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第千九百四十六話 この世のすべてを呪うもの


 夢を見ている。

 おそらくは、そうだろう。

 おそらく、夢だ。

 確信はない。ただ、そう感じているだけだ。そう認識しているだけだ。そう思い込んでいるだけだ。現実ではない、と、勝手に決めつけているだけのことだ。

 夢。

 夢。

 夢。

 長い長い夢の中で、彼は何度もそう想い、そう自覚し、目覚めを促した。覚醒を。しかし、一向に目が覚める気配はなく、意識は、混濁した闇の中を漂い続けていた。

 手や足の感覚もなければ、あらゆる感覚がない。ただ、意識だけがそこにあって、茫漠たる闇の海を漂っている――そんな状態が長らく続いている。どれだけ漂い続けているのだろう。どれだけさまよい続けているのだろう。どれだけ眠り続けているのだろう。

 どれだけ、目覚めるのを拒絶しているのだろう。

 夢。

 夢。

 夢。

 取り留めもなく、尽き果てることもなく続く夢。

 断続的に景色は変わり、連続的に世界が変わる。様々な光景。数多の風景。無数の情景。意識を染め上げ、脳裏を塗り潰し、頭の中を埋め尽くす。いつか見たもの。見たことのないもの。記憶にあるもの。記憶にないもの。見知らぬ世界。見知らぬ時空。見知らぬ次元。閃いては溶けて消え、また、現れる。その繰り返し。

 夢。

 夢。

 夢。

 いつまでも続き、終わることなく繰り返す。

 やがて疲れ果て、呆れ果てた頃合いになると、ようやく安定し始める。いや、むしろ混沌は加速しているのかもしれない。夢の終わりは見えないのだから、安定もなにもあったものではない。すべては夢。現実とは異なる、だからといって決してかけ離れたものではない光景。記憶の一部から作り上げられた虚構と虚像の世界。

 それが本当に夢なのかどうか確信が持てなくなるほど現実味を帯び、現実的な色合いを放つ世界の中で、彼は、憮然とするほかなかった。

 夢。

(そう、これは夢だ)

 彼は、拳を握り、頭を振る。この仮初に与えられた感覚もまた、夢の一部に過ぎない。

 頭上、満天の星空があった。どこまでも果てしなく広がる夜空と、その茫漠たる宇宙に輝く無数の星々はまるで彼の覚醒を祝福するかのようだったが、実際のところ、意識が目覚めているはずもない。これは夢。夢の中の一風景。それなのに圧倒的な現実感が誤認させる。起きているのだと、勘違いを起こさせる。その勘違いに身を委ねてはならないと意識が警告を発するが、どうでもいいという感覚もまた、どこかにあった。

 夢に身を委ね、そのまま夢の世界の住人に成り果ててもいいではないか、と。

「そんなことを君が考えるなんてね」

 星空の下、響き渡ったのは聞き知った声だ。

「さすがに、疲れたかな」

 なによりも優しく、すべてを包み込むような柔らかさと力強さを持つ声が聞こえた瞬間、彼の意識は冴え渡り、夜空の下を旋回した。星空の下に広がるのは、戦場と化した荒れ果てた原野だ。無数の、それこそ数え切れないほどの死体が横たわる戦場の風景が展開しており、彼もまた、戦場を構成する要素としてそこにあるようだった。手に矛を握っている。黒き矛。カオスブリンガー。

 声の主は、戦場の、彼の属する軍勢が向かう先にいた。無数の死体が前のめりに倒れる先、これまた無数の死体がこちらに向かって倒れている後方――巨大な光る船の甲板上に、その人物は立っている。純白の甲冑を身に纏う少年。いや、青年か。

「セツナ」

 青年は、そういうと、その装飾のやや派手な兜を脱ぎ、満天下に素顔を曝した。見知った顔だ。およそ二年前に見たときと、そう大きく変わりはない。痩せ細ったり、肥え太ったりしない限り、数年で激変するわけもない。ただ、髪の色はなぜか変化していて、その髪の透き通るような白さは目に痛いほどにまぶしかった。碧く澄んだ瞳は、相変わらずだ。

 相変わらず、なにを考えているのかわからない、そんなまなざしだった。

「クオン……」

 セツナは、彼の名を無意識に口にしている自分に気づき、はっとなった。

「そう、ぼくはクオンだ。守屋久音。クオン=カミヤ。それがぼくを定義する名前だった。そう、それがぼくの名前だったんだ」

「なにをいっている」

「過去のことをいっているのさ」

「過去だって?」

「そう、過去」

 クオンは、静かにいい切ってくる。甲板上、クオン以外にはだれもいない。戦場にもだ。セツナとクオン以外、死体しかなかった。数え切れない死体だけが、ふたりだけの戦場に積み上げられている。とめどなく流れた血が大地を紅く染め上げ、立ち上る死のにおいが鼻孔を満たしている。それが現実感を演出するための虚構であることを理解してはいるが、だからといってその現実感を否定できるわけでもなかった。なにもかも、現実味を帯び、意識を席巻している。

「すべて、過ぎ去ってしまった。もはや取り戻すことはできないし、どうあがいたところで、元には戻らない。なにもかも変わり果ててしまった。なにもかも、失われてしまった。現に在るのは、この変わり果てたぼくさ」

 彼は、みずからの胸に手を当てて、告げてきた。その憂いを帯びた瞳が、彼の心中を示しているようで、セツナはなにもいえなかった。変わり果てた。確かにそうかもしれない。確かに、彼は変わってしまったのかもしれない。だからこそ、セツナの前にいるのだ。セツナの前に、セツナの敵として顕れたのだ。

「君と再び出逢うべくして出逢ったこのぼくなんだよ」

「なにいってんのかさっぱりだよ、俺には」

「それでいいさ」

「よくねえよ。よくねえっての」

 セツナは、頭を振って、クオンを睨んだ。なにがいいものか。叫びたかった。叫んで、伝えたかった。あのとき、余力が残ってさえいえれば、そうしたはずだ。詰め寄り、問い詰めたはずだ。真意を聞き出そうとしたはずだ。だが、そうはならなかった。それはできなかった。

 あのとき、現実世界において、セツナはほとんど力尽きていた。

「生きてたのかよ。死んだんじゃなかったのかよ。いや、それはいいんだ。死んでなかったのなら、それに越したことはねえよ。生きてたんなら」

 セツナは、クオンの変わり果てた姿をそれでも喜びたかった。生きていたという事実を喜んで受け入れたかった。彼がただ健在ならば。彼が敵でさえなければ。彼が神軍の一員でさえなければ。素直に喜び、歓喜のうちに意識を闇に落としただろう。だが、現実はそうはならなかった。彼は、敵としてセツナの前に姿を表した。その素顔を見せつけ、方舟とともに姿を消したのだ。

「でも、それならなんで神軍の手先になってんだよ。なんで、リョハンを襲ったんだ? なんで、俺の敵になってんだよ」

「それが運命だったから、としか、言い様がない」

「運命だって?」

 セツナは、クオンが発したその一言によって、彼が偽物であることを思い出した。クオンならば、そのような物言いはしないだろう。

「はっ……」

 黒き矛の切っ先をクオンに向け、力を解き放つ。夢の世界。望むままに世界は動き、形を変える。黒き矛の破壊光線は、普段以上の絶大な力の奔流となって方舟へと突き進み、クオンに直撃した。大爆発が起き、閃光が渦を巻いて虚空に消える。

「馬鹿にしやがる」

 セツナは、無数の死体すらなくなった荒野のど真ん中で、吐き捨てるようにいった。夢の中だ。どれだけ力を使おうとも、消耗することはない。

 前方、方舟もクオンも消え去った虚空に闇が染み出していた。夜の闇のような漠然としたものではない、完全無欠の暗黒の闇。一切の光を許さない完璧な闇は、その中に赤い輝きを抱え込んでいる。赤い双眸。やがてそれがひとの形を成していることに気づくが、どうでもいいことだとセツナは想った。彼がどのような形をしていようと、きっと関係がない。

「……よく、見抜いたものだ」

「わかるさ。それくらい」

 セツナは、闇の男を見据えた。

「あいつとは、言葉を交わしてすらいねえんだよ、こちとら」

「それだけでわかるものか?」

「わかるに決まってんだろ。馬鹿にしてんのかよ」

 呆れ果ててものもいえないが、だからといって口を閉ざすわけにもいかない。

 ここは夢の世界ではない。

 夢と現の狭間。

 気がつくと、周囲の光景が一変していた。星空の原野から、灰色の荒野へ。

「あんたは、俺の味方じゃあなかったのかよ」

「味方だよ。俺はおまえの味方だ。セツナ」

 彼は、嘲笑うようにいってくる。

「おまえは魔王の杖の使い手なのだから」

 闇の中、輝く深紅の双眸は、燃えるように世界を呪っている。



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