第千九百四十三話 竜がもたらすもの(一)
「それで……なにをなさっていたのです? こんなところで」
スコールがファリアに恭しく尋ねると、隣のミルカが半眼になって睨んできた。
「こんなところとはなんだ」
「いやあ、伏魔殿?」
「おい」
ミルカの低い一言にファリアが反応する。柔和な表情そのままに諌めてくる。
「そのような言い方はよろしくありませんよ、スコール殿」
「そうだぞ、戦女神様の仰られるとおりだ」
「むう……」
水を得た魚のような勢いのミルカと、彼女に水を与えたファリアの言い分に納得し難いものを感じながらも、抗っても仕方がないことだと認める。護山会議の議員などという妖怪とも魔物ともつかないような連中の住処たる議事堂を評するには、伏魔殿ほど似つかわしい言葉もないのだが、かといってそれをおおっぴらに認めるわけにもいかないのだろう。そういうことだと、納得する。
スコールがひとり顔をしかめていると、ファリアが話を進めてくれた。
「マリク様からお話がありまして、それを聞いていたところなのです」
といって、彼女が視線を向けた先には、マリク神の通信器があった。複雑な紋様の描かれた円盤の中心部から光が湧き上がっていて、そこに小さなマリク神の幻像が浮かび上がっている。会議中に見て慣れたことだが、やはり神の御業というのは人間の想像を超えるものというほかない。似たような能力を持つ召喚武装ならば呼び出すことも可能かもしれないが、神は、そんな手間を取らずに相応のことができるのだ。
小さなマリク神は、虚空を見やっている。人間のころの彼については、人並みの知識しかない。どこからともなく現れた子供であり、リョハン史上最高の天才児。それまで天才児の名をほしいままにしていたアルヴァ=レロンの評価を瞬く間に地に落とした人物。もしマリクが現れるようなことがなければ、最年少四大天侍の座には、アルヴァ=レロンがついていただろうとまことしやかに囁かれている。アルヴァはマリクという超天才が現れたことでそれまでの生意気っぷりが鳴りを潜めてしまい、ひとが変わったように卑屈な人間になってしまったが、致し方のないことだろう。
アルヴァとマリクでは、才能の差がありすぎた。
そしてそれには理由があり、その理由が明らかになったからといって、アルヴァが以前の傲岸不遜な性格を取り戻すことはなかった。
そのアルヴァは、この場にはいない。どうやら、会議が終わるなりとっとと議事堂を後にしたようだ。一番隊長である彼は、だれよりも護峰侍団の職務に忠実だ。もっとも若く、もっとも精力的な彼を一番隊長に据えたのは、ヴィステンダールの采配の中でも白眉というべきだろう。彼の存在が護峰侍団に常にいい緊張感をもたらしており、隊長格に刺激を与えている。
ともかく、アルヴァの人生にとてつもない影響を与えた人物の正体が神様だったという真実は、ほとんど関係のなかったスコールにさえ衝撃をもたらしたことを覚えている。そして、彼が神としての本性を表してくれたからこそ、リョハンが“大破壊”を生き延び、以来二年以上に渡って安穏たる日々を貪ることができたという事実には、感謝しかなかった。
故に護峰侍団のだれもがマリク神を尊崇し、敬意を抱いていた。
「なんでも、わたくしたちの会議中、ラムレス様配下のケナンユースナル様が眷属の皆様方と訪れられたとのことで」
「ケナンユースナル様……って確か、ラムレス様の眷属筆頭でしたね」
「ええ。ラムレス様御不在のいま、眷属の皆様を指揮なさっており、リョハンに訪れたのもその一環のようです。わたくしはこれからリョハンの代表としてケナンユースナル様と逢うつもりですが、お二方も来られますか?」
「ぜひ!」
「おい」
スコールの即答に口を挟んできたのは、無論、ミルカだ。彼女は、規律にうるさい真面目人間だから仕方がない。
「よろしいのですか? 我々は――」
「護峰侍団の隊長ならば、竜属の代表者と知り合っておくのも悪くはないでしょう」
「……戦女神様がそう仰られるのであれば、喜んで同行させていただきます」
「もう、真面目ちゃんはこういうときも素直じゃないんだから困るなあ」
「だれが真面目ちゃんだ、だれが」
ミルカは不満そうな表情でいってきたものの、スコールは取り合わなかった。ミルカが生真面目な人間であることは、だれもが知るところだ。
ファリアですら、彼女の生真面目ぶりには感心するほどなのだが、ミルカにはそれがわからないくらい几帳面であることが正常という人物だった。
彼女の前では、軽口や冗談さえ叩けないのが困ったところだったりする。しかしながら、護峰侍団には、彼女のような人材が必要なことは疑うまでもない事実であり、彼女が二番隊長として目を光らせているからこそ、護峰侍団の規律が乱れることがないのだ。
もし彼女がいなかったとすれば、隊長格それぞれが好き放題にし、その影響が部下に出て、護峰侍団全体が無法者の集まりになったのではないか。それくらい、護峰侍団の隊長格というのは個性の強い面々ばかりだった。
ヴィステンダールひとりでは、とてもではないがまとめられないのだ。
ケナンユースナルは、蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラース率いる眷属の中でも特に大きな力を持つものであり、それ故、眷属筆頭と呼ばれている。
ラムレスの眷属は、いくつもの集団に分かれているのだが、中でも近衛とも親衛隊とも呼ばれる眷属集団・天門衆は、その呼び名の通りラムレスにもっとも重用され、重宝がられているという。
その天門衆の頭目こそがケナンユースナルだ。彼がいかにラムレスに重用されているかが、その一事からも窺い知れることができるだろう。
先の戦いにおいて、ラムレスは己の眷属をいくつかの部隊に分けたが、そのうち一部隊の指揮官として任命したのがケナンユースナルであり、ケナンユースナルは配下の飛竜たちとともに西と南西の神軍陣地攻撃を担当している。
というような情報は、戦後、スコールたちの耳にも入っている。ラムレス率いる竜属の協力と大活躍がなければ包囲網を打破することは敵わず、神軍という数の暴力の前に為す術もなく滅ぼされていたという事実も、そのとき改めて認識したものだ。ラムレス及びその眷属には感謝しかなかったし、いつか直接、言葉と態度で感謝を示すべきだとだれもが考えていた。
ラムレスの眷属は、かつて最終戦争の折、リョハンを包囲し、攻撃する構えを見せたことがある。それは、ラムレスの話によれば、至高神ヴァシュタラの目を欺くための行動であり、マリクの守護結界があろうとなかろうと、本気でリョハンを攻略するつもりはなかったとのことだ。ヴァシュタリア軍ではなく、ラムレスの眷属が事に当たったのも、リョハンを無為に傷つけないようにするためだったのだ。ヴァシュタリア軍では、仮に守護結界がなかった場合、物量を頼みにリョハンを制圧しかねない。たとえ制圧できなくとも、リョハンに死傷者が出たのは疑うまでもない。護峰侍団も四大天侍も無敵ではないのだ。しかし、クオンの息の掛かったラムレスの眷属ならば、力を加減することができる。至高神ヴァシュタラの勅命に従い、リョハンを制圧するように見せかけ、時間を稼ぐことができるのだ。そうしてラムレスの眷属らが時間を稼いでいる間に至高神ヴァシュタラの目論見を叩き潰す――それがクオンの考えだったのだ、という。
要するに最終戦争の開幕当初、リョハンに訪れたのは存亡の危機でもなんでもなかったということだ。無論、クオンがリョハンのことを配慮してくれたからなのだが、なぜ彼がリョハンを生かしてくれたのかは彼のことをよく知らないスコールにはわからない。ラムレスもそれについては、教えてくれはしなかった。
ともかく、ラムレスとその眷属たちに対し、リョハンのひとびとが警戒心を解いているのはそういう理由からだったし、二度に渡る神軍との戦いにおける彼らの活躍は、リョハンのひとびとに竜属への感謝や畏敬の念を抱かせるに至っている。かつては恐怖の象徴に過ぎなかったドラゴンは、いまや希望の象徴といっても過言ではない。彼らがいなければいまのリョハンはないのだ。守護神と戦女神だけでは、リョハンの戦力だけでは生き延びることはできなかった。
その事実を噛み締めながら、スコールはファリアたちとともに快晴の空の下、空中都の南部に向かっていた。空中都の南側には、石舞台と呼ばれる一枚岩でできた更地がある。ケナンユースナルはそこにいるというのだが、その威容は、議事堂を出た瞬間、スコールたちの目に止まっている。
ケナンユースナルは、ラムレスの眷属において、ラムレスに次ぐ巨躯を誇る飛竜だ。
紺碧の鱗に覆われた巨躯は、空中都のどの建物よりも大きく、建物の影に隠れるようなことがなかった。




