第千九百三十七話 責任の在り処(一)
第二次リョハン防衛戦の顛末は、リョハン軍の帰還後、速やかに纏められ、リョハン市民に余すところなく伝えられた。
神軍の動員が二十万以上に及ぶものであり、リョハンが紛れもなく存亡の危機に曝されていたこと、リョハン軍だけでは戦力差を覆しきれず、滅亡していた可能性が高いこともリョハン市民に知れ渡ることとなったが、そう伝えるよう命令したのはほかならぬファリアだった。状況が終了し、リョハンが滅亡を免れた以上、市民に隠し事をする必要はないとの判断だった。すべてを明らかにした上で裁定を市民に仰ごうという気持ちも、彼女の中にはあった。
ファリアはひとつ、重要な失態を犯している。
そのことは、つぎの会議で議題として取り上げられ、ファリアの進退問題に及ぶほどのものとなるだろう。護山会議には反戦女神派の議員が少なくはない。戦後、ファリアたちを平身低頭の勢いで迎え入れた議長モルドア=フェイブリルは、ここぞとばかりに攻撃してくるに違いない。
ファリアが、リョハン市民にあらゆる情報を公開したのは、もちろん、それら反戦女神勢力への牽制などではない。そんなことをしてもなんの意味もないことはわかっていたし、反対勢力と言い争うつもりもなかった。
ファリアは、市民には戦争の真実を知り、リョハンがどのようにして生き延びることができたのか、知っていて欲しかったのだ。それによりファリアへの非難や否定的な意見が強まるだろうことは理解していたが、それ以上に、リョハンを守ってくれたものたちへの感謝の気持ちのほうが強くなると見ていた。そして、それが彼女にとっては重要だった。
リョハンを護るために払った多大な犠牲が決して無意味なものではなかったのだと胸を張っていいたかった。そのためにも、第二次リョハン防衛戦の真実を周知徹底する必要がある。
リョハンがなぜ生き延びることができたのか。
単純な理屈だ。
リョハン防衛に尽力してくれた外部の協力者たちのおかげというほかない。
まずは、蒼衣の狂王ことラムレス=サイファ・ドラース率いる竜属たち。彼らは、竜王の娘たるユフィーリア=サーラインがファリアのため、ラムレスに協力を進言してくれたからこそ実現したものであり、ユフィーリアこそリョハン防衛の立役者のひとりといってよかった。無論、ラムレスの偉大な力があればこその評価であり、ラムレスがいなければリョハンは滅び去っていたといってもいい。
元々、ラムレスとその眷属たちへのリョハン市民の評価というのは、決して低いものではない。最終戦争においてヴァシュタリア軍の尖兵としてリョハンを包囲した飛竜たちではあるが、“大破壊”以降、ラムレスの意向によってリョハンに対し、有効的な態度を取っていた。第一次リョハン防衛戦においても大いに活躍しており、そのことがリョハン市民にも伝わり、ラムレスのことをリョハン第二の守護神と呼ぶ声もあるほどだ。そのような評価をラムレスは一笑に付したものだが、ユフィーリアはまんざらでもなさそうだったことをファリアは覚えている。
ラムレスが眷属とともにいくつもの神軍陣地を攻撃し、沈黙させてくれたからこそ、ファリア率いるリョハン軍は敵本陣に集中することができたのだ。もし、ラムレスがリョハンの防衛に尽力してくれなければ、リョハン軍は、敵本陣を狙うことすら覚束なかっただろう。そして、圧倒的物量差に飲まれ、滅びの運命を辿っていたに違いない。
つぎに公開された報告書では、守護神マリクとその眷属である七霊の活躍にも、触れている。
もっとも、マリクは元々リョハンの守護神であり、外部の協力者とはいえないため、ラムレスとは立場が大きく異なるのだが。しかし、触れずにはいられまい。マリクが結界を解き、神人を迎撃するという決断を下さなければ、少なくとも山門街は壊滅していたに違いなかった。マリクと七霊がいればこそ、リョハンの三大居住区が損害を被ることがなかったのだ。
そして、最後に触れるのは、セツナだ。
セツナがあの場に現れなければ、リョハンが滅ぼされる以前にファリア率いるリョハン軍が壊滅していたのは言うまでもない。絶大な力を誇る女神を退けることができたのは、セツナと黒き矛の力あればこそであり、彼の従僕レムの助力がファリアの一命を取り留めたことも知っておかなくては、ならない。
セツナが女神を圧倒し、また、神軍の神人を制圧していってくれたからこそ、神軍は撤退したのは明らかだ。ほかに神軍が撤退する明確な理由はない。セツナが女神に対抗しうる力を示したからこそ、神軍は戦闘継続の無意味さを知り、撤退に踏み切ったのだ。
リョハンが勝利することができたのは、そのためだ。
ファリアは、第二次リョハン防衛戦の戦闘経過を白日の元に曝すとともに、自身の失態についてもその報告書内で言及している。
ファリアの肝いりで作られた難民居住区に住んでいた三万の難民が、神軍に所属する女神の力によって全員が全員、神人と化したという大問題について、だ。大問題も大問題であり、マリクが結界を解き、出撃しなければならないほどの緊急事態がリョハンを襲ったのは、記憶に新しい。思い出すだけでも背筋が凍る。だが、本当に恐ろしいのは、三万の神人すらも策の一部に過ぎなかったということだろう。
神軍は、リョハンが神の力で護られているということを理解していた。リョハンを攻め滅ぼす上でもっとも厄介なのは、リョハンの守護神であり、その守護結界であることも認知していたのだ。そして、考え出されたのが、数万規模の神人集団の発生と侵攻であり、それによるリョハンの守護神が結界を解かざるをえない状況を作り出したのだ。事実、マリクは、守護結界を解かなければならないという判断を下した。でなければ、結界が受け入れた神人たちによってリョハンが蹂躙されるからだ。
そして、それこそが神軍の思う壺だった。
神軍の女神は、結界の解かれたリョハンを滅ぼすほどの攻撃を行った。あのとき、ラムレスの到来が一瞬でも遅れていれば、リョフ山は女神の力によって消し滅ぼされていただろう。神の力とは、それほどまでに強大だ。
マリクは、ラムレスが来てくれていることを察知していたから結界を解いたようだが、それにしても、間に合うかどうか、防ぎきれるかどうかがわかっていたわけではなさそうだ。マリク自身、賭けにでなければならなかったのだ。神の攻撃を警戒し、リョハンに迫りくる神人を放置するわけにもいかなかった。そんなことをすれば、神人の群れによってリョハンが蹂躙され尽くす。かといって、結界を解けば、神の力によってリョハンが滅ぼされる可能性もある。
マリクは賭けに出て、そして勝ったのだ。
ラムレスが間に合い、セツナが現れた。
そこからリョハン側の反転攻勢が始まったわけだが、ともかく、麓特区の難民がすべて神人と化したのは、まず紛れもなくファリアの失態だった。ファリアが難民救済こそ戦女神のやるべきことであると頑なに信じ、推進してきたことが裏目に出たのだ。麓特区と山門街をある程度引き離していたから被害がほとんどでずに済んだものの、もしファリアの意見のみを優先して、麓特区を山門街に隣接させていればとんでもない事態に発展していただろう。
戦後、その事実を思い出したファリアは、肝が冷える想いだった。そして、自分が後先考えず、目の前のことにばかり意識を向けるしかない愚か者であるということを再認識した。戦女神とはなんであるか。そのことにばかり囚われ、結果、考えうる可能性についても目を向けようとはしなかったのだ。神軍が回収しなかった兵士たちになにかしら仕組まれていると考えるべきだったのは、いうまでもない。だとしても、三万もの人間を疑わしいからと荒野に放り出すのはあまりにも無情であり、やはりファリアには不可能だったかもしれない。
融通の効かない頑固者であり、一度これと決めたら最後まで貫き通そうという性格も、決していいものではないのだと改めて突きつけられた。
「これは、重大な失態ですな」
護峰侍団侍大将ヴィステンダール=ハウクムルが、厳しい顔をことさらに苦々しく歪めたのは、三月十一日、リョハン全体が少しずつ落ち着きを取り戻し、どこもかしこも日常風景へと変わりつつある頃合いだった。
多くの事後処理が終わり、戦争報告書が市民に開放され、戦女神への責任追及が囁かれ始めたちょうどそのとき、護山会議員たちによって大会議を開きたいという申し出が戦女神の元に届けられたのだ。ファリアは、一も二もなく了承した。
大会議は、護山会議の議事堂で行われる。
ファリアはその日の朝、まだ眠りについたままのセツナの寝顔を覗きたい衝動に駆られたが、ぐっと堪え、彼女の新たな戦場へと向かった。
戦女神ファリア=アスラリアは、私情を捨てて生きなければならない。