第千九百六十三話 英雄と守護神(三)
「野に下った神々がなにを目的としているのかもわからなければ、神軍として、ひとつの軍勢を組織している神々もまた、なにを目的としているのか不明なままだ。セツナ、君もなにか掴んではいないかい?」
「話はレムから聞いたんだろ? だったら、俺からいうことはなにもないな」
セツナがぶっきらぼうに告げると、マリクは少しばかり期待はずれとでもいうような反応を見せた。
「つまり、なにも知らない、と?」
「ああ、まったく全然これっぽっちもな」
頭を振り、言い放つ。
実際問題、なにも知らないのだ。隠し事をしているわけでもないのだが、妙な罪悪感を覚えるのは、彼に情報提供ができないことが心苦しいからだろう。だからといって口からでまかせを言ったところでなんの意味もなく、本音を話すしかなかった。
「神軍とやらがなにを目的に活動し、なにをしているのかなんて知らないし、そもそも、神軍なんてものを認識したのもついこの間だ。それまでは、神軍とはまったく関係のない戦いに従事していたからな」
「ベノアでの件か。聞いたよ、大変だったようだね」
レムは随分とまあ、いろいろなことをマリクに説明したようだった。彼女を横目に見ると、いつもどおりの微笑を浮かべているだけだが。
「まあな。けど、レムとも再会できたし、マリアさんにも逢えた上、ファリ――戦女神様たちの無事も確認できたんだ。それだけでも良しとするさ」
「マリアの無事は疑っていなかったけれど、レムから話を聞いて本当の意味で安心したよ。彼女の失踪は、リョハンでも大問題になったからね」
「まあ、そりゃあそうか」
「マリアは、医師として優秀なだけじゃなく、ファリアやエミルたちの心の支えにもなっていてくれたからね。彼女が精霊ともどもいなくなったことが明らかになったときは、それはもう大騒ぎだったよ」
レムからは、マリアとアマラがベノアにいるという報告をしたときのファリアたちの反応を聞いており、そのことから逆算して、マリアが消えたときの大騒ぎぶりは想像できていた。それこそ、天地をひっくり返すような騒ぎになったに違いない。マリアは、マリクのいうように医師としての確かな手腕以上に、優れた精神力と言動がこの上なく頼もしく、精神的支柱になりうる人物だった。エミルは、マリアに師事していたこともあり、マリアが突如消息を絶ったときにはとてつもなく心細かったことだろう。
そんなマリアが生きていることがわかったうえ、いまもなお精力的に活動し、白化症の治療法の確立に向け、熱心に研究を行っていると知れば、エミルのみならず、ファリアたちも大いに喜んだようだ。そんな話を聞いて、セツナも自分のことのように喜んだものだった。
「ともかく、マリアが無事でよかった」
マリクも、嬉しそうな表情を浮かべていた。
と、マリアのことを思い浮かべたからだろう。セツナは、とんでもないことを思い出してしまい、愕然とした。
「あ!」
「ん?」
「どうされました?」
「マリアからリョハンに届けるようにいわれた荷物、全部アレウテラスに置いたままだってことを思い出したんだよ」
「ああ、そういえば、そうでございますね」
「荷物?」
セツナの説明にレムがはっとしたように納得すると、マリクはさらに疑問を深めたようだった。
「ああ、マリアからさ、新薬の数々を渡されてたんだよ。リョハンに持っていってくれってさ。なんでもアマラの協力で、いろいろと有用な薬が出来上がったんだと」
「そうなのかい。さすがはマリアだね」
「ああ、本当にな」
セツナは、マリクがマリアを手放しで賞賛したことが嬉しかった。マリアとはそこそこ長い付き合いだし、彼女には散々助けられている。彼女の医師としての力量をよく知るひとりが自分だという自負さえある。精霊アマラの協力があったとはいえ、新薬の開発に成功したのはマリアの手腕といっていいはずだ。アマラだけでも、マリアだけでも完成しなかった薬の数々。きっと、リョハンの今後に役立つだろうし、エミルならばマリアが薬品と一緒に手渡してくれた資料を元に、それら薬を量産してくれるに違いない。
「しかし、アレウテラスとなると行き来するのは簡単なことではないね」
「そうだな……」
「馬を飛ばしても、一月はかかる。いや、この情勢下だと、もっとかかるかもしれない」
アレウテラスは、この大陸の南端に位置している。リョハンは大陸中央よりやや北寄りに存在し、マリクのいうように馬を飛ばし、乗り潰しても一月以上かかる距離はあるようだ。それほどの距離をごく短時間で移動したのが、あのときのセツナだが、あのような無茶はおいそれとできることではない。
「むう……」
「彼らの力を借りるか……あるいは」
「御主人様が一飛びで取ってくる、というのはいかがでしょう?」
「おいおい正気かよ」
「駄目です?」
「駄目じゃねえけど、また寝込むぞ」
セツナが冗談半分で告げると、レムが慌てたようにいってきた。
「ああ、それは駄目でございますね。ファリア様に叱られてしまいますし、わたくしも嫌でございます」
「だろう?」
セツナとしても、また数日間寝込むのは嫌だったし、つぎも同じ日数で済むかどうかもわからないのだ。完全武装は、極まっていない。神相手に一方的に戦えるほど強力無比な状態ではあるが、それを安定的に使えるような状態にはないのだ。二年に及ぶ地獄での修行の成果がこれでは呆れてものも言えないが、そこまで至ることができただけでも御の字というべきだった。地獄での修行がなければ、完全武装にさえ至れなかっただろう。三つ、四つ同時召喚して限界を迎えたに違いない。七つもの召喚武装を同時併用するなど、常人には考えもつかないことであり、極めて優秀な武装召喚師ですら手を出そうとはしない方法だ。
そこまでして自身の力を引き出したところで、制御しきれるはずもないのだ。
「で、彼らって?」
「ラムレスの眷属だよ。ラムレスは、ユフィーリアのこともあってぼくたちに協力的だからね。眷属のドラゴンたちも、話を聞いてくれるかもしれない」
「なるほど。じゃあ、それに期待させてもらおうかな」
セツナがいうと、マリクは穏やかにうなずいた。
「そういや、ラムレスもユフィーリアもあれから音沙汰ないのか?」
「うん。方舟を追ったっきりだよ」
「そうか……」
セツナの脳裏に、あの戦場の光景が浮かんだ。戦いの最後、方舟が遥か彼方へ飛び立つと、その後を追うようにして蒼く輝く流星が天へ昇ったのを見た気がする。あれがおそらくラムレスであり、ユフィーリアは彼とともにあったのだろう。ラムレスとは、結局言葉を交わす暇もなかった。セツナとしてみれば、リョハンを全力で守ってくれた彼に感謝の言葉のひとつもかけたかったのだが、それすらもできなかったことは心残りだった。
不穏なのだ。
ラムレスとユフィーリアが無事な姿を再び見せてくれるか、不安でしかたがなかった。
なぜならば、彼らは、方舟を追った。方舟は、神軍の戦力を運搬するためのものであると同時に敵地を攻略するための戦略兵器でもあるようなのだ。蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースほどのものが遅れを取るとは想い難いが、相手が相手だ。どうなるかわかったものではない。
「それが彼らの目的だったんだ。目的が果たせることを祈るしかないよ」
「目的……クオンか」
「彼は以前。方舟からクオンのにおいを感じ取ったらしい。だから、ラムレスもユフィーリアも神軍の方舟を追っていた。そして、ぼくらに力を貸してくれたんだ。そうすることで、クオンの乗る方舟と接触する機会を待っていたんだろう」
「そして、その機会が訪れた」
セツナの言葉にマリクが静かに頷く。セツナは、彼の目を見つめながら、その透明な輝きを湛える瞳の向こう側に方舟の情景を浮かべた。続ける。
「あの方舟にはクオンが乗っていたんだ」
「クオン様が……でございますか?」
レムの目は、いまのいままで黙っていたセツナを非難をするようなものではなかったが、信じられないといった様子ではあった。それはそうだろう。レムも、ベノアで様々な話を聞いている。クオン率いる《白き盾》が、十三騎士の半数ほどとともに儀式の中心地である王都ガンディオンに向かったことも知っているのだ。そして、フェイルリングを筆頭とする十三騎士たちは、“大破壊”とともに命を落としたという事実も、聞いている。おそらくその場にいたであろうクオンたちが無事であるはずがない、という風に認識していたとしてもなんら不思議ではない。
セツナ自身、そう認識していた。
クオンは、世界を滅亡から防ぐために命を落としたのだ、と、そう考えていた。それは、ベノアの十三騎士たちの共通認識だった。救世神ミヴューラとともにイルス・ヴァレを滅亡から救うべく、儀式の中心地へと赴いたのだ。そして、十三騎士たちは散り、ミヴューラも消息を絶った。クオンたちだけが生き延びているなどとは想像しようもない。クオンたちも、この世界のために命を失ったものだとばかり、考えていた。
だが、違った。
どうやらクオンは生きていて、どういうわけか神軍の、神の手先に成り果てていた。その事実は、セツナにとって認めがたいことだった。あのクオンが、他人のために自分を犠牲にすることを厭わない、純粋な魂の持ち主たるクオンがどうして、神軍とともにリョハンへの侵攻に参加するというのか。
「いえば、認めることになるから、いいたくなかったんだ。許してくれ」
「御主人様……」
レムが、セツナの心情を慮ってだろう、涙さえ浮かべながら、つぶやく。そんなレムの心遣いがセツナの荒れかけた心に優しく響く。
「クオンが、乗っていんだね? あの方舟に」
「ああ。俺がこの目で見たんだ。間違いない」
マリクの言葉を肯定し、同時に自身の心にけじめをつける。
そうだ。あの方舟の甲板にいたのは、紛れもなくクオンなのだ。クオン=カミヤ。この異世界において傭兵集団《白き盾》の団長として名を知られ、数多の戦いを勝利に導くとともに、セツナと共闘した武装召喚師。そして、ヴァシュタリア共同体における最高権力者、神子ヴァーラと合一し、教会の指導者とも呼べる存在へと上り詰めたはずの人物。それも、この世界を守るための方便であり、彼は、最終戦争を利用して儀式の中心地へ赴き、そこで聖皇復活を失敗させた。
そういう事実がありながら、なせか彼は、おそらく聖皇復活を目論んだ一派の残党であろう神軍に属し、指揮官として方舟にいた。
「変わり果ててはいたが、あれはクオンなんだ。俺の知っている守屋久遠だったんだよ」
真っ白に染まった髪、超然としたまなざし、表情――以前のクオンとはなにもかも違って見えたが、同時に、なにもかもがクオンそのものであったこともまた、事実としてセツナは受け止めるほかなかった。
「じゃあ、ラムレスとユフィーリアは目的を果たせるというわけだ」
「追いつければ、な」
「ラムレスは三界の竜王の一柱だよ。追いつけるとも」
マリクがいかにも頼もしくいってきたが、そのことがセツナには不安の種となった。ラムレスが強いことは、知っている。女神の砲撃を完璧に防ぎきったのは、ラムレスが神に匹敵する力を持っていることの証明だ。それはわかっている。何度となく転生し、そのたびに新たに力を蓄えなければならなかったラグナよりも莫大な力を持っていることくらい、理解しているのだ。だが、それでも不安を拭いきれない自分がいた。
「俺としては、追いつけないことを祈るよ」
「どうして?」
「妙な胸騒ぎがするんだ」
「胸騒ぎでございますか?」
「……クオンが昔のままなら、ラムレスたちに手を出すような真似はしないだろうがな」
昔のままのクオンならば、そもそも神軍の一員になどなったりはしないだろう。
彼は、理不尽な力に目的も理由もなく与するような人間ではない。
(もし、理由や目的があったら?)
セツナは、自分の考えの恐ろしさに気づき、頭を振った。
一度決めたことは、なんとしてでもやり遂げるのがクオンだ。
もし、神軍に所属することになんらかの理由があり、目的があるのであれば、それを妨げんとするものは全力で排除するだろう。




