第千九百四十七話 死神と戦女神
「そうですか……まだ、セツナ殿は眠ったまま、と」
「はい。真に残念ながら、御主人様はお目覚めになられる兆候すら見せておりませぬ。余程、消耗したのでございましょう。体力も精神力も、回復しきっておられぬのです」
「……それは、そうでしょう」
ファリアは、溜め息を浮かべるようにして、以前となんら変わりのない人形めいた美しさと可憐さを併せ持つ少女の言葉を肯定した。少女とはいうものの、それは外見上のことだ。いや、肉体年齢も、その通りなのかもしれない。が、精神年齢は異なるものだろう。彼女は、その見た目以上に年月を生きている。
彼女は、少女の姿をした死神だ。実際の年齢とはかけ離れた姿なのは、肉体が死神となったときのまま、成長することも老いることもなくなってしまったからだ。不老不滅。それがいまの彼女の特性であり、多くの場合、人間にとっては羨むような特性だろう。彼女がそれを幸福に想っているかどうかはわからない。が、少なくとも彼女は、いまの境遇を愉しんではいるようだった。それだけで、彼女にそんな呪われた境遇を与えた人物にとっては救いとなるだろう。
彼女の名はレム。
かつてファリアとともにあの少年の側にあり、少年とともにあり続けることを宿命付けられた人物だ。それはいまも変わっていない。彼女は、彼とともにこの地に姿を見せ、いまも眠り続ける彼の傍らにあって、看護していた。彼女がいるからこそ、ファリアは安心して戦女神の職務に集中できるというのはあるだろう。レムならば、彼を任せきっても問題がない。問題が起きようはずもないのだ。
ファリアがレムと話し合っているのは、リョハン空中都・戦宮の最奥、戦陣の座だ。風通しの良さを追求するあまり、壁と天井、柱以外の遮蔽物が取り除かれた戦宮は、その最奥の部屋においても例外はなかった。隠し事や密談などできようはずもない。
「セツナ殿は、神軍よりリョハンを護るため、多大な貢献を果たされました。その戦いぶりについては、マリク様や皆から聞き及んでおります。到底、人間業とは思えないほどの活躍たるや、リョハン中で語り草となっているほどですよ」
ファリアがいったことは、お世辞でもなんでもない。
彼の――セツナの活躍は、物凄まじいとしか言いようがなかった。
第二次リョハン防衛戦と呼ばれるようになった先の戦いにおいて、セツナは、神軍を撃退する決定打となっただけでなく、リョハンの損害を最小限度に抑える働きもしている。それは、リョハン山門街に殺到した三万もの神人に苦戦するマリクたちを救援したことであり、神人の撃退に半ば成功させたことだ。セツナは、主戦場に姿を見せ、ファリアたちリョハン軍本隊を援護するかたわらで、みずからが生み出した影の戦士を用い、リョハンをも守って見せたのだ。
そのために用いられた何千体という影の戦士たちは、レムの説明により、マスクオブディスペアの能力を利用したものだということが判明している。マスクオブディスペアの能力を最大限に引き出すことで、それだけ多くの分身のようなものを生み出すことができたということだ。それは主戦場においても大いに活躍し、リョハン軍本隊の損害拡大も防いでいる。
セツナのそういった活躍は、山門街防衛戦に赴いた武装召喚師たちの口からリョハン各地に伝わり、リョハン勝利の立役者であるセツナの名とともにリョハン中を賑わしている。
もっとも、セツナ=カミヤの名がリョハンに知れ渡ったことは、今回が初めてではない。約二年前、ファリアがリョハンに帰還したあとに知ったことだが、彼女の祖母ファリア=バルディッシュがセツナの名をリョハン中に知らしめていたようなのだ。
それもファリアの想い人として、だ。
それを知ったときには気恥ずかしさの余り卒倒しそうになったものであり、祖母になんてことを言い触らしてくれたのだと恨み言のひとつでもいいたくなったものだが、いまとなってはむしろ、ありがたいことだったのではないか、と想うくらいには余裕ができてきていた。
セツナが話題に上がるとファリアに妙な視線が集まるのだ。それに慣れ、やがて胸を張っていられるようになると、自分の気持ちに素直になれるようになった。素直に想い人であることを認め、受け入れる。嘘ではないのだから、否定する必要も、気恥ずかしがる必要もない。だからといって言いふらすほどのことではないにしても、知られてなにか問題があるわけでもない。戦女神が個人に好意を寄せてはならないという決まりはないのだ。
祖母も、祖父を愛していたし、家族に特別な愛情を向けていたのは事実だ。
ファリアがセツナという一個人に特別な感情を抱いたところで、だれが文句をいおうはずもなかった。
そして、そのセツナがリョハンを存亡の危機から救った英雄ともなれば、なにもかもが変わってくるだろう。
「セツナ殿は、リョハンの救い主であり、英雄です。セツナ殿がいなければ、たとえ神軍を退けることができていたとしても、リョハンもただでは済まなかったでしょう」
ただではすまないどころか、致命的な損害を被っていた可能性も低くはない。
結界を解き、丸裸になったリョハンは、神々の攻撃の的だった。幸い、あのときは主戦場の女神のみがリョハンを攻撃し、ラムレスやセツナが対処してくれたものの、ケナンユースナルの話により、ほかにも神がリョハン包囲網に参戦していることが判明している。もし、神軍が全力を上げてリョハンの攻略に動いていれば、どうなったものか。神々の攻撃がリョハンに集中していれば、防ぎきれたものかどうか。少なくとも、大打撃を受けただろうことは想像に難くない。そしてその大打撃は、リョハンにとって致命的なものになりかねないこともわかる。
故にこそ、戦女神ファリアだけでなく、守護神も、護山会議や護峰侍団さえも手放しで彼の偉業を褒め称え、表彰し、なんらかの名誉を与えるべきだという結論で一致したのだ。
「リョハンがこうしていまも無事でいられるのは、セツナ殿の活躍あってこそのこと。その事実を否定するものはひとりとしていません。わたくしたちは、その功に報いるべく様々なことを思案していますが、そのひとつとしてセツナ殿に護山義侍の称号を受け取っていただこうと考えています」
「護山義侍……でございますか?」
「リョフ山を護り、お救いくださったセツナ殿に相応しい称号として、この度、戦女神と護山会議が新たに設けたものです。その第一号がセツナ殿なのですよ」
「第一号……きっと、御主人様もお喜びになるものと」
「それならば、よいのですが」
ファリアは、彼の目によく似たレムの赤い瞳を見つめながら、不安を口にした。
「受け取ってくださらない、なんてことはないですよね?」
「御主人様が、戦女神様からの心尽くしを受け取らないはずがございませぬ」
レムの穏やかな微笑みは、ファリアを心の底から安堵させてくれた。かつて見慣れた微笑をこうして再び面と向かって見ることができる日が来るとは、想っても見なかったことだ。いや、もちろん、いつかはセツナやレムたちと再会を果たせるときが来ると信じたかったが、戦女神としての日々がそれを許さなかった。
戦女神として職務を果たすことばかりに意識を向けてきた彼女にとって、セツナやレムとの再会を祈り、願う時間などあろうはずもない。そうするうちに時間ばかりが過ぎていく、なにもかもが過去のものへと成り果てていく。色褪せ、もはや取り戻せなくなると、意識の片隅からも消えていくものだ。希望は潰え、夢も幻となっていく。
予期せぬ――しかし、待ちに待った再会は劇的なものであり、ファリアは、あのときの感動は生涯忘れ得ないだろうと想っている。
そのとき交わした言葉も、抱きしめた感情も、温もりも、なにもかも。
セツナはその直後に意識を失い、それ以来、ずっと眠り続けている。
彼がどうしてあのとき、あの場所に現れたのかについては、既にレムから聞いて知っていた。そして、それを思い出すたびに胸が熱くなったし、セツナへの想いがとめどなく溢れて仕方がなかった。
セツナは、ファリアやリョハンにいる皆のために、全生命力を振り絞って、ここまで来てくれたのだ。




