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第千九百七十四話 彼と彼女(五)


 アレクセイが用意したというその建物は、空中都の北西の果てに位置している。

 北の離宮と呼ばれる一角よりもさらに北西へと移動した先にあり、空中都の中心から遠く離れ、建物のある場所と北の離宮の間にさえ断崖が横たわっていた。断崖の上には橋がかかっており、歩いて行き来することは可能なようだが、長い間、ひとの手が入った様子はなかった。手入れもされておらず、鍵のかかっていない扉ですら重かった。錆びついているのだ。

 その建物は、空中都の遺跡群のひとつだが、戦宮とは異なり、金属製の扉が取り付けられたり、硝子窓が設置されたりしていて、遺跡が作られた当初の人間ではなく、後世の人間によって手が加えられていることがよくわかった。空中都の家々がそうであるようにだ。つまり、ここも当初は空中都の一部として、利用されていた時代があったのだろう。しかし、いまや護峰侍団の巡回経路からも外されるくらい、ひととは無縁の場所になってしまったようだ。そして、そのまま放置していてもなんの問題もないくらい、空中都というのは治安がいいらしい。

 それは、護峰侍団による巡回のおかげだけではない、ということを示している。

 なぜならばこの建物は、巡回経路に入っていないからだ。

 にも関わらず、犯罪者の巣窟になるようなことすらない。そもそも、リョハンでの犯罪の発生率というのは極めて低いという話だし、巡回の有無に関わりなく、法を侵そうという人間が現れにくい都市なのだろう。

 建物の中は、真っ暗だった。満天の星空に照らされた屋外のほうが明るく感じるほどだ。しかし、セツナの目には、その闇の中であっても、はっきりと建物の輪郭がわかった。広い玄関から長い廊下が続いていて、左手にいくつもの部屋が並んでいる。いずれも扉は開け放たれたままだ。屋内に上がり込むなり足元に置かれた携行用の魔晶灯を手に取る。アレクセイが用意してくれていたものだ。

「真っ暗ね」

「これがある」

「魔晶灯? だれが用意してくれたのかしら?」

 ファリアの何かを察したような言いようにセツナは、口角を緩めた。さすがの彼女もこの状況に至れば冷静さを取り戻し、事態の把握のため、全力を発揮するようだ。どこでどう気づいたのかは、想像もつかない。

 もしかすると、この建物が手がかりとなったのかもしれない。

 この建物は、立ち入りが禁じられており、本来扉には鍵がかかっているのだとアレクセイがいっていた。無論、セツナが強引に開けたわけではなく、アレクセイが事前に開けてくれていたのだ。護山会議の議長代理である彼には、立入禁止区域の建物の鍵を手に入れることくらい、造作もないのだろう。

 魔晶灯を点灯させると、冷ややかな青白い光が放射状に拡散した。光は強く、それだけで屋内の様子が把握できた。

「まるで廃墟だな」

「まるで廃墟ね」

 異口同音に近い言葉を吐いて、セツナはファリアを振り向いた。彼女は、セツナの右隣に立ち、同じくこちらを見て、そして笑った。セツナも笑うしかなかった。実際、廃墟同然の光景が広がっていた。玄関も廊下も埃まみれであり、扉を開いたことによってが入り込んだ外気が、それら埃を舞い上げ、視界を席巻するかのように渦巻いている。それだけでも立ち入りたくなくなるというのに、廊下側に倒れ込んでいる扉の数々を見ると、踏み込むのが億劫になった。複数の部屋の扉が廊下の床に向かって倒れ、その上に埃が積もっているのだ。何年どころではない。扉が倒れてから何十年以上もの月日が経過しているのは、その一事だけで明らかだ。その埃の中に足跡がくっきりと残っている。だれのものかは想像するまでもない。アレクセイだろう。ファリアがしばらく隠れ住む場所なのだ。みずから赴き確認するのは、アレクセイとしては当然のことだったに違いない。彼は、ファリアの祖父であり、彼女を心底愛している。そのことは、彼の言動からも明らかだった。

「本当にこの先に行くの?」

「ああ。なにか問題でも?」

「おおありよ」

 横目に見ると、彼女は不満げな表情を浮かべていた。理由も聞かされずに連れてこられたことへの不満もあるだろうが、建物内の惨状を目の当たりにしたことで、そちらに比重が傾いているようだ。

「こんなほこりまみれの中を歩くなんて、どうかしているわ」

「ま、戦女神様の健康を害したくはないが」

 それは本心ではあったが、彼は、ファリアの手を取り、握り締めると、有無を言わさず歩き始めた、

「一緒に来てくれ」

「ちょっ……と」

 ファリアは、抗議の声を上げかけたが、それ以上はなにもいってはこなかった、手を握り返してきたことが彼女の返答だと勝手に解釈する。

 埃舞う廊下をひたすら真っすぐに進む。セツナの足が床を踏むたび、床を離れるたびに埃が舞い上がり、盛大に視界を覆ったが、彼はみずからの手で振り払うことはできなかった。左手は魔晶灯を掲げ、右手はファリアの手をしっかりと握っている。だからといってなにもしないままでは埃が鼻や口から器官に入り、健康を害しかねない。ファリアのことも考えれば、なおさらだ。

 幸い、セツナは身に纏ったメイルオブドーターは未だ送還しておらず、メイルオブドーターの能力を行使することは可能だった。万が一のときのためにと装着したままだったのだ。メイルオブドーターの背部から翅を展開させると、前方に向かって大きく羽撃かせた。闇色の翅が視界を覆ったかと思うと、突風が巻き起こり、眼前の埃を吹き飛ばしていく。目の前の埃だけではない。廊下の床や扉に積み上がった埃も尽く吹き飛ばし、遥か彼方へと追いやった。とはいえ、屋内は閉鎖空間であり、埃の逃げ場がないため、廊下の奥の部屋に追いやったにすぎない。

「根本的な解決にはならないけどな」

「でもまあ、しばらくは安心ね」

「そういうこと」

 うなずき、先へ進む。

 アレクセイは一階奥の広間に、数日間分の荷物を運び込んでいるといっていた。食料や衣類だ。無論、アレクセイひとりで運び込んだわけではないだろう。彼が信頼のおけるものたちに頼んだに違いない。アレクセイがこの建物に荷物を運び込んだところで、それが戦女神の避難先だとはだれも想像できず、疑問を抱いただけのことだろう。その疑問に対し、アレクセイがどのように答えたのかは想像しようもない。答える義理はないとでもいったかも知れず、まったく別の答えを話したかもしれない。

 廊下の奥へ向かう最中、何度かメイルオブドーターの翅を羽撃かせることになった。一時的に吹き飛ばした埃は、突風とともに跳ね返ってくるからだ。そのたびに吹き飛ばす方向を変えてみたりしたが、結果は、大きく変わらなかった。あまりにも埃が多すぎるからだ。

「とにかく、窓を開放するのが先決だな」

「そうね……話は、それからでいいわ」

 さすがのファリアも、セツナの提案には納得してくれたようだった。

 彼女としては、一瞬一秒でも早くこの状況に陥った理由を知りたいだろうが、それはそれとして、埃まみれの状況を改善したいというのも本音だろう。

 廊下の奥、右手に広間があった。そこがアレクセイのいっていた広間だということは、部屋の片隅に積み上げられた荷物の数々を見れば一目瞭然だ。その荷物だけ、埃がほとんどかかっていない。古びた室内とは雰囲気の異なる真新しさも、異物感を醸し出していた。

 セツナは、荷物を確認できたことでほっとすると、魔晶灯をファリアに手渡した。

「手分けして窓を開けよう」

「ええ」

 反論ひとつないファリアの様子から、彼女がいかにこのほこりまみれの空間に辟易しているかがうかがい知れて、なんだか悪い気がした。

 しかし、セツナとしてみれば、彼女の命を護り、リョハンから害悪を一掃するにはこれ以上に最良の方法はなく、なんともいえない面持ちになった、

 彼女を失いたくもなければ、傷つけたくもない。

 なにをどう伝えれば、彼女の心を傷つけずに済むのだろうか。

 強化された感覚を頼りに暗闇の中を歩きながら、セツナは、そればかりを考えていた。

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