第千九百二十二話 第二次リョハン防衛戦(十六)
スコール=バルディッシュと女神の激突が戦場に光の嵐を巻き起こす中、ファリアは、震える心を抑えるようにして、立ち尽くしていた。召喚武装オーロラフォールの力と女神の力が激突し、凄まじい余波が嵐の如く吹き荒んでいる。スコールは、力のすべてを発揮したに違いない。神に立ち向かうというのだ。生半可な覚悟では、半端な力では届かない。それくらい彼にだってわかっている。そして、届かないような力では、ファリアたちの力になれないことも理解していたことだろう。故に彼は残された力のすべてを解放したのだ。
それが理解できるから、ファリアは、爆発的な力の奔流に吹き飛ばされそうになりながら、その光景を目に焼き付けるほかなかった。スコールの、愛しい従兄の最期になるかもしれない。
「ああっ……」
《ファリア。君の気持ちはわからないではないけど、嘆いている場合じゃないよ》
交信器から聞こえてきたマリクの声が、ファリアの意識を目の前の現実へと引き戻す。そうだ。スコールの覚悟を無駄にしないためにも、動かなければならない。リョハン麓特区で起きた異変に対応しなければならないのだ。どうやって?
《麓特区に発生した神人は現在、山門街に侵攻中。結界を収縮したが、これではどうにもならない。戦力が必要だ。一応、リョハン中の武装召喚師に呼びかけているけれど、それだけで対処できる数じゃない》
「わ、わたしはいったいどうすれば……」
予期せぬ事態に、彼女は、心底狼狽していた。スコールの覚悟が無駄になるのではないかと想うほどに混乱していたのだ。それもそうだろう。まさか、麓特区の難民の全員が全員、神人と化すなど、だれが想像できるものだろうか。それではまるで、神軍の長期的な戦略に引っかかったようなものではないか。ファリアは、己の意固地さが結局はリョハンに危機的状況をもたらしてしまったという事実に気づき、後悔と罪悪感に苛まれざるを得なかった。
「戦女神が狼狽えてはいけませんな。この状況、すべてあちらの思惑通りというところでしょう」
侍大将ヴィステンダールが押し寄せる雑兵を剛刀の一太刀で薙ぎ払いながら、こちらを一瞥してきた。
「彼奴らは、リョハンが神軍の残兵を捨て置くことはしないと見抜いていた。故に回収せず、放置したのでしょう。そして、我々はまんまとその思惑通りに動いてしまった。我々がこうして、敵本陣制圧に全力を注ぐのも、彼奴らの思惑通り」
「そんな……」
「なに、だからといって怖気づくことなどありますまい。敵本陣は目前。本陣さえ落とさば、彼奴らも戦闘を継続するのは難しくなる。全軍総崩れとならば、勝機も見えましょう。そして、そのための時間は稼げた。難民を麓特区に隔離したのは、正解だったというわけです」
ヴィステンダールが声を励まして、告げてくる。まるでファリアの内心の動揺を見透かしたような言動は、彼が護峰侍団侍大将であるということを再確認させる。ファリアの動揺を抑え、立ち直らせることを最優先に考えた発言。ファリアは、ヴィステンダールの言葉のひとつひとつを噛みしめるようにして、前を向いた。スコールの全力が女神の注意を引きつけてくれているいまならば、敵陣を突破し、本陣に攻撃を加えることができるかもしれない。
敵本陣は、すでにファリアたちの視界に入っている。
何千もの敵兵が待ち構える本陣には、当然のように高強度の神人がいる。それも十体以上だ。神軍本陣を落とすには、それらを撃破しなければならないが、そんなことは考慮の外だ。本陣を落とす。それ以外には、この状況を脱する方法はない。
「神軍を指揮しているのはおそらく、あの白い甲冑のものたちでしょう。それ以外には考えにくい」
ヴィステンダールのいう白い甲冑のものというのは、敵本陣後方に控える数人のことだ。純白の甲冑で全身を包み込んだ数名。その数名だけは、ほかの神軍将兵とは明らかに異なる存在感を放っていた。その上、神軍の兵士たちは、その数名を護るように配置されており、それらが特別扱いを受けているのは明白だった。ヴィステンダールのいうとおり、神軍の指揮官なのだろう。女神が指揮を取っているというわけではなさそうなのは、女神の言動からも想像のついたことだ。
「つまり、あれらを討てばいい、と」
「そうなる」
「ならば、我ら護峰侍団が全力を以て、その血路を開きましょうか」
一番隊長アルヴァ=レロンがいうと、ヴィステンダールが重々しくうなずいた。すると、ファリアが手にした守護神の通信器から声が聞こえてきた。
《……そっちの状況は飲み込めた。敵本陣が近いんだね?》
「はい。目前です」
《それなら、そっちは敵本陣を落とすことに専念してくれればいい。侍大将のいうとおり、敵本陣が落ちれば状況は変わるはずだ》
「はい……」
ファリアはうなずいたが、決して確信の持てることではなかった。確かに敵本陣を落とせばリョハンの勝利は間違い無しとここまで駆け抜けてきたが、それはある種楽観的な結論に違いないのだ。本陣が落ちたからといって、他の方面の部隊にまで大きな影響が出るものかどうか。なんの関係もなく、猛攻を続けてくる可能性だって、大いにあった。それでもいまは敵本陣の制圧によって状況が改善することを信じるしかないのだ。でなければ、戦力差を覆し、リョハンを守り抜くことはできない。
《こっちは、ぼくがなんとかしよう》
「マリク様が……ですか?」
ファリアは、マリクの発言に驚かざるを得なかった。なんとかするといって、どうするというのか。マリクは神だ。人間とは比べ物にならない力を持っているのは間違いない。故にこそ、リョハンは“大破壊”を凌ぎきり、生き延びることができた。マリクの加護があればこそなのだ。そして、それ以降、リョハンのひとびとが安心して暮らせているのも、マリクのおかげだ。マリクの守護結界がリョハンに安寧をもたらしている。それは認める。故にこそ、ファリアはマリクを信仰しているのだ。
だが、マリクは、守護のために力を割いており、それ以外のことはなにもできないはずだった。何年、何十年とリョハンを護るため、守護以外のことに力を費やすようなことは極力しない方針だったのだ。でなければ、マリクの力が持たないのだ。だからこそ、ファリアはマリクの発言が信じられなかった。
《一時的に……結界を解く》
「結界を……」
《そして、ぼくと七霊でことに当たる。さすがに三万もの神人となれば、リョハンの非戦闘員を総動員しても対処しきれないからね》
マリクのいうことは、もっともだ。リョハンには、数多の武装召喚師がいるが、その全員が戦闘員というわけではない。護峰侍団の二千人と七大天侍のみが戦闘員と数えられ、運用される。それ以外の武装召喚師たちは実戦経験もなければ、戦闘に投入される予定もない連中だ。駆け出しの武装召喚師もいれば、前線を退いたものもいる。教室を開いているような老練の武装召喚師ならば当てにできるだろうが、そんな腕前の武装召喚師ばかりではないのが実情だ。
《ただ、その場合、大きな問題がある》
「問題……ですか」
《リョハンが無防備になるんだよ。そっちに神属がいるだろう? そのカミサマが無防備なリョハンを認識すれば、どうなるかわかるね?》
「はい。女神の注意も引かなければなりませんね」
《頼んだよ。こっちはぼくがなんとしてでも護るから》
「マリク様、リョハンのこと、どうかよろしくお願い致します」
《ああ。任せて》
マリクのその一言ほど頼もしい言葉はなかった。
マリクは、神だ。神がその全力でもってリョハンに殺到する神人の排除に当たるというのであれば、なにもおそれることはない。リョハンのことは彼に任せ、こちらは、敵本陣の制圧に全力を注げばいい。
「聞いてのとおりです。リョハンの緊急事態には、我らが守護神様が対応してくださいます。ですが、リョハンの守護結界を解く以上、リョハンが危険に曝されるという事実に変わりはありません。早急に敵本陣を落とすとともに、女神の注意を引きつけておく必要があります」
「いまはあいつが引きつけてくれていますが」
「それもいつまで持つかわからないでしょう」
ファリアは冷徹に告げると、上空でぶつかりあうふたつの閃光を一瞥した。ひとつは、女神だ。女神の偉大な力が光となって、夜の闇を切り裂いている。もうひとつは、スコールだ。オーロラフォールの最大能力が夜空を引き裂くほどの極光を生み出し、女神に拮抗している。いや、本当に拮抗しているのかどうかは怪しいものだ。女神は本気を出していないのではないか。嬲っているのではないか。遊んでいるのではないか。
そんな結論を抱くのは、女神の言動がいまも脳裏に残っているからだ。
スコールを憐れむような声は、彼の全力を前にしても変わらなかった。
「では、女神の動向に注意しつつ、敵本陣に……!」
「全軍、進撃なさい!」
ファリアはヴィステンダールの言葉をついで号令するとともに、みずからも進撃を再開した。
リョハン軍最後の猛攻は、戦況にさらなる混沌をもたらしていく。




