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第千九百八十三話 竜と人(二)


 やがて方舟に追いついたのは、数日に渡る追跡の果てのことだ。

 ヴァシュタリア小大陸を南下し、ついには大海原の上空へと至った。日が昇り、また沈む。そうして追いつくまでに日数を必要としたのは、なにもラムレスの飛行速度が方舟よりも低かったからではない。むしろ、方舟に追いつこうと想えば、いつでも追いつくことは可能だった。少なくとも、方舟が全速力で飛行していない以上、ラムレスがその気になればいつでも距離を詰めることができたのだ。

 ラムレスが方舟と一定の距離を取りながら追いかけていたのは、追いついたあとのことを考えたからだ。

 方舟は、明らかに誘っていた。

 明確にラムレスの接近を待っていたのだ。

 これまで、何度となくクオンのにおいのする方舟を追跡したことがあるが、それらはいずれもラムレスの全速力でも追いつけるかどうかというほどの速度で飛行し、逃げ切ったものだった。ラムレスが全力を出さずとも、その気になるだけで追いつけるほどの飛行速度というのは、どう考えてもおかしい。奇妙であり、不自然なことだ。

 誘っているのだ。

 ラムレスはそう考え、方舟との接触を躊躇した。

 接触した結果、どのような事態が待ち受けているのか、想像もつかない。クオンが、ラムレスたちと話をするために速度を落としてくれたのかもしれないし、逆にラムレスたちを打倒するべく、手ぐすね引いて待ち受けているのかもしれない。これまで散々逃げ去っていった船だ。そんな船が突如として追いつかれることを待ち望むかのような様子を見せているということは、こちらに害意を持っていると考えたほうがいいだろう。

 クオンは、神軍の指揮官としてリョハン制圧の指揮を取っていた。もはや、ラムレスたちの知っている、彼が心を許し、ユフィーリアを委ねた人物ではなくなっている可能性も低くはなかった。

 神の徒に成り果てているかもしれない。

 無論、ラムレスは三界の竜王と呼ばれ、蒼衣の狂王と恐れられた竜の中の竜だ。異世界の神々が立ちはだかったところで、恐れることはなかったし、負ける気もしなかった。ただ、周囲への影響を考慮した。方舟側がもし、ラムレスを滅ぼすため、幾重もの策謀、罠を張り巡らせているのであれば、その攻撃は想像を絶するものとなるだろう。それを防ごうとすれば、強大な力を振るわざるを得ず、周辺の地域に悪い影響を及ぼす可能性がある。人間がどうなろうと知ったことではないが、ヴァシュタリアの大地をこれ以上傷つけ、破壊することは、その大地で何百年と過ごしてきた彼にはとてもではないが、考えられないことだった。

 海上、遥か上空ならば、その影響も地上ほど大きはないだろう、と、彼は考え、大陸上空を大きく離れた頃から、飛行速度を上げ、未だゆらゆらと空を浮かび続ける方舟に接近していった。

 やはり、方舟はラムレスたちの接近を待っている。

 そのことは、方舟のあまりに白々しい飛行速度からも窺い知れる。ユフィーリアですら、方舟側の罠を疑い、接近を躊躇したほどだ。いかに方舟の誘引があからさまだったのか、わかるだろう。

 しかし、ラムレスもユフィーリアも、クオンの真意を問いたださなければならないと考えている以上、方舟に接近するほかなかった。

《随分慎重を期したようだが、やはり、追いかけずにはいられなかったか》

 唐突に響いた聲とともにラムレスの進路上、方舟との間に現れたのは、リョハン防衛戦の主戦場に現れた女神だった。セツナとの激闘の中で両腕を切り落とされた女神は、どういうわけか復元させることもなく、別に作り出した腕でその機能を補っていた。理由はわかりきっている。魔王の杖だ。魔王の杖に秘められた毒が猛威を振るい、失った腕の再生さえできなくしてしまっているのだ。さすがは魔王の杖というべきだろうし、その使い手たるセツナを切り札と定めたクオンの慧眼もさすがというべきだろう。しかし、そのクオンは神の軍勢とともにあり、その指揮官と成り果てている。かつて彼が語った夢とはかけ離れた立ち位置であり、それがラムレスには解せない。

《罠とわかっていても、追わずにはいられない。それは彼との絆故、か》

《貴様には関係がない》

「そうだ! これはわたしたちとクオンの問題だ!」

 ユフィーリアがラムレスの背に立ち尽くし、叫ぶ。彼女の怒りは、クオンとの再会を邪魔したことで頂点に達していた。

《ふふ……そうよな。それだけならば、そなたらだけの問題といってよい。だが、現実はそう甘くはないのだよ》

 女神の無数の手が虚空を撫でるたび、光が波紋のように広がった。無数の波紋。幾重にも広がり、無数に拡散する。そして、波紋の中心から爆発的な量の光が溢れ出す。光は、神威そのものだ。莫大な量の神威が無数の光芒となって女神の周囲へと拡散し、極端な曲線を描いてラムレスへと殺到する。ラムレスは吼え、全魔力を開放することで対応する。蒼衣の狂王の名のままに、群青の光がラムレスの全身を包み込む。莫大な魔力の奔流が魔法の装甲となり、殺到する無数の神威光線を尽く受け流す。魔法壁に弾かれた神威光線のほとんどは海面に突き刺さり、無数の水柱が立ち上った。

《さすがは三界の竜王……この世の神よ》

 女神の賞賛の聲を黙殺したラムレスは、魔法壁を展開したまま女神の頭上を超え、そして、方舟の上空へと至った。女神の追撃も、ラムレスが全力で構築した魔法壁の前では意味をなさない。所詮、女神はヴァシュタラの一部に過ぎなかった神なのだ。ザイオンやディールの神とは比べ物にならないくらい、か弱い。とはいえ、それはラムレスが防戦に徹しているからこそであり、こちらが攻撃に転ずれば、女神に致命傷を与えられるかどうかはまた別の話だ。

 流線型の奇妙な船は、甲板が半透明の天蓋に覆われる形で存在しており、上空から見下ろすと、その甲板上にクオンの姿があることがわかった。純白の甲冑を着込んだ、白髪の青年。二年前と様変わりした姿の、しかし、クオン以外のなにものでもない人物。ラムレスは、無意識に吼えていた。

《クオン……!》

「クオン!」

《待て、ユフィーリア……!》

 ラムレスの制止は、遅すぎたのだろう。

 ユフィーリアは、おそらく、甲板上のクオンを目の当たりにした瞬間には、ラムレスの背を飛び離れていた。そして、あっという間に方舟へと至ると、手にした竜骨の槍で天蓋を貫き、甲板上へと降り立ったのだ。甲板上にはクオンひとりではなかった。クオンの配下と思しき白き甲冑のものどもが何人もいて、それらがユフィーリアを取り囲むのをラムレスにはどうすることもできなかった。ラムレスは、女神の猛攻を裁くのに精一杯だったのだ。、

 いくらか弱い神とはいえ、神と呼ばれるだけのことはあるのだ。その力は膨大にして強大だ。魔法壁を解けば、その瞬間、痛撃を受けることになるだろう。いかにラムレスが偉大なる転生竜とはいえ、神の力をまともに受けて無事で済むわけがない。かといって、ユフィーリアを見捨てることなどできるわけもない。愛する娘をむざむざ見殺しにすることなど、できるわけがないのだ。

(クオンになど、逢わせるべきではなかった……!)

 彼は、女神の猛攻をかわしながら、内心、絶叫するように想った。

 ユフィーリアがラムレスの言葉を待たずして飛び降りたのは、甲板上にクオンの姿があったからだ。ユフィーリアにとって、クオンは最初の人間の知り合いであり、友人であり、同胞だった。そこに親愛の情があったのかどうかはともかく、彼女がクオンをこの上なく信頼し、依存さえしていたことは、ラムレスの目には明らかだった。

 だからこそ、ラムレスは、ファリアに期待した。ファリアは、ユフィーリアの新たな友人であり、新たな依存先となりかけていた。決して良くないことではあるが、このまま、ユフィーリアがファリアに依存するのであれば、それでもいいとさえ想っていた。クオンから解き放たれるのであれば、だ。

 ユフィーリアは、竜の子として育った。育てたのは、ラムレスだ。ラムレスとその眷属たちの楽園で、竜の子供たちとともに育った。人間とは無縁の世界だった。人間に触れさせようとも思わなかったし、それこそが彼女にとって幸福なのだと彼は考えていた。ラムレスは、人間を信用してはいない。人間は簡単に嘘をつく。自分が助かるため、自分が利を得るため、金のため、欲のため、理由は様々あれど、とにかく、嘘をつく。信など置けるものたちではない。故にラムレスは、ユフィーリアを竜の子として育て続けた。

 だが、そうするうち、ユフィーリアに情が移る。

 ユフィーリアは、どこからどう見ても人間なのだ。彼女が竜語を話し、竜の呼吸法を体得していたとしても、人間以外のなにものでもないのだ。竜の世界で生きていくには、人間の体はあまりにもか弱すぎた。仔竜にとってはなんのこともない怪我も、彼女にとっては致命傷になった。ちょっとしたことで命を落としかねない。

 人間はあまりにも脆く、か弱い。

 竜と同じ世界で生きていくのは、不可能なのではないか。

 彼女は人間の世界で、ひとりの人間として生きていくほうが幸せなのではないか。本当の幸福とは、そこにこそあるのではないか。

 懊悩と逡巡の末、ラムレスは、ユフィーリアに人間としての教育を施すこととした。そのために竜教徒の人間を召し寄せ、ユフィーリアに人間の言葉、礼儀作法を身につけさせた。

 そして、運命のあの日、ラムレスとユフィーリアはクオンと出逢った。

 出逢ってしまった。



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