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第百九十六話 急転直下

ハーレン=ケノックがマルウェールを任されるようになって、半年が経過している。

 第五龍鱗軍翼将に任命されたのも、ちょうど半年前のことだ。

(半年前……)

 彼は、瞑目して考える。

 彼の親友であり、志を同じくする仲間であったエルアベル=ビューネルが最後の賭けに出ると息巻いていたあのころ。もう若くもないにも関わらず、革命の理想に酔い、青臭さを振りまいていたのが懐かしくもあり、気恥ずかしくもあった。が、当時は真剣だったのだ。それは紛れもない。本気でミレルバス=ライバーンを打倒し、ザルワーンを五竜氏族の手に取り戻そうとしていたのだ。ミレルバスの才能至上主義は、血統主義者たる五竜氏族には受け入れがたいものであり、ビューネル家の分家たるケノック家のハーレンもまた、ミレルバスのやり方には反発を覚えたのだ。

 ミレルバスは、血筋による支配を否定し、実力と才能による改革を断行していた。無論、五竜氏族すべたが蔑ろにされているわけではない。才能さえ、実力さえあれば登用され、重用されもしたのだ。しかし、ザルワーンの歴史を鑑みれば、五竜氏族以外の人間が要職につくなどありえなかったのだ。ミレルバスの改革を歴史と伝統への挑戦と受け取ったエルアベルは、同志を募り、反乱の機会を待っていた。

 ハーレンが、エルアベルの考えに賛同したのは、自分がケノック家の人間だからこその地位にいたからであり、ミレルバスの改革が進めば、既得権益のすべてが失われるに違いないという恐怖があったからだ。実際、その通りだ。龍鱗軍の翼将にせよ、龍牙軍の天将にせよ、五竜氏族の子女によって固められていたはずの地位は、軒並みどこの馬の骨とも知れぬ連中に取って代わられた。やがてケノック家の権力も奪われるのは間違いなく、ハーレンがミレルバス政権に反抗するのも自然な流れだったのだ。

 しかし、彼の反抗心はあっけなく消える。

 翼将に任命されてしまったのだ。

 第五龍鱗軍の翼将としてマルウェールの守備についたことで、彼は、考え方を変えざるを得なくなったのだ。ミレルバスは、あからさまな敵意を持った人間すら、その才能次第では重用するのだということがわかった。ハーレンは、ミレルバスの面前でも敵意を隠さなかったし、それが同志たちとの暗黙の了解でもあった。いずれミレルバスを国主の座から引きずり下ろすのだ。敵愾心を隠す必要はない。同志の間では、そんな愚かな考えがまかり通っていた。

 ハーレンは、翼将就任の打診を受けたとき、罠なのではないかと思った。自分のような血筋の上にあぐらをかき、権力を振り翳すだけしか取り柄のない人間が、翼将になど選ばれるはずがなかったのだ。しかし、彼を翼将に選んだのは、ミレルバスが寵愛する軍師ナーレス=ラグナホルンであり、ナーレスがいうには第五龍鱗軍を率いるのはハーレンをおいてほかにはないということだった。

 ハーレンは、ときの軍師におだてられて嬉しく思う一方、乗せられてはなるまいと気を引き締めたものだが、結局、翼将就任の件は引き受けることにした。エルアベルには、翼将となり第五龍鱗軍を掌握すれば、反ミレルバス派の力になるはずだといったのだが、彼はハーレンを嘲笑っただけだった。エルアベルには、ハーレンが変心したと思えたに違いない。

 それでも、ハーレンはエルアベルを支持し、陰ながら支援し続けた。長年苦楽をともにしてきた親友なのだ。彼がいたからこそ、ハーレンはケノック家の中心になりえたし、生を謳歌することもできるのだ。だからこそ、袂を分かつつもりはなかった。本心でもあったのだ。龍鱗軍を掌握し、来るべき反乱に備えるというのは。が、彼が第五龍鱗軍を掌握する前に友が死んだ。

 エルアベルが死んだのは、三ヶ月ほど前のことだ。

 彼は、ザルワーンという国そのものに戦いを挑み、戦火の中に消えた。死後、ザルワーンの内情は荒れに荒れ、外征に力を割く余裕がなくなるほどだったが、それはハーレンには、エルアベルの呪詛が残した傷痕のように思えてならなかった。反ミレルバス派が活発化したのは、彼の死が原因だったとさえ思える。

 実際のところはわからないが、指導者がいなくなったことで歯止めが効かなくなったのは間違いないだろう。小さな戦いが頻発し、グレイ=バルゼルグの部隊がザルワーン中を駆けずり回っていたのは記憶に新しい。

 ハーレンが、反ミレルバス派と距離を置くようになったのは、自然の成り行きにすぎない。翼将としての仕事に忙殺されるようになったことも大きいが、彼が反ミレルバス派に拘っていたのは、そこにエルアベルがいたからだったのだ。エルアベルが死に、ハーレンは夢から醒めるようにして現実に没頭するようになった。そして、ミレルバス政権も悪くはないのではないかと、考えるようにもなった。

 変節漢だと陰口を叩くものもいるようだが、彼は気にもしていない。

 翼将として職務を全うし、ケノック家の将来に繋げること。

 彼の頭にはそれしかなかった。

 そんなおり、ガンディア軍によるザルワーン侵攻という情報が飛び込んできた。第五龍鱗軍が駐屯するマルウェールは、ザルワーンでも北部の都市だ。すぐさま攻撃を仕掛けられるとは思えないのだが、有事に備えなければならないのも事実だった。彼は部下とともに戦争に備えた。

 ガンディア軍は、ナグラシアを拠点としたらしい。ナグラシアからザルワーンの領土を切り取ろうというのだろうが、だとすれば、マルウェールまで食指を伸ばすだろうかという疑問はあった。

 ガンディアの国境からほど近いのは、ザルワーン中央から南側の四つの都市だ。スルーク、ゼオル、バハンダール、ナグラシア。スマアダも南側だが、ジベルとベレルの国境に接したこの都市を落とす旨味はあまりない。

 四都市のうち、ナグラシアは最初に制圧され、ザルワーン侵攻の橋頭堡にされている。バハンダールではなく、またバハンダールとの同時攻略でもないのは、バハンダールが難攻不落の都市という伝説に恐れを抱いたに違いなかった。そして、それは正解であろう。バハンダールの攻略に手間取っている間に、ザルワーンの迎撃態勢、あるいは攻撃態勢が整いかねない。ナグラシアを電撃的に落としたのはうまいやり方だと、ハーレンはうなったものだ。

 ナグラシアからの進軍経路はいくつかある。北上し、スルーク、マルウェールを狙う北進経路。北西に進み、ゼオルを目指す経路。西へ向かい、バハンダール、あるいは北西のルベンを目標とする経路。ザルワーンから領土を切り取るだけならば、マルウェールやルベンを狙いはしないだろう。やや南側のゼオルやスルーク辺りを落として、切り上げるのではないか――ハーレンと部下が導き出した結論はその程度のものだ。まさか、ガンディアが本気でザルワーンを倒すつもりで侵攻してきたとは考えようがなかった。

 領土を切り取り、国力を奪い、やがて飲み込む。そのほうが利口だし、確実性も高い。最初からザルワーン全土を相手にするなど、賭けにしても危険すぎるのだ。

 が、日を追うごとに飛び込んでくる情報は、ハーレンたちの思惑を嘲笑うようなものであり、ガンディア軍の考え方を端的に示すもののようだった。

 十三日、ガンディア軍の軍勢がナグラシアを出、西に向かった。

 十四日、西に進む軍勢がゼオルに向かう様子はない。バハンダールかルベンを目指している。

 十五日、ガンディアの後詰がナグラシアから二方向に分かれた。ひとつはゼオル方面、ひとつはスルーク方面。

 十六日、スルーク方面に向かった軍勢は、スルークを素通りし、マルウェールに向かっている。

 十七日、マルウェール南方に敵軍を発見。一両日中にマルウェールに到達する模様――。

 ガンディア領から程遠いザルワーン北部の都市を狙うということは、ガンディアにザルワーン全土を掌握する意思があるということにほかならない。バハンダールのあるザルワーン西部とマルウェールのある北部を制し、それだけで終わるとは、とても考えられないからだ。伸びきった領土は、奪い返される可能性も高い。とすれば、ガンディアはマルウェールの周囲広範の地域も支配下に置くつもりであろうし、その場合、旧メリスオール領に手を伸ばすか、龍府を飲み込むことでザルワーン全土の支配を宣言するかの二通りくらいしか考えられない。旧メリスオール領に手を出すということは、グレイ軍を敵に回すということであり、得策ではない。かといって、龍府は簡単には落とせないだろう。

「その前に、ここが攻撃されないことを祈りましょう」

 などといってきたのは、エイス=カザーンという老人である。白く染まった顎鬚をたっぷりと蓄えた老紳士は、ハーレンの前任者であり、いまでは第五龍鱗軍とは無関係の人物だった。ハーレンが彼を側に置いているのは、エイスの翼将時代からの知識や人脈が、新任翼将であるハーレンの仕事に役立つと踏んだからだ。実際、彼の助言もあって、龍鱗軍の兵士たちとは上手くやれているし、マルウェールのひとびととも良好な関係を築けている。

「敵軍はすでに陣を張ったのです。攻撃してくると見て間違いないでしょう」

 敵軍が南の丘に陣取ったという報告が入ってきたのは、ついさっきのことだ。ハーレンは即座に弓兵を城壁に配置し、いつでも閉門できるようにと命令を下している。

 マルウェール自体はとっくに臨戦態勢に入っており、市民の避難も終了していた。いつ戦いが始まってもいいように、だ。城壁を突破されでもしない限り、市民に被害が及ぶようなことはないのだが。

「まったく、厄介な話ですな。わたしとしては、平和にいきたいものですが」

「振りかかる火の粉は払うよりほかありませんよ」

「わかっていますがね、勝てますか? 敵はおよそ三千。こちらの三倍はありますぞ」

「勝てるかはわかりませんが、負けない戦をすればいいだけのこと」

 ハーレンが言い切ると、エイスは長い眉の下の目を鈍く光らせた。

「ふむ……」

「幸い、マルウェールの城壁は分厚く、門も簡単には破れません。日数を稼ぐことくらいは容易でしょう」

 つまり、籠城するということだ。マルウェールから打って出て、まともにぶつかっても勝ち目は薄い。千対三千では、こうするよりほかに道はないのだ。少しでも戦力が欲しい。

 ガンディア軍がマルウェールへの攻撃を意図していることが明らかになったとき、ハーレンは龍府に援軍要請を出している。返答が来るよりも早く、敵が来てしまった。当然のことではある。敵軍の意図が明らかになったのは、二日前のことだ。ハーレンが出した援軍要請が、ようやく龍府に届いたくらいだろう。

「待てば、援軍が来ますか?」

「来ますとも。龍府とて、ここを落とされたくはないはず」

「龍府からの援軍を期待するなら、最低でも五日は持ち堪えなければなりませんな」

「それくらいは余裕ですよ」

 ハーレンはいったが、必ずしも自信があったわけではない。

 たとえば敵に武装召喚師が配備されていた場合、こちらには対抗のしようがなくなるかもしれない。武装召喚師は、ただそれだけで凶悪な兵器だ。圧倒的な火力に対抗するには、超人的な力か、武装召喚師が必要なのだ。

 ザルワーンの武装召喚師は魔龍窟と呼ばれる養成機関によって育て上げられているというのだが、前線への配備は遅れに遅れており、数名が龍府を発ったという話を聞いただけにすぎない。そして、その武装召喚師たちがマルウェールに配置される可能性は少ないだろう。配置されるのならば、事前に報告があるはずであり、龍府からそういう話はこなかった。マルウェールが見捨てられたというわけではなく、ガンディアの戦略を予想した結果、マルウェールに向かわせなかっただけなのだろう。恨み事いうようなことでもない。戦略的に見て、ガンディアがマルウェールを真っ先に狙うとは考えにくいのは事実なのだ。

 ガンディアは、常識を無視して、軍を進めてきた。

 彼がいるのは、マルウェールの中心部である。四方に門を持つこの都市は、巨大な十字路によって市街地が四つの区画に分断されている。北西、北東、南西、南東の四区画であり、中心には、都市の全景を見渡せるような塔が建てられていた。いつもは、その塔の中階で仕事をするのが彼の日課だったが、非常事態ということもあり、一階の会議室に籠もっていた。一階を選んだのは、情報の伝達の早さを優先したからだ。中階では、階段の昇り降りで余計な時間を費やさなければならない。そして、都市の中心ならば、どの方角からでも同程度の距離で辿り着ける。

 会議室には、彼とエイス以外にも部隊長が数名、開戦の予感に緊張した面持ちになっていた。

 そのとき、急に会議室の外が慌ただしくなった。

「なんだ?」

 ハーレンはだれとはなしに問いかけたが、明確な答えがあると思っていたわけではない。会議室の扉が乱暴に開かれ、兵士が飛び込んでくる。よほど慌てていたのだろうが、報告に際しては礼儀など不要だというのが、ハーレンの持論だった。無論、最低限の礼節は必要ではあるのだが、大事な情報の前ではそれすらも霞むものだ。

 兵士は、部隊長らの注目を浴びる中、臆面もなく声を上げた。

「報告します! ガンディア軍に追われ、城門前まで逃げ込んできた男が、ガンディアの要人を捕らえたなどと申しております!」

 兵士の報告は、一度聞いただけではよくわからないものだった。

「どういうことだ? ガンディア軍に追われていた? ガンディアの要人を捕らえた?」

 ガンディアの要人を捕まえた男が、ガンディア軍に追われ、マルウェールにやってきたということなのだろうと理解するのだが、状況がよくわからない。男はなにもので、どうやってガンディアの要人とやらを捕まえ。なぜマルウェールに向かってきたのか。素直に考えれば、ガンディア軍の策略に違いない。マルウェールの堅固な防御を内側から破壊するための工作。が。

「それが、我々にもよくはわからないのですが、翼将殿にカイル=ヒドラがきたと伝えて欲しい、ともいってまして……」

「カイル=ヒドラ……だと!?」

 その名を耳にした瞬間、ハーレンは、顔面が蒼白になるのを抑えきれなかった。全身が泡立ち、血の気が引く。カイル=ヒドラ。もう二度と聞くことはないと思っていな名前だ。彼と、エルアベルと、もうひとり――三人の間でだけ通用する、反ミレルバスの暗号のようなものであり、それを知るのはハーレン以外には死んだはずのふたりだけだったのだ。

「翼将殿のお知り合いかな?」

「あ、ああ。古い友人なんですよ」

 エイスが何事かと目を細めたので、ハーレンは努めて平静を装った。動悸がするが、表情には出ていないはずだ。訝しげなエイスの視線を振りきり、兵士に命ずる。

「上に通せ。丁重にな」

 会って、確かめなければならない。

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