第千九百二十五話 第二次リョハン防衛戦(十九)
「久々の戦闘……腕がなるのう」
体をほぐすためか屈伸をしながら、なにやら不敵につぶやいたのは、老人だった。痩せ細った体はとても戦闘に耐えられそうにはなかったが、その老人の周囲にいる武装召喚師たちは、むしろ彼を頼もしく見ているようだった。その武装召喚師のひとりが、口を開く、
「会長、くれぐれもお気をつけを」
「なんじゃ。まるでわしが年寄りのような扱いじゃな」
「年寄りじゃないですか」
「むう……それは確かにその通りなのじゃが……もう少し、こう、気を使った言い方はできんものか」
「気を使ったって言動を改めてくれもしないのなら、意味がありません」
「酷いいいようじゃな」
憮然とした表情で準備運動を終えた老人は、シアルド=メッド。《大陸召喚師協会》の会長を務める人物であり、リョハンで指折りの武装召喚師だ。大召喚師ファリア=バルディッシュの高弟であり、戦女神より直接指導を受けたということが彼の誇りとなり、リョハンへの忠誠心の源となっているらしい。若い頃は武装召喚師らしく筋肉隆々の肉体を誇っていたというが、いまやその見る影もない。どうやら、彼ほどの武装召喚師となると肉体的な力など必要としなくなるらしい。
それは、高齢の武装召喚師のことを知れば、当然の技術のようではあった。
ファリア=バルディッシュ――つまり先代戦女神も、肉体的には若い頃とは比べるべくもなく老いていた。それでも現代の超一流と呼ばれる武装召喚師たちよりも優れた武装召喚師足り得たのは、肉体的な力だけが武装召喚術に影響するわけではないからだ。長年、武装召喚師として培ってきた技術が、余分な体力を不要とするらしい。
マリクは、その境地まで達することはできなかったが、顎髭の長い老召喚師を見遣りながら、彼を頼もしく想った。
老召喚師は、協会長以外にも多数、山門街に集まっていた。皆、マリクの発令した緊急招集に応じてくれたのであり、だれもが迫りくる神人との戦いを前に緊張した面持ちをしていた。
敵の数はおよそ三万。それが一挙に押し寄せてくるのだ。
山門街に集った武装召喚師はおよそ一千名。既に引退した老召喚師から、教室で学んでいる最中の若い召喚師まで、様々だ。とはいえ、十代の半ばから下の年齢のものは、参加させていない。武装召喚術を自在に扱えるようになったものでなければ、実戦に耐えられないからだ。
(この人数で、抑えきれるか)
一千対三万。
ひとりにつき三十体斃すことができれば、リョハンを守りきることができる。が、そんなことができるわけもない。シアルド=メッドのような力量の持ち主ならば数体は軽く撃破できるかもしれないが、実戦経験もない若い召喚師たちの活躍に期待してはいけないのだ。
(やはり、ぼくたちが気張るしかない)
マリクは、自身の周囲に集った眷属たちに目線だけで指示をした。
七霊守護結界を担った七体の眷属たち。
燃え盛る炎を纏う巨漢、炎魔ヴァルガは、その浮き上がった血管さえも紅く燃え上がらせている。青く透き通った頭髪が流れる水のように美しい水霊ユースリスは、その美貌によって人目を集めている。風精ジャハは、小さな羽の生えた少年のような姿をしており、マリクの頭上で踊っていた。気難しがりやの土公ドライオンは、岩肌に覆われた巨躯でマリクの背後に座している。獅子と鷹がひとつになったような雷獣メネアは、マリクの左手にあって常に放電していた。七霊の中にあって常に反目しあっている光竜ウラガルと闇神ゼミスは、山門街上空で睨みあっている。
それら七体の眷属は、マリクの視線にうなずくと、周囲の人間たちを軽々と飛び越えて散開した。そして、あっという間に所定の位置に着く。山門街の城壁の外側だ。マリクもそれに習うようにして空中を移動しながら、山門街に集った武装召喚師たちの声援に応えた。マリクのことを知らないものはいない。人間時代、マリクは史上最高の天才児と呼ばれた。それは、彼の内に在った神の力がそうさせたのだろうが、いずれにせよ、リョハンの武装召喚師たちが愕然とするほどの力量を示したのは間違いない。そして、それによってマリクはリョハンの武装召喚師たちと交流を持ち、信頼を勝ち取った。それから月日が流れ、人間で居続けることができなくなったとき、彼が少し寂しく想ったのは、そうやって積み上げてきた絆が無に帰すものだとばかり想っていたからだ。
しかし、現実はそうではなかった。
マリクの人間時代、武装召喚師時代を知るものたちは、マリクが神となってからも、あのころの絆を大切にしてくれていたのだ。
結界の中心にあって、マリクは常にそういった心を感じ取ることができていた。
そのたびに彼は思うのだ。
ファリアがリョハンをなぜ愛し、なぜ、リョハンのために人生を費やすことができたのか。
きっと、リョハンが好きで好きで堪らなかったのだ。リョハンに住むひとびとも、リョハンという都市も、なにもかも――。
それがいまのマリクならば、少しはわかる気がした。
城壁の上に辿り着くと、神人の接近を確認していた武装召喚師のひとりが、マリクの前に片膝をついた。マリクをリョハンの守護神として対応しているのだ。
「マリク様、どうされるおつもりで?」
「ぼくらは、山門街から打って出る。ここを突破されると厄介だからね。接近しきる前に叩けるだけ、叩く」
「では、我らも同行いたしましょう」
「うん。でも、ある程度は残るべきだ。神人を殲滅しきれるとは限らない」
マリクは、そういったものの、限らないのではなく、不可能だというべきだった。
マリクも七霊も全力を上げてことに当たるつもりだが、数が数だ。三万に及ぶ神人を殲滅するのは、困難を極めた。それに戦後のこともある。戦後、リョハンを再び結界で覆い、長期間維持しようとするのであれば、無駄に力を使うわけにはいかなかった。神人を撃破するにも、最小限の消耗に抑えたかった。無論、護るべき都市が落とされては意味がなく、リョハンの防衛こそ最優先にしなければならないのはわかっているのだが。
神人の集団は、既に山門街の城壁上から肉眼で捉え切れるところまで接近していた。そも、麓特区は、リョハンに極めて近い場所に位置していたのだ。そこから山門街までは、それほど遠くはない。遠すぎると、結界の維持が面倒なことになる。かといって近すぎると、難民が問題を起こした場合、即座にリョハンへと波及する可能性がある、故にある程度の距離を置きつつも、近い場所に麓特区を作る手筈となったのだ。そのおかげで神人が接近し切る前に戦力を整える時間を稼げたのだから、上々といえるかもしれない。
城壁上に展開した武装召喚師たちは、それぞれ遠隔武器を構えており、攻撃開始の号令をいまかいまかと待ちわびていた。長弓、弩、銃、砲――それ以外にも数多の召喚武装が城壁上に並んでいる。マリクは、武装召喚師たちの指示を彼らの指揮官に任せると、みずからは七霊ともども城壁より飛び降りた。
「撃てーっ!」
号令とともにいくつもの召喚武装が火を吹き、マリクたちの眼下を貫いていった。やがて火線が前方、神人の群れに殺到し、大小無数の爆発が起こる。神人の肉体がばらばらに吹き飛ぶのが見えた。が、その粉砕された肉体が瞬く間に再生するのもまた、見届けることになる。神人は、心臓というべき“核”を破壊しなければ無限に再生するのだ。そして、“核”は一箇所に留まっているわけではない。常に移動していると考えるべきであり、遠距離攻撃では精確に“核”を射抜くのは困難を極めるだろう。神人の肉体を完全に爆砕しきるほどの攻撃ならばまだしも、そうでなければ再生を繰り返させるだけになる。
故にマリクは、七霊とともに接近戦を挑むのだ。
「こうして肩を並べて戦うのは、初めてのことにございますね」
水霊ユースリスが頬を染めながらいってくると、炎魔ヴァルガが腕組みをしながら口を開く。
「まったくだ。うちの主は平和主義的でいかんな」
「いいじゃん、別に~」
風精ジャハは、マリクの頭の上で寝そべったまま、どうでもよさそうにいった。すると、土公ドライオンが厳しい顔つきをことさら厳しくした。
「苔生す大地のように泰然と」
「うぬのいいよう、わからぬ」
雷獣メネアが頭を振った。
「皆、力が漲っておいでのようで」
「貴様も同じであろうに」
「だまりなさい」
「なんだと」
光竜ウラガルと闇神ゼミスの口論はいつにもまして、やかましい。
「……やれやれ」
マリクは、七霊たちのはしゃぎっぷりがわからないではなかったが、状況を弁えて欲しいと思わないではなかった。
リョハン存亡の危機なのだ。
そんな状況下で初めての共闘に興奮している場合ではないだろう。
しかし、七霊たちの喜びようもわからないではない。
マリクは、本来の彼らとともに戦場を翔けるのは、これが初めてのことだった。