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第千九百七十六話 彼と彼女(七)


「そう、暗殺計画」

 言ってしまった以上、もはや、引くには引けない。

 ファリアが傷つくかもしれない。悲しむかもしれない。しかし、彼女が納得してくれないことには、どうしようもないのも事実なのだ。ファリアをこの場に止めておくには、彼女の理解が必要だ。納得できなければ、強引にでもセツナを振り切り、戦宮に帰り着くことができる。ファリアは武装召喚師だ。それくらいのことはたやすい。そして、セツナは、ファリアをここまで誘拐してきたものの、彼女を無理矢理に引き止める手段などあろうはずもなかった。

 もちろん、黒き矛や眷属の力を用いれば、召喚武装を呼び出したファリアを制圧することなど容易い。しかし、彼女に危害を加えさせないために傷つけるなど本末転倒も甚だしく、また、愛する彼女に手をかけることなど、セツナにできようはずもないのだ。当然、そのことを理解しているであろうファリアは、説明に納得がいかなければ、強引にでもセツナの手を振り解き、己の優位性を利用してこの場を脱するだろう。それくらいできなければ、戦女神などやってはいられまい。

 故に、セツナは、この戦女神誘拐事件を理解してもらわなければならず、数日間、ほとぼりが覚めるまではここにいてもらうよう、説得しなければならないのだ。

 そのために暗殺計画に言及するのは避けたかったが、リョハンの事情について詳しくもなければ、彼女の置かれている立場について正確に理解しているわけでもない以上、彼女が心底納得できるような完全無欠の言い分など、思いつくわけもなかった。アレクセイは、そこら辺、セツナに丸投げしていて、ファリアを攫ったあとは上手くやってくれ、とだけ告げてきたのみだ。つまり、攫ったあとのことは、セツナ任せということなのだ。アレクセイとしても、どのようにすればファリアを説得し、納得させることができるのか思いつかなかったのかもしれない。ファリアの責任感の強さと頭の硬さは、政治家として長年働き、様々な修羅場を潜り抜けてきたであろうアレクセイをしても、如何ともしがたいものがあるのだろう。

 セツナが暗殺計画の概要に触れざるを得なくなったのも、致し方のないことだったと思うよりほかなかった。

 そして、一度いってしまったからには、開き直り、伝えるしかなかった。

 セツナは、愕然とするファリアにアレクセイから伝えられたことを包み隠さず伝えると、動揺を隠せない彼女の心痛を自分のことのように感じ取った。この二年と数ヶ月、戦女神としての務めを懸命に果たそうとし、実際に果たしてきた彼女にとって、護峰侍団の一部の人間が彼女を害してまで排除しようとした事実は、彼女にとって余程衝撃的で、深刻な出来事だったのだろう。ファリアは、セツナの説明を聞くと、目を合わせたまま、しばし呆然とし、一言も発さなかった。

 沈黙の長さが、彼女の受けた心の傷の深さを物語っているようであり、窓から窓へと吹き抜けていく夜風の冷ややかさがセツナの安直さを嘲笑うようだった。いくらほかに方法がなかったとはいえ、アレクセイから伝えられたことをそっくりそのまま、包み隠さず彼女に伝えるのは、あまりにもやり過ぎだったのではないか。罪悪感と後悔がセツナの心に押し寄せ、黙り込んだままのファリアの目を見つめていることもできなくなった。

「……わかったわ」

 やっとの想いで口を開いたファリアの一言は、納得というよりはほかに選択肢がないとでもいうべき代物のように聞こえた。

「状況が落ち着くまで……お祖父様からの連絡があるまで、ここに身を潜めていればいいのね」

「ああ……そうしてくれると、助かる」

「ううん。それをいうのは、わたしよ」

 頭を振ったファリアは、セツナに向かって無理やりに笑顔を浮かべてきたようだった。多少、引きつったような笑みは、彼女が本心から笑っているわけではないことを示している。

「ありがとうね、セツナ」

「いや、感謝するべきはアレクセイさんにだと思う。俺はいわれたことをしただけだから」

「……お祖父様にも、感謝しているわ。でも、お祖父様が頼ったのは君で、君じゃなければできなかったことよ。だから、君に感謝するのも当然のこと」

 またしてもありがとうといってくる彼女の本心がどこにあるのか、その作られた笑顔の中に探し出すこともできず、セツナは、途方に暮れるほかなかった。

 セツナとしては、正しいことをしたといまも想っている。ファリアの命を守るためだ。そのためならば、彼女の不興を買い、失望させようとも構わなかった。彼女に好かれるための行いではない。愛するひとを失いたくないからこその行動であり、その結果、愛するひとから嫌われたとしても、致し方のないことだ。無論、ファリアがそのような浅慮な人間ではないことはわかっているし、セツナとアレクセイがなぜこのような行動に出たのか、理由を知れば、納得し、理解してくれることだろう。

 とはいえ、戦女神たる彼女にとって、到底受け入れがたい決断だったこともまた、事実として認識しなければならない。

 そのことを受け入れた上で、セツナは、ファリアの心に負ったであろう傷の深さを考え、自分の迂闊さを呪いたくなるのだ。

 ほかにましな言い分はなかったのか。

 そのことを一晩中、考え続けた。

 

 暗殺計画。

 彼が大真面目にいってきたその話を聞いたとき、ファリアは、呆然とした。せざるを得ない。かといって、即座に否定し、笑い飛ばすこともできなかったのは、彼がそのありもしない計画を疑いもせず、真剣そのものだったからだ。いくらありえないこととはいえ、そのことに真剣に取り組んでいる人間を茶化せるほど、ファリアは愚かではない。

 セツナは、真剣だった。真剣に暗殺計画を阻止するべく行動し、ファリアを戦宮から攫ったのだ。それもこれもファリアのためであり、それ以外のなにものでもないことくらい、彼の言動をみれば明らかだ。リョハンのため、などという考えは、彼の思考から抜け落ちている。そも、彼はリョハンの人間ではない。リョハンのために動く道理がない。

 だから、暗殺計画を信じ込む彼の純真さに呆れる一方、嬉しくもあったのだ。笑わなかったのは、それもあるかもしれない。

 彼は、彼女を暗殺から救うために全身全霊で今回のことに取り組んでいる。どこにも手を抜いている気配はなかった。それだけ、彼がファリアのことを大切に想ってくれているという証左であり、ファリアは、その事実を認識するだけで頬が緩みそうになる自分に気づいた。だから、微妙な表情にならざるを得ない。ともすれば彼の想いを受け止め、にやけてしまいそうになるのを抑えなければならなかった。でなければ、彼の真剣な想いを踏みにじることになりかねない。

 彼は、真剣に話している。

 大真面目に。

 ありもしない架空の暗殺計画と、それを阻止するべく動いたこと、そこに彼女の祖父アレクセイ=バルディッシュが一枚噛んでいることを彼は真摯に伝えてくれた。洗いざらい、知りうる限りの情報を明示してくれたのだ。ファリアは、そこにセツナの誠実さを見ると同時に、彼の純粋さを思い知ることにもなった。

 要するに彼は、アレクセイに謀られたのだということがはっきりとわかったからだ。

 戦女神暗殺計画など、画策されるわけがないのだ。

 セツナは、アレクセイから聞いたまま、反戦女神派の一部の強硬派が暴走した末に暗殺計画を練り、ついに今宵、実行に移すつもりだった、という。故にセツナは、アレクセイにいわれるまま動き、ファリアを戦宮の寝所から誘拐し、ここまで運んできたのだ。だが、その前提がありえない妄想でしかないことを彼は知らないのだ。

 確かに反戦女神派と呼ばれるひとたちはいる。

 約二年に渡ってリョハンの象徴、中心たる戦女神を担ってきたファリアへの反発心から結成された派閥は、難民問題などによって明確化した。先の議長モルドア=フェイブリルを頂点とする派閥は、しかし、戦女神の足を引っ張るようなことすらなく、ただ対立する派閥としてだけ存在していた。彼らは、徒党を組んで戦女神と対峙し、戦女神のやり方を公然と非難しこそすれ、だからといって戦女神の命令に抗うようなことさえなかった。リョハンの統治機能としての戦女神を否定するほど、彼ら反戦女神派は愚かではない。そして、その反戦女神派も、モルドア=フェイブリルの辞任によって勢いを失い、いまや壊滅状態にあるといってもよかった。

 護山会議、護峰侍団の一部には未だに反戦女神派を掲げるものがいないわけではない。しかし、それは公然としたものであり、行動を起こせば、即座に特定されるほどのものだ。そして、そういった連中の意見というのは、まっとうな意見でしかない。その上、彼らは、戦女神を否定するのではなく、そのやり方に否定的なだけなのだ。戦女神を排除しようとする動きは、反戦女神派の動きが活発だったころから一切なかった。

 戦女神の必要性をもっとも理解しているのが護山会議であり、護峰侍団なのだ。

 そんな連中が戦女神を暗殺する計画を練るはずもなければ、仮に暗殺を計画したとして、アレクセイに決行日まで握られるような杜撰な計画を立てるわけもない。もっと、だれにもわからないよう密やかにやるものだろう。

 なぜ、アレクセイが暗殺計画を知り、決行日さえも知っていたのか。 

 単純な理屈だ。

 彼が計画し、彼が日程をも決めたからだ。それ以外には考えられない。それも、セツナに阻止されるのが前提の計画であり、ファリアがセツナに攫われることも織り込み済みなのだ。

 今夜だったのも、今日、セツナと接触することができたからだろう。もし今日接触できず、明日であれば明日の夜が暗殺計画の決行日だっただろうし、明後日なら明後日、そのつぎならばそのつぎと順延していっただろう。

 しかし、アレクセイがなぜ、このような計画を立て、実行に移したのかはわからない。

 なんのために、こんなバカげた茶番を仕組んだのだろう。

 積もり積もっていた埃も少なくなり、寝転ぶことも不可能ではなくなった寝台の上に横たわりながら、彼女は、ぼんやりと薄暗い天井を眺めていた。

 祖父の考えは、まったく読めなかった。

(どうして……こんな……)

 祖父が、ファリアのことを思ってくれていることは、わかっている。アレクセイは、いまやただひとりの肉親といってもいい。護峰侍団の三番隊長を務めるスコールとは多少の距離感があるが、アレクセイは、戦女神派を公言し、ファリアのために進言してくれもしていた。だからといって彼に甘えてはならないと自戒していたが、それでも、ファリアはそんな祖父に常に感謝していた。

 そんな祖父だが、今回の出来事ばかりはファリアにもまったくもって理解できなければ、納得のできないことだった。

 実際に暗殺計画が練られたのだとして、なにもセツナに頼む必要はない。七大天侍にそれとなく伝え、警備を強化すればそれで事足りるだろう。七大天侍は、リョハンでも特に優れた武装召喚師たちだ。シヴィル、グロリアの二名は特に優秀であり、彼らに任せれば、ファリアが暗殺されることなどまずありえない。アレクセイは、セツナには議長代理たる自分が七大天侍を動かすのは難しいようにいっていたようだが、そんなことがあるわけもない。

 セツナと密談する機会を設けたように、七大天侍をだれに知られることもなく動かすことくらい、アレクセイならば容易いことだ。

 なぜ、そうしなかったのか。

 なぜ、セツナでなければならなかったのか。

 ファリアはそこまで考えたとき、はたと気づくことがあった。

(あれ……?)

 この大きくも虚ろな廃墟同然の屋敷にいるのは、彼女ともうひとり、セツナだけではないのか。

 その事実を認識したとき、ファリアは、自分の胸が突如として高鳴りだしたことを知った。

 

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