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第千九百四十二話 戦女神というもの


「ふー……ひやひやしたよ、まったく」

 スコール=バルディッシュがため息混じりにつぶやいたのは、空中都大議事堂における会議が終わり、

解散したあとのことだった。

 護峰侍団三番隊長である彼は、護峰侍団側の人間として会議に参加していたのだ。先ごろの戦いで瀕死の重傷を負った彼は、部下の召喚武装の能力によって辛くも一命を取り留め、体を自由に動かせるまでに回復している。それでも無理していることに変わりはない。しばらくは安静にするべきだというのが部下たちによる診断結果であり、護峰侍団の医療班もそういっている。彼が病み上がりであるにも関わらず、拒否権を行使せずに参加したのは、無論、大いなる戦女神にして愛しい従妹のため以外のなにものでもなかった。

 戦女神ファリア=アスラリアには、政敵が多い。

 リョハンの混乱を収めるべく先代戦女神の人間宣言を踏みにじる形で戦女神の座についた彼女は、その若さと拙さから侮られることが少なくなかった。特に護山会議の議員たちからは小娘と陰口を叩かれているらしいことを聞いている。陰口が本当のことかどうかはわからないが、少なくとも護山会議の議員たちの中に、反戦女神勢力があるのは間違いなく、戦女神の意見に対し徹底的に反対しようと考えるものがいるのもまた、事実だった。

 その筆頭がモルドア=フェイブリル議長であり、彼の息のかかった議員たちが、この度の会議で戦女神に責任を取らせようとしているのではないか、と実しやかにささやかれていたのだ。そうとなれば、黙っていられないのがスコールだ。護峰侍団の一隊長格に過ぎない彼には発言力などあろうはずもないが、会議への参加資格があり、参加要請があったのだ。ならば、口を挟む余地もあるだろう。そう考え、自分の状態のことなどまったく考慮せず、一も二もなく参加を決定した。

「なにがだ」

 隣を歩く女が、呆れたような顔で睨んでくる。ミルカ=ハイエンド。護峰侍団二番隊長であり、生真面目さの権化のような彼女は、いつにもまして几帳面に整えられた髪型と服装をしていて、見ているだけで息がつまりそうだった。通路に響く彼女の靴音さえ一定だった。

 このたびの会議に置ける護峰侍団からの参加者は、全部で六名だ。団長であるところの侍大将ヴィステンダール=ハウクムルに二名の参謀、ニレヤ=ディー、サード=ザームに一番隊長アルヴァ=レロン、そしてスコールとミルカだ。護山会議に呼ばれる面々というのは、だいたいこの六名で固定されており、隊長格はそれぞれの都合次第で顔触れが変わることもある。

 ヴィステンダールと参謀二名は議員たちとの会合に出向いており、付き合いの悪いアルヴァはそそくさと隊舎に帰っていった。スコールとミルカは、それぞれ雑務を処理した後、示したわけでもなく一緒に議事堂を後にするところだった。

 議事堂は広いが、決してわかりにくい建物ではない。いくつもの小部屋があり、会議室があるものの、迷路のように入り組んでいるのではなく、大きな広間を中心とし、そこから複数の通路が全方向に伸びているという程度の作りだ。通路を辿れば広間に辿り着けるし、広間に辿り着きさえすれば、玄関口はすぐ目の前となる。

「せっかく議長がすべての責任を負うっていってくれてんのに、あのおっさん、口を挟みやがったからな」

「おっさん……?」

 ぴくりと、ミルカが眉を動かすのが気配でわかる。几帳面な彼女は、表情ひとつとっても几帳面といえた。一定なのだ。常に一定の表情をしていて、表情筋が死んでいるのではないかと噂されるほどだった。しかし、決してそういうわけではなく、彼女はみずからの感情さえ律し、己の表情を支配しているのだ。

「団長殿のことではなかろうな?」

「ほかにだれがいるんだよ」

「貴様……」

「おー……こわいこわい。おっさんにおっさんっていってなにが悪いんだか」

 ミルカに凄まれて、スコールはわずかに後ずさった。ミルカの双眸から発せられる殺気は、さすがに隊長格に名を連ねるだけのものであり、並の人間ならば萎縮するだけでなく、失神さえするのではないだろうか。護峰侍団の隊長格は、いずれも悪鬼羅刹の如き強者揃いだ。そして、先の戦いという死線を潜り抜けてきたことで、凄みが増していた。とはいえ、スコールにとってミルカは年下の妹分ということもあって、彼女がいくら凄んできても本気で恐怖を感じることはない。

 そも、護峰侍団の隊長格同士、争うことなどありえないのだ。

「あー、いっとくけど、別に尊敬していないわけじゃあないぜ。親しみを込めて、おっさんといっているだけのことさ」

「そうは聞こえないがな」

「穿ってりゃあな」

「素直に聞いているだけだ」

「むう……ああいえば、こういう……」

「お互い様だ」

 ミルカの一言に返す言葉もなく、スコールは虚空を見やった。議事堂内大会議室から大広間へ至る通路には、ほかにだれがいるわけでもない。護山会議の議員たちはとっくに別の部屋にいっていたし、戦女神は七大天侍を引き連れて、議事堂を去ったはずだ。

「それで、団長殿がなんだと?」

「もしあのとき、あのおっさんが食い下がり、戦女神様に責任を負わせようとしたならさ」

 護山会議長モルドア=フェイブリルがすべての責任を負うと表明し、そのことを説明し終えた後のことだ。ヴィステンダールが突如口を挟んだとき、スコールは、我を忘れかけている。無意識にヴィステンダールを睨み据えている自分に気づき、はっとしたものだ。もし、ヴィステンダールがモルドアの説得に応じず、戦女神への責任追及を諦めなければ、どうなったのだろう。

「俺はそのとき、どうしたのかな……ってな」

「どうしようもないだろう」

「そうかな」

「貴様は護峰侍団の隊長格だ」

「いったはずだ。それ以前にリョハンの人間だってな」

 スコールは、ミルカの研ぎ澄まされた刃のような目を見つめながら、告げた。ともすれば敵意さえ感じるほどの鋭さだが、それも致し方のないことだ。ミルカは、護峰侍団隊長格としての道義を説いている。スコールは、隊長格としてよりも、戦女神の臣民としての覚悟をいっている。その誤差は、決して大きなものではないし、埋めようと想えば埋められなくもないものだ。しかし、互いの覚悟がそれを埋め合わせようとはしないのだ。

「俺は、戦女神様のためなら死ねるぜ」

「それは……十二分に理解したが、しかし、貴様が秩序を乱すような人間ではないことも知っているつもりだ」

「買いかぶり過ぎだよ」

「そうかな」

「そうさ」

 スコールがいうと、ミルカはそれ以上なにもいってはこなかった。これ以上はただの言い合いになるということを彼女は知っている。長い付き合いだ。彼女が隊長格に抜擢されてから数年、同僚として散々にぶつかり合ってきたのだ。互いのことは、熟知している。

 決して気まずくもない沈黙のまま通路を抜けると、大広間に辿り着く。議事堂の出入り口といっても過言ではない大広間は普段、議事堂の職員くらいしかいないはずであり、スコールたちは素通りするつもりでいた。しかし、広間に足を踏み入れるなり、異様な雰囲気に気づき、彼は足を止めた。

 人集りができていたのだ。

 それもただの人集りではない。中心にいる人物に対し、その場に集まっただれもかれもが平伏しているような、そんな雰囲気さえある人集りだった。そしてその理由もすぐにわかる。中心にいるのが、このリョハンにおける光だったからだ。まばゆい希望の光を前にすれば、だれもかれも跪きたくなるものだろう。職員、議員の区別なく、だれもが戦女神を敬うようにして、見守っている。

「おや……あんなところに見ゆるは、戦女神様ではないですかな」

「突然なんだ、それは」

 ミルカがなにか口を挟んできたが、彼は黙殺し、目を凝らした。戦女神は、三名の七大天侍とともに広間の出入り口付近にいて、人集りはそれを遠巻きに囲んでいる。なにをしているのかよく見えないのだが、なにかをしているらしいことはなんとなくわかる。戦女神も七大天侍もなにやら真剣な表情をしていた。

「なにしてんだろ?」

「さあな。どうせ、我々には関わりのないことだろう」

「気になる……」

「首を突っ込むのはやめておけ。我々護峰侍団と七大天侍の関係を悪化させたくなければな」

「うーん……護峰侍団と七大天侍の関係がどうなろうとしったこっちゃないんだが」

 スコールが素直な気持ちを打ち明けると、ミルカが冷ややかな目線を向けてきた。

「おい」

「俺に取っちゃ、戦女神様のほうが大事だし」

「貴様というやつは……」

「まあまあ、悪意がなけりゃ、七大天侍だってなんとも思わんでしょ」

「それは……そうかもしれんが」

 ミルカが腕組みするのを横目に見て、スコールは、人集りの中に突っ込んでいった。

「あ、おい」

 ミルカが呼び止めてくるが、もう遅い。職員をかき分け、議員さえも押し退けて、人集りの中心へと向かう。そこに愛しい従妹がいて、なにやら深刻そうな顔をしているのだ。胸がざわつかないわけがなかったし、力になれることがあるなら手を貸してやりたかった。人垣を押しのけて邁進するスコールに対し非難の声が聞こえてくるが、彼は黙殺した。そして、やっとの想いで戦女神たちの側へと至るも、彼女たちはこちらに気づいた様子もなかった。なにやら真剣に円盤を見下ろしている。守護神マリクの通信器だ。どうやら、守護神からなんらかの通信が入ったのだろう。そしてそれが、リョハンにとって重要な事柄らしいことがファリアたちの表情から窺える。

「戦女神様に七大天侍の皆様に於かれましては、ご機嫌麗しゅう」

「スコール殿……それにミルカ殿」

 ファリアの反応から、ミルカもまた人垣を押し退けてきたことがわかる。横目に見ると、彼女はバツの悪そうな顔をしていた。規律に厳しい彼女からすれば、ありえない行動だったはずだ。

「戦女神様、うちの馬鹿が失礼を」

「失礼って」

「存在自体が無礼だろう」

「酷いな」

 スコールが憮然とした顔をすると、ファリアが屈託なく微笑んでくれた。

「ふふ……仲がおよろしいのですね」

 スコールは、はっとなった。まるでそこに一輪の花が咲いたようなあざやかな変化だったからだ。そして、その一輪の花こそ、スコールが愛してやまないものであり、守り抜きたいものだった。

「いえ、全然、まったく、これっぽっちも」

「ミルカ隊長のいうとおり、まったく仲はよろしくありませんので、心配なく!」

「心配? 仲が良いことはむしろ喜ばしいことでしょう?」

「む……それは……たしかに」

 正論をいわれて、スコールは口ごもった。スコールがいいたいことはそういう意味ではなかったし、別の意味も、ファリアにはまったく意味のないものだということも理解しているからだ。ファリアには想い人がいて、その想い人こそ、リョハンの救い主なのだ。

「ですが、我々の仲はむしろ険悪です故、訂正の必要はありかと」

「そう……なのですか?」

 ファリアが困り果てたような顔をする。その眉尻が下がった表情がなんとも愛おしく、つい抱きしめたくなる。しかし、いまそんなことをすれば、ミルカにぶった切られるだけでなく、七大天侍の三名から集中砲火を受け、跡形もなく消え去ること間違いなかった。それくらい、スコールも理解している。

「それにしては随分と……」

「隊長格同士、ある程度の交流を持つのは当然のこと。それ以上でもそれ以下でもありませんので、あしからず」

「そうですよ、戦女神様。俺はこんな真面目ちゃんより、戦女神様のほうが断然……」

「真面目ちゃんとはなんだ」

「いやあ、ミルカ殿、失礼」

「……戦女神様の御前だということを忘れるな」

「へいへい」

「うふふ」

 ファリアがただ笑ってくれるのが嬉しくて、スコールはついついはしゃいでしまう自分に気づくが、どうしようもないことも理解している。当代の戦女神は、ミルカのように生真面目だ。先代の戦女神以上に戦女神足らんとし、人前に出ているときは、余程のことがないかぎり素顔を見せはしない。常に戦女神としての微笑を湛えてはいるものの、それは戦女神としての仮面であり、装束なのだ。本心からの笑顔を見せることは、稀だった。

 それが戦女神になるということだ。



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