第千九百三十話 第二次リョハン防衛戦(二十四)
戦況は、決して芳しいものではなかった。
敵は、三万に及ぶ神人。
強度こそばらつきがあるものの、低強度の神人であっても大抵の皇魔とは比較にならないほどの力を持っているといっていいのだ。伸縮自在、千変万化の肉体を駆使した多彩な攻撃手段を持ち、近距離戦闘のみならず遠距離戦闘もこなす万能の戦闘要員、それが神人だ。常人はおろか並の武装召喚師でも、まず太刀打ちできない。
そういう事情もあり、マリクは、リョハンの武装召喚師たちには主に山門街の守備につかせ、実力者のみを戦場に出ることを許可した。《大陸召喚師協会》会長や、教室を開く教師資格を有した武装召喚師たちだ。護峰侍団を引退したばかりの老召喚師もいる。ともかく、ある程度の戦果が期待できそうな武装召喚師だけが、マリクらの後に続き、神人の迎撃に当たっていた。
マリクは、みずからの眷属を率いている。
七柱の分霊たちは、マリクとの初めての共同作戦とでもいうべきこの戦いに興奮しっぱなしであり、漲る力をもって神人を圧倒した。普段はリョハン各地にあって守護結界の維持にすべての力を費やしている連中だ。鬱憤も溜まっていることだろう。そういう意味では、マリクはこの突発的な事態に感謝しなければならないのではないか、と思わないではなかった。七霊は、マリクの命令に反発することはないし、絶対に遵守するが、だからといってそれぞれに感情がないわけではないのだ。リョハンを護るためだけに力を費やすだけの日々に不満を感じるものがいても、なんら不思議ではなかった。そういった不満や鬱憤を晴らすには、力を発散するのが一番だ。相手が神人で、こちらに向かってくる敵であれば、力をぶつけるのにちょうどいい。
炎魔ヴァルガが哄笑とともに振り抜いた拳が爆炎を呼び、数十の神人を飲み込み、足を止める。そこへ、土公ドライオンが作り出した石の槍が地中から突出し、神人を串刺しにした。数十体のうちの何体かは“核”を貫かれ、肉体を崩壊させる。
水霊ユースリスが流水のような動きで神人たちを翻弄しながら大気中の水分を凍てつかせると、風精ジャハが大気を操り、暴風の渦を生み出した。猛吹雪が巻き起こり、百以上の神人を氷漬けにして空中高く放り投げる。その瞬間、一条の雷光となった雷獣メネアが駆け抜け、氷像と化した神人をつぎつぎと破壊していった。何体かは崩壊したが、ほとんどが復元を始める。神人は“核”を破壊しなければ、無限に再生する。
光竜ウラガルと闇神ゼミスは、まるで互いを攻撃し合っているかのような方法で、光と闇の嵐を引き起こして数多の神人を飲み込んでいく。彼らの険悪さはいまに始まったことではないし、だからどうということはない。結局のところ、互いを滅ぼすことなどできはしないのだから、好きにさせればいい。それに彼らにとってはそれが鬱憤を晴らす手段なのだ。問題はない。
もっとも、七霊の鬱憤晴らしのためにリョハンの住民に被害が出るようなことがあってはならず、やはり感謝などするべきではないのだと考え直す。
マリク自身も、戦場の真っ只中にいた。
人間時代、武装召喚師として学んだ技術は、神となったいま、使えなくなっていた。愛用していた七つの召喚武装エレメンタルセブンが召喚できないことが問題なのではない。人間の扱う技術であるところの武装召喚術は、神である彼には使用不可能なのだ。武装召喚術を行使するために用いる霊力は、生物の肉体にのみ生まれ宿るものであり、神なる彼の肉体には生まれ得なかった。
だからといって戦力が低下したかといえば、そんなことは一切なかった。むしろ、人間時代よりも遥かに強くなっているというべきだろう。比較対象にすらならない。
虚空を軽く撫でるように手を振るうだけで、空間が歪み、衝撃波が巻き起こった。衝撃波は荒れた大地をえぐり、土砂ともども複数の神人を吹き飛ばし、リョハンまでの距離を広げるのに役立ったが、致命的な一撃にはなりえない。しかし、神人がリョハンに到達すれば終わりなのだから、意味が無いとは言い切れない。足止めは、有効だ。
勝利条件は、神軍本隊の本陣制圧であり、神軍の撤退が決定的となることだ。それをなすのがファリアたちリョハン軍であり、マリクは、リョハンの防衛に専心すればよかった。幸い、リョハンには援軍が向かってきてくれている。ラムレス=サイファ・ドラース率いるドラゴン属が、マリクの感知範囲内を物凄まじい速度で迫ってきているのだ。きっと、神人の出現を感知し、リョハンの危機を察してくれたのだろう。
(それに……)
マリクは、もうひとつだけ、感じるものがあった。
このヴァシュタリア大陸というべき大地を駆け抜けた強大な力は、かつて、彼が人間時代に実感したものによく似ていた。神々が唯一畏怖する力の片鱗。
彼が、この地にいるのではないか。
そう思い至ったものの、ファリアに伝えなかったのは、確証がなかったからだ。確証のない希望は、それがただの思い過ごしだった場合、絶望へと変わる。特に彼女は、彼への思い入れが凄まじく強い。彼がこの地にいるということを知れば歓喜するだろうが、それが勘違いだった場合、マリクへの失望も半端なものではすまないだろう。
確信の持てない情報は口にするべきではない。
マリクは、神人の群れを衝撃波で吹き飛ばし、あるいは神威の光を直線状に降り注がせたりしながら、とにかく敵の数を減らすことに専心した。味方武装召喚師たちは、複数人で一体の神人を撃破するのがやっとだったり、足止めするので精一杯だ。神人を大量に撃破することができるのは、マリクと七霊のみなのだ。
戦いが長引けば、それだけ不利になる。
マリクたちも無制限に力を使えるわけではない。確かに莫大な力がある。しかしそれは、リョハンの守護に費やすべきものであり、神人の撃滅に使い切っていいものではない。だからといって、神人のリョハンへの接近を許すわけにもいかず、そうすると、力を使うしかなかった。マリクは、強大な力を持ちながらも、それを自由自在に使うことができないという状況に歯噛みする想いだった。
神の力は、神人など比べるべくもなく絶大だ。神人たちの攻撃は、マリクを傷つけることなどできない。どれほど強度の高い神人であっても、だ。ほかとは比べ物にならないほどの強度を誇る神人がマリクに挑んできたが、マリクはそれを事も無げに撃破した。
神人は、神威を浴び、変容した存在に過ぎない。
神の敵ではないのだ。
とはいえ、三万もの数となると、話は別だ。完全に消滅させるとなると、途方もない力を浪費しなければならなくなる。故にマリクは、消極的にならざるをえないのだ。無駄に力を消耗させることは、神たる彼にとって喜ばしいことではない。リョハンを守り続けることができなくなる可能性まである。
やがてラムレスが姿を見せ、竜属がつぎつぎとリョハン南方の戦場に降り立つと、状況は少し好転した。ドラゴンたちの咆哮が魔法となって吹き荒れ、神人の群れを吹き飛ばし、蹂躙していく。そして、それは起こった。
遥か北東の戦場から放たれた圧縮された神威が、極大の光芒となってリョハンへと殺到したのだ。マリクが神人を蹴散らしている最中の出来事だった。リョフ山を直接狙った攻撃。マリクは、瞬時に結界を展開したものの、リョフ山全域を覆いきることはできなかった。彼は、リョフ山より離れていた。その分、距離を要したのだ。そして、それだけ結界の強度はもろくなる。
光芒は、リョフ山に直撃したかに想えた。
だが、そうはならなかった。
ラムレスが守ってくれたのだ。
蒼衣の狂王と謳われる三界の竜王が一柱の力ならば、リョフ山を消し飛ばすほどの神威を受け流すのも不可能なことではなかった。
問題は、そのあとのほうだ。
再び、北東の戦場から放たれた神威の光芒は、またしてもラムレスによって防がれ、リョハンは消滅を免れた。それはいい。ラムレスならば当然のことだ。三界の竜王ならば、それくらいのことはできて当たり前だ。しかし、その直後、マリクたちの戦場に数多いる神人が突如として凶暴化したのだ。低強度の神人がその体内に満ちた力を何倍にも膨れ上がらせ、高強度の神人に至っては山のように巨大な肉体を構築した。
「あらあら、なにが起こったのでしょう?」
「なーんか、強くなってない?」
「俄然、滾ってくるわ」
「それは、あなただけでしょう?」
「はっはー」
「なにがおかしいのだ」
七霊がなにやら言い合いながら、先程までとは比べ物にならないほどに強化された神人を相手に戦っていたが、その戦いぶりにはいままでのような余裕がなくなっていた。神の眷属たる彼らを多少なりとも手こずらせるとなると、とてつもなく凶悪化したと見ていい。
ラムレスによって防がれた神威の光芒は、光の雨となってリョハン周辺に降り注いだ。その際、この戦場の周辺にも数多に降ってきたことをマリクはその目で確認し、味方に当たらないよう、結界を展開している。ラムレスによってリョハンへの直撃を防がれたとはいえ、威力は殺しきれていなかったのだ。そして、その死ななかった力が、二万以上の神人に作用した。
そう考えれば、わからないではないが。
マリクが、武装召喚師たちを下がらせようと視線を巡らせたそのとき、複数体の神人が背中から翼を生やしたかと想うと、空中高く飛び上がり、山門街目掛けて飛んでいくのを目の当たりにした。マリクは咄嗟に神威を放って三体ほど撃ち落としたものの、翼を生やした神人の数はその十倍以上に及び、即座に殲滅しきれるものではなかった。そして、山門街からの迎撃でも、倒しきれないのは目に見えている。
(このままでは……!)
マリクが山門街の被害を脳裏に思い浮かべた直後、突如として十数体の神人が地上に落下した。山門街に辿り着いていないにも関わらずだ。マリクの攻撃でもなければ、七霊の攻撃でも、武装召喚師たちが撃ち落としたわけでもなかった。なにが起こったのか、まるでわからない。すると、残りの有翼神人もつぎつぎと地上に落下し、さらに落下した先で首を刎ねられ、あるいは胴体を断ち切られ、または“核”を破壊されて崩れ去った。
見れば、神人の群れの中で暴れ回る無数の黒い影がいた。
それら黒い影の紅く輝く双眸は、マリクにある人物を想起させた。
セツナだ。