第千九百十九話 第二次リョハン防衛戦(十三)
《哀れなり、ひとの子よ。そなたは己の本心を偽り、今日まで生きてきたな》
聲が脳内に直接響いた。
神への畏怖に震える心も、ファリアのためを想えばどうにでもなった。ここで挫ければ、ここで膝を折れば、すぐ後ろの彼女が攻撃を受けるのだ。そんなことをさせるわけにはいかない。自分は、彼女を護るためだけに今日まで生きてきた。
「はっ」
彼は、鼻で笑った。
女神は、確かに美しい。人間とは比べようがないほどの美貌を光の中に顕現している。光放つ長い髪、生え際、額の形から眉の形、鼻の形、目、唇、顎に至るまで非の打ち所がなかった。金色に輝く瞳も、透き通るように美しい。顔だけではない。光の中に浮かび上がる肢体も、完璧な体型だった。艶やかな装束によって強調される豊かな胸に腰のくびれ、その曲線はだれが見ても惚れ惚れするだろう。そこに男女の別はあるまい。だれもが魅了される。そして、かの女神を信仰したくなるに違いない。
だが、スコールの心は、一切揺れなかった。美しさは理解できる。その強大な神威の偉大さも、わかっている。さすがに神というだけのことはある。素晴らしいものだろう。それこそ、ひとが求めるものが形を成したといっても過言ではない姿だった。
しかし、スコールにとっては、すべてまやかしに過ぎなかった。
「俺は心の思うままに生きてきたさ」
《それが偽りだというのだ》
「お従兄様!」
「ファリアちゃ――戦女神様、冷静に。俺はこんなことじゃあ、死にませんよ」
(あなたの花嫁姿を見るまでは、死んでも死にきれませんって)
その隣に立つのが自分ではないのが、少しばかり残念だが、そもそも、いとこ同士で結婚などできるわけもないし、彼女を溺愛してはいても恋愛対象ではないのだ。それでも残念に感じるのは、結局のところ、彼女との関係性が大きく変わってしまったことをいまでも虚しく想っているからなのか、どうか。
歯噛みする。
くだらない妄想は、振り払わなければならない。
《よくいう。されど、そなたの心意気に免じて、明かすのは止そう》
「黙れ、偽神が」
《偽神……? なにを愚かな》
「俺の女神様は、ファリア様だけなんだよ」
右手に力を込め、手にした槍を旋回させる。雷槍オーロラフォール。最高威力の雷光を帯びた紫紺の槍を腹を貫く光の帯に叩きつける。切断。光の帯が消えた瞬間、複数の貫通箇所から血が噴き出した。だが、全身を灼くような痛みは消え失せ、それだけで彼はにやりとした。地を蹴っている。飛躍。背後から叫び声が聞こえた気がした。おそらく、ファリアのものだろう。自分を心配してくれていた。それだけで力になる。何倍もの力が引き出せる。
死ねる。
《ならば、なぜ、女神のために生きようとせぬ? 殉教を最高の教えとする死の女神でもあるまいに》
女神は、まるでスコールを憐れむように問うてくる。優しい声だった。身も心も包み込まれていくのがわかる。やはり、神様というだけあって、その包容力たるや想像を絶するものがある。せっかくの覚悟が台無しになりそうになるかもしれないと想うほどの力。地を踏みしめ、さらに前へ。女神は上空。スコールは、オーロラフォールの切っ先を地面に向けた。穂先から噴き出す雷光の奔流が地に突き刺さると、中空へと飛び上がった彼の肉体をさらに上昇させた。女神を正面に捉える。
「殉教? 冗談じゃない」
吐き捨てるも、女神は表情ひとつ変えなかった。憐憫の込められたまなざしは、あまりにも柔らかく、美しい。
「だれが死ぬかよ」
《我に刃向けた以上、死以外の未来はない》
女神の細くしなやかな両腕が空中に投げ出された。手のひらからこぼれ落ちる光の粒子が虚空を彩り、スコールの視界を埋め尽くす。真っ白に塗り潰されていく世界の真っ只中で、彼は、オーロラフォールの力を引き出した。
(吼えろ、オーロラフォール――!)
女神の光の中で、彼は、命の限り力を使い切らんとしたのだ。
「――オーロラフォール?」
少女がきょとんとした表情をしたのは当然だっただろうし、彼もそれが狙いだった。想像以上に可愛らしい表情を見せてくれたことに彼は心のなかで拳を握り締め、歓喜の中で彼女の疑問にうなずいてみせたのだった。
「そう、オーロラフォール。それがこの槍の名さ」
彼は、右手に握り締めた長槍を見つめた。穂先が稲妻のように研ぎ澄まされた紺碧の槍。雷を象徴するような柄や柄頭など装飾過多にも程があるそれは、いうまでもなく召喚武装だ。召喚武装というのは、意志を持つ異世界の武器だ。武装召喚術によって現世に呼び出される。しかしながら、それら召喚武装の異世界における本来の名前を知る術はなく、召喚者によって命名されるのが通例となっている。そして、召喚武装を命名することは、召喚者にとっての重要な儀式であるとされている。名は命。名をつけることで、召喚者と召喚武装の命を結び、絆を強くするというのだ。
実際、命名するのとしないのでは、召喚武装の能力解放効率が大きく異なるため、一線級の武装召喚師を目指すのであれば、命名は必須だった。
しかし、彼は、今日に至るまで愛用の召喚武装に命名していなかった。中々いい名前が思いつかなかったというのもあるが、やはり、愛用する武器である以上、その命名にはこだわりたかったというのが大きい。
武装召喚師の多くは、ひとつの召喚武装を愛用することが多い。
超一流と呼ばれる武装召喚師となればその限りではないが、一線級の武装召喚師でも大半は、ひとつの召喚武装をとことん使い続けるものだ。複数の召喚武装の能力を完全に引き出すのは、ひとつの召喚武装を極めるよりも困難な道であり、複数同時併用となるとその壁はさらに高くなる。それならばいっそのこと、強力な召喚武装ひとつに絞ったほうが効率的だろう。強力な召喚武装の能力を完全に引き出せたほうが、複数の召喚武装を中途半端に扱うよりも、優秀な成果を上げることができるということは、先人たちが示してきた道だ。
彼も、オーロラフォール一筋に決めた手前、その命名になにかしらの由来が欲しかった。
「似ていますね、わたしのオーロラストームと」
そういって、青みがかった髪の少女は、両手で抱くようにした召喚武装を優しく撫でた。まるで怪鳥が翼を広げたようだ――と形容されることの多い彼女の召喚武装は、弓型召喚武装に類別されている。実際には弓のように弦を引く必要はないようだが、形状としては弓に似ているだろう。怪鳥の嘴や結晶体が作り出す大きな翼を見て、弓と認識できるのなら、だが。
彼は、歳の離れた従妹の可憐な素顔を見つめながら、ふっと笑った。
「そりゃあそうさ」
「はい?」
「オーロラストームが由来なんだよ、オーロラフォールの名はね」
本当のことをいうと、彼女はまたしても驚いたようだった。
「ええっ!? 本当ですか……!?」
「うん。本当だよ」
君に嘘をついても仕方がないだろう――と、いおうとして、彼は言葉を飲みこんだ。仲のいい従妹だからといって、距離感を忘れてはならない。
彼女は本家の人間であり、自分は分家の人間なのだ。
分家の人間は、本家の人間を盛り立て、護るためにその人生を費やさなければならない。
その想いで、彼は生きてきた。
そしてそれが間違いではなかったということは、健やかに成長した従妹の姿を見て、確信を持っていた。
父を失い、母を失ってもなお、我を忘れず、ただひたすらに前を向き、ひたむきに努力を積み重ねる彼女の姿は、光り輝いて見えたのだ。
ファリア・ベルファリア=アスラリア。
アスラリア家のファリアが本家で、バルディッシュ家のスコールが分家というのは、本来、おかしなことだ。しかし、バルディッシュ家がアレクセイ=バルディッシュを当主とし、その娘がメリクス=アスラリアに嫁いだとき、バルディッシュ家の本家はアスラリア家へと移行していた。つまり、アスラリア家が本家扱いとなり、バルディッシュ家は、アスラリア家の分家扱いになったということだ。そのことになんの疑問も抱かなかったのは、戦女神ファリア=バルディッシュがその後継者にアスラリア家の長女を選んだということもあるのだろうが。
それ以上に、スコール自身が、目の前の少女こそ戦女神の後継者に相応しいと実感していたからだ。
そしてその事実が、彼にオーロラフォールと名付けさせたのは、いうまでもない。