第千九百九十三話 竜と人(十二)
“竜の巣”は、かつてある人間によってワーグラーン大陸と命名された大地の遥か北に位置している。
人間が考えるには、ヴァシュタリア共同体と呼ばれる大勢力の勢力圏内であるのだが、無論、“竜の巣”に棲む竜のいずれもヴァシュタリア共同体なる組織の支配下にあるなどと想ってはいない。当然、ヴァシュタリア共同体も、ラムレスらを支配下に置いているなどと考えてもいなければ、考えようともしていなかったはずだ。
“竜の庭”も“竜の巣”も、ヴァシュタリア共同体が相手をするには分の悪い存在なのだ。
いくら大陸北部の広範に勢力を及ぼすことができたとはいえ、それは相手が人間であり、人間の組織、国だったからだ。人間相手ならば、神の威光を用いればたやすく支配し、制圧することができただろうし、神の力を借りずとも、物量で圧倒することも可能だ。
しかし、“竜の巣”も“竜の庭”もそれぞれ竜王が収める竜属の拠点であり、数多の竜属が生息する地だ。ヴァシュタリア共同体がどれほどの兵力を保有していたところで、所詮人間を主戦力とする軍集団では、“竜の巣”、“竜の庭”を相手に対等以上に戦うことなどできはしないのだ。万物の霊長たる竜の軍勢の前では、何十万、何百万の人間も塵に等しい。神が出張ってくるならば話は別だが、ヴァシュタリアの神であるところの至高神ヴァシュタラなるものは、なにを考えているのか、共同体の本拠地に籠もったまま、姿を見せたことがなかった。ヴァシュタラの目的は不明だが、ヴァシュタリアのいかなる窮地にも姿をみせないところから、自由には動けない状態なのだということが推測できる。
もし、ヴァシュタラが自由自在に動けるのであれば、何百年もの沈黙を保っているはずもなければ、とっくの昔に“竜の巣”とヴァシュタリアの間で戦争が起こっていたとしてもなんら不思議ではなかった。
ヴァシュタラは、異世界の神だ。
聖皇が召喚した神々の一柱であろうそれは、人間が“大分断”と呼ぶ歴史的事件直後、ヴァシュタリアの基盤を作り上げるべく、北の大地に降臨している。以来、ヴァシュタリア共同体の勢力拡大に影に日向に力を貸しているようなのだが、それも加護だけのようであり、神みずから先頭に立って行動を起こしたような記録はなかった。どのような理由で動かないのかは想像もつかないが、ヴァシュタラみずからが動かないからこそ、ラムレス率いる“竜の巣”もラングウィンの“竜の庭”も安寧を貪ることができたといってもいいだろう。
異界の神とイルス・ヴァレの竜たちは、折り合いが悪い。
三界の竜王は、イルス・ヴァレのひとびとに神同然に畏れられ、崇められている。信仰によって成り立つ異世界の神々にとって、これほど鬱陶しいことはないだろう。信仰がなければその力を完全に発揮することも叶わないのが神というものなのだ。信仰を集めなければならない。そのためにまず竜王への信仰を止めさせる必要があるということは、余計な手間がかかるということだ。よって、異世界の神々の多くは、イルス・ヴァレの竜属を嫌った。
ヴァシュタリア共同体の根本であり、至高神ヴァシュタラを崇める宗教団体ヴァシュタラ教会が竜教徒を異端者として排斥する一方、竜教徒を取り込むべく、イルス・ヴァレの竜属もまた、ヴァシュタラ神の支配下にあるのだと説き、また、竜教の教義をヴァシュタラ教の教義に取り入れたのも、北の大地において竜信仰があまりにも強大であり、強力だったからだ。
それはそうだろう。
北の大地には、三界の竜王のうち、二柱がその本拠地を置いているのだ。
何千万年もの長きに渡り生き続けるラングウィン=シルフェ・ドラースの巨躯は、見るものに神々しさと震えるばかりの感動を与え、数万年のときを生きる暴君ラムレス=サイファ・ドラースの狂暴な有り様は、竜属の恐ろしさをこれでもかと伝えた。ラムレスとラングウィンの存在は、北の大地に住むひとびとに多大な影響を与え、多くの竜教徒を生み出すに至っていた。
そんな北の大地で神の教えを説き、勢力を広げようというのだ。竜教そのものをヴァシュタラ教が内包する、などという大それたことでもしなければ、いくら神の加護があるとはいえ、百年足らずで北の大地全域を勢力下に収めることはできなかっただろう。
ヴァシュタラ教会が成立して五百年近くが経過したいま、北の大地はヴァシュタリア共同体の支配地域と化しており、その中で独立不羈を貫いているのは“竜の巣”、“竜の庭”、そして空中都市リョハンだけだった。
それも、至高神ヴァシュタラみずからが動かないからこそといってよく、神が動かずともこれだけの勢力を作り上げ、維持し続けていることには、素直に感心するほかない。聖皇ですら、統一した大陸を維持できたのは短期間に過ぎなかった。ヴァシュタリア共同体の手腕が凄まじいということだろう。
ラムレスがそのように、“竜の巣”外部から入ってくる情報を他人事として認識していたのは、ヴァシュタリア共同体およびヴァシュタラ教会が“竜の巣”に干渉してくることなどありえないと考えていたからに他ならない。
先もいったように、ヴァシュタリア共同体の現有戦力では、“竜の巣”と真っ向から戦うことなど不可能といってよかった。
ヴァシュタリア共同体は、騎士団と呼ばれる戦闘集団をいくつか持っている。しかし、そのいずれも人間の範疇を超えているわけではなく、ただの人間の集まりに過ぎないのだ。無論、限りなく鍛え上げられて入るだろう。神の教えの名の元に、生半可な鍛錬では騎士団に入ることなどできないという話だ。
異教徒狩りだけが騎士団の仕事ではない。いわゆる皇魔と呼ばれる異界の存在を撃滅するのもまた、騎士団の仕事であり、そのためには組織力以上に個々の実力を高めることが必須だった。皇魔は、その脆弱な一個体ですら、人間を遥かに凌駕する力を持っている。
異界の存在なのだ。
聖皇の召喚魔法による世界間転移は完璧そのものだった。神々の召喚は完璧に成功し、召喚された神々は本来在るべき姿そのものでイルス・ヴァレに降臨した。しかし、聖皇の望みとは無関係に召喚されてしまった魔性のものども――いわゆる皇魔と呼ばれるものたちは、その完璧だったはずの召喚魔法に引きずられる形で、このイルス・ヴァレに流れ着いてしまった。そのため、世界間転移に失敗したといってもよく、その凶暴性たるや、本来の在り様とは大きくかけ離れたものとなったのだ。
皇魔は、イルス・ヴァレの人類の敵となった。
残虐にして冷酷な魔物たちは、ワーグラーン大陸のいずれにおいても猛威を振るい、人類に恐怖の記憶を刻みつけていく。人類は、皇魔に対抗するため、都市を分厚い城壁で囲うようになり、壁のない町や村は皇魔に滅ぼされていったからだ。召喚の日より五百年近くが経過したいま、人類はその最盛期に比べ、半数以下にまで落ち込んでいるのだが、その最大の原因が皇魔だった。皇魔は情け容赦なく牙を剥く。
そんな皇魔と戦うための軍集団を有している以上、並大抵の戦力ではないことは明らかだが、だからといって“竜の巣”や“竜の庭”と正面切って戦えるほどのものとはいえないのは、明らかだ。
百万単位の兵を差し向けられたとしても、竜属が一斉に魔法を発動すれば、それで事足りる。敵の矢が竜の鱗を貫く前に一掃しうるだろう。
竜と人間の戦力差というのは、それほどまでに凄まじいものなのだ。
力なき人間が竜を畏れ、敬い、信仰対象とするのも無理からぬことだった。
そして、そんな竜信仰にとって変わるべく北の大地に勢力を広げ続けてきたヴァシュタラ教会、ヴァシュタリア共同体にとって、“竜の巣”と“竜の庭”ほど目障りな存在はなかった。“竜の巣”と“竜の庭”さえヴァシュタリアに降れば、あるいは、この地上から消滅させることができれば、北の大地はほぼ完全にヴァシュタリアのものとなるからだ。空中都市リョハンは、独立しているものの、それはヴァシュタリアが自治を認めたからであり、ヴァシュタリアがその気になればいつでも攻め滅ぼすことができた。戦力的な観点から決して滅ぼすことのできない“竜の巣”、“竜の庭”とは状況が違う。
ヴァシュタリアがそんな数百年に及ぶ沈黙を破ったのは、彼らが真に北の大地の覇者たらんとしたからなのかどうか。
ラムレスは、軍勢の接近というケナンユースナルの報告に懐疑的になりながらも、警戒を強めるよう、眷属たちに申し渡した。そして、ユフィーリアにはサイファリアたち子竜の世話という任務を与えることで、迫りくる人間との接触を阻んだ。ユフィーリアは竜として生きるを選んだ。それは、いい。しかし、いまはまだ、心に動揺が残っているのは明らかであり、そんな状況下で人間たちと接触すればよくないことが起こるのではないか。ラムレスの親心は、常にユフィーリアへの心配に突き動かされた。
人間の軍勢は、ヴァシュタリアが差し向けてきたものだったが、その規模たるや、恐れるほどのものでもなければ、警戒が必要はほどのものでもなかった。千人あまりの軍勢なのだ。とても、“竜の巣”を滅ぼすべく起こした軍などではなかった。
しかし、ヴァシュタリアが数百年に渡る沈黙を破ってまで差し向けてきた戦力だ。なにか考えがあっての少人数なのかもしれない。ラムレスは警戒を怠るどころかむしろ強めた。“竜の巣”の魔法防壁を強固なものにすると、ケナンユースナル率いる天門衆を総動員して迎撃の構えを取った。
たかが千人ばかりの人間相手にそこまでするほどのことはない。千人程度、彼が一声吼えれば、それだけで殲滅しうる。
だが、彼は、妙な胸騒ぎがしてならなかったのだ。
まるで運命の音を聞いているような、そんな感覚があった。