第千九百三十二話 第二次リョハン防衛戦(二十六)
「リョハンは、俺が護る。そのために俺は此処に来た」
セツナは、黒き矛と蒼黒の杖を手にしながら、告げた。
リョハン北東の戦場上空。眼下では、リョハン軍と神軍が激突し、後方では蒼き竜王とその娘が待機している。地上の戦闘の心配はいらない。神軍がどのような戦力を繰り出し、女神がどれほどの神人を繰り出してこようが、関係がない。いまのセツナに負ける要素はなかった。
リョハンにしてもそうだ。
何万もの神人がリョハンを襲っているようだが、セツナの影たちならば、神人程度ならばなんの問題もなく処理できるだろう。
セツナはいま、まさに完全武装としかいいようのない状態だった。黒き矛だけを召喚したのではなく、すべての眷属を同時併用していた。マスクオブディスペアを被り、メイルオブドーターを纏っている。ランスオブデザイア、アックスオブアンヴィションを背負い、背からは生えた翼はエッジオブサーストが変異したものだ。メイルオブドーターとエッジオブサーストの融合は、飛行能力を大いに拡張している。手にはカオスブリンガーとロッドオブエンヴィー。
合計七つもの召喚武装を同時併用するということは、それだけ維持のための精神消耗が激しいということであるとともに、副作用の恩恵も大きいということだ。黒き矛の副作用だけでも十分すぎるほどだというのに、そこに複数の眷属を合わせることで、セツナの五感は、通常とは比較にならないほどのものになっていた。感知範囲は戦場のみならず、リョハンを含む広範囲に及び、範囲内のありとあらゆるものの動きが手に取るようにわかったし、それら膨大な量の情報が無理なく処理されている。それこそ、通常ならば処理しきれないほどの情報量がなだれ込んでくるのだが、七つの召喚武装による補助は、脳の処理能力さえも強化し、不要な情報と必要な情報の取捨選択によって、負担をかけないように配慮されている。
漲る力は莫大の一言につき、矛を振るうだけで剣風の竜巻が起こるほどだった。
「あんたがなにをどう画策しようが、俺には関係ねえよ」
《理解した。理解したぞ、セツナ=カミヤ。汝が力、我が想像を遥かに超えるもののようだ。魔王の使徒などと侮ったこと、ここに詫びよう》
女神は、その美しい容貌に微笑を湛えた。悠然たる態度は、余裕の現れなのだろうが、この状況下で余裕を崩さないのは、理解力が足りないのか、虚勢を張っているのかのいずれかだが、女神が虚勢を張るとも考えにくい。
《なれど、状況はなにひとつ変わっておらぬぞ》
「変わっていない?」
セツナは、女神の物言いを一笑に付した。
「あんたの目は、節穴か?」
《なに?》
「ここから変わるのさ」
セツナは、虚空を蹴って、飛んだ。一瞬にして女神との間合いを詰め、矛の切っ先を叩きつけんとするが、巨大な複腕が女神を庇う。激突。黒き矛の軽い一撃は、しかし、凄まじい破壊力を発揮し、女神の複腕を粉々に打ち砕く。爆発的な熱量が拡散し、物凄まじい熱風となって嵐の如く吹き荒れる。神威が発散し、女神が双眸を見開く。金色の目から光が拡散するのを目の当たりにした。驚愕している。女神は、黒き矛の力を完全に見誤っている。
「おおおっ!」
吼え、立て続けに攻撃を仕掛ける。矛による連続攻撃に杖を織り交ぜ、女神を圧倒していく。女神は、防戦一方だった。複腕を用いてセツナの猛攻を防がんとするが、そのたびに破壊され、女神は後退を余儀なくされた。だが、セツナは距離を離さない。下がる女神に追いすがり、さらなる追撃を叩き込む。穂先から放つ破壊光線が後退せんとする女神の右肩を打ち抜き、光背もろとも破壊する。女神がこちらを睨んだ。
「やっと余裕を崩したな」
《おのれ……!》
女神が吐き捨てるように発した聲に、セツナはにやりとした。神をも圧倒する力が、いまのセツナにはあった。黒き矛とその六眷属すべてを召喚し、すべての力を開放しているいま、なにものにも負ける気がしなかった。どんなものが相手であっても容易く撃破しうるだけの力が全身に漲っている。まるで自分自身が神になったような全能感に支配されそうになるが、それこそ、制御し切るのが武装召喚師としての自身の成長なのだと彼は認識し、荒ぶる熱量の制御にも余念がなかった。そのうえで、女神に猛攻を仕掛け、圧倒する。女神の放つ光線は、ロッドオブエンヴィーの闇の手でいなし、破壊光線を撃ち返してむしろ痛撃を叩き込む。
女神はもはやぼろぼろの状態といっても過言ではない。黒き矛に切り落とされた両腕はなぜか復元できないらしく、破壊光線によって撃ち抜かれた右肩も左脇腹も、光背も不完全なままだった。このまま圧倒すれば、滅ぼすのも不可能ではない――セツナは、そう考えた瞬間、女神から凄まじい殺気が発散するのを認識し、追撃を止めた。距離が開く。
《まだぞ。まだ、我の力は、この程度のものではないわ……!》
女神の全身から莫大な量の神威が発散するとともに六つの複腕が形成され、巨大な黄金色の翼のような光背が出現した。夜の闇を吹き飛ばすほどのまばゆい光は、神々しいというほかない。
セツナは、女神が真の力を引き出したことを認めると、先程までの余裕を捨て去った。いかに女神が本気を出したとて、負ける気はまったくしないのだが、かといって油断してはならない。油断は、どのような状況からも敗北を招く。ただ、女神の力の総量は、いまのセツナを圧倒しうるものではないという事実も認識している以上、油断さえしなければ敗北することはありえない。
《見よ……これが我が力ぞ――!》
女神が複腕を頭上に掲げたそのときだった。
《ふむ……》
女神が突如として、その殺意を消し去ったかと思うと、冷静さを取り戻した表情になった。セツナは、女神がなにを考えているのかまったく理解できず、警戒しながらも状況を見守るほかなかった。地上の戦況は、好転している。ならば、なんの問題もない。
《……良かろう。ここは、卿の命令に従うとしよう》
女神は、セツナには理解のできないことをいうと、視界から忽然と姿を消した。女神の光が消失し、夜の闇が復活する。セツナは呆然とする一方で、なにかが動き出す気配を察知し、視線を巡らせた。感知範囲内で複数の巨大な構造物が動き出している。なにかしらの機械が駆動するような音だった。リョハンの三方向――つまり、リョハン包囲網を形成する八つの神軍陣地のうち、三箇所からほぼ同時に聞こえてきていた。そしてそのうちのひとつは、極至近距離だ。
ふと地上を見下ろすと、神軍本陣後方に発光体が出現していた。それは、巨大な船だった。ただの船ではない。船の両側面からいくつもの白翼を生やしたその姿は、神々しくすらあった。セツナが以前見た飛行船であり、神軍の用いる船だという話をマウアウから聞いている。
(あれか……)
駆動音の源が方舟にあることを認識したセツナは、方舟内部に女神の気配を察知した。女神は、どうやら方舟内部に移動したようだ。そして、おそらくだが、方舟を動かしているのもまた、女神なのだ。神の力が方舟の動力源なのかもしれない。光り輝く無数の翼は、神の力の発露だと想えば、そういうものに見えなくもなかった。美しく、神々しい翼。虚空を叩き、巨大な船体を空中高く舞い上がらせていく。
そんな最中、地上の神軍将兵、神人がつぎつぎと消失していることが伝わってくる。戦闘中の武装召喚師たちの驚きに満ちた声とともに、セツナの脳裏に光景として投影された。神軍将兵、神人の消失は、どうやら方舟による回収のようだ。方舟そのものの機能なのか、女神の力なのか、それともまったく異なるものなのかはわからない。
ただひとついえることがある。
それは、神軍がリョハン侵攻を諦めたということだ。
セツナは、脳内に飛び込んでくる数多の声を聞きながら、上昇していく方舟を見ていた。純白の飛行船。流線型の船体は、甲板を覆う半透明の天蓋によってその形状を維持しているようだ。そして、その天蓋のおかげで、甲板上にいるものたちの姿を目の当たりにすることができた。
白い甲冑を纏うものたち。
兜から鎧に至るまで白一色であり、純白の船体に溶け込むようですらあった。
彼らが、このリョハン侵攻軍を指揮していた人物なのだろう。おそらくは、神軍の幹部たち。
セツナは、おもむろに黒き矛を振りかぶると、方舟に向かって投げつけた。全身全霊を込めた投擲。黒き矛は、セツナの手を離れた瞬間、物凄まじい轟音と光熱を発すると、一瞬にして方舟へと到達した。方舟がどれほどの硬度を誇ろうとも、黒き矛の全力の一撃を防げるとは思えない。だが、セツナは予感していた。
黒き矛が方舟を撃ち抜かない未来を、視ていた。
そしてその予感通り、一条の閃光と化した黒き矛が方舟を貫通することはなかった。見えざる障壁に阻まれ、拮抗したのだ。とてつもない破壊力を誇る黒き矛の一撃を受け止める障壁を作り出すことのできるものなど、セツナは、ひとりしか知らない。
セツナは、方舟の甲板上、華奢な白甲冑を見据えた。
白甲冑の人物は、無造作に兜に手を伸ばすと、取って見せた。
そこから現れたのは、やはり、セツナの想像通りの、しかしどこか様子の違う人物の顔。
「クオン」
方舟の甲板上で、白髪のクオンは、ただこちらを見据えていた。
方舟は急速上昇し、セツナの視界から消えていく。
その間、セツナはただ、方舟を見つめ続けていた。




