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武装召喚師――黒き矛の異世界無双――(改題)  作者: 雷星
第三部 異世界無双

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第千九百八十八話 竜と人(七)


 女の亡骸がなぜ動いていたのか、ラムレスには即座に理解できた。

 女は、新たな生命を胎内に宿していたのだ。にも関わらず、異端者という理由だけで殺された女は無念だっただろうし、どれほど運命を恨み、世界を呪っただろうか。いまにも生まれようという新たな命は、女の死によって永遠に未来を閉ざされた。生まれることなく死んでいく。なんと哀れで、なんと儚いことか。

 それでもなお、必死に生きようともがく胎内の命に対し、彼は、なにを想ったのか、手を差し伸べてしまった。無意識の行動だった。なにか考えがあったわけでもなければ、その結果、どうなるかなど想像もしていない。ただ、哀れに想っただけのことだ。

 人間嫌いのラムレスとて、情がないわけではない。

 生まれることなく死んでいくしかない運命に憐憫を感じるのは、ある意味では当然のことではなかったか。

 彼は、その強大な魔力を用いて女の亡骸に働きかけ、その胎内よりいまにも死にゆく命を取り出した。人間の胎児は、ラムレスの巨躯と比較するまでもなく小さく、なんとも儚げな存在であり、彼は、その姿を目の当たりにして、目を細めたものだった。強引に産み落とされた赤子のあまりに小さな手や足は、なにかを求めて虚空をさまよっている。父か母の温もりを求めているに違いない。竜の子も同じだ。生まれたばかりの赤子は、親の温もりを求めるものだ。

《父よ……それは……》

《唯一の生き残りのようだ。哀れなものよな》

 ラムレスは、魔力によって赤子を虚空に浮かせたまま、眷属に告げた。

《このものは、もはや死ぬしかない》

《……ならばなぜ、取り出したのです》

 眷属が、いう。

 確かにそのとおりだ。

 死の運命が待っているというのならば、そのまま、母の胎内で死なせてやればよかった。外の世界を知ることもないままではあったとしても、母とともに死んだほうが良かったのではないか。

《……わからぬ》

《哀れに想うのであれば、我らが“竜の巣”に連れ帰ればよろしかろう》

《我にこの子を育てよというのか?》

《その子を取り出したのは、あなたではありませんか》

《……道理よな》

 反論の余地のない正論に、彼は顔を顰めた。しかし、目の前に浮かべた胎児が双眸を開き、その穢れなき眼と見つめ合ったとき、彼は、己の中の価値観が揺らぐのを感じた。小さくも大きな目だった。なんの知識もなければ、竜がなんたるかを知らない赤子の目には、ラムレスの姿はどのようなものとして映ったのか。彼は、無垢としか言い様のない赤子の興味津々と言った表情に目を細めた。あまりにもか弱く、あまりにも幼い。

 このまま、このだれひとり生き残っていない村に放置すれば、この赤子は数日以内に死ぬだろう。北の大地は、極寒の地でもある。竜たちにとっては寒さなどどうということもないが、ひとの身には堪えるものであり、赤子ならばなおさらだ。

 彼は、先の問答を思い出すと、赤子を幾重もの魔力の層で覆った。冬の寒さから赤子を護るためだった。己の無意識の行動に彼は愕然とし、眷属たちの不思議そうな表情に憮然とする。生まれたばかりの赤子は、未だ彼を見つめていた。じっと、なにかを期待するような目で、彼を見ている。彼は頭を振ると、赤子を魔力球で包み込んだまま、背に乗せた。

 そして、彼はそのまま“竜の巣”へと舞い戻った。

 

 ラムレスが人間の赤子を拾って帰ってくると、“竜の巣”は大騒ぎとなった。

 前代未聞のことだった。

 少なくとも、“竜の巣”が成立して以降、彼が人間を“竜の巣”に引き入れたことは一度たりともなく、ましてやみずからの意志で人間を連れてくることなど、ありうることではなかった。天変地異でも起こるのではないか、とか、良くないことの前触れだ、などと囁き合う眷属たちの反応に、彼はなんちもバツの悪い顔に成らざるを得なかった。

 眷属どもの反応も、わからないではない。

 ラムレスとしても、自分の行動が不思議でならなかったし、未だに信じられない自分がいた。

 なぜ、人間の赤子を連れ帰ってきてしまったのか。

 彼は、自問自答を繰り返しながらも、魔力球の中の赤子が彼に対し向けるまなざしに対しては、根負けせざるを得ない。自分が人間であり、彼が竜であるという当然の理屈さえ、赤子には通用しまい。赤子は、人間だ。しかし、人間としての常識を教わってはいないのだ。生まれたばかりで言葉を喋ることさえできない。自分がなにものかさえ、理解していないのだ。

 そんな赤子を“竜の巣”に連れ帰り、なにをしようというのか。

《人間の子を育てるなど、まるで法王のようなことをされるものだ》

《このものは、我らの助けなくば生きてはいけぬ。あのまま、死なせておけばよかったというのか》

《おかしなことを仰る。人間など勝手に死ねばいいと常日頃仰られておいでではないか》

 眷属筆頭であるところのケナンユースナルの言葉には、反論のしようもなかった。

 ラムレスは、人間嫌いであり、そのことを知らぬ眷属たちではない。彼ら眷属は皆、ラムレスが人間を連れ帰ったことに驚愕し、自分たちが夢でも見ているのではないかと想っていた。それくらい、ありえないことだった。今日に至るまで、一度だって人間に情けをかけたことがない。あるとすれば、眷属たちの勝手な行動を黙認するくらいであり、それでも、眷属たちが動かなければなにもしていないのだから、寛容かといえばそういうことにはなるまい。

 人間など滅びても構わない。

 彼のそんな日頃の発言を知らぬ眷属たちではないのだ。

 そんな彼が人間の赤子を、それも生まれたばかりの胎児といっても過言ではないものを連れ帰ってきたことは、“竜の巣”始まって以来の大事件として歴史に名を残すことになる。

 ラムレスは、そんな騒ぎになることを理解した上で、それでも、その赤子を放ってはおけなかった。憐憫の情が湧いた。放っておけば死んだはずの命。手を伸ばし、助けてしまったのだ。助けてしまった以上、その命が終わりを迎えるまで面倒を見てやるべきだ。ここで手放し、命を終わらせることは、己が人間以下の存在であると言っているようなものだ。

 竜は、人間とは違うのだ。

 人間のように興味本位で生かし、興味を失えば殺してしまうような、そんな愚かしさは持ち合わせてはいない。

 生かした以上は、育て上げなくてはならない。

 しかし、どうやって育てろというのか。

 彼は、己の寝所に降り立つと、赤子を地面に下ろし、見つめ続けた。

 彼は、竜だ。人間でもなければ、人間の赤子を育てた経験などあろうはずもない。そのような経験を持つ竜など、世界中を見渡しても数えるほどしかいまい。だれもがラングウィンのように慈愛に満ちた存在ではないのだ。

《法王にでも、人間の育て方を聞かれるか。父よ》

《……馬鹿げたことを》

 いまさら、どの面下げてラングウィンに話を聞きに行くというのか。

 彼は、ケナンユースナルを一睨みすると、地面に横たわったままこちらを仰ぎ見ている赤子に視線を戻した。赤子は、当然だが、なにも身につけてはいない。生まれたばかりであり、人間の手にあるわけではないのだ。衣服など用意できるはずもない。

 やがて、“竜の巣”全域から、彼の寝所に竜たちが集まってきたのは、ラムレスが人間の子を連れ帰ってきたという報せが行き届いたからだろう。

《本当に人間の子だ》

《どうするつもりなのか》

《取って食うのか?》

《人間を食う竜など聞いたこともない》

《それにまずいという話だぞ》

《そもそも、我らには光と空気と水さえあればよいではないか》

《では、いったいなんのために?》

《さあな?》

 眷属どもの様々なささやき声が、寝所にて丸くなった彼の耳に届いては消えた。竜たちは皆、人間の赤子という異分子の存在に興味津々だったが、それもそのはずだ。“竜の巣”に人間が入ってくることなど、ありえないことだ。ましてやラムレスみずからが人間の赤子を連れ帰ってくることなど前代未聞であり、だれもがその赤子の特別性に興味を抱いた。人間嫌いのラムレスがただひとり、手元に置いている人間がその赤子なのだ。だれもが特別視するのは当然のことだったし、興味を持つのも必然だった。

 馬鹿げたことになった。

 彼は、“竜の巣”に訪れた予期せぬ新事態に憮然とするよりほかなかった。

 赤子は、まだなにがなんだかわからないまま、手足をばたつかせている。

 そんな様子を見ていると、なぜだか、心が穏やかになる自分に気づき、彼はまた、顔を顰めるのだ。

 人間の赤子が必死に生きようとしているだけだというのに、そのことが妙に心に残り、影響を及ぼしている。

 不思議だった。

 ついさっきまで、人間に興味など抱いたこともない自分が、いまは、この赤子の成長を見届けたいと想い始めていた。

 ラムレスは、自分の中に起きた変化を素直に受け入れると、赤子をどうするべきか、真剣に考え始めた。



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