第千九百十二話 第二次リョハン防衛戦(六)
戦女神の雷弓が轟音とともに雷撃の嵐を引き起こすと、それが迎撃のときを告げる狼煙となった。
二千の護峰侍団と六名の七大天侍が戦女神の後に続き、沈黙の丘を出撃する。
既に神軍は丘に向かって進軍中であり、戦女神の雷撃はその先鋒隊を蹂躙したのだ。神軍の陣形がわずかに乱れたその隙を逃すリョハン軍ではない。二千名を越える武装召喚師たちの総攻撃が、敵陣に風穴を開けるが如く猛威を振るう。吹雪が巻き起こり、火球が乱舞し、無数の矢が、無数の刃が敵軍をやたらめったらに攻撃する。
一気呵成。
物凄まじい大攻勢が、約二十倍に及ぶ神軍本隊のうち、前線部隊を徹底的に粉砕する。神軍の兵隊のほとんどは、元ヴァシュタリア軍の兵隊たちだ。神軍への忠誠心の低さは、リョハンが保護している難民たちの話からもよくわかっている。彼らがリョハン軍の猛攻を受けて、算を乱すように後退するのもファリアたちの計算のうちだった。
神軍本隊はおよそ四万。そのうち、ラムレスらの露払いがどの程度の死傷者を出したのかは不明だが、大勢に影響が出るほどではないのは、神軍の攻勢からも見て取れた。しかし、四万もの軍勢を一気しに押し出してくるということは不可能に近く、戦線が縦に伸び切るのもむりのないことだった。そこをリョハンの猛攻が効果的に作用した。
「見たか! これぞリョハンが武装召喚術の総本山たる所以ぞ!」
護峰侍団の隊長格のひとりが、大斧を片手で振りかざしながら、勝利の確信に満ちた声を上げる。
「神軍、なにするものぞ! 恐れることはない! 征け、征けえいっ!」
「まだです。まだ、調子に乗るのは早い」
ファリアは、隊長格を一瞥すると、そういって窘めた。あまりの手応えのなさには拍子抜けするが、しかし、まだ敵の一部隊を撃退したに過ぎない。何万という敵兵がいるのだ。そのうちの十分の一にも満たない前線部隊を撃退したところで、勝敗が決まるわけではない。
(神人がいるはず。まだ、出てきていない)
ファリアは、オーロラストームを手に意識を研ぎ澄まさせた。鋭敏化した感覚で迫りくる敵軍の様子を探るのだ。神人は、常人とは異なる。気配からして別物だ。感知範囲内にいれば、すぐにわかるはずだった。
戦場は、沈黙の丘北東に広がる寡黙なる原野と呼ばれる一帯だ。神軍本隊の陣地はさらに北東に位置する黙想の石林であり、敵部隊はそこから南西に流れ込むようにして進んできている。リョハン軍が撃退したのは、その前線部隊だけであり後続の部隊はいまだ進軍を止めてもいない。いずれリョハン軍の前線部隊、つまりファリアたちと激突し、戦火を散らすこととなるだろう。
「とはいえ、この程度のか弱さならば、我らだけで押し返せましょう」
「戦女神様は、後方で指揮を取っていただければよいのではないかと」
「そういうわけにはいきません。わたしは、戦女神。リョハンの民の先頭に立つのは、いつだって戦女神なのですから」
ファリアが毅然と言い放つと、さしもの護峰侍団隊長格たちも言葉を飲んだようだった。ファリアの気迫に押されたのか、それとも、覚悟を察したのかはわからない。無論、彼らもなにもファリアを毛嫌いしているわけではないのは、その言動からもわかっている。ただ、気遣っているだけなのだ。戦女神が負傷すれば、リョハン軍の士気に関わる。いまでこそ押しているものの、士気が低下すれば、その限りではないのだ。
が、それは戦女神が後方に下がるのも、結果的には同じことだといわざるを得ない。発破をかけたのがファリアならば、ファリア自身が身を以てその戦いを示すべきなのだ。でなければ、戦女神などとはいえない。
「そうですよ。戦女神様あってこそのリョハン」
「戦女神様の御身は我々が護る。どうぞ、ご心配なく」
ルウファとグロリアが口々にいった。ルウファの純白の翼とグロリアの光の翼は、まさに天使と呼ぶに相応しいものであり、ふたりを従える戦女神にはよく似合っていた。
「いえ、七大天侍の皆には、それぞれに散って戦っていただかなければなりません」
「……まあ、そうなりますか」
「皆も認識していますね?」
「ええ、もちろん」
シヴィル=ソードウィンが努めて静かにうなずいたのは、神人の数が想像以上に多いことを察したからに違いなかった。シヴィルだけではない。七大天侍のいずれもが、押し寄せる敵軍の彼方より、多数の神人が迫ってくるのを認識しているのだ。その認識はやがて全軍が共有することになるだろう。だれもが、武装召喚師なのだから。
「神人の数は、ざっと三十体。おそらく後方にはさらに多く控えていることでしょう。それらを相手にするのがあなたがた七大天侍の使命。雑兵の相手は護峰侍団に任せ、神人の撃破を優先なさい」
「はっ」
「御意」
「ご随意に」
「わっかりましたー」
「わたしは、敵本陣を落としにかかります」
ファリアは、七大天侍たちの威勢のいい反応を聞いて、心強く想った。やはり、彼らは頼りがいがあった。そしてその頼りがいそのままの実力を発揮してくれることは疑いようがない。リョハンにおける最高戦力が七大天侍なのだ。元より四大天侍として実績のあったシヴィル、ニュウ、カートの三名に加え、ルウファ、グロリア、アスラといった実戦経験も豊富な武装召喚師たち。リョハンにおいて、彼ら以上の武装召喚師はいないといってもいいはずだ。無論、優秀な武装召喚師は数多にいて、それらは皆、護峰侍団の一員としてこの戦いに随伴している。
「敵の大半は人間。本陣が落ちれば、さすがに戦意を喪失するでしょうね」
「でしょうが、あまり無理をなさらぬよう」
ルウファとシヴィルの気遣いに感謝して、ファリアはうなずいた。
「わかっています。身の安全が第一。それに護峰侍団の皆が、わたしを護ってくれましょう」
「もちろんです」
と、口を挟んできたのは、ヴィステンダールだ。護峰侍団の団長を務める彼は、重厚な鎧を着込み、一振りの太刀を携えている。いずれも召喚武装であり、彼がふたつの召喚武装を同時併用できる実力の持ち主であることがはっきりとわかる。護峰侍団に所属しているのは、いずれも武装召喚師だ。団長である彼も当然、武装召喚術に精通しており、その実力は折り紙付きだ。あとは実戦経験させ積むことができれば、彼はさらに強くなるだろう。
経験は、糧となる。
このような状況でそんなことを言っている場合ではないが。
「戦女神様が敵本陣を受け持つというのであれば、我らはその露払いをいたしましょう」
「頼みます、ヴィステンダール団長」
「御意」
ヴィステンダールは、ファリアに深々とうなずくと、すぐさま配下に指示を飛ばした。護峰侍団全十隊のうち、最強といわれる一番隊と三番隊がファリアとともに敵本陣を受け持つことが決まったらしいことが彼の指示から窺い知れる。
(三番隊……か)
ファリアがはっとしたのは、護峰侍団三番隊の隊長を務めるスコール=バルディッシュが彼女の血縁者だったからだ。バルディッシュ姓からわかる通り、スコールはファリアの従兄に当たる人物であり、幼いころから良くしてもらっていたことを覚えている。いまも、難民問題において反戦女神派が激増した護峰侍団の中にあって、彼はファリアの支持者であることを明言しており、そのことで立場が危うくなっているという噂だが、それでもファリアの応援を止めないというのだから、彼の従妹想いぶりにはファリアも言葉を失うよりほかなかった。そんな従兄のためにも、難民問題を解決したいとは想っているのだが、いまはどうしようもない。
ファリアが考え事をしていると、グロリアの声が聞こえてきた。
「では征くぞ、七大天侍諸君」
「師匠、なに指揮官気取ってんですか」
「ふっ、それがわたしだからだ」
「意味がわかんないっす!」
グロリアの自信に満ちた物言いにルウファが叫ぶと、シヴィルがくすりと笑った。
「まったく……面白い師弟だ」
「本気で笑ってますよね、天侍長」
「さて、我々も征くぞ」
「あら」
「ふふふ、なかなか楽しい戦いになりそうですが」
そういって、先行する七大天侍たちを見送ったのは、アスラだ。彼女は、胸甲に手を当てて、つぶやいた。
「お姉様は、無事でしょうか」
「ミリュウならきっとだいじょうぶよ。心配ないわ」
「そう……ですわよね。お姉様なら、きっと」
「いまは、目の前の戦いに集中しましょう。敵の数は尋常ではないわ」
それもただの敵ならば、まだいい。
常人ならば、武装召喚師があいてならば、数を頼みになんとでも戦える。だが、神人となると話は別なのだ。神人は、心臓となる“核”を破壊するまで、無制限に活動する。どれだけ攻撃を加えても、どれだけ深刻な損傷を与えても、たちまち再生し、復元する。肉体を半分以上削り取っても、意味がない。“核”という神人にとっての心臓を破壊するまで、攻撃をし続けることができるということなのだ。その上、“核”はどこにあるのかわからない。人間の心臓と同じ位置にあるわけではないのだ。白化した部位のどこかに生成された“核”を戦闘中に見つけ出し、その上で破壊しなければならず、困難を極めた。
だからこそ、ファリアは、早急に戦いを終わらせなければならない。
早急に敵本陣を落とし、神軍の戦闘意欲を奪う以外に道はないのだ。




