第千九百三十九話 責任の在り処(三)
「難民保護を訴えるだけならばまだしも、強行し、麓特区なる居住区を作り、マリク様に負担を強いたのは、紛れもなく戦女神様の判断でございましょう。護山会議の方々も、我々も、何度となく進言してきた。しかしそのたびに我々の言を退けられたのが、戦女神様だ。そしてその結果、どのようなことが起こったのか、方々も忘れてはいますまい」
ヴィステンダールは、鍛え抜かれた刀身のように鋭い視線をファリアに送り続けている。護峰侍団の被害はともかくとして、リョハンに害が及ばんとした事実を言及するとなれば、そうもなるだろう。彼の気持ちはいたいほどわかる。リョハンには、彼の家族親族が多数、住んでいる。いや、家族や親族だけを考えてのことではあるまい。リョハン市民を護るのが、リョフ山を護るのが護峰侍団の役割なのだ。その役割を担う戦闘集団の頂点に立つのが、侍大将たる彼なのだから、リョハンが危機に瀕すれば、そのような態度にもなるだろう。
「難民の総神人化。マリク様の判断が遅ければ山門街のみならず、リョハン中が神人によって蹂躙されていたことは疑うべくもない。また、ラムレス様の到着が少しでも遅れていれば、リョハンは御山ともどもこの世から消滅していたことでしょう。これがどういうことかわからぬ戦女神様では、ございますまい」
「ええ。ヴィステンダール団長、あなたの意見に間違いはありません」
彼がなにをいいたいのか、どのような結論に持っていきたいのか、わからないファリアではない。難民問題によって反戦女神派の筆頭へと傾いた彼のことだ。この度の問題を追求することで、戦女神になんらかの責任を取らせたいのだ。難民問題は、護峰侍団に死傷者を出している。いまになって想えば、それも神軍の思惑であり、策略だったのではないかと考えなくもない。
三万もの兵員を捨て去るなど、いくら撤退を急いだとはいえありえないことだ。それはわかりきってはいたことだったし、保護した結果、リョハンが問題を孕む可能性についてもファリアが考えなかったわけではない。しかし、戦女神たるもの、困っている人間を見て見ぬふりなどできるわけもなかった。先代戦女神が健在ならば、同じように手を差し伸べ、結果、同じような状況になっただろうことは疑うべくもない。
もちろん、言い訳などはしない。
ファリアの判断が大いなる間違いであり、リョハンを滅亡の危機に曝したという事実は、どう取り繕っても消せるものではない。リョハンが生き延びることができたのが、セツナが到着し、神軍の撤退を促してくれたからであるという現実を理解した上でも、だ。ファリアが難民保護を強行さえしなければ、少なくともリョハンが滅亡の危機に直面するという最悪の事態を逃れることはできたはずなのだから。
「ならば、責任を取るしかあるまい」
と、厳かに口を開いたのは、モルドア=フェイブリルだ。会議開始当初からいまに至るまで渋い表情を浮かべていた彼が口を開くと、会議室内の緊張感がいや増したのは勘違いでもなんでもないだろう。彼は、リョハン一の富豪であると同時にリョハン最大の政治家なのだ。独立戦争以降の混沌とした政情を整然と纏め上げたのが彼であり、彼がいなければリョハンは戦後の混乱期に突入していただろうという評価があった。彼をして、リョハン安定の第一人者という声が大きく、彼が未だ護山会議の議長として君臨し、政治家の頂点にあるのもそういった経歴があってのことだった。そして、そんな彼の影響力はいまもなお協力極まりなく、彼が一声発すれば決議はなるといわれるほどであり、実際その通りだった。彼の決定に反対することができるのは、彼以上の権勢を有する戦女神だけなのだ。故にこそ、彼や彼の一派は戦女神を快く想っていないのではないか。
難民問題は、そういった反戦女神派の感情を結果として煽ることとなり、対立を明確化したものだが、それ以前から戦女神と議長の権力争いめいたものは存在していた。議長が主導となって決定的となった議題をファリアの一声で覆されれば、そうもなろう。そういう行動の積み重ねが反戦女神派なる派閥の結成を促したことはファリアとて理解しているものの、ファリアは、自分が間違った決断を下したとは想ってはいなかった。
ファリアは、リョハンの戦女神として絶対的に正しいことを貫いてきただけのことだ。そのことが、リョハンの為政者たる護山会議員たちの正義と対立していただけのことであり、どちらが悪い、どちらが良いという、そんな簡単な話ではないのだ。
議長らの判断も決して間違いではなかった。
難民問題のことだって、そうだ。リョハンの民、リョハンの将来のことだけを考えるのであれば、三万もの難民など、受け入れるべきではない。近隣の都市と話し合い、対処するべきだった。しかし、ファリアはそれをせず、戦女神とはどうあるべきかということにばかり意識を向けてしまっていた。視野が狭まっていたのは、確かだ。
そしてその結果、リョハンを最大の危機に陥れてしまったのもまた、事実だ。
戦女神と遠く対面の席に座るモルドアが立ち上がり、一同を見回した。
「このたびの難民政策に関する責任を取り、わたし、モルドア=フェイブリルは護山会議長の座を降り、また、議員としての権限のすべてを返上することを申し上げまする」
「議長?」
ファリアは、彼が発した言葉の意味が咄嗟には理解できず、思わず腰を浮かせた。驚いたのは、ファリアだけではない。何名もの議員たち、七大天侍、護峰侍団隊長たちですら、自分が耳にした言葉を信じられないといった表情となっていた。
「なにを……仰られておいでなのです?」
「なにを? 当然の道理を申したまでのこと」
モルドアの表情は、どこかすっきりとしているように見えた。清々しいまでの表情は、これまで会議の場において渋面ばかり作っていた議長のものとは思えないほどのものであり、若かりし日、リョハンの女性を騒がせたという色男の片鱗を覗かせていた。
「道理……」
「そう、道理です、戦女神様。あなたには、知っておかねばならぬことだ。そして、この場にいる皆々様にも申し上げておく」
モルドアは、朗々と演説を始めた。
「我々護山会議はいったいなんのために存在し、いったいなんのためにひとびとの上に立つのか。いったいなんのために高給を食み、ひとびとに尊ばれるのか。我々は、このリョハンの、御山に住むひとびとの代表に過ぎない。ひとびとの生活を見守り、ひとびとが快く暮らせる状態を維持し、あるいは向上させることが護山会議の行う政治。そのことは、皆様もよくご存知のはず」
モルドアの言葉に議員たちはそれぞれにうなずき、彼の話を待った。ファリアも異論を挟む予知はない。護山会議とはどういうものなのか。物心付いたときからよく教わってきたことだ。戦女神の後継者として必要な情報、必要な教育。
「リョハンは、陸の孤島。ヴァシュタリア共同体という大勢力の懐に抱かれた、外界との繋がりなき小島だ。リョハンに住むものは、だれであれ手を取り合い、助け合っていかなければならない。でなければ脆くも崩れ去り、ヴァシュタリアという大海の荒波に飲まれ、藻屑と消え去るが必定。そのことは、リョハンが独立戦争に勝利し、ヴァシュタリアから自由を勝ち取ったとき、リョハンのだれもが理解し、胸に刻んだ。いまも、そう教わっているはずだ」
ヴァシュタリアという大海に浮かぶ孤島。
リョハンをそのように表現するのは、独立戦争に勝利して以降のことだ。それ以前は、ヴァシュタリアの支配下にあり、ヴァシュタラ教会の施設が市内各所にあったという。しかし、元々リョハンは独自の文化を持っていたため、ヴァシュタラ教会に帰依するものがほとんどいなかった。いや、実際にはだれもが教会の洗礼を受けていたのだが、内心では信仰していなかったというのだ。だから、アズマリアがリョハンに目をつけたのではないか、と、いわれている。
リョハンがヴァシュタリアからの独立運動を始めたのも、武装召喚術という絶大な力を得たからだ。武装召喚術があれば、ヴァシュタリア軍など脅威に値しない――そんな無謀な考えが罷り通ったほど、当時のリョハンは威勢が良かったに違いない。そして、実際に勝利し、独立を勝ち取ったのだから、物凄まじいというほかない。いまのリョハンの戦力では、ヴァシュタリア軍に勝つ算段が立たない。
ともかく、独立戦争においてヴァシュタリアに打ち勝ち、独立を勝ち取ったリョハンだったが、ヴァシュタリア勢力圏の真っ只中に在るという事実を変えることはできなかった。独立はできても、ヴァシュタリアとの取引がなければ生きていけないような、か弱い存在だったのだ。
もし内部分裂でも起こせば、瞬く間に瓦解したのは想像するまでもない。
「故に、我々は、ファリア=バルディッシュという一介の、ただの武装召喚師を戦女神として持ち上げ、象徴とした。確かに、彼女の活躍があったればこそヴァシュタリアに勝利できたのは事実だ。しかし、戦女神といういままでなかった、人間以上の存在へと押し上げ、ありとあらゆる責任をたったひとりの人間に押し付けたのは、その活躍が目覚ましかったからだけではない」
モルドアの演説は、ファリアが知らない情報が含まれていた。
「リョハンをひとつに纏め上げ、束ね上げるには象徴が必要だった。それも、だれもが知る、だれもが納得する輝かしい、栄光に満ちた象徴が。それがファリア=バルディッシュだった。当時二十代の若い盛りだった彼女には寝耳に水の話だっただろう。しかし、彼女は一も二もなく受け入れた。自分が戦女神となることでリョハンがひとつになり、今後数十年、いや数百年に渡って安定をもたらすことができるのなら、とな」
モルドアがアレクセイを一瞥した。アレクセイは、渋い表情を浮かべたまま、どこか遠い目をしていて、心ここにあらずといった様子に見えた。祖父がなにを考えているのか、ファリアにはわからない。しかし、当時のことをもっとも知っているであろうアレクセイがモルドアの演説に反論ひとつ述べないところを見ると、モルドアの言葉に間違いはないようだった。
「護山会議は、戦女神という象徴を利用した。戦女神の価値を絶対的なものとして引き上げる代わりに、戦女神の命令ならばどんな難題であっても受け入れるという土壌を作り上げた。戦女神への狂信的ともいえる信仰を植え付けたのも、護山会議なのだ。護山会議が、リョハンを安定的に統治するために必要な象徴として戦女神という役割を創出したのだ」




