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第二千二話 剣野(四)


 ルクスは、強い。

 それはそうだろう。

 セツナが彼に師事しようと想ったのは、ひとつには彼がとてつもなく強いということを知っていたからだ。

 彼は、“剣鬼”と呼ばれている。

 大分後に知ったことだが、“剣聖”と並び称せられる剣の使い手であり、戦鬼グリフ以外で鬼の二つ名で呼ばれる数少ない人間として、大陸広く知れ渡っている。類稀な剣才の持ち主であり、その才能は剣術のみならず、あらゆる武術に通ずるという。実際、槍であれ斧であれ、巧みに使いこなし、弓の腕も一級品だというのだから恐ろしい。しかし、本人は剣以外使う気になれず、また槍を始めとする長物も気に入らないため、セツナにも剣の使い方しか教えなかった。

 そして、彼が本物の天才であることを知らしめたのは、“剣聖”トラン=カルギリウスとの邂逅後のことだ。トランが秘中の秘とする、竜の呼吸法、戦竜呼法を見よう見まねで体得し、自分のものとしてしまったのだ。“剣聖”トランをして天才と称させた彼の才能は疑うまでもない。

 実力もだ。

 トランが戦竜呼法と呼ぶ、竜独特の呼吸法は、本来人間には真似出来ないものであり、トランでさえ体得にかなりの時間を要したというのだが、ルクスはそれを瞬く間に身につけると、まるで昔から自分のものであったかのように使いこなしてみせた。

 いま現在、セツナがルクスに瞬く間もなく殺され続けているのも、それのせいだ。

 戦竜呼法は、竜独特の呼吸法そのものだ。竜の呼吸法は、ただ竜の並外れた生命力を引き出すためのものであり、竜が万物の霊長として君臨する要因のひとつだという。もちろん、最大の要因は生まれ持った力であり、圧倒的な生命力だが。人間が竜の呼吸法を真似することが困難なのは、当然、その肉体が竜とはまったく別物であり、真似しようもないからだ。真似できたとして、竜ほどの効果が得られないということもある。しかし、“剣聖”トランはそれを体得し、ルクスはトランから見様見真似で体得している。トランが竜より体得した呼吸法、戦竜呼法と名付けられたそれは、人間の身体能力を限界まで引き出すというものであり、戦竜呼法使用中、その身体能力は通常とは比較にならないほどに向上するという。

 そして、戦竜呼法によって引き上げられた身体能力は、召喚武装によってさらに強化されることがトラン、ルクスの証言によって確定している。

 つまり、ルクスはいま、常人に過ぎないセツナとは比較しようもないほどの身体能力を発揮しているはずなのだ。

 元より、身長も体重もルクスのほうが上であり、筋肉の総量も、動体視力やあらゆる感覚においてもセツナが上回っている部分などなかった。その上でルクスは竜の呼吸をし、強力な召喚武装グレイブストーンを手にしている。

 セツナは、一呼吸する間に二度三度と殺される感覚を味わい、そのあまりの無情さになんともいえない顔になった。

 動けば、殺される。一歩でも、いや、半歩でも動こうものならセツナの命は断ち切られ、死の感覚を味わうことになる。だからといって動かなければいいかというとそうではない。一切の情けも容赦もないルクスの斬撃は、セツナの首を刎ね飛ばすことになんの躊躇もなかった。

 強い。

 セツナは、うなるほかない。ただひたすらに強く、圧倒的といっていいだろう。こちらに召喚武装がなく、対抗手段がない、などと非難する道理はない。戦いに公平性を求めてはならない。戦いはいつだって理不尽だ。絶対的な力を持つ強者がなんの力も持たない弱者をいたぶり、なぶり、屠るのは、よくあることだ。そして、セツナは大体において前者の立場にいた。後者の立場にいたことなど、ほとんどない。

 いまのように圧倒的な力に蹂躙され続けることなどあっただろうか。

 いつだってセツナには黒き矛があった。絶大な力を持つ魔法の矛は、セツナに絶対強者の立ち位置を与え、常に敵より上位に立つ感覚を覚えさせた。どんな敵にも負ける気がしなかった。どれだけの数の敵がいたとしても、一蹴できる。そんな感覚。万能感といってもいい。黒き矛さえあれば、負けることなどなかったのだ。

 実際、そうだった。

 黒き矛を手にして負けたことなど、数えるほどしかない。

「黒き矛があれば」

 ルクスの声が聞こえたとき、セツナはまたしても虚空を舞う中にいる感覚を抱いた。首を刎ねられ、死ぬ。その感覚は、決して気持ちのいいものではない。凄まじい痛みと絶対的な終焉への諦め。そういった感覚が怒涛の如く押し寄せ、意識を塗りつぶす。つぎの瞬間には生き返っているのだが、それもつぎの死までの数秒でしかない。

 生と死の反復。

 冷ややかなまなざしと刀身の輝きに気がついたのは、死を認識した意識が再生した直後のことだった。眼前にルクスがいて、グレイブストーンを突きつけてきていた。

「なんて、想ってるだろ」

「そりゃあ……」

「だからおまえは駄目なんだよ」

 あっという間もない。切っ先がきらめいたかと想うと、激痛が右目を貫き、脳へと達した。そのまま頭蓋を突き破った剣が閃き、頭部をあっさりと切り裂く音を聞いた。凄まじい痛みの中で、それでもルクスの声がはっきりと聞こえたのは、どういうことだろう。死ぬ。何度目なのか。もはや数えるのも馬鹿らしくなるくらい殺されている。殺されるたびに痛感するのは、自分の弱さだ。弱い自分を認識するたびに奮い立つ。立たなければならない。立ち上がらなければならない。こんなところでへこたれている場合ではないはずだ。立ち向かっていかなければならないはずなのだ。

 だのに、立ち上がろうとすれば、そのときには、またしても彼の命は終わっているのだ。

「黒き矛があれば。黒き矛さえあれば。黒き矛があったら。そんなことばかり考えているから、いつまでたっても俺から逃れられない。俺に殺されるしかない。いつまでだ? いつまでこんなことを続けるつもりだ? 剣に触れることさえできていないぞ」

 ルクスの冷徹なまでの言葉は、セツナの意識に痛烈に突き刺さる。反論の余地もなければ、返す言葉もない。これは試練だ。地獄が用意した最後の試練。

 師を乗り越えなければ、強くなどなれるわけがない。

「確かに黒き矛は強い。最強だ。黒き矛を手にしたおまえは、いまの俺でも斃せないだろう。当然だ。おまえは強くなり、黒き矛の力を引き出せるようになった」

 ルクスが話に夢中になっている間に、セツナは、右を見た。剣は、無数に突き立っている。それこそ何万という数があるのだ。そのうち一本だけがルクスに届く刃となる、という。それがこの試練の掟。掟に従う以外に勝ち筋はないだろう。掟を破るにも、そんな方法はなにひとつない。この場を去るなど論外だ。ルクスを越えなければ、師を乗り越えなければ、この試練を突破しなければ、セツナに未来はない。

「あの日、初陣で千人以上を焼き殺したときよりも、ずっと上手く、ずっと烈しく、ずっと冷静に」

 ルクスの評価を聞きながら、右手を伸ばす。斬撃が奔る。右腕が軽々と吹き飛んだ。血潮が視界を染め上げる。痛み。大したことはない。歯噛みする。腕を切り飛ばされただけ。左手を伸ばす。今度は、肩口に切っ先を叩き込まれる。衝撃が上半身を貫き、内臓が破裂するような感覚がセツナを襲った。血の味がした。見上げる。ルクスがこちらを見下ろしていた。

「おまえは強くなった。強くなったんだよ、セツナ」

「師匠」

「だから、さ」

 首が、切り飛ばされた。また、死んだ。即座に再生する。生と死の連続にも慣れた。慣れたくなどないことだが、慣れてしまえばこっちのものだ。そう想った矢先、セツナの眼前をルクスの剣が閃いていた。

「これ以上を求めるなら、これ以上の高みを目指すなら、黒き矛に縋るのはやめろ」

 また、死ぬ。そして瞬時の再生。生と死の連鎖。

「おまえが求めるものは、そんなものじゃないだろ」

 今度は殺されなかった。蹴り飛ばされている。空中へ。とても常人の身体能力では不可能な吹き飛ばされかたであり、セツナの腹部の損傷はそれはもう酷いものだった。肉も骨も消し飛ぶほどの衝撃を受けている。そして、そこへルクスの追撃が来る。軽々と跳躍して追いついてきたルクスは、空中でセツナの体をばらばらに切り刻み、絶命させてみせた。セツナは、死の瞬間、自分の体が粉微塵になるのを認識し、絶望的な感覚を味わっている。だが、その死さえも即座に無意味になる。生き返るからだ。

「縋り付いて得られるようなもんじゃあないだろ」

 セツナは、ルクスを遠くに見ていることに気づき、はっとした。ルクスが、何十回、何百回と死んでいく弟子のことを哀れに想い、わざわざ距離を開けてくれたのかと想ったのだ。しかし、それは見当違いも甚だしい考えであることは、つぎの瞬間、明白になる。

「おまえは、黒き矛の奴隷にでもなりたいのか?」

「……いえ」

「だよな」

 ルクスが地を蹴った。戦竜呼法とグレイブストーンの補助を得た脚力は、彼の体をセツナの視界から掻き消すほどの速度を生んだ。骨の大地が揺れたのも、その脚力故だろう。そして、つぎの瞬間、物凄まじい衝撃がセツナの胸を貫き、彼の肉体をばらばらに消し飛ばした。神速の突進からの、ただの突きだ。速度が突きの威力を何倍にも増幅したのだ。その結果、セツナの肉体は粉微塵になった。

「おまえは、黒き矛の主にならなきゃならない。主従が逆転しちゃあいけないのさ。力に使われるんじゃない。力を使うんだ。使いこなしてみせろ。己の力を。自分自身を」

 セツナは、瞬時に再生した肉体を認識しながら、ルクスとの間の絶望的な力の差に目眩さえ覚えた。

「そして俺を超えて見せろ」

 ルクスは、グレイブストーンを構えている。そこに付け入る余地は見当たらない。隙がないのだ。セツナに対し、一切油断しないといっているようだった。圧倒的というほかない力量の差があるというのに、彼は慢心ひとつ見せなかった。そこがセツナとの違いだろう。セツナは、黒き矛の力に酔うところがあった。圧倒的な力に身を委ねがちなところがあったのだ。ルクスには、そういったところが一切ない。

 それでもセツナの闘志が衰えないのは、セツナにも負けられない想いがあるからだ。

「できないとは、いわせない」

「師匠……」

「おまえは、俺の唯一にして最高の弟子なんだからな」

 ルクスのその一言が、セツナの心を烈しく揺さぶったのはいうまでもない。



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