第千九百五十話 真相(三)
闘神練武祭奉魂の儀におけるセツナと闘神ラジャムとの闘技は、時間とともに加熱し、激しさを増していった。それこそ言語を絶する激闘であり、筆舌に尽くしがたい死闘というほかなかった。
ただ見守り、セツナの無事を祈るしかないレムは、ただただはがゆい想いを抱かざるを得なかった。
アレウテラス中央闘技場に集まった観客は、セツナとラジャムの人知を越えた激突によって興奮の極致に達しており、歓声が場内を満たしていた。観戦していた闘士たちも、そうだ。だれもがひとと神の死闘に興奮し、昂揚感を隠せないでいた。それだけではない。セツナと闘神ラジャムの激闘による興奮の拡散は、中央闘技場のみに留まらなず、アレウテラス中のひとびとが知るに至る。
闘神ラジャムは、戦いの最中、セツナとの闘技をアレウテラスの全市民に共有して欲しいとでも想ったのか、その光景をアレウテラス中のひとびとに見せつけたのだ。レムが“死神”の眼を通して確認したところ、中央闘技場の外壁や虚空に光の幕のようなものが浮かび上がり、そこに中央闘技場試合会場の模様が映し出されていた。アレウテラスの市民、闘士のだれもがセツナとラジャムの依代となったウォーレン=ルーンの激闘を目の当たりにしたことだろう。そしてその熱狂が闘神ラジャムには心地よく感じられたらしい。
闘技を供物として所望する神には、闘技に熱狂するひとびとの心意気さえもが力に変わるらしい。
「そうだ! それでこそだ! それでこそ、黒き矛の、魔王の杖の保持者なのだ!」
最上級闘士ウォーレン=ルーンの肉体に取り付いた神は、手にした二本の剣によってセツナの猛攻を捌き、その上で歓喜に満ちた声を発していた。朗々と響き渡る神の声がアレウテラスのひとびとにどのような影響を与えるのか、想像もつかない。少なくともレムは、セツナのことしか考えていなかったし、ラジャム神に対して良からぬ感情しか沸かなかった。ラジャムは、セツナにとって邪魔者でしかない。従僕たるレムがセツナ目線で物事を捉え、考えるのは当然の道理だ。
「良いぞ、良い!」
ラジャムの二刀による連撃が空を切る。セツナがすんでのところで避けたのだ。試合会場の上空で繰り広げられる空中戦。一進一退の攻防は白熱する一方だが、常人にはなにが起こっているのかさえわからないのではないかというような電光石火の早業の応酬ば繰り返されており、レムですら目で追うのがやっとだった。抑えられているとはいえ神の力と、黒き矛の力を引き出したセツナの激突なのだ。レムは、セツナが二年に及ぶ地獄での修行を経たことの意味を理解するような気持ちで、彼と神の激闘を見守っていた。
見守ることしかできないのも、理解する。
死神とは名ばかりの下僕には、介入する余地などあろうはずもない。無論、この状況下で介入すればラジャムの不興を買い、リョハンの情報を入手するという目的を果たせなくなるため、たとえレムにその力があったとしてもありえない選択肢だが、仮に介入しても構わない状況だったとしても、無意味だ。ただセツナの足を引っ張るだけだろう。弱点にさえなりかねない。セツナは、身内に弱い。レムを庇うため、隙を見せることだってありうる。故にレムは、そういった状況では、戦闘に巻き込まれないようにしなければならなかった。レムは不老不滅の存在だが、セツナはそれを認識していても、彼女を庇おうとするだろう。そういう甘さは、セツナの根幹を成すものといっていい。
「これが我が望み、求めた闘争の極致!」
「こんなものが、闘争の極致か」
セツナの声が酷く覚めたものとして、レムの耳に響いた。セツナは、最初からこの闘技に乗り気ではなかった。いや、奉魂の儀への参加さえ消極的であり、目的のために仕方なく、といった様子だった。それもそのはずだ。セツナは、任務とあれば戦場に赴き、戦場の中においては修羅の如く闘争に闘争を重ね、血と死を振り撒く悪鬼羅刹となるが、決して喧嘩っ早いわけではないし、血の気が多いわけでもない。むしろ、極力血を見ずに済む方法を考えている。そんな彼が闘技になど熱狂するわけもなく、端から本気で取り組むつもりもなかったのは、彼が召喚武装を用いていたことからも明らかだ。
闘神ラジャムとの闘技は、客観的に見れば盛り上がっているようだが、その実、セツナの心の内側は冷めきっていたのだろう。彼の冷徹な目は、盛り上がるラジャムとは対照的だった。
「あんたは本気じゃねえ。俺も当然、本気じゃねえ……それで満足かよ」
「ふははは! それがどうした! 力を制御してこその闘技! 対戦相手以外に危害を加えぬよう力を抑え、その上で相手を圧倒するべく攻防を繰り広げることこそ、我が求むる正当なる決闘! 偉大なる闘技なのだ!」
ラジャムの斬撃とともに生ずる衝撃波が虚空を歪め、セツナへと殺到する。それも連続的にだ。しかし、地上のセツナは、頭上から降り注ぐ数多の斬撃を回避することなく、黒き矛を振り回して軽々と対処した。斬撃の尽くを受け流して見せたのだ。舞い散る火花、響く金属音が凄まじい猛攻とその処理を認識させる。
「血の流れぬ戦いに意味などないなどとくだらぬことをいうなよ、セツナ。これは、闘神ラジャムが闘争ぞ。血湧き肉躍る戦いに死など不要! 必要なのは、魂よ!」
「魂……か」
「そうだ。魂に実戦も闘技も関係あるまい。魂の篭もらぬ戦いに意味はない。魂を込めよ。すべてを注ぎ、そして我を満足させて見せるのだ。さすれば、そなたの望みも叶う。そう、いったであろう!」
「……ああ、そうだな。そう、いったな」
セツナがラジャムを仰ぎ睨んだ。ラジャムは手を止めている。セツナの出方を伺うつもりなのだ。これは闘技。闘士による競技試合。殺し合いではない。ラジャムは、その気になれば一方的に攻め続けることもできるだろうが、それをしないのだ。それでは、きっと、かの神にはつまらないのだろう。闘争を供物とし、闘争の中に意味を見出す闘神には、一方的な戦いなど興味の薄い代物なのだろう。それがセツナに付け入る隙となるかどうかは、力量差次第だ。
「だったら、本気で行かせてもらうぞ。あんたが満ち足りるように」
「そうだ、本気で来い。来るのだ。そして、共に往こう。闘争の極致へ!」
セツナが、斬撃の雨によってぼろぼろになった地面を蹴るようにして、飛び上がった。常識では考えられないような跳躍力と速度で、一瞬にして中空のラジャムへと肉薄する。ラジャムが嘲笑うように空中に浮かんだまま、後退する。セツナが目標を見失ったと思ったつぎの瞬間、レムは驚くべき言葉を聞いた。
「武装召喚!」
セツナがまたしても武装召喚術を行使したのだ。既にメイルオブドーターとカオスブリンガーを召喚しているにも関わらずだ。呪文の末尾がレムの耳に聞こえた直後、セツナの全身がまばゆい光に包まれたかと想うと、閃光が視界を灼いた。連続的な光が嵐のように渦巻き、強烈な圧力が試合会場の出入り口付近にいるレムにまで伝わってきた。これまでにないほどの圧。物理的なものだけではない。圧倒的な力の出現は、レムの心にまで作用した。なぜか、魂の奥底から力が湧き上がってくるような感覚があり、五感が研ぎ澄まされていく。
どういう理由でそういうことが起きたのか、レムが理解できたのは、すべてが終わってからのことであり、そのときには自分の身になにが起きたのか、まったくわからなかった。ただ、全身が燃え上がるような感覚の中で、漲る力に困惑しているしかなかった。
そして、セツナの全身から発した光が彼自身へと収斂し、消え去ると、召喚は終わっていた。
「ほう……さらに召喚を重ねたか。ならば、我も相応の力を出さねばなるまい」
ラジャムが喜悦に目を細めたのは、これから始まるであろうさらなる死闘を想像してのことだろう。闘争を司る荒ぶる神がいまのセツナの発揮しうる力を想像し、興奮するのは理解できないことではない。
召喚を終えたセツナを見たレムは、ただただ驚くほかなかったのだ。セツナは、おそらくすべての眷属を同時に召喚していた。黒き矛カオスブリンガーと、それに連なる六つの眷属を同時に召喚し、併用しているのだ。右手には黒き矛を握り、左手には蒼黒の魔杖、体に纏うは純黒の鎧、頭には闇黒の仮面を乗せるようにしている。深黒の双刃は腰に帯び、漆黒の槍、紫黒の大斧を背負っている。
まさに完全武装といってもいい状態だった。
七つの召喚武装に加え、ぼさぼさに伸びた黒髪と紅く輝く双眸が悪魔めいて見えたのは、彼が傲岸不遜な表情で闘神を睨んでいるからかもしれなかった。そして、そういった態度こそがセツナであり、彼女の愛しい主なのだ。レムは、満ち足りるどころか全身からとめどなく溢れそうな力の漲りに困りながらも、全身に召喚武装を装備したセツナに興奮を隠せなかった。同時に不安を抱きもする。召喚武装の複数同時召喚というのは、非常に負担の高い技術であり、一流の武装召喚師ですらおいそれとは使用しないものだ。ファリアやルウファといったレムの知る一線級の武装召喚師たちは、いずれも、召喚する武装はひとつだけだった。併用など、しようともしない。それは、それだけ負担があり、消耗が激しいからであり、継続的な戦闘も困難になるからだ。ひとつがふたつになっただけでそうなのだから、ふたつが七つになったとすれば、その負担の激増ぶりは想像するまでもない。
だが、上空のセツナの禍々しく凶悪な姿には、惚れ惚れとするしかない。七つもの召喚武装を同時に召喚し、身に纏っているのだ。それだけで、セツナの身体能力というのは限りなく引き上げられ、通常とは比べ物にならないほどのものとなっているだろう。召喚武装は、手にするものに副作用を与える。身体機能の強化ともいうべき副作用は、複数の召喚武装を手にすれば、それだけ作用し、使用者を強化しうるのだ。故に、武装召喚師の中には複数の召喚武装を併用するものもいないではない。ファリアたちは、複数同時併用で得られる利よりも、害のほうが大きいと判断しているからこそ、同時併用を禁じ手としているのだ。
セツナもそれを理解していないわけがない。
「悪いが、あんたの期待には応えられそうにない」
「なんだと……?」
セツナの予期せぬ台詞に闘神が表情を歪めた。昂ぶる想いに水をさされたのだ。闘神がセツナを睨むのもわからないではない。レムも、セツナが突如、意見を変えたような気がして、意味がわからなかった。セツナは紛れも無く、闘神との闘技に興じるために召喚武装の同時併用を起こったかにみえたからだ。
「いや、あんたには感謝しているんだ。あんたが煽ってくれたおかげで、俺はこうして全力を出す羽目になった。全力を出して、あんたを打ちのめさなきゃならなくなったからな。それには、感謝している」
「なにをいっている? ならば、我と戦い、打ちのめせばよかろう」
「そうもいっていられなくなった。まったく、危ういところだったぜ。あんたとの闘争に興じていたらと想うとな」
セツナが無造作に黒き矛を掲げる。
「あんたは、それを知っていたな?」
破壊的な切っ先が闘神に向けられていた。




