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第千九百七十三話 彼と彼女(四)


 ファリアが状況を理解したのは、セツナがどうやら目的地らしき場所に辿り着き、地上に着地してからのことだった。

 それまで彼女の中の混乱は加速する一方であり、想い人に抱きかかえられているという本来なら夢心地の境遇も、そのときばかりは満喫する余裕もなかった。それが夢ではなく、現実そのものであると認識したとき、彼女の頭の中は真っ白になり、なにをどう考えていいのかわからなくなるほどの混乱が生じた。混乱が収まるまでの間、セツナはなにもいわなかった。ただ、ファリアを抱きしめる力を緩めることもなく、ひたすらに夜空を駆け抜けていたようだった。

 よくは覚えていないが、そういうことのようだ。

 そして、セツナが地上に降り立ち、ファリアを両腕の中から解放したころ、彼女はようやく混乱から立ち直り、冷静さを取り戻すことができたのだった。

「いったい、どういうことなの?」

 降り立った場所がどこであるのか確認するよりもまず、ファリアは、セツナに問い詰めた。

「どうして、君がわたしを……」

「一先ず、中に入ろう。外は寒い」

「ちょ、ちょっと」

 ファリアが呼び止めるも、伸ばした手は空を切った。セツナは、目の前の建物の玄関に向かい、扉を開くと、こちらを見た。入れ、ということなのだろうが、彼女は彼の行動が理解できず、頭を振った。従えるわけがない。なにが起こっているのか、まったくわかっていないのだ。

 夢だと想っていた。

 セツナに抱きしめられながら星空を散歩する、幸福な夢だと。

 だが、違った。夢などでもなければ、幸福なものでもなかった。わけのわからない現実だった。それこそ、彼女の立場を考えれば、ありえないことであり、あってはならない出来事の真っ只中にいる。

 セツナは、寝入っているファリアを戦宮からさらい、このどことも知れない古びた建物の前へと連れてきたのだ。

「いったいどういうことなのか教えてくれるまで、動かないわよ」

「……困ったな」

 セツナは、心底、困り果てたような顔をした。彼がそんな表情をするのもめずらしいと想う反面、彼女は、彼にそんな資格はないだろうといいたかった。

「困っているのはわたしのほうよ。どうして、わたしを攫ったりなんてしたの? そんなことをすればどうなるか、わからない君じゃないでしょう? 早く戦宮に連れ戻しなさい。でないと……」

「でないと?」

「君の立場が……」

 悪くなる、などというものでは済むまい。

 戦女神を攫ったのだ。戦女神はリョハンの象徴であり、支柱であり、希望だ。その戦女神に害を成すものは、万死に値するとだれもが考えている。これまで、リョハンの歴史上、戦女神がリョハン市民に危害を加えられたことはないが、もし万が一そのようなことがあれば、犯人は、即刻処刑されることになるだろう。たとえどのような理由があれ、リョハンの秩序の頂点に在るものを傷つけることなど、許されることではない。 

 ファリアは、セツナによって傷つけられてはいない。しかし、寝込みを襲われ、連れ去られたのだ。それだけでも重罪に値する。だが、いまならばまだ、間に合うかもしれない。まだ、戦宮が大騒ぎになっていないのならば、ファリアを寝所に連れ戻してくれれば、なにもなかったことにできるかもしれない。たとえ、警備の人間たちが騒いでいても、いますぐに戻れば、騒ぎを収めることもできるだろう。夜の散歩にでかけただけだとでもいえばいい。セツナに頼んで、連れ出してもらったのだとでもいえばいい。そうすれば、問題にはならない。事件にはならない。セツナの名に傷もつかない。

「俺の立場なんてどうだっていいさ」

「良くないわよ。全然、良くない」

「俺がいいっていってんだよ」

 セツナの強情さには、さすがのファリアも腹が立ってきた。これほどまでに彼のことを想い、いっているというのに、彼はまったく理解しようともしてくれない。そのことがどうしようもなく腹立たしい。

「わたしにとっては、良くないことよ。そうでしょ? 君の立場が悪くなれば、わたしは、君と……」

「俺と?」

「……逢うこともできなくなるじゃない」

 勇気を振り絞っていった言葉は、確かに彼に届いたようなのだが、彼は微笑んでくるだけで、この暴挙を反省する素振りも見せなかった。それどころか、ファリアには理解し難いことをいってくるのだ。

「そうなりたくないから、攫ったんだよ」

「え?」

「詳しい話は、中でする。とにかく、中にはいってくれ。ここは寒いし、だれかに見つかる可能性だって、ないわけじゃない」

「それは……」

 どういうことなのか。

 問おうとして、辞めた。問うたところで、彼が答えてくれるとは想えなかった。

 ファリアは、改めてここがどこなのかを知るべく、周囲を見回した。セツナがファリアを入れたがっている建物は、古代遺跡群をそのまま利用した空中都の建築様式とまったく同じものだ。つまり、セツナはそれほど長時間飛行していたわけではなく、空中都の中を移動していたというだけのことのようだった。しかし、その一軒家程度の建物の周囲は廃墟のような有り様であり、空中都の中心部から遠く離れていることも理解できた。どうやら、空中都の中心から随分離れているということも、把握した。廃墟の周囲は断崖になっていて、橋がかかっている。その橋の先に北の離宮と思しき遺構が見えた。つまり、ここは空中都の北の果てということだ。

 北の離宮は護峰侍団の巡回経路に入っているが、ここまでは来ないはずだった。この建物周辺は廃墟同然であり、犯罪者の巣窟にもなれはしないからだ。わざわざ、人手を回す必要もない。だからこそ、セツナはこの建物を隠れ場所に選んだのだろうが、だとしたらひとつ、不自然なことがある。

 セツナがどうして、護峰侍団の巡回経路を知っているのか、ということだ。

 無論、空中都の中心部から離れた場所を適当に選んだ、という可能性もある。しかし、そういった放置された建物も護山会議と護峰侍団によって管理されており、鍵がかかっているはずだった。セツナは、扉を開いている。鍵がかかっていなかったのだ。本来、そんなことは絶対にありえないことであり、ファリアは、セツナひとりの判断ではないのではないかと考えるに至った。

「わかったわ。中に入ったら、しっかり説明してもらいますからね」

「ああ、ちゃんと話すよ」

 セツナの真摯な対応に、ファリアは、なんだか安堵する想いだった。当然だが、セツナが本来このような暴挙を理由もなくする人間ではないことは、だれよりも理解している。彼は、他人の立場を尊重する人間だ。ファリアが戦女神に徹しているのであれば、それを邪魔することなどありえなかった。今回のことだって、なにかしら理由があるはずだ。でなければ、彼女は彼に失望し、幻滅することだろう。

 そのほうがいいのかもしれない。

 などと、多少、思わないではない。

 彼に失望し、幻滅してしまえば、恋に現を抜かすなどということはなくなるだろう。そうなれば、もう二度と、だれかを好きになることはあるまい。だれかを想うことも、だれかを愛することも。けれどもそうすれば、戦女神に生涯を捧げることも難しくはなくなる。少なくとも、彼との想いの間で揺れるようなことなどなくなるのだ。

 けれども、建物内に入った彼女を待っていたのは、そんな悲しい運命などではなかったし、むしろ彼への想いをより深くする出来事であり、彼女は自分の浅はかさを思い知るとともに、彼の愛情を思いがけずに認識することとなった。

 彼は、彼女を護るために必死だったのだ。

 


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