第千九百四十四話 竜がもたらすもの(二)
ケナンユースナル。
竜の言葉で、“雲を狩るもの”という意味らしい。
竜語というのは、共通語とは大いに異なるが、武装召喚師にとって必修である古代言語に似通ったところがある。古代言語は、竜語を元にしたものであるという説があり、昨今ではその説が正しいものとして認識され始めていた。
雲中の戦いにおいて並ぶものがいないことからつけられた名であるといい、彼は、ラムレスから直々に与えられたその名に誇りを持っているようだ。彼だけではない。彼を含めたすべての眷属は、ラムレスから名を与えられることを名誉とし、そのために日夜己を鍛えているという。眷属にとって、ラムレスとは絶対王者以外のなにものでもないのだ。
空中都のあらゆる建物以上の巨躯を誇る彼の威容は、当然、スコールたち人間など比べ物にならないほど巨大だ。全身、紺碧の龍鱗に覆われており、隆々たる胴体からは四本の足と長い首、長大な尾、そして二対四枚の飛翼が生えている。厳しい頭部には四本の角があるのだが、そのうち一本だけが欠けていた。
そのような巨躯は、スコールたちが石舞台に辿り着くまでに見えていたものだ。彼は、いまやラムレスの代わりに眷属衆を率いているとのことだが、空中都には彼以外のドラゴンの姿はなかった。ドラゴンは、幼体はともかく、ある程度育った段階で人間など優に超える体躯を誇るようになる。そのようなものが大挙として押し寄せれば、空中都は足の踏み場もなくなるだろう。ラムレスもそうだったが、空中都のことを配慮して、代表者たる彼だけが訪れてくれたのだろう。
石舞台に辿り着くと、宝石のような青い目がぎょろりと開き、ファリアを見据えた。ファリアは、ケナンユースナルの足元まで進み出ると、恭しく頭を下げた。人間と竜では、礼節の有り様は異なる。種族が違うのだ。築き上げた文化も異なる。当然のことだ。ファリアは人間としての礼儀を尽くすことで、その想いを伝えようとしたようだ。
「お久しゅうございます、ケナンユースナル様。リョハンの代表として、心よりの感謝を申し上げますわ」
すると、ケナンユースナルは首を横に振った。そして、共通語を発した。
「……よい。我らは偉大なる父の命に従ったまで。感謝するべきは我らではなく、父と、父を動かした娘よ」
「ユフィのこと……ですね?」
「うむ」
ファリアの問いにケナンユースナルは、重々しくうなずいた。
ユフィとは無論、ユフィーリア=サーラインのことだ。ドラゴンに育てらた人間の娘である彼女は、どうやらラムレスの寵愛を受けているらしく、ユフィーリアがリョハンの援護を要請したからこそ、ラムレス率いるドラゴン属がリョハンの味方をしてくれたらしい。そういう意味では、確かに彼女には感謝しかない。彼女が働きかけてくれなければリョハンは援軍もなく、神軍によって蹂躙されていたのだ。そして彼女にはもうひとつ、感謝しなければならないことがあった。
それは、ユフィーリアがファリアにとって数少ない対等の立場の友人だということだ。
戦女神となったファリアは、どれだけ親しい人物からも一歩以上の距離を置かれるようになった。それは致し方のないことだ。戦女神とは、現人神だ。人間でありながら神としての扱いを受ける以上、親しさも鳴りを潜めざるをえない。スコールが従兄として振る舞えなくなったように、彼女とともにリョハンを訪れ、彼女の天使となったものたちも、彼女と以前のように触れ合えなくなっていた。ミリュウ=リヴァイアを除いて。
そんなとき、ユフィーリアの存在は大きかった。ドラゴン属の代表としてリョハンを訪れる彼女には、戦女神という立場など、関係がなかった。ドラゴン族の代表とリョハンの代表は、その立場でいえば対等といっていい。そして、ユフィーリアにはそもそも戦女神を尊ぶという感覚がない。自然、ファリアと屈託なく接することができ、ファリアは彼女との触れ合いが数少ない心休まる時間となったようだ。その事実にスコールは心の底から感謝していたし、できるならば、ユフィーリアにはずっとリョハンにいて欲しいとさえ想っていた。
無論、それが無理難題だということはわかっている。それでもファリアが一秒でも長く笑顔でいられるなら、と、願わずにはいられないのがスコールだった。
「ユフィはいま、どこに?」
「父とともに方舟を追っている」
ケナンユースナルは長い首を巡らせ、南東を見遣った。その遥か彼方へ、ラムレスとユフィーリアは飛んでいったということだろう。
「父とユフィーリアの悲願故、我らは待とう」
「……はい」
ファリアが静かに頷く。
ラムレスとユフィーリアの悲願とは一体何なのか、スコールにはまるでわからない。こと、ドラゴン属の話に関しては蚊帳の外にならざるをえないのは、護峰侍団が戦女神直属の組織ではないからというのが大きいのだろう。護峰侍団は、護山会議の下部組織という側面が強い。護山会議の意思によって動く武装組織というべきか。
戦女神は直属の配下として七大天侍(旧四大天侍)を持つ。自然、戦女神の政治の場には、護峰侍団幹部ではなく、七大天侍が同行することになる。
今回、スコールとミルカがこの場に居合わせることができたのは、幸運以外のなにものでもない。
特にスコールにとって歓喜だったのは、ファリアの勇姿を近くで見られることだ。戦女神として無理をさせるのは忍びないが、しかし一方で、ファリアが戦女神に相応しい人格の持ち主であり、凛々しい顔つきなどを見れば彼女に戦女神をやり通して欲しいと思わずにはいられなくなる。
従兄としての贔屓目があることは否定しないが。
「我がリョハンを訪れたのは、ほかでもない。先の戦いにおける戦果をリョハンの主に献上するためよ」
「戦果を献上……ですか?」
「左様。我らは、汝らリョハンの戦陣を借りたに過ぎぬ。その戦陣で得たものはすべて、汝らリョハンの人間のものとするべきだ。そもそも、我らには無用の長物であるがな」
すると、ケナンユースナルは空を仰ぎ、一声、吼えた。低くも鋭い咆哮が天に刺さると、白雲が霧散した。そして、スコールの前方、ファリアの目の前の風景が歪み、なにもない虚空からなにかが滲み出してくる。
竜の魔法ろう。竜語魔法とも呼ばれるそれは、竜の咆哮とともに発動し、様々な現象を引き起こす。竜が火や雷の息を吐くというのも、それだ。竜語魔法は、彼らの呼吸に直結するものであり、その独特な呼吸法は竜の強靭な肉体あってこそのものだ。人間に真似できるものではない。無論、真似したところで、魔法を使えるはずもない。
「これは……」
「武器、防具、それに物資のようですね」
「神軍のもの、でございますね?」
歪みから出現したのは、様々な物品だった。遠目に見ても、それがなんであるか一目瞭然だ。彼がいったように戦果だ。つまり、神軍の兵士たちが使っていた武器や防具であり、神軍が用いていた物資の数々がファリアの目の前に山のように積み上げられていた。つまり、ケナンユースナルは先程の一声で、それだけのものを石舞台に転送したということになる。
さすがはラムレスの眷属筆頭というべきだろう。
「そのほんの一部だ。ここは狭い故な」
「あはは……」
狭いのはケナンユースナルの体が大きすぎるからだ、とは、だれもが想ったことだろうが、だれもいえなかった。人間とは比べ物にならない巨躯を誇るドラゴンにとっては、人間の住処など狭いに決まっている。ラムレスなどは、リョハンに身の置き場がないため、常にリョハン上空に滞空してくれているほどだ。
空中都は、太古の遺跡をそのまま都市として利用している。それはドラゴンたちにもわかるらしく、空中都の美しい景観を傷つけまいと努力してくれているようなのだ。長い年月をかけて作り上げただろう古代の都市。もしかすると、何百年、何千年を生きるラムレスには、見知った都市なのかもしれない。
ともかく、そういった気遣いをしてくれているという話を聞いたとき、スコールはドラゴンに対する印象を大きく変えたものだ。もっと本能的かつ暴力的な存在だとばかり、想っていた。だが、実際は違う。理知的で、人間よりもむしろ理性的に想えてならない。
「さすがは元ヴァシュタリア軍ですね。どれもこれもヴァシュタリア軍が制式採用していたものばかりだ」
「防具はともかく、武器は必要かしらね」
「念のためには必要だろう。不要なものは溶かしてしまえばいい」
「物資はありがたい。これも一部だってんだからな」
などと、スコールたちが戦利品に群がっていると、ケナンユースナルがおもしろおかしそうに告げてきた。
「本命は、麓に置いてあるぞ」
「本命?」
ファリアがきょとんと竜を仰ぐ。その横顔の可憐さは、スコールにしかわからないだろう。
「見に行くか? それならば、我が背に乗せてやろう」
「よろしいのですか?」
「父が背に乗せたものたちならば、なんの不足もない」
ケナンユースナルはそういうなり、背を低くした。
ファリアたちに乗れ、といっているようだった。




