第千九百五十六話 英雄と戦女神(三)
御陵屋敷にて眠りから目覚めたセツナを待ち受けていたのは、愛しいひととの再会であり、懐かしい部下たちとの再会だった。
ファリアとの面会はごく短時間で終わってしまったものの、ルウファたちとの面会は、彼らが仕事の合間を見計らって訪れてくれたため、二時間以上、たっぷりと話し合うことができた。
ルウファ、グロリア、アスラの三人とは、約二年半ぶりの再会を喜ぶだけでなく、様々な話をした。約二年前、彼らがリョハンに到着したあと、どのようなことがあったとか、リョハンでの生活に慣れるまでの苦労とか、七大天侍への就任や、戦女神となったファリアのこと、皆のこと。
ミリュウのこと。
ミリュウの不在は、気になっていたところだった。
神軍との戦場にたどり着いたとき、セツナは、戦場を隈なく探している。ファリアがいて、ルウファたちがいるというのにミリュウがいないというのは、おかしな話だった。マリアからは、ミリュウもまた、ルウファたちと同じく七大天侍の一員として働いているという話を聞いていたのだ。ミリュウひとりリョハンに回されているとは考えにくいうえ、リョハン方面にもミリュウの姿がなかった。エリナもだ。ミリュウの弟子として近くにいるだろうエリナの姿もどこにも見当たらず、セツナは困惑したものだった。
ミリュウが、ファリアたちを放ってリョハンを離れるなど考えられないことだ。彼女の性格上、ありえない。リョハンが、ミリュウに別の任務を与えたために戦場にいないのだ、とも考えにくい。第二次防衛戦は、リョハンの存亡を賭けた戦いだったのだ。ミリュウほどの戦力を別任務に当てるなど、到底理解できることではなかった。
なにかがあったとしか考えられなかった。
そのことを問うと、ルウファたちも渋い顔になった。
ミリュウは、エリナや部下とともに周辺領域調査のため、隊を率いてリョハンを離れたまま、消息を絶ったのだという。
セツナとレムが驚くと、彼らは、詳細を説明してくれた。
リョハンは、“大破壊”以降、大きく変わり果てた世界の有り様を把握するべく、定期的に調査部隊を送り出しているのだという。調査部隊を率いるのは七大天侍の役割であり、護峰侍団から選び抜かれた隊士がそれぞれの部下として、隊を成している。調査部隊による周辺領域調査のおかげで、いまやリョハンの周辺広範囲の現状が詳細に判明しており、いまでは近隣の都市の先の地域までも調査範囲に組み入れているほどだ。
“大破壊”によって世界は変わり果てた。
守護神マリクの結界によって護られたリョフ山こそなんの被害もなければ影響も受けなかったが、結界の一歩外を出れば、未曾有の天変地異によって蹂躙され尽くした世界が広がっているのだ。それこそ、以前の風景など思い出せなくなるほどに変わり果てているのだとリョハンのひとびとは口々にいうらしい。
『“大破壊”以前を知らない俺たちには、どこがどう変わり果てたのかはわかりませんがね』
しかし、リョハンの考えとしての周辺領域調査に反対する必要はなく、ルウファたちは、それぞれに部隊を率い、リョハンの周辺を徹底的に調べ尽くした。引き裂かれた大地や、陥没し、空洞となった地中、結晶化した森を見て回り、以前はなかったはずの遺跡、遺構が“大破壊”によって姿を表したということも記録したという。
ミリュウがエリナを伴って姿を消したのは、そんな調査の最中だった。
『それからというもの、わたしたちは周辺領域調査ではなく、ミリュウたちの捜索を行っているんだが』
成果はあがらないのだ、とグロリアがいった。
ミリュウたちが消息を絶って一月以上が経過しているという。
セツナは、不安を禁じ得なかったものの、ミリュウの力と手腕、頭脳を信じることで不安を振り払った。ミリュウの武装召喚師としての能力は群を抜いているし、なにより、彼女と召喚武装ラヴァーソウルの相性は最強だ。並大抵の相手では、彼女と対等に戦うこともできまい。
『お姉様はきっと無事ですわ。必ず、探し出して見せますとも』
アスラの宣言が力強く、頼もしかった。
ルウファたちが七大天侍の役目のために御陵屋敷を去ると、入れ替わるようにして訪れたものたちがいる。
「エミル様にゲイン様!」
レムが全身で喜びを示しながら抱きつくと、さしものエミルも面食らったようだった。セツナの部屋に入ってきたのは、エミル=バルガザールとゲイン=リジュールだ。ふたりとも、大きく変わった風には見えないものの、エミルは以前よりもずっと大人びた雰囲気を漂わせているように見えたし、ゲインは筋肉の量が増えているようだった。料理人のゲインが不要なほど逞しくなっている理由については、想像もつかない。
「よお、元気だったか?」
「それはこちらの台詞ですよ、セツナ様」
白衣のエミルが頬を膨らませた。エミルがリョハンで医師として働いているという話は、マリアから聞いていた。かつてマリアの助手でしかなかった彼女は、いまではマリアの手を煩わせることもなく立派に独り立ちしているということだった。
「そうですそうです、リョハンに現れて早々、大活躍だったそうじゃないですか」
ゲインはというと、筋骨隆々というに相応しい体格になっていた。元々、料理人には似つかわしくないほどの体格の持ち主だったが、それがこの二年あまりでさらに強化されているようだった。もしかすると、リョハンという都市の特性が彼の体を鍛え直したのかもしれない。
「ま、その結果、ぶっ倒れたんだけどな」
「そういうところ、セツナ様は全然変わっていませんね。ぶっ倒れられた後の面倒を見るものの気持ちになってもらいたいものです」
「まあまあ、エミルさん。セツナ様もこうして無事だったんです、いいじゃありませんか。それにセツナ様が無理をしてくださったからこそ、我々も生きていられるのですよ」
ゲインが諌めると、エミルは、渋々といった様子でうなずく。
「それはもちろんわかっています。ですが、セツナ様には、ご自身のこともしっかりと考えて貰わなければなりません。そこは、譲れませんよ」
「エミル様……」
レムは、エミルを見つめながら、彼女の気遣いをむしろ喜んでいるようだった。レムとしても、セツナの無茶なやり方には賛成できないものがあるのだ。それは、セツナにもわかることだ。
「いくらセツナ様がお強いとはいえ、無茶ばかりなされれば、いずれ体が持たなくなる。セツナ様は、人間なんです。化物なんかじゃない」
「ああ……そうだな」
「ですから、このたびのようなことは、今後は控えてくださいね。でないと、わたしだけでなく、戦女神様やミリュウさんが悲しむことになりかねません」
「ああ」
「約束ですよ?」
「約束する」
セツナが素直に応じると、エミルは満足そうにうなずいた。
とはいえ、エミルも、セツナが本心からそういったわけではないことは、理解しているだろう。戦う相手によっては、同じような無茶をしなければならないことは、だれの目にも明らかだ。エミルは軍人ではないが、ルウファの妻であり、ルウファから神軍がどういった組織なのかについては聞いているはずだ。神によって率いられた軍勢である神軍と戦うということは、相応の覚悟をしなければならないし、無茶をしなければならない。人間のままでは、到底太刀打ちできない相手だ。
それくらい、エミルも理解している。
エミルは、《獅子の尾》の一員として数多の戦場、数多の死線を潜り抜けてきた猛者なのだ。セツナが無茶をするときはどういうときなのか、わからないはずがなかった。
そして、それを理解しているからこそ、強い口調で釘を差してくるのだ。
そうでもいわなければ、やっていられないのではないか。
エミルは、医師だ。しかも軍医としての経験も豊富だ。
それこそ、戦場で無茶をして死んでいったものたちをたくさん見てきたのだ。
セツナがそうなって欲しくないと想っているからこその忠告であり、セツナは、彼女のそういう気持ちには心から感謝した。
同時に、神相手には無茶をしなければどうにもならないということを再度認識しなおしながら。