第千九百十八話 第二次リョハン防衛戦(十ニ)
スコール=バルディッシュは、リョハン生まれ、リョハン育ちの生粋のリョハン人だ。
ある時期を境にリョハンに生まれ育った多くのものがそうであるように彼もまた、物心ついたときには武装召喚術を当たり前のものとして受け入れていたし、武装召喚師を目指すことが当然だと想っていた。
生まれが、武装召喚師の名門ということもあるだろう。
その名の通り、彼はバルディッシュ家の人間だ。
バルディッシュ家といえば、戦女神ファリア=バルディッシュの夫アレクセイ=バルディッシュの家柄であり、アレクセイの実弟ガルム=バルディッシュが彼の祖父に当たる。つまり、彼のバルディッシュ家は、直接、戦女神の血を引いているというわけではないのだ。が、リョハンにおいては、バルディッシュ家は武装召喚師の名門のような扱いを受けていたし、そこに生まれ育った彼もまた、名門に相応しい教育を受けた。
ファリア=バルディッシュとアレクセイ=バルディッシュの娘ミリアと、その夫メリクスが教室を持つと、彼もそこで授業を受けることとなったのは、血縁によるところが大きい。武装召喚師が開く教室は数多くあれど、戦女神ファリアの直系であるミリアの教室となると、競争率は凄まじく高く、だれもが入れるものではなかったのだ。その点、スコールは幸運だったのだろう。
ガルム=バルディッシュの孫であり、アゼル=バルディッシュの息子という、なんの価値もない立場にありながら、大伯父が大召喚師にして戦女神と結婚していたというだけでアスラリア教室に入れたのだ。これを幸運と呼ばずになんとするのか。
もちろん、当時のスコールはそのようなことは考えなかった。素直に境遇を受け入れ、名門バルディッシュ家の人間として相応しい武装召喚師になることを目標に、日々、教室に通っていたものだ。
アスラリア教室での日々は、彼に様々な課題を与えた。だが、それら課題との苦闘の毎日は、彼に確かな充実感をもたらしてもくれた。成長の実感があった。これならば、バルディッシュ家の人間として胸を張って生きていけるに違いない。
そう確信した。
子供ながらに、だ。
まったく、可愛いものだといまなら想う。
なにもしらない純粋無垢な子供には、自分に課せられた使命がどのようなものなのか、想像もつかなかったのだ。
彼が己の使命と向き合うことになったのは、教室で学びはじめてどれくらいの時間が立ってからのことだろうか。
メリクスとミリアの間に待望の第一子が生まれたのが契機だったのは、間違いあるまい。
生まれた子は女児で、戦女神ファリア=バルディッシュが次代の希望を託し、ファリアと名付けられた。
その話が知れ渡ると、リョハンの三都市が大騒ぎになり、祝福の空気に包まれたのは、リョハンの未来が希望に満ち溢れるものだとだれもが想ったからなのだろう。
戦女神がみすからの孫娘に己の名を与えるということは、どういうことか。考えれば、だれにでもわかることだ。つまるところ、生まれたばかりのその女児が、将来、戦女神ファリアを継承するということにほかならない。リョハン全土が大騒ぎとなるのも当然だったし、だれもが祝福したのも、必然だった。
ヴァシュタリア共同体さえもが、リョハンに祝辞を送ってきたほどだ。
ファリア=アスラリアの誕生は、リョハンの歴史に残る出来事だったのだ。
それほどの騒ぎの中、スコールは唐突に気づいたことがある。
自分は、バルディッシュ家の人間であって、バルディッシュ家の人間ではないのではないか。
いや、バルディッシュ家の人間であることに違いはない。
だが、リョハンのひとびとが尊崇するバルディッシュ家とは、あまり関係のない人間であるという認識のほうが正しいのではないか。
そういう疑問を父にしたとき、父アゼルは、いまさら気がついたのか、とでもいうような顔をした。そして、改めて、訓示を述べてきた。
『バルディッシュの本家をもり立てるのが、我が分家の役割だ。本家が太陽ならば、月のようなものと心得よ』
スコールにとっては天地がひっくり返るほどの衝撃的な事実だったが、アゼルにせよ、ガルムにせよ、それが当然のことであって、別段、驚くほどのことでもないというような態度だった。実際、彼らにしてみれば、なにを疑問に思うことがあるのか、ということだったのだ。ガルムは、アレクセイの補佐であったし、アゼルもその薫陶を受けて育っている。スコールだけが、自分の家がバルディッシュの分家であるという事実を認識していなかった、ただそれだけのことなのだ。
だから、ガルムもアゼルも、スコールの受けた衝撃を理解できなかったのだろうが。
スコールは、しばらく、自分を見失った。
自分がなんのために武装召喚術を学び、武装召喚師を目指したのか、わからなくなってしまった。
子供だったのだ。
自分の夢見た世界がすべてだと思いこんでいた。
戦女神のようになれるのだと、勝手に想っていた。
それが否定されただけで、自分までも否定されたような気持ちになり、そのことが彼の迷走へと繋がった。
そんな彼が立ち直り、自分を見直すきっかけとなったのは、従妹ファリアの寝顔を見たからだというのは、単純すぎるといえば、単純すぎるのかもしれない。しかし、素直で純粋なスコールには、生まれたばかりの従妹の寝顔に悪意を抱くなどできるわけもなく、むしろ、小さくか弱い彼女を守らなければならないと想うようになった。
そこからの彼は、新たな目標に生きるようになった。
ファリア=アスラリアが将来、戦女神となったとき、その守護天使となるべく、だれにも負けない武装召喚師になろうと心したのだ。
あれから、どれほどの月日が流れたのか。
状況は、変わった。
目まぐるしい変化の日々に意識が追いつけないことがままあった。それでも修行は怠らなかったし、武装召喚術の研鑽も毎日のように行っていた。それだけが彼のすべてだったのだから、仕方がない。それ以外に取り柄はなかった。武装召喚師としての実力を認められ、護峰侍団三番隊長に任命されたからといって、隊長業務にすべてを費やすことはできなかった。
強くなりたかった。
もっと、強く。
もっと、高みを目指さなければならなかった。
護峰侍団の隊長格では、物足りない。
それでは、戦女神の守護天使にはなれない。
彼が目指したのは、そこなのだ。護峰侍団ではない。しかし、リョハンの武装召喚師たるもの、護峰侍団に入るのが当然の道であり、入った以上は、そこの規則に従うべきだった。隊長に任命されれば、受けるしかない。受けた以上、務めを果たさなければならない。自然、修練に割ける時間が減る。仕方のないことだが、愉快ではなかった。
そんな日々、さらなる激変が起きた。
“大破壊”だ。
世界そのものが滅びを免れた結果起きた未曾有の災害は、リョハン近郊の大地にも大きく影響を及ぼした。生態系は崩れ、世界は終末の気配に飲まれた。いや、気配だけではない。現実問題として、世界は滅びに曝されている。つまるところ、“大破壊”は世界の滅びを先延ばしにしただけにすぎないのだという。それでもあのとき滅び去ってしまうよりはずっといいだろうとは想うし、そのために起きた状況は、彼にとって多少、喜ばしくはあった。
彼女がリョハンに戻ってきたからだ。
ファリア・ベルファリア=アスラリア。
そして彼女は、戦女神となった。
その直後、四大天侍が解体され、七大天侍が編成されたが、彼は選ばれなかった。
(俺は、守護天使にはなれないのか)
そう想った――。
「お従兄様……!?」
悲痛な叫びが耳に刺さる。
そのおかげで腹を貫く痛みがわずかに鈍ったのは、笑い話かもしれない。最愛の従妹の声が痛みを和らげてくれたのだ。そんなことがあるなど、彼は考えたこともなかった。いや、それ以上にだ。
(泣いてくれるのか)
スコールは、ファリアの悲しみに満ちた叫びが、身を切るように痛い反面、嬉しくもあることに苦笑せざるを得なかった。
(俺は……)
痛みは、貫かれた腹部のみならず、全身を苛んでいる。まるで電流でも流されているような痛みだった。連続的な痛み。破壊的で、ともすれば意識が断絶しそうになる。それでも意識を保っていられるのは、背後にファリアを庇っているという自覚があるからだ。ここで意識を失えば、ファリアを攻撃される。そんなことをさせるわけにはいかない。
(ファリアの守護天使なんだ……!)
叫ぶようにして、前方上空を睨む。
腹を貫く光の帯の源には、光り輝く女神が浮かんでいた。