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第千九百八十九話 竜と人(八)


“竜の巣”は、主たるラムレスによって人間の赤子が招き入れられてからというもの、変化の中にあった。

 人間の赤子が、竜たちの生活の中心となったのだ。

 赤子は、人間だ。

 蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースがもっとも忌み嫌う存在であり、ラムレスを父と仰ぐ眷属たちにとっても嫌悪するべき存在だった。しかし、同時に赤子は、ラムレスの子供同然だった。ラムレスがみずからの意志で連れ帰り、育てることを宣言したのだ。となれば、ラムレスの子供といってよく、眷属の竜たちは皆、その赤子を大切にしなければならなくなった。

 ラムレスの子は、眷属の竜たちにとっては兄弟であり、家族であった。

 人間の子を同胞として迎え入れるなど認められない、という眷属も少なからずいた。その急先鋒が眷属筆頭のケナンユースナルだったが、彼はラムレスへの忠誠心ももっとも強かったため、ラムレスに反論を述べることもなく、ラムレスの判断に従った。ケナンユースナルがラムレスに従うとなれば、ほかの眷属たちも従わざるを得ない。いや、彼の判断如何に関わらないのだが、もっとも人間を蔑視するのが彼率いる天門衆であったため、彼の去就に注目が集まったのだ。当のケナンユースナルは、ラムレスの考えに異論を挟まないため、天門衆が人間の赤子に対し牙をむくこともなかった。もしそのようなことがあれば、天門衆は否応なく滅ぼされていただろう。だれもがそう噂した。ラムレスは、みずからの子供たちである眷属に対しても容赦しないからだ。たとえ血を分けた子供たちであろうと、逆らうものには一切の躊躇なくその暴威を叩きつける。それが狂王の狂王たる由縁であり、その気性の激しさ、恐ろしさを知らぬ眷属はいなかった。

 皆、ラムレスを畏れている。

 そうして受け入れられた人間の赤子ではあるが、育て方は、ラムレスにもついぞわからなかった。“竜の巣”に棲む竜たちは、いずれも、人間社会の在り様について詳しくはなかった。人間嫌いが高じて、人間との接点を持つことを極端に嫌ったからだ。竜教徒の人間から接触してくることはあっても、竜たちから人間に接触することもなければ、人間社会を観察し、生活様式を知ろうともしなかった。知る必要もなかった。人間と関わりを持つことがないのだ。その判断は正しかった。

 しかし、赤子を育てるに当たっては、その人間との隔絶の歴史が、重大な欠点となった。

 ラムレスは、人間の赤子を無為に死なせることなどあるべきではないと考えていたし、なんとしても育て上げなければならないという使命感に駆られていた。一度拾い上げた命を途中で投げ捨てるのは、人間以下の所業といわざるをえない。竜王たるもの、人間以下の存在に堕ちるべきではない。

 彼は、みずからラングウィン=シルフェ・ドラースの元へと赴いた。

“竜の庭”において竜と人間の共存を仮初にも実現している法王ならば、人間の赤子の育成方法を知っていると考えたからだ。ケナンユースナルの考えに従ったわけではない。

 二柱の竜王の接触は、“竜の庭”だけでなく、竜社会を震撼させた。三界の竜王たちは、数千年単位で接触することがないからだ。唯一、明確な拠点を持たない緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラースの眷属たちも、なにごとかと驚き、“竜の庭”に姿を見せたものだ。

 ラングウィンも、ラムレスの突然の訪問に驚き、理由を知るとさらなる驚きを見せた。ラングウィンの驚きようは、当然というべきだろう。ラングウィンは、人間に対し、比較的理解を示すほうだ。ラムレスとは対極を行く存在といってよく、原初の昔から諸族との融和を図っていた。ラングウィンの“竜の庭”には、ヴァシュタリアの弾圧を逃れた竜教徒の人間たちが隠れ住んでいて、それら人間たちと竜が仲睦まじく暮らしている様は、ラムレスの“竜の巣”では見られない光景だった。

《その子を無事に成長させたいというのであれば、ここに置いていきなさい》

 ラングウィンは、ラムレスの話を聞くなり、にべもなく告げてきた。穏やかでありながらはっきりとした物言いがいかにも法王の名に相応しい。

 白銀の鱗に覆われた巨躯は、ラムレスのそれよりも遥かに雄大だ。なぜならば、ラングウィンは数万年前に転生して以来、力を蓄え続けているからだ。ラムレスよりも長い歳月を生きている。そのことが体格差にそのまま現れているということだ。ラングウィンの巨体は、“竜の庭”を囲うほどのものであり、その巨躯が教会から竜教徒を護っているといっても過言ではない。もし、ヴァシュタリアが“竜の庭”を攻撃しようものならば、その理不尽なまでに巨大さでもってヴァシュタリア領土を蹂躙し尽くすだろう。それほどの力を持ちながら、ラングウィンがみずから手を下すことはほとんどない。

《人間には人間の、竜には竜の生き方というものがあります。それは決して相容れるものではありません。そのことは、あなたもよくご存知のはず》

《共存共栄を望む貴様の言葉とは思えんな》

《共存共栄とは、同じように生きることではありませんよ、ラムレス》

 ラングウィンの穏やかな瞳が“竜の庭”の現状を映し出す。竜とひとが共存する稀有な世界は、ラムレスには理解のしがたいものだ。人間と竜が、どうやって理解し合い、どうやってと共に生きていけるというのか。竜と人間はまったく異なる生き物だ。根本が違う。どう考えても、わかりあうことなどできるわけがなかった。

《それぞれの生き方を尊重し、互いに支え合うことをいうのです。人間に竜の生き方を強要したところで詮無きこと》

《支え合う? ただ庇護しているだけではないか》

 ラムレスの目には、そうとしか映らない。

 脆弱な人間を強靭な竜たちが庇護しているだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのではないか。しかし、ラングウィンは、温和な表情でいってくるのだ。

《竜も人間に教わることはありますよ》

《ふん……くだらぬことを。やはり、貴様に聞きに来たのは間違いであったな》

 彼は、ラングウィンに背を向けた。人間に感化された竜など、なんの価値もない。彼はそう断じた。

《人間の赤子を育てるのは、人間に任せるのが一番ですよ》

《……馬鹿げている》

 彼は唾棄するように告げると、赤子を抱え、空を翔んだ。人間の愚かしさによって死ぬところだったこの子を人間の手に委ねることなど、彼には許せないことだった。ラングウィンのいうこともわかる。人間には人間の、竜には竜の領分があり、生き方があり、在り様がある。だからこそ、彼は人間に関わろうとはしなかったし、人間の助けを求める声にも応じなかった。

 竜と人は違う。

 そのことをもっとも理解しているのが自分である、と、ラムレスは自負していた。だからこそ、人間のことをよく知るラングウィンに話を聞こうとしたのだが、ラングウィンは人間は人間に任せるべきだという常識的な答えしかよこさなかった。そんなことはわかりきっているし、何度となく考えたことだ。

 結局、彼はラングウィンからなにを教わることもないまま、“竜の巣”へ舞い戻ると、苦闘の日々が始まった。

 人間の赤子を育てるにはどうすればいいのか。人間の赤子はなにを食べるのか。なにを考え、なにを想っているのか。考えなければならないことは山ほどあり、ラムレスはその赤子の育成に全力を注がなければならなかった。

 そういう日々が存外悪くないものだということに気づいたのは、赤子が少しずつ成長するのを見届けるうち、自分の心が穏やかになっていくことを知ったからだった。

 赤子は、人間だ。

 彼は、人間を忌み嫌っている。

 にも関わらず、赤子が這って動けるようになったことに歓喜し、“竜の巣”の眷属たちを招集するほどに大騒ぎした。

 彼は、日に日に、赤子の育成に夢中になっていく自分に気づき、苦笑した。

 なにを熱中しているのか。

 それではまるで、ただの親ではないか。



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