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第千九百二十八話 第二次リョハン防衛戦(二十二)


「セツナ……本当にセツナなの? セツナなのね?」

 ファリアは、レムの腕の中から開放されながら、何度も確認した。確認しなければならなかった。身につけている衣服以外約二年前となにひとつ変わらないレムの穏やかで柔らかな笑顔を見ていると、なんだかなにもかもが夢のようで、現実感が希薄になってしまっていたからだ。レムにはっきりと言い切って貰わなければ、確信が持てない。

「はい、御主人様でございます」

 レムは、以前となんら変わらぬ笑みを浮かべたまま、頷いてくる。

「ファリア様と皆様を救うべく、馳せ参じたのでございます」

 ファリアは、その言葉を聞いた瞬間、胸の高鳴りを聞いた。戦場に吹き荒ぶどんな音よりも大きな心音が体を突き抜け、意識を夜空に浮かぶ青年に集中させる。青年。青年だ。記憶の中では少年としての姿の印象が強く残っているが、彼は、約二年前の時点で青年に相応しく成長していたのだ。しかし、約二年もの別れの期間が、ファリアの記憶を歪めていた。出会った頃から別離に至るまでの期間のうち、少年時代のほうが長かったのだから、そこに印象づけられるのはある意味仕方のなかったことなのだろう。だが、現実に素晴らしい青年に成長した彼を遠目に目の当たりにしているいまとなっては、そのように記憶を歪め、少年時代の彼ばかり思い浮かべていた自分が許せなくなっていた。

 セツナ。

 セツナ=カミヤ。

 ファリアが何度も、何度も心の中で思い浮かべてきた名前であり、リョハンにおいては名前を出すのも憚れるようになっていた名前だ。ファリアが禁じたわけでもなければ、だれが禁忌としたわけでもない。ただ、いつからか、だれもがその名を口にしなくなった。ファリアにとっても、ファリアが大切にするミリュウにとっても重要な人物の名は、一言口にするだけでふたりに痛恨の想いを抱かせたからだ。

 ファリアたちの反応から事情を把握した周りのものたちは、気遣い、その名を口にすることさえなくなった。

 ファリアもミリュウも、“大破壊”から今日に至るまでの忙しない日々のおかげで、彼の名を言葉として発することはほとんどなかった。結果、リョハンでは、セツナの名は禁句の如き扱いとなった。だれもが知っているのに、だれもが知らないふりをした。

 セツナがいれば、などと想っても口にしてはいけない。

 そんな暗黙の了解が、ファリア自身の思考をも狭めたのだから、笑い話にもならない。

「本当に……セツナなんだ……」

 ファリアは、感極まって、自分でもなにをいっているのかわからなくなっていた。

 そして、心を包み込み、意識を席巻していた絶望感は一瞬にして拭い去られ、不安もなにもなくなっているという事実に驚くよりもむしろ当然のような気持ちになっている。

 セツナがいるのだ。

 逢えなかったこの二年余りで大きく成長したらしいセツナが、夜空の闇の中にそれよりもどす黒い闇を纏って、存在していた。

「セツナ……」

「御主人様とわたくしが来たからにはご安心くださいまし、ファリア様」

「え、ええ……ありがとう、レム」

「感謝は、御主人様にお願い致します。わたくしはただ、御主人様に連れてこられただけでございますので」

 いままでと何ら変わらぬ慇懃で丁寧な、しかしどこか文法を間違っているようなレムの言葉遣いのひとつひとつがファリアの凍りついていた心を溶かしていく。この約二年、ファリアは、決して孤独ではなかった。周囲には、よく知るものたちがいた。ミリュウが心の支えになってくれたし、エリナもいた。ルウファたちもいれば、ニュウら元四大天侍、スコールのような親族もいたのだ。だが、戦女神を演じるに当たって、彼女は心を凍てつかさざるを得なかった。ありのままの自分を曝け出すような状況にはなかったのだ。

 それが二年前となにひとつ変わらない死神少女の出現で、激変した。まるで昔の自分を取り戻していくような感覚がファリアの中にあって、心に奥底から溢れ出した想いが目頭を熱くさせた。視界が緩み、頬が熱を帯びる。

「ファリア様?」

「あ、あれ……わたし、どうしたんだろう」

 こぼれ落ちる涙を止められないまま、ファリアは、揺れる視界の中心にセツナを捉え続けた

 ぼさぼさの長髪のあまりの似合ってなさに笑いたくなるが、しかし一方で、黒い翼を広げ、右手に禍々しい矛を、左手に髑髏の杖を手にし、漆黒の鎧を纏う彼の姿は、そういった茶化しを一切受け付けないものだった。よく見ると、漆黒の仮面も額に乗せている。大斧と大槍も背負っており、エッジオブサーストさえあればまさに完全武装というべき状態だ。そしてそれは、ファリアにしても驚くべき事態だった。

 つまりセツナはいま、最低でも六つの召喚武装を同時併用しているのだ。複数の召喚武装を同時に扱う事自体、別段めずらしい技術ではない。護峰侍団侍大将ヴィステンダール=ハウクムルもふたつの召喚武装を同時併用している。実力さえあれば、技量さえあれば、だれであれ不可能なことではない。しかし、みっつ以上の召喚武装の同時併用となると、話は変わる。召喚するだけならばまだしも、運用となると格段に困難になるのだ。召喚武装の維持だけで精神力を吸い尽くされるだろうし、同時に三つ以上の召喚武装を制御しようとすると、普通ならば混乱が生じかねない。召喚武装は、意思を持つ武器だ。手にしただけでその意識が使用者に流れ込んでくる。それが複数、それも異なる思考が押し寄せてくるのだ。気が狂いそうになったとしても、なんら不思議ではない。いや、逆流現象が起きたとして、当然というべきなのだ。

 それも、六つの召喚武装を同時に併用するとなると、セツナにかかる負担はとんでもないことになっているに違いない。

 だが、夜空に浮かぶセツナは、召喚武装の維持に苦しんでいる様子はなかった。平然としていて、不安を抱くどころか、頼もしさを感じる。怒気に満ちた表情も、彼の想いが伝わってくるようだった。

《何者かと想えば、魔王の杖の保持者か》

 女神の聲が、ファリアの意識を現実に引き戻す。はっと振り仰ぐと、女神がセツナに切られた腕を瞬時に復元して見せ、両手を彼に向かって伸ばしていた。手の先に光の魔方陣が浮かび上がる。女神の輝きが魔方陣へと収斂し、夜闇が消し飛ぶくらいの輝きが生まれる。神々しくも恐ろしい光には、ファリアも言葉を失った。

《いまさら現れたところで、魔王の使徒如きになにができよう》

 女神の憐憫に満ちた聲は、変わらない。乱入してきたセツナの末路を想像して、憐れんでいるのだろう。女神にしてみれば、セツナが現れようと状況に変わりなどはないといいたいのだ。感動に震える心に水を差されると同時冷静さを取り戻したファリアは、すぐさまセツナに視線を戻した。確かに、セツナが女神をどうにかできるとは、想えなかった。

 黒き矛カオスブリンガーが凶悪無比な召喚武装であることは認める。この世に召喚された数多の召喚武装の中でも最高峰といっていいだろう。セツナがこれまで引き出してみせた力は、既に比類なきものであり、そうでありながら、さらなる可能性を秘めたそれは、もはや計り知れないものとしか言いようがなかった。

 しかし、それは女神の力も同じだ。

 神の絶大な力は、召喚武装の力とは比べ物にならないのだ。

 いくらセツナが六つの召喚武装を同時併用しているからといって、太刀打ちできるものかどうか。

(セツナ……!)

 ファリアは、セツナの勝利よりも、彼の無事をただ祈るほかなかった。セツナが女神に敗れようと、そんなことはどうだっていい。ただ、セツナが生き残ってくれればそれでよかった。それだけで十分すぎた。それ以上求める必要などはない。

 セツナが来てくれたのだ。

 これ以上、なにを求めるというのか。

 ファリアは心の底からそう想ったのだが、現実は、彼女の想いを軽く越えてみせた。

 女神の魔方陣が閃光を発した。夜空から闇を一掃するほどの勢いの光が、一条の奔流となって虚空を貫いていく。凄まじい熱量は、遠く離れた地上のファリアたちに汗を吹き出させるほどのものであり、地上戦を一時的に停止させるほどの影響力があった。敵も味方も、上空を貫く熱量に意識を奪われたのだ。大気が灼かれ、焦げ付いたにおいが鼻孔を満たす。まるで世界が燃え尽きたような、そんな錯覚さえ覚えるほどの熱波。そして、光芒はファリアの視界を真っ白に染め上げたかと想うと、一直線にセツナの元へと収束する。セツナは、左手を掲げていた。手には蒼黒のロッドオブエンヴィー。振り下ろす。

 瞬間、とてつもなく巨大な闇の手が具現し、女神の光芒に叩きつけられた。悪魔めいた異形の手が莫大な量の光芒を容易く消し飛ばす。

 一瞬、なにが起こったのか、わからなかった。そしてその思考の隙にセツナの姿がファリアの視界から掻き消えた。頭上、轟音が聞こえた。振り仰ぐ。女神とセツナが激突し、漆黒の矛が女神の両腕を切り落としていた。女神が何事かを叫んだ。爆発的な光が拡散したかと想うと、ファリアの意識をも塗り潰した。


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