至るまでの直線は、司令塔を越え、北門まで続いている。西門と東門の間に横たわる通路も同じだ。広い通り道といえばその十字路だけであり、あとは無数の直線が入り乱れるようにして、この市街地を作り出している。

 カインは、司令塔の中階から見た景色を思い浮かべたものの、頭を振って愚かな思索を掻き消した。知らぬ街の入り乱れた地形など、想像するだけ無駄な話だ。カインはザルワーン人ではあるが、龍府以外の都市について詳しくはなかった。長い間魔龍窟にいたというのもあるが、五竜氏族というのは基本的に龍府で生涯を終えるものだ。龍府暮らしに飽いた暇人なら話は別だが。

 カインは隊列に合流すると、兵士から馬を受け取った。飛び乗ってからウルを引っ張りあげる。彼女自身、乗馬は下手ではないらしいのだが、あいにく、彼女のための馬は用意されていなかったのだ。行軍中は荷馬車にでも乗っていればいいのだが、戦闘中ともなるとそういうわけにもいかない。カインは仕方なくウルを後ろに乗せることにしたのだが、彼女は当然のような態度だった。

 ウルは、前線で敵兵の死にいくさまを見たいのだ。

 彼女の気持ちは痛いほどわかる。敵の死に様ほど快いものはないのだ。


 全軍、一端南へと引き返すことになった。

 十字路の南側通りを少し戻り、東西に分岐したいくつかの通路に部隊を分けて進ませる。中央の十字路よりも格段に狭い道幅は、堅固な隊列を組んでの進軍を阻んだのだ。狭い通路は入り組んでもいて、どこをどう進めば敵との交戦地点に辿り着くのか、自軍にとって有利な地形はどこにあるのかがほとんどわからなかった。

 市街地での戦闘はこれがあるから厄介だ。

 市街地をめちゃくちゃにしてもいいというのなら、さっきのように地竜父を振り回すのだが、どうやら建物を破壊するのはできるだけ避けたほうがいいらしい。ハーレンは市民の避難は済んでいるといっていたものの、どこに避難しているのかまでは聞いていなかったのだ。市民に害が及んでは、ガンディアの大義も失われる。

(侵略戦争に大義など……)

 彼は嘲笑いたくなったが、それはできなかった。主を嗤うことはできない。いまの彼にとって主君たるレオンガンド・レイ=ガンディアは絶対であり、天地のすべてだった。それがウルの支配によるものだとわかっていても、否定することはできない。違和感すらない。それを当たり前のように受け入れている。

 ハーレンも、カインと同じ目に遭ったのだろう。ウルに支配され、ウルの傀儡となり、それでも疑問すら抱かずに行動していた。ガンディア軍に降伏するということになんの疑念も持たなかったのだ。そして、開門し、デイオンらを受け入れた。そこまではよかった。そのままなにも起きなければ、彼は生き残れただろう。生き残り、戦後の地平を見ることもできたかもしれない。

 しかし、彼は死んだ。信頼していた仲間に逆賊として討たれた。哀れな末路だ。彼自身はなにも悪いことはしていない。彼は善人ではなかったが、悪人でもなかった。ただ保身のために過去に怯え、カイル=ヒドラという名に踊らされただけに過ぎない。結果、ウルに支配されたものの、降伏も悪い選択ではなかったはずだ。第五龍鱗軍がマルウェールに籠城したところで、彼らに勝ち目はなかったのだ。

 戦力差は三倍。しかもこちらには武装召喚師がいて、ウルのような異能者まで存在する。どれだけ堅く篭もろうとも、強引に抉じ開ける方法はいくらでもあった。

 カインがまどろっこしい手を使ったのは、デイオン=ホークロウの望みを少しでも叶えるために他ならなかった。

 結局、戦闘にはなったものの、ウルにいったように攻城戦よりは楽だろう。

 カインは、整然と進行する隊列の中にデイオンを見つけると、馬を寄せた。デイオンも馬上のひとであり、つぎつぎに下知を飛ばしている。

「しくじりましたな」

「こうなった以上は仕方がない。敵軍の動きが鈍いだけありがたいというものだ」

 デイオンは、吹っ切れたようにいってきた。実際、こうなってしまった以上、後悔してもどうにもならない。迷っている間に部下が死ぬ。損害を最小限に押し止めたいのなら、素早く敵軍を減らし、戦意を削ぎ落とすことだ。

 そして、デイオンのいう通り、敵軍の動きが鈍さに助けられたのも事実だ。司令塔前で出迎えを受けたとき、エイス=カザーンが一言号令するだけで、こちらの被害は甚大になったはずだ。あの状況で矢の雨を浴びせられれば、数十名の兵士が傷を負ったはずで、下手をすればカインやデイオンも負傷したかもしれなかった。だが、そうはならかったのは、エイスという老人がハーレンを殺すことに熱中していたからに違いない。翼将である彼を殺すことで、前翼将が支配者へと返り咲いたのだ。

 カインは、口の端に笑みを浮かべた。酷いものだ。醜く、愚かで、救いがたい、人間の所業そのものだ。だからこそ、彼はこの状況を気に入っていた。正気はなく、狂気だけがこのマルウェールを包み込もうとしている。熱烈な狂気。彼の存在意義のすべてともいえるものだ。

「君の活躍に期待しよう」

「ご随意に」

 デイオンの言葉に恭しく頭を垂れると、彼は馬の腹を蹴った。隊列の脇を走り抜け、先頭に向かいながら地竜父を送還する。光の粒子となって元の世界へと帰るそれを見届けることもなく、呪文の詠唱を始める。別の呪文。魔龍窟で真っ先に叩きこまれた術式。彼にとっては言い慣れた言葉の羅列。解霊句から始まる長大な呪文を歌でも歌うようにくちずさむ。

「また?」

 あきれたような、どうでもよさそうなウルの声が風に消える。彼女は、馬から振り落とされないようにカインにしがみついている。

 両側に人家が立ち並ぶ狭い通路。カインとウルを乗せた馬に蹴飛ばされるのを恐れ、兵士たちは道を開けてくれている。進軍速度は遅くなるだろうが、構いはしないだろう。武装召喚師が敵を削ってくれるなら、それほど楽なことはない。もっとも、彼らの戦功を奪い尽くせば顰蹙を買うのは間違いない。が、デイオンはそれでも自軍の損害が少ない方を選ぶだろう。そしてそれは、ある意味では正しい。ザルワーンとの戦争は、この戦いで終わりではない。

 呪文を紡ぎ、異世界を呼び寄せる。

 武装召喚術とはそういうものだという。異なる時空、異なる次元の世界を、この世界に極限まで引き寄せ、さらに目当てのものにもっとも近いものを召喚する。呪文で指定した通りの武装が召喚できるわけではないのだ。細部が異なるのは当然であり、思った通りのものが召喚できないということも普通にありえるのだ。もっとも、魔龍窟の武装召喚師には関係のない話ではある。

 カインを始めとする魔龍窟の武装召喚師は、魔龍窟での修練においていくつかの術式を覚えることになるのだが、それは全員が共通する術式なのだ。地竜父も火竜娘かりゅうじょうも、魔龍窟の武装召喚師ならだれもが召喚することができた。

 魔龍窟の武装召喚師にとってはありふれた呪文であり、術式なのだ。

 カインは、それを唱えていた。

「武装召喚」

 自軍の先頭が見えた頃、カインは呪文の末尾を発していた。どこからともなく現れた光が右手の内に収斂し、一本の杖を具現する。龍の頭部を模した装飾が特徴的な真紅の杖。かつて黒き矛によって断ち割られた龍の頭は、三ヶ月の間召喚しなかったことで、見事に修復していた。召喚武装の強みのひとつがこれだ。破壊されても、送還していれば、時間が経過することで復元する。復元した召喚武装は、再び凶悪な力を振るうことができるのだ。

 火竜娘の重量に懐かしさを覚えるとともにカインが感じたのは、感覚の拡大だ。地竜父の送還と同時に失われた超感覚が、再び彼の意識を肥大させた。戦場が見える。視野が広がる。あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、自分を取り戻したような錯覚さえ抱く。しかしそれが錯覚だということははっきりしている。苦笑すら浮かばない。

 前方にいくつかの分岐点が見えてくる。右に曲がればマルウェールの北側へ行けるだろう。つまり、敵軍と対面できる可能性が高い。もっとも、敵軍が南下してくるとは限らないが。どこかで待ち受けているかもしれない。ここはマルウェール。第五龍鱗軍にとっては庭も同じだ。

 カインは一番手前の分岐点を右に曲がると、馬をさらに加速させた。敵の先陣が見えた。盾兵を先頭にした集団。複数の部隊に分かれ、狭い通路を事もなげに進んでいるのがわかる。南下してきている。全軍ではない。敵も、二手にわかれたようだ。

「ひとり突出して、どうするつもり?」

「戦力を削るだけだ」

 カインは、ウルの問いに答えると、火竜娘の先端を敵部隊に向けた。人家に被害が及ばないように火力を絞り、解き放つ。火竜の飾りが咆哮を発したかと思うと、赤光が視界を焼いた。カインの周囲の気温が瞬時に上昇し、火竜の口から拳大の火球が発射される。

 敵部隊は、カインたちの接近に気づいていた。最前列の盾兵が、一斉に盾を掲げたのが見える。だが、それは間違いなく悪手だった。火竜娘が放った火球は、膨大な熱量を帯びながら盾兵の盾に直撃する。炸裂。猛然と吹き上がる爆炎が周囲の兵士をも飲み込み、悲鳴を上げさせた。

「酷いものね、武装召喚師って」

「君がいうことか?」

「わたしは非力な女よ」

「そういうことにしておこう」

 カインはウルの戯言に適当に相槌を打つと、炎に巻かれながら転げ回る兵士たちの元へ、さらに火球を放った。

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