第二千一話 剣野(三)
残光が、視界を真っ二つに断ち切っていた。
ルクスがグレイブストーンを鞘から抜き、言葉を発した直後のことだ。彼の足が足元の髑髏を踏みつけ、離れた瞬間、その姿はセツナの動体視力では捉えきれないほどの速度に達し、そしてセツナの視界を見事なまでのあざやかさと早業で切って捨てて見せたのだ。
当然、凄まじいまでの激痛がセツナの顔面――いや、頭部全体から全身を駆け抜け、その想像を絶する痛みがセツナの意識を一瞬にして真っ白に塗り潰した。なにが起こったのかはわかっている。踏み込んできたルクスに切られ、絶命したのだ。
死んだ。
殺された。
そんな感覚。
「まず、一回」
なのに、ルクスの声ははっきりと聞こえていて、セツナは、不思議な感覚の中で痛みが消え失せ、自分が生きていることを知った。顔面に触れる。切り口もなければ、血も出ていない。痛みもなければなんの問題も見当たらなかった。まるでいま見たこと、いま体験した出来事が錯覚だったかのようだ。しかし、ルクスは剣を振り抜いていたし、グレイブストーンの刀身には紅い血が付着していた。セツナの血だ。それも見ているうちに消えなくなってしまう。
セツナは、その光景を目の当たりにして、理解した。
これは、試練だ。
地獄がセツナに課した三番目の試練。
カイン、ウェインに続く三番目の試練なのだ。おそらくは、そういうことだろう。把握すると同時に後ろに飛ぶ。ルクスは目の前にいて、彼のぎらぎらとした目は、セツナを捉えて離さなかった。そしてそういうまなざしのルクスがセツナのために手を抜いてくれるはずもない。セツナの足が地を離れた瞬間、またしても蒼い剣光が視界に奔っていた。つぎは腹だ。胴体を真っ二つに断ち切られ、またしても絶命必至の激痛がセツナの脳内を埋め尽くした。その痛みだけで死んでもおかしくはないのだが、セツナは、また、死ななかった。直後には激痛が消えてなくなり、断ち切られた胴体も元通りだ。
「二回目。さらに三回目」
距離を離す猶予さえ与えてくれないまま、ルクスの三度目の斬撃がセツナの首を切り飛ばした。痛みとともに視界が流転するのを見て、セツナは、自分が無造作に殺してきたものたちの気持ちがなんとなくわかるような気がした。
召喚武装グレイブストーンを手にした“剣鬼”ルクス=ヴェインに対し、セツナは常人となんら変わらない状態だった。召喚武装による補助がない以上、ルクスの速度についていけるはずもない。距離を取ろうにも、足を動かした瞬間にはルクスの間合いに収められている。そして、行き着く暇もなく斬殺されるのだ。
「四回」
四度目の死は、心臓を貫かれたことによるものだった。
情け容赦の一切ない苛烈なまでのルクスの攻勢に対し、セツナは、それこそルクスだと想わずにはいられなかった。剣術、戦闘技術の師匠としてのルクスというのは、戦場とはまた違った厳しさを見せてきた。セツナが少しでも油断すれば拳が飛んできたし、木剣でタコ殴りにされるのも日常茶飯事だった。任務を控えているときこそ手加減してくれたものの、それ以外は常にセツナを半殺しにするのではないかというくらいにしごき抜いた。それは、ルクスではなく、セツナが望んだことだ。それくらいしなければ、セツナが望む領域には辿り着けない。
いまでさえ、辿り着けていない。
もっと強く。
もっと疾く。
もっと鋭く。
望みはどこまでも高く、際限を知らない。
故にルクスはセツナを徹底的に鍛え上げようとしてくれたのだし、セツナはそんなルクスの想いに応えようとした。
いまも、そうだ。
“剣鬼”ルクスの本気を見せつけられて、セツナの心は折れるどころか否応なく燃え上がっていた。
(そうだ)
セツナは、右に転がるように避けようとして呆気なく斬り殺されながら、ルクスの凍てつくような剣気に心が震えるのを認めた。
(これが、師匠なんだ)
ぎらぎらと燃えるように輝く双眸が、こちらを見据えている。セツナが無手だからといって一切の油断を廃したその姿は、彼が鬼と呼ばれる所以が見え隠れしている。
(これが、“剣鬼”ルクス=ヴェインなんだ……!)
ルクスは、傭兵団《蒼き風》の一員の中でも、ただひとりだけ二つ名でもって呼ばれ、大陸中に知れ渡るほどの人物だった。それは、召喚武装の使い手であったことも一因ではあったのだろうが、召喚武装を持たずとも天才的な剣術の使い手であり、戦闘者であったことが最大の要因であることはいうまでもない。そして、彼が剣の鬼と呼ばれるようになったのも、その戦場における情け容赦のない戦いぶりからであり、敵対したものたちから見れば、彼が鬼に見えたというのも納得の行く話だった。
「十回目。そろそろ、状況は変わりそうか?」
「状況って」
「武器なら、いくらでもあるだろ」
ルクスが事も無げに言い放ってきた言葉に、セツナははっとなった。
「辺り一帯にいくらでもな。ただひとつ忠告しておくとだな」
周囲を見回すまでもなく、武器は無数にあった。髑髏の荒野に乱立する無数の刀剣。それがルクスに対抗するための唯一の手段なのだ。召喚武装は、使えない。なぜならば黒き矛が折れたのだ。眷属も呼び出せなかった。そして、それ以外の召喚武装を呼んだことは一度もない。呼び出せる保証もない。それに周囲の刀剣を使うことがこの試練の掟ならば、それ以外の方法では勝てないかもしれない。
ここは地獄。
なにが正しいのか、なにが間違っているのかなど、セツナにはわからないのだ。
「これらの刀剣はすべて、これまでおまえが殺してきたものたちの魂だ」
「俺が殺してきたものたちの……?」
「そういった連中がおまえに力を貸すわけはないよな?」
「そりゃあ……」
そうだろう。セツナは、ルクスに振り上げた腕ごと袈裟懸けに切り裂かれながら、いった。血反吐を吐き、激痛の中で絶命する。十二回目の死。痛みは瞬時に消えるが、痛くないわけではないし、記憶から消えてなくなるわけではない。殺された記憶というのは、決して後味の良いものではないし、経験したくなどあろうはずもない。それも、既に十回以上も殺されているのだ。そして、それだけの痛みを記憶し続けている。既に気が狂いそうだった。
「じゃあどうやって俺に勝つのかって話だが」
ルクスが斬撃の手を止めた。グレイブストーンの切っ先を眼前に突きつけてくると、そのまま周囲を旋回させた。
「答えは簡単。この中の一本だけ、おまえに力を貸す刀剣があるのさ」
「一本だけ」
「その一本は、おそらくおまえが慈悲をもって救った人間なんだろう。ここにあるということは、その後、あえなく死んだようだが……少なくともおまえを恨んじゃあいないってことだ」
「つまり、それ以外は俺を恨んでいる、と」
「当たり前だろ。殺した相手が許してくれる道理はないさ」
「わかってますよ」
そういうことをいいたくて、いったわけではない。
ルクスに斬り殺されながら、セツナはむっとした。そんなことはわかりきっている。そして、慣れきっている。ひとに恨まれるなど、当たり前のことだ。どれだけ多くの命を奪ってきたというのか。どれだけ無意味に殺してきたというのか。不要なまでの殺戮と破壊を繰り返してきた。そこに意味があったといい切れるほど、セツナも傲慢ではない。ガンディアのため、レオンガンドのため、などといい切れれば気楽になれるのだろうが、そういうわけにもいかなかった。
殺してきたのは、この手だ。
ほかのだれでもない、セツナ自身が命を奪い尽くしてきたのだ。
恨み、憎まれ、呪われたとしても、なんら不思議ではない。
そして、今日までそれを受け入れてきた。
いまさらそのことでどうこういうつもりはない。
しかし、何千、何万の憎悪を刀剣という形で見せつけられて、なにも感じないセツナでもないのだ。
(俺は……)
セツナは、拳を握り締めながら、無数の刀剣が乱立する地獄の荒野を見回した。何千、何万もの刀剣たち。その一本一本が、セツナがこれまで殺してきたものたちの魂なのだという。それくらいは殺しているだろう。特に最終戦争では、数え切れないくらいの人間を殺している。
どれも、一見ただの刀剣にしか見えない。どれがセツナを憎悪し、どの一本がセツナを恨んでいない剣なのか、見た目だけでわかるはずもなかった。
「さあ、この数万本の刀剣の中から、たった一本、俺に届く剣を探し出せ。そして、俺を斃してみせろ」
ルクスが静かに告げてきた。
「それがおまえに課せられた最後の試練だ」
最後の試練。
彼はそういうなり、セツナの首を刎ねた。