第千九百五話 修羅の刻印(二)
「おおおおおっ!」
吼えたのは、無意識だった。
無意識のまま、力を解き放っていた。
全周囲への力の解放は、そのまま破壊の熱量となって吹き荒れる。全周囲攻撃。地面に叩きつけられたまま、さらなる追撃を受けたセツナが取れる反撃行動となれば、ほかに方法はなかった。試合会場そのものを消し飛ばすほどの力を放ったのだ。
それによって、セツナにのしかかり、神威を叩きつけてきていたラジャムを引き離すことに成功したものの、ラジャムそのものに痛撃を与えるには至らなかったようだ。
土砂が嵐のように吹き荒れる中、セツナは、虚空に浮かび、矛を構え直した。試合会場は徹底的に破壊し尽した。まっ平らな地面ではなくなり、大きく陥没してしまっている。試合会場の四方に配置されていた特大魔晶灯も粉々に砕け散り、破片が空中を漂っていた。力の余波が熱を帯びた風となって吹き荒れている。
そのため、中央闘技場には、夜の闇が降り注いだのだが、セツナがラジャムの姿を捉えることに関して言えば、なんの問題もなかった。
闇夜に浮かぶラジャムの姿は、神々しいまでの輝きを帯びていたからだ。
光輪を背負い、派手な金色の鎧を身につけた美丈夫は、神に相応しい姿といえた。もちろん、美丈夫なのはウォーレン=ルーンであって、ラジャム本来の姿がどのようなものなのかは想像もつかない。案外人間によく似た姿なのかもしれないが、よくはわからない。
「よくもまあ、我が闘士たちが何百年にも渡って闘技を繰り広げてきた聖地ともいうべき場所を台無しにしたものよな」
「力を見せろといったのは、あんただろ」
セツナは、傷ひとつないラジャムの姿に憮然とした。セツナは先程の攻撃で、それなりに消耗している。ラジャムを引き離すためには、それなりの力が必要だったからだ。ただの全周囲攻撃では、ラジャムは離れようともしなかっただろう。故に、無意識ながらも持てる限りの力を放出したのだが、ラジャムは危険を察知し、攻撃範囲外に逃れたようだ。
セツナの全周囲攻撃は、試合会場のみを破壊している。攻撃範囲を絞った記憶はない。つまり、ラジャムの結界が全周囲攻撃を相殺しきったということでもあるし、無意識に観客席への配慮が働いたということもあるだろう。ラジャムは、結界の外へ逃れることで、セツナの攻撃から身を守ったようだ。
「試合会場を壊してほしくなかったってんなら、最初からそういえっての。闘技場の歴史的価値? んなもん、知るかよ」
「まったく……うぬは、闘技の素晴らしさがなにもわかっておらぬようだな。ひとが持つ価値あるものの中で最大のものぞ」
ラジャムは、セツナを窘めるようにいってくる。その口ぶりから、ラジャムが人間同士の闘技を心から気に入っている様子が伝わってくる。アレウテラスの守護神になったのも、彼のその性格からして当然の出来事だったのだろう。そして、この二年あまり、闘技を見守り続けてきたのは、ラジャムにとっては幸福な日々だったのかもしれない。
悪い神ではないのではないか。
少なくとも、アシュトラのように人間を陥れるような神ではなさそうだった。
闘技に価値を見出しているのだ。
人間と人間の肉体のぶつかり合いにこそ、意義を見つけている。
邪神の類ではなさそうに思える。
だからといって、セツナにとってはうざったい存在であることに変わりはないのだが。
「……あんたの中では、だろ」
「そうやもしれぬが……この都に住むものたちは、だれもがそれを解しておる。うぬら異邦人のみが、それを解さぬ。嘆かわしいことよ」
「嘆きたいのはこっちのほうだ」
「なにゆえ?」
「俺は、こんなところで油を売ってる場合じゃねえっての」
「ふむ……うぬは、まだわかっておらぬようさな」
ラジャムは、不意に長剣の切っ先をこちらに向けてきた。ただそれだけの動き。しかし、セツナは、そこにラジャムの意図を見出さずにはいられなかった。だから身をかわしたのだが、
「なにしやがる」
「反応したな」
ラジャムが、にやりとした。ラジャムの剣は、切っ先をこちらに向けたまま、動いてはいなかった。斬撃を放つこともなければ、神威を発することもない。ただ、そこにあったのだ。それなのにセツナは動いた。反射的に回避行動を取った。そのことが、ラジャムには嬉しいらしい。
「それがうぬの本質よ。闘気への過敏なまでの反応。それは、うぬが闘争に魂を焦がすものであることの証明。うぬが、闘争の中でのみ存在価値を示すものである刻印」
ラジャムが、冷ややかに告げてくる。
「修羅の烙印」
「はっ……」
セツナは、ラジャムの口ぶりに腹立たしくなった。なにもかもを見透かしたような、心の底まで、いや、魂の有り様までも見抜いたような言動。態度。それがセツナに冷静さを失わせるのだが、なぜなのか、自分でもわからない。どうして、心がこうもざわつくのだろう。
「なにを言い出すかと思えば……馬鹿馬鹿しい。修羅の刻印だって? なんだそりゃ。それが、どうしたってんだ」
「なにを怒っておる。性分の話をしておるのではないか」
ラジャムは、極めて冷静な反応を見せた。それがまた、セツナの感情を高ぶらせる。
「うぬの性分。生来持ち合わせた性といっていい。うぬは、闘争の中でのみ、生の実感を得ることができるのではないか? そう、感じたことがないとはいわせぬぞ」
「……うるせえ」
「図星、よな」
「だったらなんだってんだよ」
「なにも」
ラジャムは、セツナが睨むのも涼しい顔で受け止めていた。
「いうたはずだ。ただ、性分の話をした、と。そのような言葉でうぬを揺さぶろうとは思わぬ。ただ、うぬに知っておいてもらいたかっただけのことだ」
「なにを」
「うぬも我も、闘争の中でしか生きられぬ存在だということをな」
「……俺は」
「違うと申すか」
「……いや」
頭を振る。そして、認める。
「違わねえよ」
矛を握り締める。
自分が一体何者なのか。一体なんのために生まれ、なんのためにここにいるのか。何度も考えてきたことだ。焦がれるほどに。灼かれるほどに。考えなくてはならなかった。自分の存在理由。存在意義。必要性。
「俺も所詮、闘争にしか生きられない存在だ。それは、認めるよ。それが俺だ。それが、俺のすべてだ」
それ以外にはなかった。
闘うことだけが、人生のすべてだった。
いや、もちろん、最初は違う。普通の家庭に生まれて、両親に愛され、母に愛され、なに不自由のない暮らしを続けていた。そのままあの世界に居続けることができれば、きっと、闘争とは無縁の、それこそ平凡な人生を送ることができただろう。だが、そうはならなかった。イルス・ヴァレへの召喚に応じたとき、平凡な人生への道は絶たれた。もう二度と、戻ることはできない。
手は、血塗られた。
数多の屍を踏みしだき、数多の命を切って捨てた。
この手。
もはや拭いきれないほどに血が染み込んだ手では、平凡な日常など望むべくもない。
闘争だ。
闘争だけが、闘争の場だけが、闘争における勝利だけが、セツナの価値となった。
それがすべて。
黒き矛のセツナと呼ばれた英雄の本質。
存在意義であり、価値。
どれだけ否定しようとも、それ以外にセツナの価値などはなかった。あろうはずもない。だれもがセツナにそれを求めた。勝利だけが必要だった。闘争に打ち勝つためだけに必要とされたのだ。それ以外のセツナのどこに価値があったのか。ただ強いからだ。強いことに価値があり、その価値が発揮できるのが、闘争という限られた領域だけだったのだ。
だから、セツナは必要とされた。
駆り出され、追い立てられるように戦場に赴く日々。
戦いに次ぐ戦い。
戦場に次ぐ戦場。
熱戦もあれば、激戦もあり、幾度の死線を超え、最前線へと送られ続けた。
気がつくと、闘争がすべてになっていた。
戦いの中に高揚を感じないとは、言い切れない。
強い敵と見えたとき、昂ぶる心を抑えきれない自分がいた。苦境に陥ったときほど、魂が震えた。死線に至っては、命を焼き尽くさんばかりに燃え盛った。
(修羅の刻印……か)
拳を握る。
拳の中には、彼の戦いとなれば必ずそれがあった。
黒き矛。
カオスブリンガー。
またの名を、魔王の杖。
この力がセツナを闘争に駆り立てた要因なのは、いうまでもない。




